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2025年10月31日 (金)

未知の問題はどう解決するか その14

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

考えることが楽しくない原因について、「こうではないか」と勝手な推測をして(「仮説」を立てて)、更にその原因を掘り下げました。

これは、人の意見を聞く前に行うべき「思考訓練」であり、推測(仮説)に客観性を与える(正解を導く)ものではありません。

仮説を実証し問題を解決するためには、原因の掘り下げに客観的な証拠を用意する必要があります。調査・統計・実験によって裏付けを取るのです。

今回の「1人ワークショップ」による原因の掘り下げはあくまでもシミュレーションです。

しかしこのシミュレーションそのものからも思考の整理や発見など様々な収穫があります。

いくつかの仮説に共通の「原因」が見つかったのもその一つです。

例えば「必要ないから」。考える必要がない、楽しむ必要がない、そもそも問題を自分で解決する必要がない。だから、考えない、楽しまない、問題を自分で解決しない。

このシミュレーションは脳が裏でやっていることではないか、という推測もそうです。これは恐らく私だけではなく、ヒトの脳の普通の働きなのではないかという。

つづく

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2025年10月30日 (木)

未知の問題はどう解決するか その13

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ではここで、このテーマについての思考(試行)過程を振り返ってみましょう。

きっかけはある「未知の問題」に直面したことでした(「未知の問題」と言っていますが「問題」とはそもそも未知のものだとも言えます)。

そして、問題解決の過程の中で、自分は「考える」ことに「楽しさ」を感じることがあるが、それには何らかの意味があるのではないか、という疑問が生じました。

そこで、その疑問の答えを探る方法として「問題解決メソッド」を用いてみることにしました。

解決すべき問題として仮に設定したのは「考えることに楽しさを感じないこと」です。

その原因について仮説を複数立て、それぞれの仮説について更にその原因を考えました。

これは言ってみれば「一人ワークショップ」です。実際に「なぜなぜ」を繰り返すことで、ものごとを深く考えることの実践(実験)の場になりました。

問題(仮説)を複数立てて、その原因を考えることは、様々な問題の共通要素を見つける方法のシミュレーションです。実際に日頃私は(私の脳は)これを「裏」でやっているのですが、それを少し見える形でやってみたということです。

つづく

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2025年10月29日 (水)

未知の問題はどう解決するか その12

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

また元のテーマに戻りますが、「仮説」が「未知の問題の解決」とどうつながるのかが分からなくなって来ました(笑)。でもこれが最後ですのでもう少しお付き合い下さい。

15 考えることだけでなく生きていることそのものが楽しくない

①なぜ生きていることそのものが楽しくないのか
→a.個別の具体的原因(誰も自分のことを理解してくれない、人間関係がうまく行っていない、やりたいことがないなど)
 b.そもそも人生に楽しいことはないと思っている

②誰も自分のことを理解してくれないのは何故か
→a.人が自分を理解する努力をしてくれないから
 b.自分が人に理解してもらおうとする努力をしていないから
 c.そもそも人と人とは理解し合えないものだから

③なぜ人間関係がうまく行かないのか
→a.相手が関係を良くする努力をしてくれないから
 b.自分が関係を良くする努力をしていないから
 c.相手との相性が悪いと思うから
 d.相手のことが嫌いだから

④なぜやりたいことがないのか
→a.なくてもメシは食えるから
 b.そのうち見つかるかも知れないから
 c.そもそも必要ないと思うから

⑤なぜ人生に楽しいことはないと思うのか
→a.生きるとは義務と責任を果たすことだから
 b.食べて行くだけで精一杯だから
 c.世界には自分より苦しんでいる人がいるのに自分が楽しんではいけないと思うから
 d.どうすれば楽しくなるのか分からないから
 e.楽しいことがなくても生きて行けるから

つづく

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2025年10月28日 (火)

「未解決事件」 後編

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ものごとの判断に「後知恵」を用いることへの警鐘(拙著でも注意喚起しています)として、ある文章をご紹介します。

