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2026年4月30日 (木)

歩きスマホ10

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「『ながら〇〇』には様々なデメリットがある」と言いましたが、少し不正確でした。

あるのは複数の行動を同時に行うことで各行動に当然生じる制約であって、それによって実害が生じることがなければそれをデメリットと考える必要はないかも知れません。 
 
例えば、同じ「ながら歩き」でも、スマホを操作しながら歩く、音楽を聴きながら歩く、話しながら歩く、考えごとをしながら歩く、など色々で、歩くという動作に与える制約も様々であり、実害を生じさせる危険も様々です。

「ながら歩き」の場合、歩く動作は殆ど無意識に行われますし(システム1のみを発動)、もう一つの動作をより集中して行おうとすれば歩くこともままならなくなったり、時には立ち止まらざるを得なくなることもあると思います。

そして、歩きスマホやヘッドホンの音漏れのようにそれらによって周囲へ実害を生じさせることがない限りあまり問題にはされません。

このように「ながら〇〇」のデメリットは、単純には論じられません。

そして「相互の行動には制約が生じる」というだけの捉え方も、いささか偏った(狭い)認識だったかも知れません。

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2026年4月28日 (火)

歩きスマホ 9

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

それまでやっていなかった「ながら思考」をすることは、それまでの習慣的な「ながら」をやめる、つまり習慣を変えることなので当初抵抗は有りますが、敢えて意識を向ける先を変えて行けばやがて慣れて来ます。

ただ、よりどころとなるもの(活字や画像、動画や音楽などとそれを得るための媒体やツール)がないため、多少の集中力は必要となります。つまり道具を使った「ながら」より少しは多くの努力が必要になるということです。

この努力は、恐らくそれまでと違う脳の部位を使うための努力であり、(少なくともその行動をする時には)使っていなかった脳の部位を使うことは、それだけで新鮮な感覚を味わうことができるような気がします。

これは「ながら〇〇」の「〇〇」を、(思考に限らず)他のものに切り替えるメリットなのかも知れません。そしてこれは単に新鮮な喜びを感じること以外にも何か意味があるような気がします。

これについては後で考えることにして、先に「ながら思考」のデメリットについて考えてみたいと思います。

ながら思考に限らず「ながら〇〇」には様々なデメリットが有ります。

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2026年4月27日 (月)

歩きスマホ 8

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「ながら歩き」をやめて歩くことだけに集中する効果は他にもあります。速く歩くことができ目的地まで短時間で到着することができます。また運動効果も高くなるでしょう。良いことづくめです!(笑)

これはながら歩きだけでなく他のながら〇〇(食事や作業や運転など)でも同じです。目の前の行動に意識を集中することでその行動自体についてのより深い考察や探究ができたり効率が上がるなど、得るものはとても多いと思います。

しかし実は私が最も大きな収穫だと思ったのは代わりの「ながら〇〇」を見つけたことでした。

それは、「ながら思考」つまり何かをしながら「考える」ことです。

何かをしながら他のことを考えること自体は珍しいことでは有りませんが、それまで考えることをせず他のことをしていた時間に考えることをすること(できること)は私にとっては新鮮な体験でした。

私も始めは習慣となっていた「ながら」ができないことに抵抗感があり手持ち無沙汰さを感じておりましたが、ふと考えを巡らせるのに良い時間であることに気づき、このことを前向きに捉え直してみることにした訳です。

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2026年4月24日 (金)

歩きスマホ 7

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私達は歩きスマホなどの「ながら〇〇」から様々な精神的メリットを享受しているので、それをやめることはなかなかできません。

しかし色々な原因があって、(いやいやながらも)それをやめざるを得なくなることがあります(私にもそういうことがありました)。そんなときこそ未知なる経験をするチャンスです。
 
「ながら〇〇」ができないことを嘆くのか、切り替えて(変化に柔軟に対応して)別のことを考えてみるのか。それによってその後の人生がより豊かになるか否かが決まるかも知れません。

