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2025年5月30日 (金)

「忙しい時に済みません」と「遅い時間に済みません」 その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

2 自分の都合の表明: 「あなたにとっては遅い時間かもしれないが、私にとってはまだ仕事時間なのでこの時間に連絡しています」という、ある種の自己開示のニュアンスが含まれる場合。

これは相手への配慮というよりは、自分の働き方を伝える意味合いが強くなります。

3 形式的な挨拶: 特に緊急性がないにもかかわらず、単に「遅い時間なので一応お詫びしておく」というだけの言葉。

これが最も「悪いと思うならやめれば?」という疑問を生みやすいかもしれません。

つまり、2と3の意味で使うような場合は、遅い時間(定時外)に業務に関するメッセージを送る必然性がなく、送らない方が良いと判断すべき場合が多いかも知れません。

尚、深夜や早朝、休日といったプライベートな時間に連絡する場合、「遅い時間(休日)に済みません」という一言で済ませるのではなく、その連絡の緊急性や必要性を具体的に伝える、あるいは、本当に緊急であれば電話を選ぶなど、より適切な連絡手段やタイミングを選ぶことが重要です。

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2025年5月29日 (木)

「忙しい時に済みません」と「遅い時間に済みません」 その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

どちらも社内のチャットで時々見かけます。

どちらも「クッション言葉」として使われていると思います。

「クッション言葉は挨拶」だと以前本欄で書きました(2024年1月24日)。

しかし、この2つの言葉には、単なる挨拶以上の意図が込められることがあります。

【忙しい時に済みません】

「お忙しいところ恐縮ですが、どうしてもお伝えしたい/お願いしたいことがあります」という、相手の状況への理解と、それでもなお連絡する必要があるという緊急性や重要性を伝える意図です。

多くの場合、相手も「なるほど、それなら仕方ない」と受け止めやすいでしょう。

【遅い時間に済みません】

こちらはいくつか考えられます。

1 相手への配慮と緊急性: 「遅い時間で申し訳ないが、緊急の用件なので今連絡する必要がある」という意図。

この場合、相手は「それほど緊急なら電話の方が良いのでは?」と感じる可能性もあります。メールやチャットだと、緊急性が伝わりにくく、かえって「なぜ今?」と思わせてしまうかも。

つづく

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2025年5月28日 (水)

私達の仕事に創造性は必要なのか その9

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

確かに創造性を「当然身につけ発揮して行かなければならない」などとするのは浅慮でした。

第一に、そもそも創造性というものは「努力して身につける」類のものなのでしょうか。昨日ご紹介した言葉にあるように「人は生まれつき創造的なのだが、どこかでそうでなくなってしまう」という考え方もできます。

第二に、努力を義務付ければ人は育つものなのでしょうか。

そして先の言葉は、創造的な個人を育てるのは難しくないが「問題は、クリエイティブな組織を作り出すことである。個々人がアイデアを沢山持ち合わせていても、それが一人ひとりの頭の中にとどまっていたのでは、組織としてはクリエイティブであるとは言えない。アイデアをいかにして行動として外在化させるか――それこそが重要であり、まさにここに教育の力が問われている」と続きます。

これは、さる世界的なビジネススクールの校長だった方の言葉ですが、学校や教育現場だけでなく、私達のビジネスシーンでも全く同じことが言えます。

皆さん色々なアイディアが湧いたのでは?

※ご紹介した言葉の詳細は先日共有した下記ニュースをご参照下さい。
https://www.sentankyo.jp/articles/32885983-fab3-4b73-9d9c-0c83ed9c47ff

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2025年5月27日 (火)

私達の仕事に創造性は必要なのか その8

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

最後のAIによる指摘です。

〈4. 創造性が「義務」として押し付けられているようにも読める

「当然身につけ発揮して行かなければならない重要な力である」

という部分に、プレッシャーを感じる社員もいるかもしれません。「創造性=誰にでも開かれた可能性」と言いながら、「できないと価値がない」とも読める印象を与えると逆効果です。

「発揮できるようになったとき、仕事の面白さが変わってくる」といった励ましの言葉のほうが、安心感をもたらします。〉

これには反論でなくある方のこんな言葉をご紹介します。

「人は生まれながらにしてクリエイティブな存在である。もちろんクリエイティブでない人もいないわけではない。しかしそうした人も、もとからそうであったのではなく、どこかでそうなってしまった。だから教育は、人をクリエイティブにするというよりも、人をクリエイティブでなくしているものを取り除くことが重要である」