※文中の「上告人」は司法書士を、「A」は不動産所有者(売主)を、「本件会合」は事前の本人確認・資料確認の場を、「b社」「被上告人」は不動産の買主をそれぞれ指しています。

・・・・・・・・・・・・・・

上告人が本件会合においていかなる意見を述べるべきであったかを論じるに当たっては,自称Aは本人ではないという事後的に明らかとなった事実をいわゆる「後知恵」として用いないように留意する必要がある。

本件会合の時点においては自称Aの本人性は定かではなかったのであるから,上告人が自称Aの本人性に疑問を挟む意見を述べるに当たっては,仮にb社や被上告人が上告人の意見を尊重して取引を中止し,しかる後に自称Aが本人であったことが明らかとなった場合において,取引の中止によって利益を逸したと主張するやも知れぬb社や被上告人に対していかにして自分が述べた意見の正当性を示し得るかについて憂慮しなければならなかったのである。

差戻審には,以上の諸点を勘案した上で,本件において上告人にはいかなる意見を述べることが現実的に可能であったのかを見極めた上でしかるべき結論を導き出してもらいたいと願う次第である。

・・・・・・・・・・・・・・

これは、ある地面師事件に関して司法書士が責任を問われた裁判の上告審の判決(R.2.3.6最高裁判決)に添えられた草野耕一裁判官の「意見」の一部です。

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2025年10月27日 (月)

「未解決事件」 前編

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今日明日はこれまでのテーマを中断して、25日(土)に放送されたNHKテレビ「未解決事件・大手ハウスメーカー地面師詐欺事件」についてお話します。

被害額の大きさから当時センセーションを引き起こしたこの事件を8年後の今改めて取り上げるだけのことはあり、加害者側、被害者側から捜査関係者に至る迄の幅広い関係当事者にかなり踏み込んだ独自取材をし、これまで一般に知られて来なかった事実を白日の下に晒すと共に、問題の本質に鋭く斬り込んだ内容になっています。

この「本質」が地面師事件に限らず大半の不動産事故防止のための鍵となることは、私も長年の経験から気づき始めていたところで、その内容を近日発刊予定(現在初稿校正中)の拙著「(仮)不動産ディフェンスの教科書」で分析し、それを一つの材料として「事故防止メソッド」を構築してみました。

こういった分析が今回の番組も含め、この種の議論を興味深いものとし、教訓を与えてくれるものであることは間違いありませんが、一つ注意しなければならないことがあります。

それは、この分析の大半が事件の詳細が明らかになってからの「後知恵」であるということです。

つづく

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2025年10月24日 (金)

未知の問題はどう解決するか その11

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

雑駁な仮説の深耕ですが、続けます。

14 考えてもそれが良いことに結びついたことがないから、楽しくない
①何故良いことに結びつかなかったのか
→a.自分の考えた問題解決手段によって問題が解決できなかった
b.当面の問題は解決できたが、また別の問題が発生した
c.問題解決を実行に移せなかった
d.そもそも問題解決案を考えられなかった
②なぜ問題が解決できなかったり、別の問題が発生したりしたのか
→問題の根本原因が掴めていなかった
③なぜ問題の根本原因が掴めなかったのか
→表面的な原因の解明で満足し、その原因を引き起こすさらなる原因について考えが及ばなかった
④なぜ問題解決を実行に移せなかったのか
→自分の解決提案に賛同を得られなかった
⑤なぜ解決提案に賛同を得られなかったのか
→話し合って得た案でなく、独断で考えたものだった
⑥なぜ話し合わなかったのか
→a.自分の所属する組織には話し合いの土壌がない
b.日頃から人との十分な意思疎通ができていない
⑦なぜ問題解決案を考えられなかったのか
→「7」「9」「11」などと同じ


つづく

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2025年10月23日 (木)