「別のこと」には2通りあります。一つは別の「ながら」をみつけること。もう一つは本来の行動に意識を集中してみることです。せっかくながらをやめたのですから、まず後者をやってみましょう。

歩きスマホなどの「ながら歩き」の場合なら、歩くことだけに意識を集中するということです。すると例えば自分の歩き方をじっくり観察して、何かを発見するかも知れません。

また周囲の景色がどんどん移り変わって行くことも再認識するでしょうし、それまで入らなかった様々な情報も入って来て、そこから気づきや新しい発想を得るかも知れません。

つづく

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2026年4月23日 (木)

歩きスマホ 6

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が歩きスマホのことで迷惑とか危険などのネガティブな側面よりももっと考えたかったこと(ここに取り上げようと思ったきっかけ)は、歩きスマホ(に限らず「ながら〇〇」全般)の、というよりそれを「行わないことによる」ポジティブな面についてです。

最初に、タイパ(時間の有効活用)のために「ながら〇〇」が行われている、と書きましたが、実は、それが行われる本当の理由は他にあるのではないでしょうか。

それは、「楽しい」から。楽しいと言っても、うきうきわくわくするような、明るくはずむような気持ちだけでなく、気がまぎれるとか、楽になるといった、精神的な負担やストレスを減らす意味合いも含みますが。

歩きスマホをするのも、ヘッドホンで音楽を聴きながら歩いたり、食事をしたりコーヒーを飲みながら本や漫画を読んだり、作業や運転をしながら音楽やラジオ番組を聴いたりといった「ながら〇〇」をするのも、それらのことだけをするよりその方が「楽しい」からだと思います。

しかしそうやって得られるものと引き換えにもっと大きな大切なものを失っているのではないか。それが私が今回考えてみたいと思ったことなのです。

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2026年4月22日 (水)

歩きスマホ 5

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、バイアスやらヒューリスティックやらでかえって分かりにくくしてしまいましたが、話は簡単です。

一つは、歩きスマホをする人はそれまでそれで危険な目に遭った経験もないし人を危険な目に遭わせることもなかった(と思っている)ので、自分は歩きスマホをしても大丈夫だと思っている、ということ。

もう一つは、危険な目に遭わないのは(周囲の方の方が危険を避けてくれることの他に)、危険に気づかないほど集中したり没頭したりしていなかったに過ぎないだけだろうということ。

先日、トラック運転手がスマホを見ながら運転していて乗用車に追突し、幼い子供を含む一家4人を死亡させた事故がありました。

昨日は、日傘を肩掛けで差しながら歩きスマホをしている女性が、すれ違った人に傘の先端を突き当ててしまい、相手は憤慨して振り返りましたが当人は気づかず歩き去ってしまった場面に遭遇しました。

両者は結果の重大さが違うだけで、危険を現実化させる意識構造は全く同じだと思います。

ただ、(話がずいぶん迷走しましたが)歩きスマホのことで最も考えたかったのは、気配りや危険のことではないのです。

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2026年4月21日 (火)

歩きスマホ 4

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人は歩くときには周囲に注意を払って危険を避ける行動を取ります。それは五感を駆使して多数の情報を同時に処理する複雑な情報処理過程です。従って危険防止以外の情報を併せて処理しなければならなくなると、十分な危険防止行動を取れなくなる恐れが有ります。

ですから歩行中は敢えて他の情報の処理を必要とするような行為を慎むべきなのは当然です。

歩きスマホをする人は、自分はバックグラウンドで危険回避行動を取れると思っているのでしょうが、それは一種の認知バイアスだと思います。認知バイアスをもたらすヒューリスティック(思考の近道)は(危険が現実化しなかったという)過去の経験によるのだと思います。

