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2024年3月29日 (金)

失敗の原因を自分で取り除こうとしてはいけないのか その5

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

もちろん登記申請業務に関して失敗を防ぐしくみはこれまでも作られてきましたし、それが機能しているからこそミスは大変少なくなっています。

例えば業務工程の要所にレビュー(チェック)の工程が設けられ、レビュー専門のセクションもあります。これは個人的資質に関わらずミスを防止するためのしくみです。

また、重要事項に関して唱和を行うというしくみもあります。これは各人の意識を喚起するしくみです。

さらに組織として業務監査本部、登記監査室が設けられております。これはしくみの運用支援、監査、フィードバック等のためのしくみです。

そして進捗管理や情報の整理共有のためのシステムの構築、クラウド化も進められています。これは昨日作るべきだとした、失敗の外部的要因の発生の防止のためのしくみです。

ただ、失敗を防ぐしくみが必要なのは、業務に関するものだけではありません。マネジメントや人間関係に関するもの、心身の健康に関するもの等、社内の全ての活動に関して、失敗を防ぐしくみが必要なのです。

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2024年3月28日 (木)

失敗の原因を自分で取り除こうとしてはいけないのか その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

失敗と個人的資質を結び付けることは無意味であり、失敗を防ぐ対策はしくみを作ることしかありません。

そしてそのしくみで重要なのは失敗を犯さないように「気をつけ」なくても失敗が起きないものにすることです。

なぜなら失敗を引き起こす重大要因の一つに「思考停止」があるからです。ここで言う思考停止とは「気をつける」ことができない状態です。

もちろん気をつける、つまり失敗を犯すまいという意識を持つことは大切ですが、その意識が働かなくなる状態、則ち思考停止は必ず起こります。

そうなる原因は様々ですが、急いでいる(繁忙)時や、他に意識を向けなければならない時など、自分で制御できない外部的要因によることが大半です。

ですから、作るべきしくみはそういう要因が生じないようにするものか、そういう要因が生じても失敗を引き起こさないようにするものだということになります。

いずれにしても簡単な仕事ではありませんが、イノベーションカンパニーとして成し遂げる価値のある仕事ではないでしょうか。

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2024年3月27日 (水)

失敗の原因を自分で取り除こうとしてはいけないのか その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私の失敗の個人的要因は、「共感性」が比較的低い(34資質中18位)ことと、上位の資質である「戦略性」(3位)に内在する「既存のアイディアをすぐに否定する」という弱点だと考えられます。

しかし、共感性を高めようとするのは無駄な努力であり、既存のアイディアを否定しないようにすることは、戦略性を殺そうとすることに他なりません。これらの方法がけっして的確な失敗原因除去方法でないことはお分かり頂けると思います。

ではどうするか。それは、自分の資質から生じる問題は資質を変えることによってではなく、他の手段によって解決するということです。つまり、そういう「しくみ」を設けておくことです。

個人的なしくみとしては、重要な判断をするときには自分が思考停止していないか一旦立ち止まって考える習慣をつけることが、組織的なしくみとしては、そのときに必ず第三者の意見を聞く場を設けることが考えられます。

すなわち、失敗を防ぐしくみが作られていないことが失敗の原因であるということなのです。

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2024年3月26日 (火)

失敗の原因を自分で取り除こうとしてはいけないのか その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

失敗の原因の的確な把握ができていないのは、原因に個人的要因のみを求めるからです。原因の一つが往々にして個人的要因であるのは確かですが、それだけだとしか考えないのでは再発は防げません。

なぜなら、個人的要因、即ち何らかの資質の不足や、ある資質に内在する弱点が原因であるとするなら、再発防止対策は、不足している(下位の)資質を高めようとしたり、弱点を矯正しようとすることになってしまいます。

しかし、下位の資質を高めようとするのは、無駄な努力です。それよりも上位の資質をさらに高める(強みに育てる)ことの方がはるかに容易であり、得られる効果も大きいのですから、そちらに注力すべきです。

また、仮に原因となる弱点が上位資質に内在するものであるなら、それを矯正するのは上位資質を殺すことになりかねませんから、避けるべきです。

話が抽象的ですので、私の失敗(自分の考え・意見に思考が支配されて反対意見を受容できなくなる)の場合について具体的に見てみたいと思います。。

(つづく)