未知の問題はどう解決するか その10

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(妄想を含んだ)仮説深掘りを続けます。

11 自分は頭が悪く良い答えを出せないから、楽しくない
① 何故自分は頭が悪いと思うのか
→a.学校の成績が悪い
b.人ができることでもできない、あるいは時間がかかることがある
c.人が理解できることでも理解できない、あるいは時間がかかることがある
②学校の成績が悪かったり、できないことがあったり、理解できないことがあると、良い答えを出せないのか
→問題は多種多様であり良い答えを出せるものもある

12 忙し過ぎて考える時間を作れないから、楽しいも楽しくないもない
①なぜ忙し過ぎるのか
→a.人手不足の業界だから
b.代わりが効かない希少な職種だから
c.より長時間働きたいから
②時間がないと、考えることができないのか
→考えようと思えば時間を作れる
②なぜ考えようと思わないのか
→考える必要がないから
※「8」(辛いから)「9」(考え方が分からないから)と同じ理由

13 心身共に疲れ過ぎて何も考えたくないから、楽しいかどうか以前の問題
①何故疲れ過ぎるのか
→a.忙し過ぎるから
b.ストレスが多すぎるから
c.暇な時間を作るのが怖いから
②疲れすぎると考えられないのか
→考える必要があれば体にムチ打ってでも考えるが、そこまでして考える必要がない
※「8」「9」「12」と同じ理由

つづく

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2025年10月22日 (水)

未知の問題はどう解決するか その9

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

勝手な仮説(妄想?)の深掘りを続けます。

8 考えることは辛いから、楽しくない。
①なぜ辛いのか
→経験のない、新しいことだから
②なぜ経験がないのか
→経験する(考える)必要がなかったから
③なぜ必要がなかったのか
→考えなくても生きて(経済的な満足を得て)来られたから
④なぜ考えなくても生きて来られたのか
→考えなくても生きて行ける社会的な仕組みがあるから
⑤なぜそのような仕組みがあるのか
→経済的・軍事的に列強に追いつき、復興し、先進国入りするために必要だったから

9 考え方が分からない(糸口がつかめない)から、楽しくない
①なぜ考え方が分からないのか
→これまで考えようとしたことがないから
②なぜ考えようとしたことがないのか
→考える必要がなかったから以下、上記「8」の「③」以下と同じ

10 楽しいことは罪悪であり、人は献身にのみ生きるべきであるから、「楽しい」と感じたり「楽しむ」などと考えたりしてはいけない
①なぜ楽しいことは罪悪なのか
→私達は神(超越者)によって命を与えられた。神に与えられた命を全うすることだけが私達の生きる意味だ。それは神に奉仕することであり、自分の楽しみのためではない。
②なぜ神は私達に命を与えたのか
→神のみぞ知る

つづく

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2025年10月21日 (火)

未知の問題はどう解決するか その8

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今朝も「考えることが楽しくない原因」について「勝手な仮説の深掘り」を続けます。

4 失敗が怖いので、楽しくない
①なぜ失敗が怖いのか
→成功が100、失敗を0だと思うから
②なぜ失敗を0だと思うのか
→挑戦(この場合は「考える」こと)をする目的を忘れ、挑戦そのものが目的になってしまうから

5 アイディアで人に負けたくないので、楽しくない
①負けるとは
→アイディアそのものについてと、アイディアを出した人について、(必要以上に)自分(のもの)が劣り、相手(のもの)が優れているように感じること
②なぜ負けたくないのか
→全人格的に自分が相手より劣っていると感じてしまうから(バイアス)

6 不要なことだから、楽しくない
①なぜ不要か
→考えるのはそれに長けたものの役割だから(役割分担)
②不要だとなぜ楽しくないのか
→自分の役割だと思えないことを行うことにやり甲斐を感じられないから

7 考えても良い考えが浮かばないから、楽しくない
①なぜ良い考えが浮かばないと思うのか
→それまで考えることをして来なかったので成功体験がない
②なぜ良い考えが浮かばないと楽しくないのか
→a やり甲斐を感じられないから
b 他との比較で自分が劣っていると感じるから