実は危周囲の人々が危険回避行動を取ってくれているだけなのかも知れません。

そしてこのヒューリスティックの背景には先日書いた「浅い思考」という前提があるのかも知れません。

情報が氾濫する現代社会の真っ只中にあって、私達は浅い思考(システム1思考)に慣らされてしまっています。

逆に、歩きスマホが常態化した人は深い思考(例えば批判的思考)をする習慣がなくなる危険があるかも知れません。

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2026年4月20日 (月)

歩きスマホ 3

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回「歩きスマホで安全に行えるのは・・・など深い思考を伴わない表層的な精神活動だけ」歩きスマホの間は「深い精神活動をすることはできない」と書きましたが、そもそも議論の出発点が違いましたね。歩きスマホの精神活動を考える以前に、普通に歩く時の精神活動について考えるべきでした。

歩きスマホをしている人は遠くからでも後ろからでも一目でそれとわかります(ですからその人に接近する場合はこちらも通常以上に気をつけて備えます)。

それは、その人が多かれ少なかれ周囲への気配りを欠いているからだと思います。つまり、「歩く」とは「足をかわるがわる前に出す」ことだけではなく、周囲に注意を払って危険を察知するという精神活動を常に伴う(伴わなければならない)ことなのではないかと思います。

ですから、歩きスマホに限らず歩行中に周囲への注意を欠けば、危険を避けられないことになります。(スマホに触れず)考えごとをしているだけでも、危険は生じます。

つまり、問題とすべきは周囲への注意を欠いてしまう点であって、スマホはそれを助長する道具という位置付けです。

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2026年4月17日 (金)

歩きスマホ 2

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

国語辞典で「歩く」を引くと「足をかわるがわる前に出し、地面をふんで場所を移る」(三省堂国語辞典第8版)。もっと言えば、立って片足を前に出し、重心をその足に移しつつ後ろ足を蹴り上げて前に出すことで身体を前に進める動作。

この動作を行うのには判断や決定などの高度な精神活動は必要とされないのでその間にもう一つ別のことができてしまい、時間の有効活用になるように思えます。

しかし、(私の想像ですが)歩きスマホで安全に行えるのは動画を見る、文章を目で追う、単純で反射的なゲームをするなど深い思考を伴わない表層的な精神活動だけなのではないでしょうか。

つまり、歩くこと自体には確かに高度な精神活動は必要とはしませんが、それを安全に行うためには常に五感を働かせて周囲の情報を感知することが必要で、この間深い精神活動をすることはできないのではないか、ということです。

「立ち止まって考える」という言い方があります。ものの例えのようですが、深い思考をするには文字通り歩くのをやめ、立ち止まって集中する必要があるということなのではないでしょうか。

そしてこのことが逆に歩きスマホがなくならない理由なのかも知れません。

つづく

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2026年4月16日 (木)

歩きスマホ

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

3年程前に、「ホスピタリティ」の要素としての「気配り」について書いたことがあります(2023年5月22日)。今よりもさらに未熟で恥ずかしくなりますが、こんなことを書きました。気配りが足りないと考えられる例の一つ(チェックリストの一項目)です。

「□私の場合は歩きスマホをしても問題がない」(そう思っているから歩きスマホをする)。

今でも私が社員の方の歩きスマホを見つけた時には「ダメダメ」と注意をすることはありますが、今さらここで「歩きスマホはやめましょう」などと言うつもりはありません。今朝は少し違う角度からこの問題を考えてみたいと思います。

今なら「タイパ」、私の学生時代なら「ながら〇〇」。昔から時間の有効活用(?)は求められており、そのために2つのことを同時に行う、ということはよく行われて来ました。

歩きスマホも、一般的には歩くこととスマホ操作という2つのことを同時に行うことを意味していると思います。

つまり、歩いている間は歩くことしかしないので、その間の時間がもったいないということだと思うのですが、今回はそこのところを少し考えてみたいと思います。

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2026年4月15日 (水)