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2024年3月25日 (月)

失敗の原因を自分で取り除こうとしてはいけないのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「失敗から学ぶ」とはどういうことでしょうか。

これに関しては本欄の第1回(2022年4月4日)で、沢木耕太郎さんの言葉を引用しました。曰く、「失敗に慣れておくこともできるし、失敗した後にどう気持を立て直すかの術を体得できたりもする。」ただ、これには「失敗が許される機会に」という但し書きが付きます。

失敗が許されない重要な判断の場合には、やはり同じ失敗を繰り返さないことが求められます。

これに関しては同年7月28日の本欄で、「失敗の原因について深く考え、その根本的な原因をつかむことができれば、同じ失敗を繰り返すことはありません」と書きました。

原因をつかめば対策ができますから基本的にはこの通りです。しかし現実には人は失敗を繰り返します。

それは、原因の的確な把握ができていないからです。

例えば私の失敗例の思考停止(認知バイアス)では、自分の考え・意見に思考が支配されて、反対意見を受容できなくなる状態を生じています。

この状態を作り出す原因は何なのでしょうか?

(つづく)

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2024年3月22日 (金)

とりとめない話に影響力を求めてはいけないか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

自分自身の思考停止のような後ろ向きな話ではなく、もっと前向きな話を書いた方が良いのではないかと思うことがあります。

思考停止自体は後ろ向きなことで、様々な失敗の原因にもなります。しかし、私が自分の思考停止による失敗についてここに書くのは、それに向き合い、そこから何事かを学んでいこうとしているからで、決して自虐的な、後ろ向きなものではありません。

私もまだまだ失敗に向き合うことで成長したいと思っているのはみなさん同様です。失敗によってこそ人は成長できるのですから。

また、私自身の失敗の話がみなさんの参考になるとは、本音では私の変化(失敗を通じた成長)が影響してみなさんを変え、さらにみなさんの変化が周囲に影響するということが繰り返され、最後には世界を変えられるかも、という妄想を抱いているのです。

世界(自分の外側)を変えるためには、まず自分が変わる必要があるのは確かですが、それを伝えられるのは読んで下さる方に対してだけですし、伝わるのはそれに共感してくださる方だけです。

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2024年3月21日 (木)

しつこく思考停止について書く理由

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

それは私自身の思考停止に気付き反省することが多く、それがみなさんの参考にもなるだろうと思うからです。

ところで、これまで「思考停止」について14回書いていますが、次のような意味で使っています。

・考えることを放棄していること
・自分の頭で考えないこと
・ある事実を当然として問題を感じないこと
・情報の真偽を確かめることなく受け入れ、拡散すること
・自分がルールを守れていないという認識がないこと
・「認知バイアス」と同義

このうち最後の意味で3月18日に私自身の思考停止を反省したものが分かりにくかったので説明致します。

「(筆記のために)表面がツルツルした机に変える」という考えは誤っている(「下敷きを使えばよい」という考えが正しい)という考えに思考が支配され、「ツルツル」の提案を受容する(そういう方法もあると認める)ことが出来ていませんでした。

この時に例えばお互いに指摘し合う場、即ち話し合いの機会を設け、ツルツル賛成派と反対派に分かれて議論をすることで、思考停止から解放されるということです。

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2024年3月19日 (火)

思考停止から解放される方法とは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここには恥ずかしながら私自身の思考停止について何度か書いていますが、自分で自分の思考停止にその場で気づくことは不可能です。それはそもそも思考停止に陥らないということに他ならないからです。

私が自分のそれに気付いたのも後になって振り返ってみたからです。もちろん後から気付くことも、全く気付かないよりはましかも知れません。しかし、それに基づいた判断や行動を取った後で気付いても遅いのです。

ですから、思考停止によって少なくとも重要な判断を誤ってしまうことがないようにすることが必要になります。

しかし思考停止は人間の性(さが)です。そこで、判断の前にそこから脱出するしくみを作らなければなりません。

そのしくみとは、一つは個人として行動習慣を付けること、もう一つは組織として場を設けることです。

前者は、判断や行動の前に自分が思考停止に陥っていないかを疑う習慣です。そのために人は必ず思考停止するという認識が必要です。

後者は互いにそれを指摘し合う場です。つまり真の意味での「話し合い」をすることです。

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2024年3月18日 (月)

