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2025年1月31日 (金)

バイアスは合理性の裏側

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

事件・事故防止の教科書では思考にかかるバイアスが事件・事故を引き起こす、と言っていますが、反面、バイアス(歪み)と評価されるのはその思考が否定的な結果をもたらす側面をもっているからで、その思考方法が時間と労力の節約であるという側面もあります。

例えば地面師などの劇的な出来事は実際以上に多く発生しているように思われますが、これは、人には「利用可能性ヒューリスティック」(思い出しやすさで発生頻度を判断するクセ※)があるためです。

これはある意味合理的な心の働きとも言えます。物事がどの程度の頻度で起こっているかを正確に知るためには、全ての物事を把握しなければならず、それは極めて困難です。しかし、自分の思い出しやすいものを基準に判断するのは難しくはありません。

メディアが発達していなかった時代であればそれで大きく外れることはなかったのですが、今はメディアが発達し、しかもそれらは発生頻度の少ないもの、つまり珍しいものほど多く取り上げるため多くの人が思い出しやすく、そこにバイアスが生じてしまうのです。


※「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」(鈴木宏昭 2020年 講談社ブルーバックス)p.37

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2025年1月30日 (木)

朝型が良いのか つづき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

その方はこういう意味のことをおっしゃっていました。

「夜の残業は終了時間が限られておらずだらだらとエンドレスになり勝ちだが、朝の場合は始業時間というゴールがあるから自ずと集中して効率的に仕事を行うことができる。」

考えると私自身も、朝(型)だからというよりは、時限投稿というシステムで否応なく使える時間が限定されていたからこそ集中して高速度で仕事ができていたのです。

自分で思い返しては、よくあんな速さでできているなと思った程です。1時間もかけずに(時には2〜30分で)十数もの新聞やニュースサイトに目を通し、ピックアップしていましたから。

つまり、朝か夜かというより、時間が限定されているかどうかが重要だということです。しかもその限定は、主観的なものでなく客観的に強制されていることが必要です。

また、社内では「早朝出勤者の業務を管理できない」という声もありましたので、その点もお聞きしたところ「性善説です。そもそも夜でも管理できているのでしょうか」とおっしゃっていました(他の対策もあるでしょうが)。

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2025年1月29日 (水)

朝型が良いのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私は朝型(朝に最もパフォーマンスが上がる)人間です。各種自己診断テストの結果もそうでした。

このよしなしごとのアップやニュース共有(新聞やニュースサイトをチェックして興味があるものなどをピックアップ)も毎日朝の時間帯に行ってきました。

ただここ最近は、なぜか朝型習慣の優先順位が少し崩れ、投稿の締め切り=自動投稿の時刻8:17~18 に間に合わなくなり、投稿も、出社も遅くなり、それで日中の仕事も押せ押せになるという悪影響が出ています。

やはり、ちゃんと朝方にもどさないといけないと思う一方、わが社のメンバーも朝型の方が良いのではないかとかねがね考えていました。実際伊藤忠商事のように朝型を優遇して業績を向上させた会社もあります。

もちろん弊社のメンバーも朝型人間ばかりではありませんから、果たしてどうなんだろうと思っていたところ、たまたま伊藤忠商事ご出身でグループ会社の社長を勤めていらっしゃる方とお話する機会がありました。早速、早朝出勤奨励について伺ってみました。

お聞きしたのは意外なお話でした。(つづく)

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2025年1月28日 (火)

ブレーンストーミングの害

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日の「価値研修」では活発な発言がされ、私自身学ぶところもあり、また、参加者同士もお互いの考えや人となりに触れることができて良かったと思います。

そして、研修としては、価値観の共有の端緒として、お互いの価値観を知るという意義があったと思いますが、そこからさらに発展させてFLC&Sの新しい価値観を作り上げて行こうとすると、さらに別の方法が必要です。

新しいアイディアを生み出す方法として、これまではブレーンストーミング(判断延期、自由奔放、質より量、結合・改善の4つのルールの下に多数人で多角的に行うアイディア出し)が有効だと思っていましたが、既に多くの研究でブレーンストーミングの有効性が否定され、むしろネガティブな影響を与えるとされていることを最近読んだ本(※)で知りました。