フクダの本 22

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

このリストのもう一つの問題は、リスク・サインを探す対象に各プロフェッショナル自身が含まれていないことです。逆にそれは常にリスク要因であると考えることもできるのですが、本書では今のところそれを「リスク拡大要因」に位置付けています。

なぜなら、これが全てのリスクに共通すると言ってもよいものだからです。しかし、問題は位置付けよりもこのリスク即ち認知バイアスによる意思決定の誤りの防止ないし除去の方法です。

一応現時点で想定できる対処方法は今回の本にも書きましたが、それが十分有効な方法かどうかは甚だ心もとないところです。


さて、「フクダの本」の話というには、具体的な内容に踏み込み過ぎました。このテーマの趣旨は、本はビジネスやサービスのあり方を分かりやすく説明する例えとしてうってつけだということです。

「本」を「サービス」に置き換えると、そのまま私達のサービスのあるべき姿を説明したのだということが分かると思います。

何のためにサービスを提供するのか、対象者のニーズ(抱えている問題)は何か、それをどうやって満たす(解決する)か、といったことをもっと考える必要がある、それができないとほかの主体にとって代わられてしまう、ということだったのです。

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2026年4月14日 (火)

フクダの本 21

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

このリストは言わば「不動産売買リスクチェックリスト」です。 

不動産売買に関わる各種プロフェッショナル(もちろん司法書士も含まれます)が、まさにこれから関わろうとしている(関わり始めている)具体的な不動産売買に関して、リストの質問に答えるだけで簡単に隠れたリスクの可能性とその防止(顕在化させない)ないし排除行動の要非と方法を知り、必要な場合はすぐに行動に移ることを可能にするツールです。

そして、リスクの内容(どんなリスクがあるのか)、リスクの有無を確認する方法、リスク予防・排除の方法の、それぞれ詳細は書籍本文で説明します。

ただ、このリストはまだ未完成です。

表そのものを実際業務で使っていないからです。この表の考え方はもちろんフクダリーガルのサービスに生きていますが、表自体をツールとして使うのはこれからです。

実際に使って行くことで、このリストに搭載できていないリスクの兆候(「リスク・サイン」と呼びます)が見つかるかも知れませんし、修正の必要性も出て来るかも知れません。

不動産事故の態様は無数にあり、新たな態様のものが生まれて来る可能性もあります。

また、もう一つ問題があります。

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2026年4月13日 (月)

フクダの本 20

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「⑤リスクの兆候」を現場で即使えるツールの形に変えてみます。

この章の中心となる情報はリスクの兆候となる事象30数項目を列挙した表です。該当する事象が多いほどハイリスク取引であることを示唆するものです。

これをより実践的なツールにするために、まずこの表をチェックリストに変形させます。つまり、例えば「〇〇がないこと」がリスクの兆候である場合、この項目を「〇〇があるか」という質問の形式にします。

このチェックが多いほどハイリスクだということになります。さらに、各項目にその兆候が示すリスクの発生確率に応じて重み付けができれば、かなり厳密にリスクレベルの強弱付けができますが、まだその算出はできていません。

もちろん単にリスク兆候の数を数えるだけでもその多寡でリスクレベルを判断し、それに応じた調査方法(本文⑤で詳説)を示すことはできます。

また、各リスクの兆候毎にどんなリスクなのか(本文①で詳説)とそのリスクを回避する方法(本文⑥で詳説)を記載します。具体的な内容を書ければよいのですが、紙媒体では一欄当たりの情報量に限界がありますので、本文の該当ページを記載します。

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2026年4月10日 (金)

フクダの本 19

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

読者のニーズはさらに段階的に、例えば(問題とその解決方法の)知識を得られれば良いのか、(問題を)解決することまで求めるのか、といった分析ができます。

実務家(不動産売買の現場で仕事をしている方達)を読者として想定している場合は、後者まで(あるいは前者より後者が)求められると考えるべきです(今のところそれに合わせた原稿にはなっていませんが)。そしてさらに解決の迅速さ・手軽さまで求められるでしょう。