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2025年10月20日 (月)

未知の問題はどう解決するか その7

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

考えることが楽しくない原因について仮説を多数立てましたが、あくまでも仮説です。仮説とは「例えばこうじゃないか」という勝手な推測に基づいて立てているに過ぎないものですから、問題解決にすぐに結びつくとは限りません。

問題解決のためにはそれらの仮説をさらに掘り下げて問題の本質に迫る必要があります。一つ一つさらなる仮説を積み重ねます。

1 人にやらされるから、楽しくない
①なぜやらされると楽しくないのか
→人は自分の意思で行動したときに喜びを感じる
②なぜやらされることに抵抗しないのか
→人に言われたままにやっていた方が楽だから。楽しくなくても楽な方が良いから。

2 暗記した知識で解くだけで良いのにそれ以上のことをするのは苦痛だから、楽しくない
→なぜ暗記による知識で解決できれば良いのか
①「問題」とはそういうもの、つまり学校の試験や受験の問題のように、暗記した知識で解決できる
②世の中には知識だけでは解決できない問題もあるが、それは(自分で)解決できなくても良い

3 好きじゃないから、楽しくない
→なぜ好きじゃないのか
→考えても良いことがあったことがないから。考える前に動いても結果は必ず、しかも早く出る。失敗するかもしれないが、考えても失敗することはある。

つづく

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2025年10月17日 (金)

未知の問題はどう解決するか その6

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

考えることが楽しくない原因についての仮説

1:やらされ感(自分で考えたいのではなく、人に命令されてやっている)

2:考えるとは、暗記して問題に回答することだと思っている

3:考えることが好きじゃない(考えるより動くことが好き)

4:失敗したら嫌だ。考えても間違っていたら悲しいし恥ずかしい

5:自分は頭が悪いから良い答えを出せない

6︰専門家やAIに聞けば答えが出るのに考えるなんて時間の無駄だ(「下手の考え休むに似たり」)

7︰考えてもどうせ良い考えなんて浮かばないに決まっている

8:そもそも考えることは辛いもので楽しく考えるなどあり得ない

9︰忙し過ぎて考える時間を作れない

10︰心身共に疲れ過ぎて何も考えたくない

11︰考え方が分からない(糸口がつかめない)

12︰考えて良いことがあった例しがない

13:楽しいことは罪悪である(人は献身的にのみ生きるべきである)

14︰考えることだけでなく生きていることそのものが楽しくない

・・といった訳で私の「下手の考え」ですが仮説ならいくらでも立てられます(これ自体は楽しいですが切りがないのでこのくらいに)。

さて、これらを検討すれば、「楽しいこと」の持つ意義がわかるでしょうか?

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2025年10月16日 (木)

未知の問題はどう解決するか その5

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(考えることが)楽しい、ということが、どんな意味(意義)を持つのでしょうか。

これも例の「問題解決メソッド」で検討することができます。この場合解決すべき問題は「楽しいこと」ではなく、「楽しくないこと」です。

第1工程:考えることが楽しくないのは問題なのか。

中には考えることは苦しいばかりで楽しいことなんて何もないと言う方もいらっしゃるかも知れません。しかし、そんな方でも楽しく考えることができるのであれば嬉しいのではないでしょうか。

ですから、ここでは考えることが楽しくないことは問題だ、という前提に立つことにします。

第2工程:なぜ楽しくないことが問題なのか。

これも解明するには非常な困難を伴う極めて深い問題だと思います。しかし、大半の方は楽しくないより楽しいほうが良いと考えているのではないでしょうか。

ですから、ここでは楽しくないことが問題である理由について深く追求しないことにします。

第3工程:楽しくない原因は何か。

これには色々あると思いますから、また例によって仮説を立ててみましょう。

つづく

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2025年10月15日 (水)

未知の問題はどう解決するか その4

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私の立てた「仮説」がほとんど見当外れの「不正解」でも、仮説を立てられたことに「まんざらでもない」と思えたのは、正解を出すことだけが目的ではなかったからです。