その原因はブロッキング(他人の発言を聞いていて同じ意見と思い発言をやめたり、自分の意見を忘れてしまう)、評価不安(自分の発言に対する評価を恐れて発言を控える)、タダ乗り(何もせず、出席しているだけ)の3つだそうです。

※ 鈴木宏昭「認知バイアス」p.202、亀田達也「合議の知を求めて」

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2025年1月27日 (月)

地面師より怖いものはなにか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ネット配信ドラマの影響で地面師が注目され、関連の講演や執筆の依頼が増えています。
ドラマをご覧になった方から「怖いねー本当にあんなことがあるの?」と聞かれることも多く、地面師の怖さを実感させる効果は高いようです。

しかし、実のところ地面師事件の発生件数は、不動産取引における事件事故全体の件数の中では極くわずかなものです。ドラマの題材になった実際の事件もそうですが、メディアが(繰り返し)取り上げることで印象付けられ、発生頻度が実際よりかなり多いものとして受け取られます。これも認知バイアスの一種です。

例えば人の死因についての米国での調査では、国民の約半数が脅威と思っているイスラム過激派による殺害よりもベッドからの転落死の方が70倍も多いのだそうです。

思い出しやすいものほど発生頻度が高いと感じてしまうことが原因(利用可能性ヒューリスティック)だそうです。

このバイアスを、不動産取引における事件事故のリスク(怖いのは地面師だけでない)やその防止法を認識して頂く機会として活用したいと思います。

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2025年1月24日 (金)

創造はひらめきじゃない

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私は今「不動産事件・事故防止の教科書」を書いています。元々は、日々の業務の中で出会った問題から学んだことや実例、裁判例などから、事故防止の原理原則を導き出したものを整理する作業です。

「あしもとのこと」と名付けた短文メッセージとして社内に発信することでアップデートもして来ましたし、社内メンバーの意見も聞きました。

当初の研修テキスト(スライド)から短文メッセージへ、そして、新しい研修のためのテキストへ、さらに書籍の原稿へと作り変える過程の中で、徐々に改善、整理が進み納得度の高いものになっていると感じてはおりましたが、特に創造的であると考えてはいませんでした。

しかし、ひょんなことからこの手順が創造の過程に似ていることを知ることになりました。

それは、俵万智さんの有名な短歌
「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」
の創作過程です。

最初は
「カレー味のからあげ君がおいしいと言った記念日六月七日」
で、これを手始めに、塩味、この味、等数パターン作り変えた末に出来たものだそうです。

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2025年1月23日 (木)

なぜ状況の共有が難しいのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の「駄文」(私の言葉。鈴木教授の文章ではもちろんなく)で私の思い描いていた「状況」と同じものを読者に構築させるのは無理でした。

ところでこんな話があります。
 
障害があって言語能力の殆どない少女が天才的な絵の才能を発揮していたが、言語能力を獲得するに従って絵の才能を失って行った。

事故で脳の言語を司る部分を損傷した人が、突然天才的な絵(写真的絵画)の能力を獲得した。

二万年前にクロマニヨン人が洞窟に描いた壁画(ラスコーなど)は描写力の高いものであったが、彼らの言語能力は高くなかった。

言語能力は絵画的描写能力とはトレードオフの関係(両立しない)にあるようです。

そして現代人の大半は高度な言語能力を獲得する代わりに絵の才能を失っています。自分の見たものを他人に正確に伝えるためには言語よりも絵の方が簡単ですが、その能力を失っているため言語で表すしかありません。

しかし、言葉で見たものを正確に表現するのがいかに難しいかは、人の顔を正確に表現しようとすることを想像すればすぐわかると思います。

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2025年1月22日 (水)

理解できる文章とは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私のこの雑文は果たして読者に理解し易いものになっているか考えることがあります。

「よしなしごと」とはいえ、人に見せる以上はやはり気になります。

理解し易くするために論理的であることや、単語の意味や配列に可能な限りの注意を払って来たつもりですが、文章の理解にも人の認知能力の問題(認知バイアス)があったのです!

