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2023年12月28日 (木)

考え抜くしかない

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が「自分ごと意識」(エンゲージメント)を持てなかったのはキャリアビジョンが十分描けていなかったからです(資格取得の前でも後でも同じで、転職を繰り返すことになりました)。

キャリアビジョンが描けないのは私に限ったことではなく、これまでの日本のビジネスピープルの多くがそうだった様に思えます。

それは何故なのか?

これを考えることは、皆がキャリアビジョンを描き、自分ごと意識を持てるようになるためのヒントになるのではないでしょうか。

そこには次の二つが大きくかかわっているのだと思います。

1 終身雇用や年功序列という日本の雇用慣行
2 リスクを回避し、安定を求めたがる日本人の思考習慣

1はもう崩れ始めていますし、2も、1が崩れ始めている以上、変えることは必須です。

そのためにどうするか?

考えることです。

なぜこの仕事についているのか。なぜこの会社を選んだのか。この会社でどうなりたいのか、仕事(事業)の本質は何か、仕事(事業)はどのように社会に貢献しているのか・・・・。

結局徹底的に考え抜くしかないのだと思います。

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2023年12月27日 (水)

キャリアビジョンとエンゲージメント

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「自分ごと意識」という言葉はあまり一般的ではないかも知れませんが、所謂「エンゲージメント」はこれに近いのかも知れません。

さて、一般的には自分が所属するチームに関しては自分ごと意識が芽生えることも少なくないと思います。しかしサラリーマン時代の私の場合は(会社の事業に自分ごと意識を持てなかったと前に書きましたが)チームに対してもこの意識は強くなかったと思います。

この原因は、一つには職業人としての未熟さがあったと思います。私は司法書士になってからもサラリーマンを経験しています(不動産会社や司法書士事務所)が、ここでは職業人としての未熟さではなく、資格者としての未熟さが、自分ごと意識を持つことを阻んでいたと思います。

ここでいう未熟さとは、自分が職業人として、あるいは資格者として、社会とどう関わっていくべきか、社会においてどのような位置付けにあるか、将来的にどんな存在に成長していくのか(謂わばキャリアビジョン)について明確なイメージを持つまでに至っていなかったということです。

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2023年12月26日 (火)

「自分ごと意識」の芽生え

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が「チームと自分との間に距離を置き、対立関係として捉えていた」原因は、落下傘的に他部署からスライドしたマネジャーであったこと、それまでマネジメント経験がなかったこと、マネジメントの方法を教えられてこなかったこと、などがあります。

たしかにこれらの問題点はマネジメント不全の言い訳にはなるかも知れませんが、それは自分で乗り越えていけるものです。教えてもらえなかったら自分で学べば良いだけです。

しかし、当時の私には「自分ごと意識」がありません。「ひとごと」です。マネジャーの地位に就いたのも、自分の意思でなく「就かせられた」という意識ですから、初めは自分でマネジメントスキルを身につけようという意識にはなりません。

それでもチームの成果が上がらないのは嫌ですし、自分の責任にもなりますから、なんとかしようとチームメンバーに働きかけます。表面的にはマネジャーらしい動きをすることになります。

それはなかなか成果にはつながりませんが、続けるとやがてチームレベルでの「自分ごと意識」は芽生えて来ます。

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2023年12月25日 (月)

チームレベルの「自分ごと」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「自分ごと」意識は、自分の所属するチームのレベルでも機能します。会社全体に対してその意識を持てなくても、自分の所属するチームのことは自分ごとに思える(チームを良くしたい、他のチームに負けたくない、など)ということはあると思います。

恥ずかしながら私のサラリーマン時代は、自分が一メンバーだった時はもちろん、マネジメントの立場に立った後も、チームのことを自分ごととして考えることはできていなかったと思います。

一メンバーのときは、上司に不満はありましたが、あくまでもそれは上司との間で解決することであり、チームの成果につなげることは考えませんでした。

マネジメントについてからも、その役割が自分のチームに高い成果を上げさせることだということは分かっても、自ら「自分ごと意識」を持っていない訳ですから、部下にそれを持たせることがチームの成果につながることに考えが至る訳もありませんでした。

当時の私は、表面的にはともかく本音のところではチームと自分との間に距離を置き、対立関係として捉えていた気がします。

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2023年12月22日 (金)

自分ごととは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私はサラリーマン時代、会社の事業を自分ごととして捉えることができませんでした。