正解を出すこと以外の目的とは、一言で言えば「考える」ことです。

「考える」ことは「問題解決」の第3工程の手段の一つです。こ気持ちの工程には他にもAIや専門家、仲間の多様な意見を求めるという手段があり、それらによる方が大概は容易にかつ迅速にこの工程を完了できます。

しかし、大変でも時間がかかっても「考える」ことはやめられません。

それは、決まり切った「正解」を探し出す(思い出す)ことよりも、様々な思考努力により、あるいは様々な思考経路をたどって、正解を発見したり、創り出したりする方が「楽しい」からです。

「考える」ことはたいてい苦痛を伴います。しかし、そこには楽しさ(「まんざらでもない」)もあります。

知識を呼び起こす過程と、新たに何ものかを作り出す過程は全く異なりますし、恐らく働く脳の部位も違う(新しい)と思われます。「新しい」ことには楽しさを感じます。

そして、楽しいことにはそれ以上に何らかの意味があるはずです。

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2025年10月14日 (火)

未知の問題はどう解決するか その3

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「熊問題」について仮説を立ててみました。

1 人が熊の居住地である山林を開発によって奪ったことに対する反逆

2 地球温暖化の影響で、海水温が上がり鮭の生息区域や遡上する河川が変わり、鮭がとれなくなった

3 温暖化、山林開発等複数の要因が重なって、熊に強いストレスが生じ、その影響で自己の行動の制御ができなくなった

4 親熊を人に殺害された子熊が成長しその復讐のため

5 かつて人に命を助けられた熊が恩返しに来ているのだが人に攻撃されたため反撃した

等々いくらでも立てられます(笑)

そして、生成AIによる「正解」はこうです。

1 山間部における「食料不足」(堅果類の不作)

2 「気候変動」や「温暖化」の影響

3 人間活動との境界線が曖昧になったこと(里山の荒廃・環境変化)

4 個体数増加や「人馴れ」の要因

5 これらの複合

私の仮説の「復讐」「恩返し」というバカバカしい、荒唐無稽なものはもちろん、「鮭が採れない」「ストレスによる行動制御不能」も「外れ」でした。

しかし、こんな「不正解」でも仮説を立てられたことを自分ではまんざらでもなく感じるのは何故でしょうか?

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2025年10月10日 (金)

未知の問題はどう解決するか その2

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

もしあなたが誰かに「昨夜、熊が自宅の近くまで来た痕跡がある。どうすればよいでしょうか」と相談されたらどうしますか。

自分は熊の生態のことなんて知らない、解決の糸口もつかめない、まさに未知の問題だ。でも事は急を要する。

ここでも冷静さがあれば問題解決手順(朝礼の追加の動画でAIが「メソッド」と呼んだもの)を踏むことができるはずです。

1 問題は何かを正確に捉える

この場合まだ問題は発生していません。問題が発生していないのであればそこで話を終えることもあり得ます。しかし前例などから「問題が発生する蓋然性」が高いと判断されれば、問題解決手順を継続します。

2 それが問題である理由を考える

これも前例から明確です

3 問題の生じる原因を考える

ここからがまさしく未知の領域です。そこで、生成AIに頼ったり、専門家に相談するという方法も十分考えられます。

しかし、相談する前に、素人なりに自分で想像してみる、あるいは仮説を立てることが重要だと思います。

想像の仕方は様々です。例えば、熊の生態について知っていることを挙げてみます。冬眠をする、鮭を食べる、樹の実も食べる、・・。

そこから熊が人里に近づく理由について仮説を立てます。

これが正しいかは別として、これを行うことによってAIや専門家の回答への理解が深まり、批判的視点も生まれ、判断力が鍛えられると思います。

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2025年10月 9日 (木)

