なぜ状況の共有が難しいのか
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
昨日の「駄文」(私の言葉。鈴木教授の文章ではもちろんなく)で私の思い描いていた「状況」と同じものを読者に構築させるのは無理でした。
ところでこんな話があります。
障害があって言語能力の殆どない少女が天才的な絵の才能を発揮していたが、言語能力を獲得するに従って絵の才能を失って行った。
事故で脳の言語を司る部分を損傷した人が、突然天才的な絵(写真的絵画)の能力を獲得した。
二万年前にクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画(ラスコーなど)は描写力の高いものであったが、彼らの言語能力は高くなかった。
言語能力は絵画的描写能力とはトレードオフの関係(両立しない)にあるようです。
そして現代人の大半は高度な言語能力を獲得する代わりに絵の才能を失っています。自分の見たものを他人に正確に伝えるためには言語よりも絵の方が簡単ですが、その能力を失っているため言語で表すしかありません。
しかし、言葉で見たものを正確に表現するのがいかに難しいかは、人の顔を正確に表現しようとすることを想像すればすぐわかると思います。
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