「自分ごと」の意味について私は例えば次のようなことであると考えています。

◆ 会社の理念(存在意義、社会貢献)が、自分の人生観(信念、哲学)と一致していること、即ち会社の事業遂行がそのまま自己実現となる。

◆ 親が子供の成長を喜ぶように会社の成長や成功に純粋に喜び(あるいはその逆)を感じられる。

◆ 会社の存在が自分の人生、仕事、職業の長期的な計画の中に組み込まれている。

◆ 会社に出資している(株を持っている)。

「自分ごと」になる(する)経緯は様々だと思います。会社の理念に共鳴して入社し当初から自分ごとになっている、入社当初はそうでなくても、そこで働き続けているうちに、次第に会社の理念に共感し、会社との一体感が生まれ会社の問題が他人ごとではなくなって来る、持ち株制度や市場で自社株を取得する、等々。

私の場合はそのいずれでもありませんでしたが、もし、「自分ごと」になっていたら、司法書士にはなっていなかったかも知れません。

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2023年12月21日 (木)

(昔話)自分ごとになる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の続きです。仕事には全精力を傾け、ハードワークをしていましたし、会社のやり方に疑問を感じたり、改革の試みをしていたという意味では仕事を自分ごととして考えていました。

しかし会社の理念や未来像には関心がなく、まして会社が大切にしている価値観が何かなど考えたこともありませんでした。

つまり、会社がどこへ向かっているかなんて全く自分ごとではなかったわけです。

会社に対して色々と不満は持っていましたし、会社がうまくいかなくなっては困ると漠然と思っていましたがそれは会社の問題で自分ごとではありませんでした。

会社は自分の外にあるものであり、従属関係や対立関係にあるものと考えていたのだと思います。

当時は自分が人並み以上になろうとすることだけで精一杯でただひたすら目の前の仕事に取り組み、不合理と思うことがあれば立ち向かっては挫折する、という毎日を送っていたのだと思います。

それを悔いることは全くないのですが、誰もが会社のことを自分ごととして考えられるような、魅力的な会社にする方法をみんなで考えたいのです。

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2023年12月20日 (水)

昔話(大事な特質)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が資格をとる前、サラリーマンだったころの話です。いくつかの挫折を経て、将来展望もなく、生来の怠け者でしたが家族を養っていかなければならず、生活のために仕事をしていました。

それでも、仕事をやる以上は全精力を傾けるのが身上(?)で、ハードワークをしていました。精神的にも不安定になり、飛び降りないよう窓の近くに近寄らないようにしていたのを覚えています。

ただ、がむしゃらに働くだけではなく、おかしいと思ったことに対してはおかしいと言う、ということはしていました。その会社の仕事の進め方に疑問を感じたり、改革をしようとしたりして、上司やトップともぶつかり、最後にはトップの不興を買って、改革プロジェクトから外されたりもしました。

私に代わってそのプロジェクトを担った若手社員に劣等感を感じ、落ち込みましたが、自分が外された原因は要領の悪さだと思っていました。もっと上手く立ち回れば良かったと。

自分の生固さや生意気さを欠点と思い、特質(今で言う「法的思考」)を大事にするという考えは、当時はありませんでした。

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2023年12月19日 (火)

確かさ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

これまでFLC&Sの「価値」についてあれこれ考えて来ましたが、「未来」あるいは「上」に少し目を向け過ぎており、誤解を招いたところがあったかも知れません。

例えば、「ホスピタリティ」と「革新・創造」を「差別化要因としての価値」として特に強調してきました。

もちろんこれらの価値は重要であり、これらによって現在の私達の発展成長が加速されたことは疑いのないところです。

しかし、これらの価値が効果を発揮するのは、大前提として、あるいは土台として、できて当たり前のことができているからだということを忘れてはいけないのです。

できて当たり前のこととは、例えば期限までに、確実に、間違いなく仕事を仕上げることです。

これがあって初めてホスピタリティや革新・創造が意味を持つ、いやこれがなければホスピタリティも革新・創造も無意味に帰すのです。

現在の価値でこれを表現しているものとしては、組織的価値のうちの「環境」、「しくみ」、社会的価値のうちの「安全」くらいのものでした。

そこで新たに社会的価値として「確かさ」を加えることとしました。

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2023年12月18日 (月)