「話者はある状況を記述しようとして発話なり、文の生成を行っている。そして聞き手がやることは単語の意味の確定や文法の解析を通して、その状況を自らの頭の中で再現する」「コトバを理解するだけでなく、コトバが語っている状況を理解している」「このことを認知科学では状況モデル(situation model)の構築と呼」び、「状況モデルが話者の記述しようとしていた状況と合致した時に、その文が理解できたということになる」(※)

映像と比較して圧倒的に情報量の少ない「言語」を介する以上、話者の意図と読者の状況モデルを一致させることには常に困難を伴うのです。

すみません、この駄文では状況モデルは構築不可能!?

※鈴木宏昭「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」p.160

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2025年1月21日 (火)

生きて行く技術の巧拙

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業をこれまでとはまた少し違う言葉で表現すると、「人を動かす」ということです。

人は人を動かすことが出来なければ生きて行けません。営業は人が生きるために必須の技術なのです。そして、技術には巧拙があります。

それを巧く行うヒントはこれまで多少書いてきましたので思い出して頂きたいと思います。

話は変わりますが、不動産売買における事件事故発生の原因として、主観的な要因が半分を占めるということを申し上げて来ました。認知バイアスです。

これも人なら誰にでも生じることです。鈴木宏昭さんは著書「認知バイアス 心に潜むふしぎな働き」(※)の中で「人は賢いからバカであり、バカだから賢い」とする一方、

「私たち人間の持つ認知の仕組みが、特定の状況に出会った時に認知バイアスが生み出される」「もし認知バイアスに見られる人間の愚かさが状況との出会いから生み出されるとすれば、状況を変えることによりそのバイアスが生み出す後悔、事故、惨事を避けることもできる」とします。

認知バイアスの害を防ぐ技術にも巧拙があるということです。


※ 講談社ブルーバックス 2020年 p.4,5 

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2025年1月20日 (月)

司法書士が過度に抑制的になるとき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業の本質や目的についてこれまで色々と書いて来たのは、私達が営業活動(サービスを売る)の当事者であるからです。

一方でその、私達が売っているサービスの内容は、営業の本質や目的を直接推進するものではなく、間接的な支援であり、むしろ時には目的の達成に抑制的に働く場合もあります。

この点が、私達司法書士が営業の本質を理解しようとする際の障害になるのかも知れません。

一方で、私達が抑制的な対応をする場合でも、支援の対象者は営業の目的達成を当然望むため、注意を要します。

例えば不動産の売買であれば当事者は「売る・買う」「買わせる・売らせる」が目的であり、それ以外の要素、即ち方法の妥当性や適法性が二の次になる嫌いがあります。

その点を補い、安全・適法かつ円滑な不動産売買を実現するのが私達の重要な役割ですが、自分達が営業の本質を理解していないと、過度に抑制的になってしまうことがあります。

不安要素(不動産事件・事故の兆候となりうるもの)を正確に把握しようとせずに受託を拒絶するなどはその良い例です。

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2025年1月17日 (金)

「買わせる」への抵抗?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日当欄を読んで頂いた方の中には、営業とは「買わせる」ことだと言われて、抵抗を感じた方もいらっしゃるのではないかと思います。

抵抗を感じた理由の一つは、不遜な、あるいは傲慢な印象を受けたこと。もう一つは、「意に反して、だまして」など不当・違法な手段によっている、あるいは策を弄するような印象を受けたことが考えられます。

しかし、営業の目的を純粋に突き詰めると、それは「売る」こと、即ち相手に「買うように仕向ける」ことに他ならず、「買わせる」という表現が最も適切ですし、そこでは上記のような要素は問題となり得ません。

もちろんどのような態度、方法で買わせるか(人としてのあり方や礼儀・礼節、コンプライアンス等)は重要ですが、それを学ぶのは営業の本質(目的)を理解し、身につけることができてからです。

「買って頂く」というへりくだった言い方にした方が良いのではないか、などということもその段階から考えれば良いことです。

もっとも「買って頂く」と「買わせる」では営業に向かう姿勢や勢いが全く違って感じられます。

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2025年1月16日 (木)

ホスピタリティは何故必要か

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日、ホスピタリティは営業の本質ではないと書きました。もう少し詳しく説明します。