未知の問題はどう解決するか その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

AIとの付き合い方を考えると、むしろ人間との付き合い方を学ぶことになります。

未知の問題への取り組み方についても、AIとの付き合い方との比較から学ぶことができます。

先日、知人の人間関係トラブルにまつわる、ある未知の問題に直面し、その解決方法を考える機会がありました。しかし、私が行った最初のアドバイスは的確とは言い難いものでした。後で修正はしましたが、判断の手順を間違えていたのです。

後で冷静に考えればそこに気がつくのですが、その時点ではまさしく「システム1」の働きで、迅速ではありますが時にバイアスにとらわれた判断をしてしまうことになります。その時の私の判断がそれでした。

ここでその失敗を振り返り、未知の問題の解決手順を改めて考えてみたいと思います。

但し、題材は最近問題になっている野生の熊の例を使います。熊への対処も私にとっては未知の問題への対処に他なりません。

未知の問題に対しては考え方の糸口すら見えない気がすることが多く、生成AIに頼ろうとすることがあると思います。

AIに頼ること自体は悪いことではないのですが、問題はその手順です。

つづく

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2025年10月 8日 (水)

AIに書かせてどうだったか その6

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人に対する業務指示を昨日の例の「説明が分かりにくくなるようなら適宜項目数を減らしてわかりやすくして」のようなふわっとした表現で行うことは、ありがちではないでしょうか。

しかし人に対する指図の場合も、基本的にはAIに対するプロンプトと同様、「項目数◯項目」のように一義的に明確な指図の仕方をすべきです。

指図する側には項目数や分かりやすさの基準があるはずですが(それがない場合、それはそれで問題です)、指図を受ける側も同じ基準を持っているとは限りません。

反復継続されるルーティン業務ならともかく、そうでない場合は基準を明確に示す必要があります。

AIやロボットに対する指図の仕方(プロンプト)が不適切だと、成果物も不適切なものになるという認識は誰でも持っていると思います。

しかし、人に対してはなぜかこういう認識がなく、自分が考える基準通りの成果物が出来て来ずトラブルになることも少なくありません。

人間関係でも全く同じことが言えます。お互いに同じ基準を持っていると勝手に思い込んでいるため、それと違う対応をされることで関係がこじれて行くのです。

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2025年10月 7日 (火)

AIに書かせてどうだったか その5

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「タイパはアウトプット偏重で完成 インプット&プロセシングは整っているのに、最後の“止める勇気”の運用基準が人依存」。意味不明ですね。こうなってしまったのはもちろん指図が悪かったからです。

今回の指図の問題は単に字数制限を設けただけだったことです。字数制限のため詳しく書けず、こんな分かりにくいものになりました。

指図が重要なのは人の場合も同じです。人の場合はえてして「言わなくても察する」ことを期待しがちです。しかし、それは指図をする側とされる側に常に「同じものが見えている」という「幻想」に過ぎません。

AIの場合と同様、人に対しても明確で誤解の余地のない指図(プロンプト)を与える必要があるのです。

たとえば、「◯◯字以内に収めて欲しい。もし項目数が多くなり過ぎて一つ一つの説明が分かりにくくなるようなら適宜項目数を減らしてわかりやすくして」という指図は、人の場合はありがちですが、AIの場合はそういう指図の仕方はしないでしょう。「字数制限◯◯字以内、項目数◯項目以内」という指図です。

つづく

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2025年10月 6日 (月)

AIに書かせてどうだったか その4

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「バイアスは個人だけの問題じゃない」というのも誤解を招く表現だと思います。不動産売買リスクの除去方略を検討していますと、第三者や組織の関与がリスク要因としてのバイアスを強める働きをすることがあることがよくわかります。しかし、バイアスにとらわれるのはあくまでも個人であり、対処の直接の対象となるのは個人だけです。そこを履き違えないようにしないと対処方法を誤ることにもなりかねません。

「“環境バイアス”」も意味不明です。例として「時間制約/利害対立/情報の非対称」「納期、上下関係、他社カルチャ」を挙げていますし、これらを総じて「構造的圧力」と言っています。こういった外部要因がバイアスの強化要因になる可能性があることは間違いありませんが、これらがバイアスの発生原因となるのではありません。