真の集団業務

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

仕事には、スポーツ同様個人で行うものと集団(2名以上)で行うもの、そしていずれでも行えるものとがあります。

司法書士の仕事はいずれでも行なえますが、弊社の場合は創立時から2名おりました(1年後には数名)から、いうまでもなく集団で行うことを選びました。

集団で業務を行っている司法書士は珍しくはありませんが、必ずしもそれを有効に行えているとは限りません。

人が2名以上いることと、集団で行うこととは別のものだということです。

集団で行うとはチームプレーを行なうことです。

チームプレーとは、チャーハンの例の通り、案件を分けてそれぞれが同様の業務をする(役割を担う)ことではなく、業務を役割ごとに分けて、それを分担することです。

スポーツでは、試合に勝つためにチームプレーは必須です。仕事の場合も勝つ(他より優れた商品やサービスを提供する)ためにはチームプレー(分業)が不可欠です。

また、これからは(既に始まっていますが)チームプレーを行う仲間が人間以外のもの(ロボットやAI)になることも理解しておくことが必要です。

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2023年12月15日 (金)

分業とユーティリティプレーヤー

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

チームプレーを行わないこと、即ち様々な作業を分担せずに全員が各自全ての作業を行うことは、例えばサッカーで言えば敵が持っているボールをめがけて全員が殺到するようなものです。それによってボールを奪ってもその後の展開ができませんから、すぐに奪い返されます。

すると今度も全員でボールを追いかけることになります。この繰り返しは全員の運動量を徒らに増やすだけで、それに見合った成果(ゴールを奪う)は得られません。極めて生産性の低いやり方です。

チームプレーのことを仕事では「分業」と呼びます。分業で注意を要するのは、役割の決定方法です。スポーツでも仕事でも、様々な役割が必要ですが、それらには人によって向き不向き、即ち適性があります。ある役割に関して最も適性が高い方にその役割を担ってもらうことが最も合理的です。

一方で、一人の方が複数の役割をこなすことも求められます。スポーツではユーティリティープレーヤーなどと呼ばれ、高く評価されますが、仕事でも分業化とユーティリティープレーヤー化は必須なのです。

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2023年12月14日 (木)

チームプレー

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日「2人以上いれば、チーム化(ビルド)しなければなりません。名前だけチームとしても無意味です」と言いました。チームビルディングは必須で、それはチームメンバー自身の役割なのです。

今日は、それをチームビルディングの基礎となる「チームプレー」の観点からご説明します。

スポーツではチームプレーは当たり前です。球技ではポジションを定めて役割分担します。一つのボールをめがけて全員が殺到するようなことはしません。

これはスポーツだけではありません。
例えば、あなたがもう一人の方と共に材料を与えられてチャーハン作りを指示されたとします。方法は大きく分けて2つです。

一つは材料を2つに分け、2人が個別に作業をしてチャーハンを完成させるという方法。
もう一つは必要な作業を2つに分け(例えば下ごしらえと調理)、2人がそれぞれ別の作業をするという方法。

後者がチームプレーです。

スポーツでチームプレーが求められるのは「勝つため」です。チャーハン作りも他チームとの競争に勝つためにはチームプレーが(様々な理由から)不可欠なのです。

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2023年12月13日 (水)

チームビルディング

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の「リーダーの役割はメンバーによるチームビルディングをプロデュースすることです。」についても、誤解する方がいらっしゃるといけませんので、念のためご説明しておきます。

まず、「チームビルディング」とは、単なる人の集まり(グループ)を、「チーム」、即ち目的を達成するためにメンバーが相互に関わり合い協力し合う「組織」に変え、さらにそれをより「強い」ものにして行く作業です。

チームビルディングを行うのはチームメンバー全員であり、リーダーの役割はそれを導き支援することです。

そして、チームの持つ問題(課題)をメンバー全員で解決することや(昨日お話した)多様な考え方や特質を持った人達が一つのチームを構成出来るようにすることはチームビルディングの目的であるとともに手段です。

2人以上いれば、チーム化(ビルド)しなければなりません。名前だけチームとしても無意味です。

ですから、チームビルディングセッション(TBS)と呼べるのは(問題解決を通じ)グループをチームに変え、強いチームにしていくものだけなのです。

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2023年12月12日 (火)

リーダーが行うべきこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

リーダーに求められるものは昨日お話したような一見「強さ」にみえることではなく、次のようなことである、と私は考えています。

リーダー即ちマネジメント職の役割は「人を通じ、人とともに物事を成し遂げて行く」ことです。

「人とともに」で大事なことは、「人」は必ずしも自分にとって都合が良い人ばかりではないということです。

自分にとって都合が良くない人、例えば自分と意見が合わない人、考え方が「ズレている」人、指示に従わない人、理想に合わない人、などがいる状況にどう対処するかでリーダーの真価が問われると思います。