「そのようなわけで、クリエイティブな個人を育てるのはそれほど難しいことではない。問題は・・・」 つづく

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2025年5月26日 (月)

私達の仕事に創造性は必要なのか その7

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

この形を取るのは、持論に説得力を持たせるためであり、読者に考えさせるためではありません。

反論は容易に想定できますが、説得力のあるものは想像できないということです。

結局創造性は不要だという考え方を受け止めることもしておらず、言って見れば議論の余地はないという態度で、あまり褒められたものではないですね。

価値観の共有には程遠いやり方です。反省。

さて、次の批判点です。

〈3. 現場の現実感とのギャップ

社員の中には、「登記業務を通じて“新しい価値”を創出するなんて、正直実感が湧かない」と思う人もいるかもしれません。現場で忙殺されている人間ほど、「創造性」という言葉が浮ついて聞こえるリスクがある。

> 補強ポイント:
創造性が発揮された具体的な社内エピソードや、業務改善の工夫を紹介すれば、「ああ、そういうことか」と読者の解像度が上がるはずです。〉

(反論)

というより言い訳になりますが、この点は前述したように当然想定していました。

そこにどう答えるかは確かにもう少し丁寧に書くべきでした。

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2025年5月23日 (金)

私達の仕事に創造性は必要なのか その6

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「文脈によっては適切」という言い訳は流石AIですが、要は、あるウエブ記事(「文献」と言っています)ではそう言っていたが、多数ではない(それをことさらに取り上げるのは不適切)ということです。

AIの回答に限らず二次情報に対しては「能動的思考」によってその裏にある事実や意図を見極めようとする習慣を持つことが必要です。

さて、AIによる指摘の2点目です。

〈2. 「創造性が必要だ」という結論が先にありすぎて、議論の余地が小さい

最初の段階で「創造性は必要である」と結論を明言してしまっているため、読者に考えさせる余白や揺らぎがやや少なく、「議論の形を取りながらも、実は結論ありきのプレゼンだった」と捉える読者もいるかもしれません。

代案的観点:「必要か?」という問いに一拍おいて「そもそも私たちの言う“創造”とは何か?」という順番でも良かったかも。〉

(対する私からの反論)

この「よしなしごと」では、私の考え→反論→再反論という想定問答の形を取ることが多く、今回もその形をとっています。

つづく

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2025年5月22日 (木)

私達の仕事に創造性は必要なのか その5

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

AIが能動的思考を論理的思考や分析的思考と同義として扱っていますが、これは筋違いです。論理的思考も分析的思考も「能動/受動」という概念を含みません。

これらは対象が選択されていることを前提とした、思考方法の問題です。それに対して能動的思考は、対象を選択する以前にそもそもどのようなマインドセットで対象を選択すべきかという点に重きを置いた概念です。

ところでAIは「論理的思考や分析的思考はむしろ“創造性”の対極」だと言っています。この主張には多少違和感がありましたので、AIに出典を尋ねてみましたところ、いくつかのサイトがこんなコメント付きで紹介されました。

〈以上の文献から、論理的思考や分析的思考と創造性は、対極にあるとされることもありますが、多くの場合、互いに補完し合う関係にあると考えられています。 したがって、「論理的思考や分析的思考は創造性の対極とされることもある」という表現は、文脈によっては適切ですが、一般的には両者は相互に補完し合う関係にあると理解するのが妥当です〉

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2025年5月21日 (水)

私達の仕事に創造性は必要なのか その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(AIによる批判に対する反論 ①)

〈1. 「創造性」の再定義が少し一方的で、飛躍がある〉について

確かに「創造性とは能動的思考や原理原則的思考と同義」といきなり言い切ったのは不親切だったかもしれません。

しかしこれは私なりの定義であり、ウイキペディア的な、一般的な定義を明らかにしたものではありません。

そしてその目的は、人が仕事をし、生きていく上で大切だと思うことを、また「創造性」が特別な資質ではなく、誰にでも備わっているものだということを、分かりやすく説明するところにあります。

一般的な定義にとらわれて自分の可能性を狭めず、また逆に創造性が必要とされるのは芸術等特殊な世界に限られるものではないことを理解して欲しいのです。

そう考えると、「両者は同義」と言うよりも両者の意義やその活かし方を丁寧に説明するという方法もありましたね。

ところでAIが「論理的思考や分析的思考はむしろ“創造性”の対極」と、能動的思考を論理的思考等と同義に扱っている点は理解不十分と感じるところです。

つづく

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2025年5月20日 (火)