私自身の思考停止反省

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日、部長・課長のチャットグループに、「文字を手書きするときの下敷きに関するルール」についての質問を投げかけました。

この質問は、「現在の机の表面が文字を書く台としては適していないので表面のツルツルした机に変えて欲しい」という要望があったと聞き、これに疑問を呈する趣旨でした。

お客さまに署名をして頂く際には下敷きを使って頂くように指導しており、それは自分が文字を書く場合にも当然類推して考えるべきであるという前提です。

部長・課長からの回答も、下敷の使用その他筆記の際の気配りや注意事項については指導しているというものが大半で、中にはそういった配慮は当たり前のことでルール化するまでもないという意見もありました。

しかし、そもそも「ツルツルの机に変える」事に疑問を呈するという趣旨でおこなった質問自体が的外れでした。

まず、この意見を受容し、その合理性も認めた上でその実現の可否・要否について問うべきでした。

回答の中で唯一、自分の常識が他者の常識とは限らないという意見がありましたが、正にその通りでした。

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2024年3月15日 (金)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (6)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

会食の「開催日までの間にやらなければならないこと」の一つに当日の席順の決定があります。洋の東西を問わず、また、会食、ビジネスを問わず、座る席には順位があるとされています。もちろん単なる伝統やしきたりではなく、その順位には合理的な意味があります。

会食の場合には、その目的(楽しむ時間を分かち合う)と、主催者(主人)と参加者(客)という役割から考えると分かり易いと思います。席を決めるのは主人の役割であり、主人は、自分たちと比較してより客が楽しめるように席を配置します。より楽しめる席、より快適な席が、いわゆる上座です。

もう一つ、おみやげの準備があります。お祝いや法事などでは引き物、引き出物という呼び方で用意されるのが一般的ですが、会食の場合も用意します。これも目的ははっきりしています。客の家族(留守番役)に喜んでいただくためです。

私の場合は自分の家族と店(従業員)の分も用意します。主人も客も店も対等です。ホスピタリティとは客だけに対してのものではないのです。

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2024年3月14日 (木)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (5)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「主催者自身も楽しむことが必要」と言いましたが、この点について少し説明します。

今回は会食を主催することから得る学びについてお話していますが、会食には当然目的があります。皆さんが友人を「ごはん食べよう」「飲みに行こう」と誘う場合もそうだと思いますが、美味しいものを食べたり飲んだりする時間を共にすることで交流を深めるのが会食の基本的な目的だと思います。主催者が本来の役割を果たしつつ自分も楽しむのは当然のことです。

もちろん他に何らかの目的があって、その目的達成を容易にするための手段として会食の場を利用するということもありますが、その場合でも主催者が楽しむことは十分可能です。しかし、別の目的だけで、喜びを分かち合うという会食本来の目的を置き忘れた(一方的に参加者だけが楽しむ)ものは、もはや「会食」とは呼べないと思います。

企業や団体が会食を規制することがありますが、それは上記のような本来的な目的から外れた「会食」が不適切な関係の温床になる危険性があるからです。

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2024年3月13日 (水)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (4)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

一方が優越的(専権的)な役割を担う場合でも「一方が他方よりも偉いことはない」(上下関係はない)と言いましたが、誤解されるといけませんので補足します。それぞれ役割上は厳格な優先劣後関係(上司と部下)や専権事項(資格者と非資格者)があることが当然の前提だということです。

さて、会食の場所が決まりましたら、開催日までの間にやらなければならないことは沢山あります。まず、何をやらなければならないかを列挙して、それをスケジュールと関係当事者をにらみつつ一つずつこなして行きます。まさしく業務の段取りと同じですね。

会食当日は参加者が楽しんでいるか気を配ることが必要ですが(ホスピタリティの発揮)、主催者自身も楽しむことが必要です。例えると、こういうことです。

「相手のグラスが空になっていないか気を配るとともに、自分のグラスも満たすこと」

その意味では主催者(ホスト)も参加者(ゲスト)も対等です。主催者が楽しんでいないと参加者にも伝わりますが、それはホスピタリティに反します。

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2024年3月12日 (火)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (3)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