そういう人たちを排除・排斥したり服從させるのは問題外ですが、リーダーが考えなければならないのは、組織としてどう向き合うべきか、です。

行うべきことは、自分自身がそういった人たちを受け止めるだけでなく、メンバー相互が同じように受け止め合えるように話し合いをファシリテートし、目的達成のための最適解をともに見つけ出すことです。

リーダーの役割はメンバーによるチームビルディングをプロデュースすることです。

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2023年12月11日 (月)

強いリーダーはいらない

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

などというと、また誤解を招くかもしれません。私はよく強調したいことに極端な表現をすることがあります。例えば「我々は疑うのが仕事だ」とか、「仕事は楽しく」、など。こういう言い方をすると、「仕事は疑うことだけだ」とか「仕事は楽しいことだけだ」と言っているように誤解されることがあります。

冷静に考えればこれがたとえ方、即ち隠喩の一種であることがわかると思います。疑うだけでも、また、楽しいだけでも、仕事にはならないのは少し考えればわかることです。

ただそうも言っていられないので説明しますと、この「隠喩」で言いたいのは、「疑うべきことを疑うことができていない、楽しく感じるべきことがそうできていないから、疑うこと、楽しくすることを心がけなければならない」、ということです。

そして、「強いリーダーはいらない」という「隠喩」で言いたいことは、「強い」を次のように誤解されては困るということです。

即ち、「強い信念を持ち、主導権を握って反対者を意に介せずメンバーを従わせて目的達成に突き進み、失敗を許さない」。

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2023年12月 8日 (金)

人を思いやる喜び

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週、人と関わらずにモノやサービスの提供を受けるのが当たり前の時代になっているという話をしましたが、私達の提供するサービスにはまだまだ人が関わる部分が多く残っています。

自動化、機械化を進める目的は効率性にあります。従って私達の提供するサービスのうち、自動化によってより効率の上がる部分は遅かれ早かれ自動化されて行くことになりますし、弊社でもそれは進みつつあります(RPAなど)。

しかし、サービスには効率だけでは測れない部分があり、サービスを受ける側(顧客)も機械ではなく人が対応することを望む場合があります。

例えば顧客に対してきめ細やかな(「人間的」な)配慮をする(思いやる)ことです。ただし、これは機械にも可能なことですから、理由は他にあります。

それは、顧客の側が、サービス提供者の側を思いやることができるということです。

人は、人を思いやることに喜びを感じます。しかし、サービス提供者が機械の場合にはそれを思いやることはあり得ません。

求められるのはお互いを思いやること、即ち「心の交わり」です。

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2023年12月 7日 (木)

誰のために書く

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここ数日体調を崩し掲載をさぼってしまいました。おかげさまでほぼ回復しましたが、打ち合わせ、面接、会食等をキャンセルすることになり、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

ところで、身体的に不調な時は健康な時とはまた違ったことを考えるものです。

体が弱ると精神的にも(もともと持っている)弱い部分が現れます。色々ネガティブなことを考えますし、意欲も減退します。なぜ自分は仕事しているのだろうなどということも考えます。

私の場合生来の弱い部分(幼稚園の頃からやる気のない怠け者)は病気のときだけでなく、しょっちゅう顔を出してきます。

それを普段は、「枠」(あるいは「檻(おり)」)を使って、押し込んで出てこないようにしていることに改めて気づかされました。病気のときには「枠」が外れてしまい、弱い部分が出てしまいます。

この「枠」(「檻」)とは、私の場合は様々な日課やルーティンなどの自己ルールです。色々なものがありますが、このよしなしごとやニュース共有もそうです。これを書くのは自分自身のためでもあるのです。

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2023年12月 1日 (金)

人に残された領域

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

モノやサービスを手に入れる(買う)時に、人間と全く関わることなく目的を達することができるのは今や当たり前です。みなさんも日常生活で人と全く関わらないで用を済ませることには慣れてしまっていると思います。

これまで様々なサービスが自動化されて来ましたし、今後もその範囲は広がっていくものと思われます。これは効率があがるという意味では喜ぶべきことではあるのですが、逆に人との関わりが重要になることに気をつける必要があります。

即ち、自動化がどんなに進んでも、全く人間との関わりがなくなることを想像するのは難しいと思います。むしろより人との交わりが重要になり、人と関わる機会が少なくなることで逆に、より洗練された、「人間的」な交わりが求められると思います。人と関わる(コミュニケーション)方法がより重要になるのです。

つまり、自動化に慣れた私達も、自動機械との関わり方とは異なる、人間との関わり方を意識する必要があります。自動機械に対しては不要な、挨拶も、お礼も、笑顔も、気配りも、人間に対しては必要なのですから。

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