現場で日々リスクに直面している方達(そのことに気付いていない方も含め)が理解することよりも容易に問題解決できることの方を求めるのは当然です。

この場合本は読んで頂くだけではなく、ツールとして使えるものである必要があります。

そこで原稿を修正しようと思うのですが、問題解決方法は本の中に既にあるのですから、それを取り出し利用しやすい形に加工すれば、ツールに変えられるはずです。

現在の原稿ではこういう構成になっています。

①リスクの潜んでいる場所
②リスクの元凶となるもの
③リスクを拡大する要因
④リスクを排除する原理原則
⑤リスクの兆候
⑥リスクを察知し防ぐ方法
⑦ケーススタディ
⑧認知症発症者の不動産売買

①〜⑥が分析・体系化された理論的な部分です。⑤⑥はこの中では実践的ですが、現場で即使えるツールの形にはなっていません。

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2026年4月 9日 (木)

フクダの本 18

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今回の本では、読者層が抱える問題は不動産売買事故に逢う危険であり、ニーズはその問題を解決することであると想定し、私達が開発した問題解決手法を提供することで読者のニーズに応えようとしています。

しかし、前にも書きましたがニーズは問題解決そのものだけではなく、その解決手法についてのものも有ります。以前お話したのは、解決手法を伝える多様な種類の媒体からの選択に対するニーズですが(「6」「11」)、その選択基準の一つは媒体の「使い勝手の良さ」(迅速かつ簡便に問題を解決できる)です。

今回媒体は(先ずは)書籍を選択しましたが、同一の媒体間での選択でも使い勝手が選択基準になります。

そして前回お伝えしたように今のところこの本の構成は問題の分析や体系化によって読者の理解を促すことを骨子としたものとなっており、使い勝手の良さに関する配慮は十分されておりませんでした。

経験によって獲得した問題解決手法を再現性のあるものに昇華させるためには分析と体系化は不可欠であり、それがなければ読者に理解してもらうことはできません。

またそこが開発者の苦心と工夫が現れているところでもありますから、書籍化の際もどうしてもそこを強調したくなります。

しかしそれが必ずしも読者のニーズに合致することにはならないのです。

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2026年4月 8日 (水)

フクダの本 17

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「新・中間省略登記」の次は現在執筆中の、不動産売買での事故を防ぐ方法についての本です。「不動産ディフェンスの教科書」という題名をつけていますが、これはあくまでも仮で、名称案はみなさんからも募集しました。校正の完了までには決まると思いますが、もう少し時間がかかりそうです。

この本についても、読者のどんな問題を解決するのかという視点で(これまで考えませんでしたが)考えてみます。

解決すべき問題は不動産売買での事故発生です。フクダリーガルはこの問題を解決(予防・回避)することに数多くの実績を積み重ねて来ました。そこで培われたノウハウを社外の方(特に不動産、金融や同業である司法書士などのプロフェッショナル)に共有するために、講演や研修、そして新聞、雑誌、ネットなどの媒体で発信して来ました。

その集大成として、書籍の形で発信しようと考えた訳です。

ですから内容は問題解決方法であることには間違いありませんが、私達のノウハウを世に知らしめたいという思いから、全体的な構成としては問題の分析や体系化が先立っています。

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2026年4月 6日 (月)

フクダの本 16

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「3年で10倍の法則」の本の場合は、「読者の問題を解決する」という意識は薄かったのですが、一部の読者の方達の問題解決にはなっていたようです。

ある方からこんなメッセージを頂きました。

「私はフクダリーガルの面接をする前にこの本を購入して読みました。どんな先生でどんな事務所なのか、自分が転職するにあたっての材料が欲しくて探した覚えがあります。」

「当時司法書士で実務の専門書以外はなく、珍しいと思ったのと人柄や一種の自己啓発本のように読みやすくわかりやすくて、閉塞感があった当時これなら面接を受けたいと思いました。」

