挨拶とは、キャッチボールのようなもの その2
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
こちらが「おはようございます!」と元気よく声をかけたのに、相手が目を伏せてボソッと「ッス」と返された時、もやもやしたものを感じるのは、相手が無礼だとかでなく、自分が「こう返してほしい」と思っていた反応と落差があったからだと思います。
「受け取り方」や「返し方」も含めて挨拶ですが、全力でボールを投げたら全力で投げ返して欲しい、つまり対称性を求め勝ちです。ですから相手が「片手でぽとり」だと失望します。
一方、こちらが軽く投げたときに、やはり軽く返してくれると、なんとなく気持ちが通じたように感じます。
挨拶で投げ合うのは言葉でなく気持ちです。相手に合わせようとする気持ち、互いに存在を認め合おうとする気持ちのキャッチボール。
人は、自分の存在が認められていると思えるだけで、安心します。
だから、挨拶の本質は、言葉や形式ではなく、存在を認めるという気持ちの表現にあるのかもしれません。
きちんとしていなくても、たとえ一瞬でも、その気持ちがこもっていれば、それは立派な挨拶だと思います。
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