私達の仕事に創造性は必要なのか その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「その1」「その2」について、生成AI(chatGPT4o)に「多様な価値観・深い思慮・成熟した視点から批判すべき点は必ずあると思うので指摘して欲しい」と頼んだところ、控え目に4点指摘されました。

まず第一点目の指摘から。

1 「創造性」の再定義が少し一方的で、飛躍がある

「私が考える創造性とは〜能動的思考や原理原則的思考と同義です」

ここで「創造性」を再定義して、いわば再文脈化しているわけですが、その飛躍がやや唐突に感じられる読者もいるかもしれません。
たとえば、「能動的思考」や「原理原則的思考」は本来的に創造的であるとは限らない、という見方もあり得ます。論理的思考や分析的思考はむしろ“創造性”の対極とされることもあるため、両者の関連性をもう少し丁寧に説明してもよいかと。

批判的問いかけ:
能動的に考えたり、原理に立ち返ったりすることは、創造的である「こともある」けれど、それだけでは創造ではないのでは?と疑問に思う読者がいるかもしれません。


(明日はこの部分についてまず検討します)

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2025年5月19日 (月)

私達の仕事に創造性は必要なのか その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私は、「創造性」はこれまでの議論で強調してきた、自ら主体的に考える「能動的思考」や物事の本質を大局的に捉える「原理原則的思考」などと同義であり、私達の仕事に欠かせないものであると考えています。

何故なら私達の仕事は特定分野に限られた書類作成や進捗管理や申請といった単なる登記手続きの反復だけではないからです。

もちろん、正確な手続きは業務の根幹ですし、特定の分野へ資源を集中し効率を究極化することは科学的合理性に叶うことですが、それらは手段であり目的ではありません。

私達の仕事の目的は、登記という専門的な手続きを通じて取引の安全を担保し、関わる全ての人々の幸せを実現すること、そして変化して行く未来に対応する新しい価値を創り出していくことにあります。

このように仕事の深い意味と本質とに光を当てて考えたとき、「創造性」が選ばれた人だけに必要とされるものではなく、私達が価値ある仕事をしていくために当然身につけ発揮して行かなければならない重要な力であることを改めて認識できると思います。

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2025年5月16日 (金)

私達の仕事に創造性は必要なのか その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私達の日常の仕事の中心は、言うまでもなく「登記」です。では「登記」という仕事において、「創造性」は必要不可欠な要素なのでしょうか。この問いに対する私の答えは、明確に「必要である」というものです。

しかし一方で私のこの回答に疑問を感じる方もいらっしゃるのではないかと思います。

「登記」という仕事のどこに「創造性」などという要素が入り込む余地があるのか、という疑問です。

一般的に「創造性」が語られるのは、例えば芸術家に求められる、唯一無二の特殊な能力としてです。

芸術には絵画・彫刻・写真などの視覚芸術、演劇・音楽・舞踊などの舞台芸術、小説・詩歌・戯曲などの言語芸術から映画・アニメなどの総合芸術まで幅広い分野があり、そこでの創造性は私達とは違う、特別な方達だけが発揮できるものに思えます。

しかし、それは私が考える「創造性」とは異なる、あまりに限定的な捉え方です。
私が考える「創造性」とは決して特別な才能ではありません。

それはこれまでの議論で強調して来たあるものと同義です。

(つづく)

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2025年5月15日 (木)

本質をつかむ習慣 その7

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

また、脳の一部の損傷によって他の部位の機能が高まることがあるとしても、そのことが左脳と芸術的能力との因果関係を示している訳でも有りません。

私のこのバイアス(非・能動的思考)は若い頃に「流行った」右脳・左脳論(角田忠信さんの「日本人の脳」を愛読)が元なのですが、これには現在批判も多いようです(「神話」とも)。

もし私に「能動的思考」ができていれば、脳科学の知識がアップデートされなくても、脳のできるだけ多くの部分を使って精神活動(身体活動)を行うことが、創造性や優れた成果を生み出すために有効なのではないかと、原理原則的に考えること(本質の掘り下げ)ができていたはずです。