他にも、資格者と非資格者、確認者と作成者、熟達者と初心者等、一方が優越的(専権的)な役割を担う場合がありますが、いずれも「一方が他方よりも偉い」などということはありません。

さて、会食から学んだことの話に戻ります。

次に決めるのは会場(店)です。どんな店にするかの基準は、参加者(候補者)に喜んでもらえるかどうかを第一にすべきで、この時に自ずとホスピタリティという思考過程を学ぶことになります。

そして、店を決めるまでの手順では、情報の真偽を確認する方法を学ぶことができます。

候補の店が自分では利用したことのない店である場合、その情報は、何らかの形で間接的に入手したものです。誰かが良い店だと言っている訳で、本当にそうなのかは最終的には自分で判断しなければなりません。

自分で行ってみる(利用してみる)のが最も確実な方法ですが、それができない場合にどうやって確認するかを考える思考過程が重要になります。

これは、不動産取引の危険性判断をする場合の思考過程と全く同じです。

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2024年3月11日 (月)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (2)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

仕事上の役割とは、サービスを提供する、報酬を支払う、マネジメントをする、指導教育をする、業務をする、等々です。

どの役割の人も人として対等で上下関係はありません。私が気になったのは、報酬を受ける側が支払う側に対して(部下が上司に対して)必要以上に遜(へりくだ)ったり、逆に後者が前者に対して必要以上に傲慢になることです。

私達は依頼者から報酬の支払を受けますが、それは一方的なものではなく、それに相応しい(それ以上の)サービス即ち「依頼者や紹介者が(潜在的に)抱える問題の解決」を提供することへの適正(未満の)対価です。「お金を払う方が偉い」などということはありません。

また、上司から部下への指揮命令は、あくまでもそういう役割だからであり、役割を離れれば対等です。上司が部下から学ぶことも少なくはありません。まして年齢や社歴はそもそも役割ではありません。

「上司(年長者、先輩)が部下(年少者、後輩)よりも偉い」などということもないのです。

これは礼儀とは別の話です。

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2024年3月 8日 (金)

仕事上の心がけはどんなことからでも学べること  (1)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

例えば会食です。お酒を止めたこともあり(5年目になり極めて健康な毎日です)、私自身夜の会食の機会は激減していますが、以前は人並み(以上?)にお酒もたしなみ、会食もしていました。

これは決して健康にとっては(体だけでなく心にも)好ましいことではありませんでしたが、学んだことも少なからずありましたので共有しておきます。

まず、学びが多いのは自分が会食を提案(お誘い)する場合、つまり主催者(ホスト)となる場合です。

次に会食の相手です。大きく分けるとプライベートな関係の方と、仕事上の関係の方に、さらに仕事上の関係の方は社外の方と社内の方に、そして社外の方は仕事の依頼をする方と依頼を受ける方とに、社内の方は上司・部下、先輩・後輩、年長者・年少者、そして同輩に分けられます。

会食を主催することで学べることはどの場合も大半は共通していますが、仕事の関係の方の場合には特に意識すべきだと思うことがあります。

それは、仕事でも会食でも、役割は様々でも立場は対等だということです。

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2024年3月 7日 (木)

実はフクダリーガルのメンバーは全員が一つの価値観を共有していると思いたい

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

全員が同じフクダリーガルに入社し、一緒に仕事をしているのはそういうことだと私は思いたいのです。

その価値観が何であるかを一言で言うのは難しいかも知れません。「価値」は多様で、多岐にわたります。ただ、それら多様な一つ一つの価値を生み出す源泉となる価値があるはずで、それが全員をフクダリーガルに結び付けているのではないかと、私は思います。

しかしそこから生み出されたはずの多様な価値の一つ一つについては、全員が同じ強さで共有できているとは限らず、それをできるように仕向けているのが「ルール」なのだと思います。

ですから、そのルールに直面したときのそれぞれのメンバーの態度によって、それらの価値がどの程度の強さで共有できているかがわかるわけです。

そこで課・部・会社のさらなる成長・発展のためには、お互いにそれぞれがルールに対してどのような態度を取っているかを気にし、補い合う必要があるのです。

態度とは、知・不知、趣旨の理解・不理解、遵守・不遵守、等です。

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2024年3月 6日 (水)

管理職は議員と同じく、部下に自分の「政見」を支持してもらうためにどうするか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

