未知の問題はどう解決するか その4
(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
私の立てた「仮説」がほとんど見当外れの「不正解」でも、仮説を立てられたことに「まんざらでもない」と思えたのは、正解を出すことだけが目的ではなかったからです。
正解を出すこと以外の目的とは、一言で言えば「考える」ことです。
「考える」ことは「問題解決」の第3工程の手段の一つです。こ気持ちの工程には他にもAIや専門家、仲間の多様な意見を求めるという手段があり、それらによる方が大概は容易にかつ迅速にこの工程を完了できます。
しかし、大変でも時間がかかっても「考える」ことはやめられません。
それは、決まり切った「正解」を探し出す(思い出す)ことよりも、様々な思考努力により、あるいは様々な思考経路をたどって、正解を発見したり、創り出したりする方が「楽しい」からです。
「考える」ことはたいてい苦痛を伴います。しかし、そこには楽しさ(「まんざらでもない」)もあります。
知識を呼び起こす過程と、新たに何ものかを作り出す過程は全く異なりますし、恐らく働く脳の部位も違う(新しい)と思われます。「新しい」ことには楽しさを感じます。
そして、楽しいことにはそれ以上に何らかの意味があるはずです。
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