« 2025年1月 | トップページ | 2025年3月 »

2025年2月28日 (金)

能動的思考概念が求めるもの

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

能動的思考は私が経験則から見い出した価値であり、客観的普遍的な体系に支えられたものでも、学術的・科学的な裏付けを持ったものでもなく、言わば独善的な仮説のようなものです。

従ってこれには本来検証が必要ですが、それを行う資源も時間もありませんから、やはり経験則に訴えることになります。その意味では今回の実例(某システム改修を原因として突き付けられた指示への対応)は格好の材料となりますし、過去の実例(行政に前列を作って頂いた例)を取り上げて説明することもあります。

ところで能動的思考に似た概念に「批判的思考」があります。これは、長年多方面に渡って研究され、学術的・科学的な裏付けのある概念ですので、これを学んでいる方には能動的思考という考え方も容易に理解して頂けると思います。

もちろん批判的思考のように、そのための能力、技術や教育訓練等の基礎を持つものではなく頼りないものですが、「能動的」という志向性や態度を身につけることの重要性を(少なくとも弊社のメンバーには)理解して欲しいと思っています。

| | | コメント (0)

2025年2月27日 (木)

能動的思考はできているか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が重要視している価値の一つに能動的思考があります。価値研修などでお伝えして来ておりますが、最近の価値研修では具体的内容に踏み込みませんので(価値観についての各自の考えの共有を重視)、簡単にご紹介します。

要は、人が様々な情報に接したときに取るべき態度としてFLC&Sのメンバーにはこうあって欲しいと私が考えるものです。

2021年当時の価値研修(「フクダリーガルの遺伝子」)では「法的思考」と呼び、次のように説明しています。

〈「法的思考」とは「決まり事や命令の正当性を疑い、根拠を考える」という事です。即ち、法律や規則、或いは法務局からの指示(補正)、お客さまからの依頼、業務マニュアル、上司の命令などあらゆる場面で自分に突きつけられた「指示」について、それに黙って従うのではなく意味・根拠を考え正当性を疑わなければならない、という事です〉

今、あるシステム改修が甚大な影響を及ぼすという情報に接し、能動的思考が発動されているということはご存じでしょうか?

ご存知ない方は部課長に尋ねてみて下さい。

| | | コメント (0)

2025年2月14日 (金)

「営業センス」とは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「センス」という言葉は、「営業センス」のように「◯◯センス」という使い方がされることがあります。例えば野球センス、語学センス、演劇センス、芸術センス、などです。

何らかの修練を必要とする分野で、その道に長けていたり、経験や知識のある側が、主にそれらの初心者を評価する際に使われることが多いと思います。

例えば、初心者でも優れた技術を示す者に対して「センスがある」、なかなか上達しない者に対して「センスがない」などです。この場合の「センス」は殆ど「適性」という意味で使われていると思います。

問題は言われた側がどう考えるかです。一旦は受け止めて(どんな意見でもそうすべきです)それをどう消化するかはその人自身が考えなければなりません。

もちろん何事にも適性はありますが、多少の実践で一刀両断できるようなケースはそうはありません。

私も若いころ結果が出せずに、「営業センスがない」とよく言われていました。しかし特に営業などというものは(営業≒生きることですから)多少の失敗で適性が判断できるものではないのです。

| | | コメント (0)

2025年2月13日 (木)

人の価値の否定

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人は存在そのものが世界(国、地域、社会、団体)に対する価値の提供ですが、世界が人の価値を否定することがあります。

例えば死刑制度です。この制度のある世界は、特定の人の価値を否定することを許容します。

また、戦争は、ある世界がそれ自体の利益のために、他の世界の人の価値を否定する行為です。

戦争を容認する世界は、その世界に属する人の価値と、他の世界に属する人の価値とを比較して、その世界のそれにのみ価値を認め、他の世界のそれを否定します。

勿論人の価値の否定にはそれなりの根拠が用意されます。それは死刑制度も戦争も同じです。

日本は死刑制度を置く一方戦争放棄を宣言していますが、「国際紛争を解決する手段としては」という留保があり、戦争による人の価値の否定を認める余地を残しています。

人の価値の否定は世界だけでなく個人によっても行われます。その多くは弱者や少数者や異質な存在に対する差別や蔑み(自分より価値が低いと評価する)という形で現れます。

それは価値の多様性を否定する価値観の尊重という矛盾を私達に突き付けます。

| | | コメント (0)