早速昨日の朝礼でお話した「経営や組織運営(マネジメント)は政治に似ている」の話です。単に朝立っているのが似ているのではなくて(笑)、政治もマネジメントも理念や価値観の共有が重要だということです。

区議会議員の方が毎朝駅前に立って話をされるのも、ご自分の理念や価値観を有権者の方々に理解・支持(共有)して頂くためだと思います。毎朝立ち続けること自体が理念・価値観を体現していると捉えることもできます。

もちろん有権者には様々な価値観の方がいて、自分の価値観を実現してくれると思う議員(候補者)を支持する訳ですが、マネジメントでも似たところがあります。各メンバーはそれぞれ様々な価値観を持っていますが、経営者や部課長とメンバーが、そしてメンバー相互が価値観を共有することが会社やチーム(部・課)を成長・成功させるために重要です。

そして、価値観を共有する簡単な方法が、会社のルールを共有することです。会社のルールは価値観を端的に具現化しているからです。

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2024年3月 5日 (火)

困った行動、触らぬ神に祟りなし?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

思考停止に起因するマナーやルールの逸脱は誰にでもあり得るので、腹を立てずに寛大な気持ちで指摘してあげるべきだと私は思いますが、指摘しないという選択肢もあります。

昨日書いたペットで歩道を塞いでいた方の例でも、私は車道側に少しはみ出して迂回すれば通ることはできましたので、わざわざ「通らせて頂けますか」と言うまでもなかったかも知れません。

このように、迷惑行動でも相手に関与せずに影響を回避できることは良くあります。その場合にどうすべきか一概には言えませんが、少なくとも単なる思考停止に起因する場合にはそれを解除してあげる(気づかせてあげる)のが親切だと思います。

もちろん、反応が予測できないなど、関わる場合のメリットデメリットと関わらない場合のそれを慎重に見極める必要がある場合もありますが、相手のことを良く知っているなど関わることで大きな問題が生じる可能性がない場合は、相手のためだけでなく自分自身のためにも、人間関係を円滑にするためにも、積極的に関わって行くべきではないかと思います。

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2024年3月 4日 (月)

思考停止に起因するマナー逸脱は誰にでもあり得るので、腹を立てる前に指摘すべき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

思考停止に起因する逸脱の対象にはFLC&Sの教科書や法律のように明文化されているルールだけでなく、マナーや良識的行動といった社会からの期待に基づく規範も含まれます。

例えば日常的によくある、自分では気づかずに道を塞いでしまうような迷惑行動もそうです。先日もペットの小型犬を連れた方がことの始末をしていて、その方自身と飼い犬が歩道を塞いでいたので指摘したところ恐縮して謝られたということがありました。

私自身もスマホの操作をしていて通行のじゃまになるということをよくやって妻に注意されていました。今は気をつけているつもりですが。

迷惑行動とは言えなくても、例えば社内ではラウンジの椅子に足を載せてくつろいでいた社員の方に止めるように促したことが何度かありました。

思考停止は自分では気づけず、人に指摘してもらうしかなく、また誰でもあり得ることですから、人の思考停止(迷惑行動やマナー・ルール逸脱)を苦々しく思わず、寛大な気持ちで指摘するべきでしょう。

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2024年3月 1日 (金)

小さなルールでも守らないのは大きな価値を共有していないこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

理念や価値観といった大げさなことでなく、会社のルールが自分の考えと一致しないということがあります。

どんなに小さなルールでも全て会社の理念や価値観に基づいて定められたものです。

ですから、それらのルールに違和感を感じたり守れていない方は、各人の価値観が会社の価値観と一致していない(共有できていない)ということになります。

例えば、(NHK=ニコニコハキハキキビキビと)挨拶をする、クッション言葉を使う、敬称は「様」である、月次朝礼は必ず参加(視聴)する等のルールは小さなものです。しかしそれらは「楽しい」や「幸せ」という、会社の大きな価値観に基づいて定められているものです。

ですからそれらのルールを守れていない方は、「楽しい」「幸せ」という価値観が共有出来ていないということになります。

しかし問題は、自分がルールを守れていないという認識がないことです。これも思考停止であり、誰にでも起こる現象です。

思考停止をお互いに気づかせ合えるかどうかが職場の活気の尺度です。

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