認知バイアスは、あくまでも人間の意思決定過程に内在する「系統的エラー」なのです。

だからこそ、その存在に自ら気づくことが重要なのです。これは、人のあらゆる営みに関係してくる重要な要素なのではないか、と最近は考えています。

その考えに基づく一つの提案を、今朝の月次朝礼で行おうと考えています。

つづく

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2025年10月 3日 (金)

AIに書かせてどうだったか その3

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

☆フクダリーガル社員のお2人(3日現在判明分)が司法書士筆記試験に合格されました。コンサルティング第1部Nさん、第2部Iさんおめでとうございます!

・・・

何故、ChatGpt5の「まとめ」(「速くても誤らない判断の作法」)がしっくり来ないのか、今度は私の「システム2」を発動させて考えてみます。

建設的批判の部分は、かなり辛辣な表現で私の議論を批判すると同時に改善提案をしてくれていますが、使っている用語が奇妙?です(少なくとも私の語彙を超えています)。例えば「代理指標崇拝」「可変係数台帳」「環境バイアス」、検索してもすぐには出てきません。

批判の趣旨は分かりますので、こんな難解な言葉を使う必要もないと思うのですが。

「代理指標崇拝」は、指標を定めるとそれを守ること自体が目的化してしまうという、よく有りがちな問題のことを言っているのですが、原因は「設定根拠がブラックボックス化する」という他動的なものでなく、制度趣旨の無理解という主体性の問題です。単純にアンカリングのせいだとも言え、「四半期毎に重みを再推定」するという対策は大げさに思えます。

もっとも、これはシステム2による客観的な分析に見えても、システム1によって「ネット情報だ」というバイアスがかけられているのかも知れませんが。

つづく

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2025年10月 2日 (木)

AIに書かせてどうだったか その2

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

NotebookLMは、私が言いたかったことを的確に捉えていると感じました。

また、クリティカルな論評の中に、〈能動的思考は「パワフルな概念」なので、読者にそうあるべきという「プレッシャーを与えてしまう可能性」がある〉という指摘がありましたが、これにはハッとさせられました。

この指摘と行動意思決定論からの学びから、マインドセットのあり方に関する新しいアイディアが浮かんで来ましたが、それはまた別の機会にご披露したいと思います。

さて、NotebookLMと同じ指令を与えたChatGPT(5)は、全ドキュメントを読み込んで、NotebookLMに劣らぬ理解力を示しています。

ただ、そのまとめ方(概念化)は、NotebookLMの「思考習慣というOSのアップデート」の方がGPT5の「速くても誤らない判断の作法」よりも私にはしっくり来ました。

これはあくまでも私の「システム1」の感覚なので、それが何故かを上手く(論理的に)説明することはできません。

もちろん「速くても・・・」が私の考えと違う訳ではありません。

つづく

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2025年10月 1日 (水)

AIに書かせてどうだったか その1

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

長期に渡り生成AIが作った記事を掲載しましたが如何でしたでしょうか。

AIは極めて優れた「道具」である、つまり重要なのは「使いよう」であることが良く現れていたのではないかと思います。

最初(9月12日)からの3回は、身近な各社の生成AIに同じ課題を与えて比較してみました。

与えた課題は、「私の代わりによしなしごとを書くこと」。テーマは「自由」としましたので、どんなものにするのか興味がありましたが、各社とも私の発信などから上手く題材を見つけて、敷衍し、教訓的なものも交えてきれいにまとめています。情報源はネット上のものでしょうが。

4日目の「ノートブックLM」は少し違っていて、ネットからは拾わずこちらから与えた情報のみを参照するとのことでしたので、よしなしごとのテキスト8ヶ月分を「食わせ」て、クリティカルな論評をさせました。

字数制限をしましたのでかなり圧縮された内容になりましたが、おさらいをするには格好の材料になっていると思います。

これと同じことを他の生成AIにさせてみたのが、その次です。

つづく

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