2025年2月12日 (水)

人の強さとは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人は、存在する(生存する)こと自体に価値があります。価値がある、とは、世界に対して価値を提供しているということです。

ある人がその存在を失う(死亡する)ことは世界がある価値を失うということです。

従って、人の存在を他人が失わせること(殺人)はもちろん、当人が自分自身の存在を失わせること(自殺)、さらに、存在可能性を低下させる行動(例えば身体・生命に害となる行為)を取ることも許されないのは世界との関わりとして当然です。

しかし、多かれ少なかれ存在(生)には苦痛が伴います。世界との関わりからは可能な限りその苦痛に打ち勝ち、存在し続ける(生きる)努力をする義務があると言えますが、苦痛が耐えがたいこともあるでしょう。

その時にどう判断しどう行動するか(努力の継続か、楽になる行動をとるか)は、個人だけが悩み、決めるべき/決めて良いことではなく、(価値を失うことになる)世界との関わりの中で世界と共に悩み、決めるべきことだと思います。

それを正面から考え、悩み、問いかけられる人が、真に強い人間なのではないでしょうか。

| | | コメント (0)

2025年2月10日 (月)

誹謗中傷にどう立ち向かうか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

SNS上で真偽不明の情報が拡散されることで様々な問題が引き起こされています。先日も某団体の幹部が警察捜査に関する事実無根の情報を拡散させていることを問題視した県警トップが県議会で真っ向から否定するという異例の事態もありました。

こういった誹謗中傷は対個人だけでなく、対企業においても行われます。例えばある企業がライバル企業の商品やサービスについて悪意ある口コミを書き込むなどです。

さらにこれはネット上だけでなく、同業他社の悪口を顧客に対して吹聴するなどといったことは(拙劣な)「営業戦術」の一つです。

それをされた側にとって重要なのはそういったやり口に対して腹を立てたり反駁することではなく、自分自身を顧みてみることです。

つまり、悪口や中傷をされるような隙があったのではないかと反省することです。

それがなければ、顧客から高い信頼を勝ち得ているはずで、仮に中傷の種になるような小さな躓きがあったとしても、それが大きな打撃に発展することはないでしょう。

もちろん、その躓きを繰り返してはなりませんが。

| | | コメント (0)

2025年2月 7日 (金)

「2種類の統制」の意味

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の朝礼で、統制には2種類あると言いました。「統制」の一般的な意味は「勝手なことをしないようにおさえ、とりしまること」で、例えば問題を起こした企業が、二度と同じ問題を起こさないことを社会に納得してもらう必要があるときは「組織的統制」を強調すると説得力が増します。

もちろん問題は繰り返してはなりませんし、緊急に対処しなければなりませんから、統制力を働かせることも必要です。

しかし、問題の再発可能性をゼロに近づけるには短期的な統制だけでは足りません。長期的に問題の再発を防ぎ続けることを可能にするためには、ルールを作り、それを遵守させることが不可欠です。

そして、それを実効性のあるものにするためには、単に組織がメンバーを「とりしまる」のではなく、メンバー一人ひとりが自ら考え、能動的・主体的に問題発生防止のための改革を行うことが重要になるのです。

言い換えれば、自分たちでルールを作るということです。それができる環境を整えることも広い意味で「統制」であると言いたかった訳ですが、多少無理があったかも。

| | | コメント (0)

2025年2月 6日 (木)

研修は参加するもの

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

弊社では、新人研修を重視しています。

配属前の座学での研修に続き、配属後もトレーナーを置いて研修(OJT)は続きます。

しかし重要なのは、研修は「受ける」ものではなく「参加する」ものだということです。

研修の「研」は「とぐ みがく」という意味です。
そして「修」は「習」即ち「ならう」です。
「習」という字は生まれたての雛鳥が、太陽に向かって羽ばたく、つまり親鳥を真似て自ら飛び方(羽ばたき方)を身につけて行くことを意味しています。