営業の「本質」だとは不可欠の要素だという意味です。つまり、ホスピタリティは営業に不可欠の要素ではないのです。

ここでいう営業とは商品(サービス)を買わせること(行動)を言います。最も原始的な営業は商品を陳列することです。それだけでも商品を必要とする人は、買います。

ですから、買わせること(営業)にホスピタリティは不可欠の要素ではありません。

しかし、黙って商品を陳列しただけでは必ずしも売れない状況が生じます。他の販売者からも同等の商品が売られた時です。

その時にどうすれば買わせることができるかを考えるのがホスピタリティ(精神)です。

人が商品を買うのは、それによって何か良いことが起こるからです。つまりホスピタリティとは、どうすれば人に良いことを起こさせることができるかを考え、実行することです。

それは多様です。商品そのものを改良する、商品に別の価値を付加する、商品の入手にかかる手間やストレスをなくす、等々。

 

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2025年1月15日 (水)

「絶対」を求められるとき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

およそものごとに「絶対」はあり得ないのですが、人は時に「絶対」を求めることがあります。

もちろん求める側は絶対即ち100%を信じている訳では有りませんがこういう強い表現をするのにはそれなりの理由があります。

それは、実現できるかどうかを疑わせるだけの特別な強い理由があるということです。

例えば、「絶対に遅刻するな」と言うのは、相手方が遅刻をする可能性が高いと考えられる特別な強い理由、即ち遅刻の頻発という実績があるからです。

そしてそう言われた側は遅刻をしないための具体的な方策を示さなければなりませんが、個別の遅刻についての防止策を立てるだけでなく、「頻発している」という問題についての解決策も示さなければなりません。

問題解決のセオリーに従って問題の原因分析が必要になりますが、「頻発している」ことの原因分析はなかなか難度が高いと思います。

つまり「絶対」を求めるのは、通常の問題と異なる(頻発している)ことに気付かせ、説得力のある方策、即ち抜本的な解決策を示すことを求めているということなのです。

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2025年1月14日 (火)

営業とホスピタリティ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回トップセールスの行動習慣から営業の本質を掴むことが重要と書きました。鞄をハンカチの上に置くという例を挙げましたが、この行動習慣自体から営業の本質を掴むことはできません。これはホスピタリティ精神からのもので、営業の付加的条件ないし前提か、サービス内容を構成するものです。

もちろん、こういう行動や心がけを真似ることで、ホスピタリティを身につけることができ、好感度の高い顧客対応ができるようになるかも知れませんが、それと営業成果はまた別の問題です。

営業の目的は商品やサービスを売ることです。ホスピタリティに溢れた対応で顧客に喜んで頂いたとしても、売ることを目的としていなければそれは営業ではありません。

好感度の高い対応が購入の動機づけの一つになることはあるでしょうが、顧客に好感を持ってもらうことそのものは営業の目的ではないのです。

さらに、顧客の好印象を裏切ることを危惧するあまり、購入判断を求めること(クロージング)をためらうようになってしまうと、それは本末転倒で、もはや営業活動とは言えません。

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2025年1月10日 (金)

トップセールスに学ぶ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

生きるため、少なくともより良く生きるためには営業的な活動やマインドセットが必要だと考えると、優れたセールスパーソンの思考や言動は参考になるはずです。

世の中には、トップセールスの方が書いた営業のハウツー本があふれています。私も初めて営業(セールス)をしなければならなくなったとき(法務部から営業部に異動したとき)営業とは何をするのかすら分かりませんでしたから、その類の本を買って読みました。

そういった本の大半は、当人が行って来た独自性のある行動が書かれていて興味を引くように作られています。

例えば、かつて外資系生保のトップセールスの方が書いてヒットした「かばんはハンカチの上に置きなさい」という本には、客宅訪問時にかばんを畳やカーペットの上に直接置かず、ハンカチを敷いてその上に置くなど、その方の行って来た特徴的なことが多数掲載されています。

しかし、読者が形式的にそれらを真似たからといって優れた営業マンになれる訳ではありません。

むしろ彼らの行動習慣から営業の本質を掴めるかどうかが重要なのです。

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2025年1月 9日 (木)

生きるための営業が下手な人

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

生きることと営業は本質的に同じと考えれば、「自分は営業には向いていない」と公言している人は「自分は生きていくのに向いていない」と言っているようなものです。

そこまで言わず、生きるために営業は必須だと捉えても、向いていないからと諦める必要はありません。もちろん巧拙はあり、生きるための営業が下手な人はいますが、これは簡単に解決できる問題です。