ですから、古い知識に引きずられた私の発言は修正します。スケッチや芸術は右脳の活性化でなく、脳の多くの部位を働かせることの一環だと捉えます。

また、創造と芸術と脳の部位を短絡的に結び付けたのも浅はかでした。能動的=原理原則的思考をすると、芸術に親しむのは仕事とは違う脳の使い方で、多面的な発想に繋がるのではないか、となります。

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2025年5月14日 (水)

本質をつかむ習慣 その6

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日「問題の発見や本質の把握という創造的な活動に必要な右脳の働きの活性化」「芸術に親しむのは右脳の活性化のため」と書きましたが、一晩寝かせた結果(笑)少し訂正しなければならないことに気づくことができました。

一つは左脳と右脳の働きを単純に分け、「創造性なら右脳」と決めつけている点です。実はこの点は書いている時も腹落ちしていない表層的知識であることは認識していました。

右脳と左脳の働きの違いについては昔から研究され、一般向けの書籍などでも話題にされて来ました。

最近でも天才的な絵画の才能を持っていた子供が言語能力を身につけるに従ってその能力を失ったとか、左脳を損傷した人が天才的な絵画や音楽の才能を獲得したという実例が紹介されており、若い頃からの右脳と左脳の機能についてのステレオタイプがさらに強化された嫌いが有ります。

しかしよく考えれば分かることですが、絵画の能力を失うことと言語能力の獲得との間の因果関係が示されている訳では有りません(単に本人が興味を失っただけかも知れません)。

(つづく)

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2025年5月13日 (火)

本質をつかむ習慣 その5

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の「自動的本質把握の環境整備の例」は直感的なものでしたので、後付けで理由を考えてみました。

【見慣れたものを改めて良く観察する】
これを習慣化できれば、日頃問題を感じることなくスルーしている事柄全般について良く観察する習慣ができる

【スケッチ】
1 観察をさらに詳細なきめ細かいものにする
2 問題の発見や本質の把握という創造的な活動に必要な右脳の働きの活性化

【過去の経験を振り返る/書面化する】
記憶を整理・再構成し、意識していなかった問題点に気づかせ、当時の感情を呼び起して記憶が立体的になり、見えなかったものが見えるようになる

【手紙を書く】
効果的な手紙を書くためには相手のことを想像する必要があり、より深くものごとを考察するきっかけになる

【井戸端会議】
通常コミュニケーションを円滑にすることが目的だが、意識的に行うことで一見意味のないものに意味を見出そうとする姿勢が身につく(第三者によって気づかされるという側面はある)

【芸術に親しむ】
右脳の活性化
※脳全体の活性化には日頃使わない身体部位の使用も

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2025年5月12日 (月)

本質をつかむ習慣 その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

生成AIを使って問題を発見する(本質をつかむ)ことは可能です。

しかし私は(経験則的なことでまだ科学的な根拠はないのですが)AIよりも大きな能力を持つと言われる人間の脳を活用する方法があるのではないかと思っています。

これは、意識的に問題を発見したり本質をつかもうとする努力をしなくても(そもそも問題意識がないので努力する動機が働かない)自ずと問題や本質があぶり出されてくるような感覚で、恐らく自分では意識しないうちに脳が対象を整理してくれるのではないかと思います。

問題発見のための努力は不要ですが、脳がそのような働きをする環境を整えておくことは必要です。

それは例えば・・
★通勤通学途中で見慣れた景色や、身の回りのもの(例えば日頃使っている文具や家具やIT機器など)を改めてじっくりと観察する
★それをスケッチする。
★自分の経験したことを後から改めて思い出す
★それ書き出す(日記をつける)
★(特に用件がなくても)手紙を書く
★同僚との「井戸端会議」を意識的に行う
★芸術に親しむ
・・等々です。

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2025年5月 9日 (金)

本質をつかむ習慣 その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

自分自身が「スルー」している(問題があると思っていない)ことに実は問題があったと、他人からの指摘で気が付くということは珍しいことではありませんが、自分自身で気付くことも、ないわけではありません。

私の場合は自分の意見や判断を一晩「寝かせて」おくと「いやそうじゃない」という考えが浮かぶことはよくあります。

物事には様々な側面がありますから、本来意見や判断を固める前には、物事を多面的に検討してバイアスがかからないようにすることが理想的です。

しかし人は横着ですので近道をして意見や判断を固めようとします(ヒューリスティック)。

そこで、直ぐに意見や判断の結論を出さず、一晩「寝かせて」おくことで、脳が勝手に多面的な検討をして、バイアスを修正してくれることがあるのだと思います。

もちろん「一晩寝かせ」なくても、無意識のうちに思考が進み、あるいは整理されて新しい発想が湧いてくることはあります。

また、意識して思考を進めるための行動を取ることもできますし、指摘してくれる他人も多様化しています。

(つづく)