つまり研修とは元来人に知識や技術を教えて貰うという受動的なものではなく、自ら真似て身につけ、さらにそれを磨き上げてより高度なものにして行くという能動的なものです。

昨日の当欄で、企業の「組織的統制」という語を使いましたが、「統制」のメニューには研修も含まれ、そこに参加する側の姿勢は能動的でなければならないのです。

ですから、企業が行う「統制」とは、研修に関していえば、能動的に参加することができる環境を整えることに他なりません。

一方的に何かを押し付けるという意味ではないのです。

| | | コメント (0)

2025年2月 5日 (水)

法人にこそ教科書

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

不動産事件・事故では、認知バイアスという主観的要素が大きな役割を果たしています。

これは個人レベルの問題ですから、これに起因する事件・事故は、企業においては本来構成員である個人を組織的統制の下に置くことで防ぐべきです。

特に上場企業では、近年のコーポレートガバナンスの要請もあり、コンプライアンス意識や、構成員のリーガル・リテラシーも高いはずですから、それは難しくないはずです。

ところが上場企業でも事件・事故を防ぎきれていないことは、不動産に限らず近年とみに目に付くようになりました。

なぜでしょうか。

これには様々な要因が輻輳していると思われますが、こと不動産取引におけるそれに関しては、今まで問題の科学的分析や論理的・体系的な整理が行われて来ず、わけても個人的要因が軽視されて来たことが大きいと思います。

「不動産取引における事件・事故防止の教科書」はその分析・整理を行うことで問題の原因を明らかにするとともに対処方法を提示し、法人における事件・事故の実効的な防止を可能にするという意義を併せ持つものです。

| | | コメント (0)

2025年2月 4日 (火)

「対等」と「場への配慮」を考える

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

年齢、性別、職種、役職、年次等々の社会的カテゴリーに関わらず、人は対等です。

以前、こういう意味のことを書きました。

・対等な関係(タメ)だから言葉遣いもタメ口(ぐち)で良い
・しかし、距離感(親しさ)や「場」に応じた礼儀への配慮は必要 ※1

配慮が必要な「場」には、仕事上の席(会議など)や、チャットグループがあります。

ビジネスチャットでの配慮に関してはこんなことを書いているサイトがあります。

・言葉遣いに気を付ける 同期や後輩に発信する場合も敬語に統一することで、仕事のやり取りということが明確になる
・業務連絡に徹する プライベートな内容の発信で相手の仕事を邪魔しない ※2

ここでは相手に対する配慮という意味で書かれていますが、私は「場」、即ち他の参加者に対する配慮が必要だと思います。

一方で、「場」への配慮を欠いた会話を参加者が行っているときは、他の参加者は(同僚はもちろんそれが先輩や上司であっても)それをたしなめるべきです。

みなさんの職場はそれができるような環境ができているでしょうか?

※1 https://hap.air-nifty.com/phytoncid/2024/02/post-258828.html
※2 https://officenomikata.jp/coverage/16373/

| | | コメント (0)

2025年2月 3日 (月)

興味から入り、原理をつかむこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

最近地面師が社会の関心をひいていますが、先日も書いたように地面師は不動産事件・事故の氷山の一角に過ぎません。私が以前から地面師に関する情報発信をしてきたのも、その氷山の水面下の部分である膨大な不動産事件・事故についての注意喚起をするためです。

しかし、時間の限られている研修や講演では、せっかく芽生えた興味関心に答えるために、地面師を始めとする実例を中心に話をします。

とはいえ最も重要なのは、それらの事例から導き出された「原理・原則」なのです。

「不動産事件・事故防止の教科書(仮題)」では、その原理原則の部分、すなわち、事件・事故の体系化(分類)や被害を被る要因の分析等総論から説き起こし各論に入り、事例・裁判例に進むという順序で解説を施して行き、読者が自ら理論的に考えることを促します。

そうでないと、今後必ず発生するであろう新しい形態の事件・事故に遭遇したときに適切な対処ができないからです。

仕事に興味を持ち、原理原則を探求しないと未知の事象に対処できないのは、全てに共通の原理です。

| | | コメント (0)

« 2025年1月 | トップページ | 2025年3月 »