問題解決の原則に従って、問題の原因を探るだけです。原因がわかれば解決したも同然です。

問題の原因を探る過程で、生き方も営業の仕方も多種多様だということがわかります。その中から自分に合ったものを見つける(作り出す)ことです。これが生き上手・営業上手になる第一歩です。

ただ、自分に合っていても必ずしも上手にできるとは限りませんし、全て自分が(上手に)行う必要もありません。他の人に助けてもらえば良いだけのことです。

セールス活動で、お客様に対してプレゼンするのが不得手であれば、それは得意な人に任せ、自分は他のこと(考える、手を動かすなど)をするのと同じです。

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2025年1月 8日 (水)

生きることが営業

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業はやりたくないとか、向いていないという固定観念に囚われている方もいるでしょう。しかし、そういう方は営業の本質を理解していないだけです。人は営業なくして生きてはいけないのです。

人は皆生まれ落ちた瞬間(あるいは生まれる前)から営業活動をしています。

新生児は存在そのものが営業です。そこにいるだけで母親にオキシトシンなどの脳内物質を分泌させ、自分の生命維持や成長に必要なものを提供させます。

やがて存在そのものだけでなく、泣き、笑い、たどたどしい動作や言葉などの「営業行動」をするようになり、様々なものを獲得して行きます。

さらに成長の過程に従って多様な営業行動を行うようになり、やがて受験時代を迎えます。

人である以上こういったことは共通で、みなさんも同じ過程を経て成長して来たわけですが、これからも引き続き成長して行く(少なくとも生きて行く)ために、営業活動を行って行きます。

今もあなたは職場で評価されたい(少なくとも仕事を続けて行きたい)と考えており、評価を得るための活動=営業活動を行っています。

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2025年1月 7日 (火)

受験勉強にも営業マインド

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業(的思考、行動)が全ての方にとって、またあらゆる場面で重要であることは、これまで色々書いてきましたが、今日は受験勉強の場面でのそれについて。

営業にはこんな意義(本質、特色)があると書きました。
◆「自分が提供している価値を引き上げるための活動」(※1)
◆「問題解決」と「行動」(※2)
◆「人を幸せにすること」「人を幸せにするためには先ず自分が幸せにならなければ」ならない。「つまり、自分自身に対する営業活動が最初の営業活動」(※3)
◆必要なのは「営業相手を見極め」「競争相手を見極め」「自分を見極める」こと(※4)

一方、受験勉強には次のようなことが求められます。
◆自分の知識を合格ラインに到達できるようにする活動
◆試験に合格するという「『問題解決』と『行動』」
◆合格という幸せをもたらす(それは自分にとってのものであり、自分以外の人にとってのものでもある)
◆試験制度や内容を見極め、競争相手と自分の力量を見極めること

受験(勉強)を成功させるためにも営業的思考や行動が不可欠なことがわかります。


※1 2022年9月28日本欄
※2 2023年2月4日本欄
※3 2024年7月18日本欄
※4 2024年7月19日本欄

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2025年1月 6日 (月)

業務命令も役割分担

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨年末の本欄で約束という言葉を使いました。誰がお茶を出すのか、誰が実務を行うのか、誰がマネジメントを行うのか、即ち役割分担は約束によって決められるということです。

約束には様々なものがあります。最も基本的なものは会社と社員との約束である労働契約です。これに基づいて就業規則や、数々の社内規定が定められます。

役割分担もそうやって定められますが、業務内容の全てを網羅するのは不可能ですしその必要性も合理性もありません。

役割分担が明示されていない業務は各人の判断で行われるか、都度上司が部下に指示・命令します。業務命令です。例えばお客様にお水をお出しする役割を誰が担うべきか明確にされていない場合には、上司が部下にそれを命じることがあります。

業務命令は会社が契約や規則に基づいて社員に行使し得る権利であり、上長は会社に代わってそれを行う権限(役割、地位)を与えられています。

従ってそれは上長が「約束」の意図を汲みつつ、その枠内で、役割として行うものであり、業務としての合理性が必要であるのは当然なのです。

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