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2025年5月 8日 (木)

本質をつかむ習慣 その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

あなたは、何かの問題に直面した時に、発生した問題の表層だけでなく深層を「捉えようと」することができるでしょうか(能動的思考ができるのか、ということです)。

深層を捉えようとする動機が働かなければ当然問題の本質に至らず、根の深い問題を根本的に解決することはできません。動機を働かせる条件は、問題を根本的に解決しようとする高い意識があることです。つまり、問題の根本的解決が、問題の本質を掴む必要性の根拠(目的)なのです。

問題の本質を掴む必要性がある場合の2つ目の例は、大多数の人々が問題意識を持たずに「スルー」している事柄に、自分だけが問題を感じた時です。現状全く問題が発生していない(ように見える)ことでも、自分が問題だと思うなら指摘すべきです。

そして、3つ目が、自分自身が「スルー」していることに問題がある時です。しかし自分が問題と思っていないことに問題を見出すのは通常は不可能です。

たいていは第三者からの指摘によって気付かされるのですが、自分で気づく場合がないわけでは有りません。

(つづく)

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2025年5月 7日 (水)

本質をつかむ習慣 その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

最近「理念」や「原理原則」を掘り下げようという話をする機会が増えています。先日の本欄でも「問題解決の理念」について書きました(4月24日)。

一般的に「理念」という言葉は未実現のものを意味しますが、この場合は既に実現されているものごとの「本質」や「背景」(を掘り下げる)という意味です。

そして「理念」を「掘り下げる」とは「能動的思考」の実践、即ち問題を表面的に受け止めるだけでなく、立ち止まって自分の頭で一段深く考えてみようということでもあります。

もちろん忙しい日常の中で全てのことがらについてそれを行うことは不可能ですし、その必要も有りません。

その必要があるのは次のような場合です。

一つは、日常的でない問題、多数の関係者に影響する問題が発生した時です。「問題解決の理念」で触れたのはその例です。問題の表層だけを捉えていても、その深層を捉えることができなければ問題の真の解決(再発の防止)はできないからです。

ただ、重要なのは、その時に問題の深層を捉えようとする発想ができるかどうかです。

(つづく)

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2025年5月 2日 (金)

「能動的思考」の実践例その12

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先月14日の本欄の記事に対する批判と、それに対する私の反論、そして再反論を長々とご紹介して来ました。

概ね批判は正論ですし、「傾聴」などのやりとりもコミュニケーションの教科書のお手本のようでした。

お気づきの通り、批評者は生成AIです。優等生的な内容になるのは当然です。

一方対象である私の「よしなしごと」が、ひとりよがりで、極端な表現も多く、私の意図と違う受け止め方をされてしまう恐れがあることは、正しく今回の生成AIの指摘の通りです。

ただ、「よしなしごと」の記事に限らず、およそものの考え方には多角的な側面があります。しかし一つには人の認知特性(ヒューリスティックスやバイアス)から、もう一つは発信する条件(時間、字数)の制限から、その全てを認識することができなかったり、認識していても伝えられないため、一側面のみを書くことになってしまいます。

そこでどちらにも無関係な生成AIの目を通すことで多角的に議論できます。

夜中に目覚めて内容を書き換えたりするなどの試行錯誤が、面白いのですが。

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2025年5月 1日 (木)

「能動的思考」の実践例その11

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(反論への反論のつづき)

5 テーマの統合について

おっしゃる通り、「戦闘的思考」と「決めつけを疑う」という二つのテーマは、それぞれ独立した価値を持つものであり、必ずしも一つの論理で統合される必要はありません。

私のコメントは、あくまで一連の文章として読んだ際に、読者が自然とテーマ間の関連性を探ろうとしたり、異なる方向性のメッセージに繋がりを見出そうとしたりする可能性がある、という読み方の側面を指摘したものです。統合が「必須」であると主張したわけではありませんでした。説明が不十分だったかもしれません。

このように、対話を通じて文章の意図や解釈の多様性、そして言葉選びの繊細さについて改めて深く考えさせられました。貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました。

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