理解できる文章とは
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
私のこの雑文は果たして読者に理解し易いものになっているか考えることがあります。
「よしなしごと」とはいえ、人に見せる以上はやはり気になります。
理解し易くするために論理的であることや、単語の意味や配列に可能な限りの注意を払って来たつもりですが、文章の理解にも人の認知能力の問題(認知バイアス)があったのです!
「話者はある状況を記述しようとして発話なり、文の生成を行っている。そして聞き手がやることは単語の意味の確定や文法の解析を通して、その状況を自らの頭の中で再現する」「コトバを理解するだけでなく、コトバが語っている状況を理解している」「このことを認知科学では状況モデル(situation model)の構築と呼」び、「状況モデルが話者の記述しようとしていた状況と合致した時に、その文が理解できたということになる」(※)
映像と比較して圧倒的に情報量の少ない「言語」を介する以上、話者の意図と読者の状況モデルを一致させることには常に困難を伴うのです。
すみません、この駄文では状況モデルは構築不可能!?
※鈴木宏昭「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」p.160
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