「今でもこの本を読んだおかげでフクダリーガルでの働き方や社会人としての意識が明確になったと思っていますし、少なくとも私はこの本を世に送り出してくださった龍介さんに感謝しています。」

「出版の世界は数字が全てなのかもしれませんが、映画でもどんな(略)ものでも誰かに影響を与えていることは確かなので、龍介さんにはその時に自分が信じたことを発していただきたいと思っています。」

素敵なメッセージをありがとうございます。

因みに同書は現在もAmazonのペーパーバック(プリントオンデマンド)で購入可能です(笑)。

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2026年4月 3日 (金)

フクダの本 15

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「3年で10倍」の場合は、まず本を出すこと自体が目的でした。といっても自費出版ではなく出版社の依頼ですから、著者としても本が売れることを考えていなかった訳ではありません。

ただ、書きたいこと(自分が問題だと思うこと)を書くことで精一杯で、それによって読者の多くが抱える問題を解決できるのか(本が売れるのか)を考える余裕はなかったと思います。

本来本を出す目的は、それによって読者の抱えている問題を解決する(答えを提供する)ことでなければなりません。

ですから著者が第一に考えるべきは、読者(になる方達)が如何なる問題を抱えていて、それを如何に解決するかです。

「新・中間省略登記」は、かつて行われていた中間省略登記による登録免許税の節税が不動産登記法の全面改正によって事実上できなくなったという問題を把握し、それを解決する手法を開発して提供したものです。

もちろんこれは容易なことではなく、政府の後押しがあってやっと実現したのですが、次はその適法性に誤解があり、そのためにこの手法が十分普及しないという問題が生じたので、それを解決する方法として本を書くことにした訳です。

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2026年4月 2日 (木)

フクダの本 14

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

そして次のフクダの本が「新・中間省略登記が図解でわかる本」(住宅新報社 2010年)でした。

この本は売れました。初版は7回増刷となり、改訂版(大幅な増ページ、価格も大幅に増額)も出させて頂き現在2刷に入っています。

この種の専門書がこのようなロングセラーになることは極めて異例なことのようです。

ただ、この本は売れるべくして売れたと言って良いと思います。そもそもこの本のニーズを作り出したのが自分達だったからです。

この本は「新・中間省略登記」という取引手法(いわゆる「さんため」)について解説しているものですが、この手法は自分達が開発したもので、しかもそれは不動産業界の強い要望に答えたものでしたから、この本に対するニーズが極めて高いのは当然のことなのでした。

しかもそれは開発者が自ら書いたものですから信頼度も高く、また図解をふんだんに入れて分かりやすくすることを心掛け、他の追随を許さないものとなったと自負しています。ですから予想に反して未だ類書は現れていません。

「3年で10倍」の本との違いがここにありました。

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2026年4月 1日 (水)

フクダの本 13

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

この本は売れませんでしたが(編集者の方からも失敗だったというようなことを言われた記憶があります)、読み返してみると現在のものの考え方の出発点がここにあるようにも思えます。

しかし、考えが稚拙で、思慮も浅く、ものごとの表面をさっとなぞって分かったつもりになっているようなところもあり、恥ずかしくなります。

そしてこの本は決して「短期間で事業を急成長させる秘訣」が書かれている訳ではありません。表題が「3年で10倍」ですのでそんな印象を与えますが、結果がそうだっただけで、再現性のある原理原則が書かれている訳ではありません。

経営者の書いた本というものは往々にしてその手のものが多いと思いますが。

要は、3年で10倍という結果を出した司法書士が、どんなことを行ってきたかという事実が書かれているだけで、行ってきたことと出た結果との因果関係を証明している訳ではないのです。

ただ、私自身はこの後も失敗を繰り返しながら経営に携わって来て、多少なりとも成長して来たと言えるとは思います。

少なくともこの本に書かれたことが未熟だということが分かる程度には。

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