序列意識の弊害
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
前回まで「不合理な序列意識」について書いて来ましたが、社会には「序列」や「序列意識」は厳然として存在しますし、それが様々な社会集団とその活動を支える機能を発揮していることも確かです。しかし(日本の場合特に)必要以上に序列が意識されることで、様々な弊害が生じているように思えてなりません。
例えば、以前ご紹介した(※1)「話し合い」がうまく機能しなくなります。序列の上の人が、下の人の意見をきちんと聞かなかったり、下の人が上の人に対して意見を述べることを遠慮したりしてしまうのは、必要以上に序列を意識しているからです。
先日ご紹介した(※2)中国やインドやチベットの場合、日本社会以上に明確な序列が敷かれていますが、「何か重要な決定を要する相談事では年長者に対しても堂々と自分の意見を披瀝」しますし(中国)、「こと議論の場面では堂々と反論できる」(インド)、学者の議論においては序列意識が放擲され「敬語は完全に姿を消し、発言の仕方、応酬も全く同列に立ってなされ、そこには実力しか存在しなくなります」(チベット)。
※1 2023年7月28日他
※2 2024年12月13日、16日
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