人の価値の否定
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
人は存在そのものが世界(国、地域、社会、団体)に対する価値の提供ですが、世界が人の価値を否定することがあります。
例えば死刑制度です。この制度のある世界は、特定の人の価値を否定することを許容します。
また、戦争は、ある世界がそれ自体の利益のために、他の世界の人の価値を否定する行為です。
戦争を容認する世界は、その世界に属する人の価値と、他の世界に属する人の価値とを比較して、その世界のそれにのみ価値を認め、他の世界のそれを否定します。
勿論人の価値の否定にはそれなりの根拠が用意されます。それは死刑制度も戦争も同じです。
日本は死刑制度を置く一方戦争放棄を宣言していますが、「国際紛争を解決する手段としては」という留保があり、戦争による人の価値の否定を認める余地を残しています。
人の価値の否定は世界だけでなく個人によっても行われます。その多くは弱者や少数者や異質な存在に対する差別や蔑み(自分より価値が低いと評価する)という形で現れます。
それは価値の多様性を否定する価値観の尊重という矛盾を私達に突き付けます。
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