感謝を勘違い
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
先日、感謝の念が気持ちを前向きにさせるという意味のことを言いましたが、よくよく考えると、ちょっと違うような気がします。
感謝はそういうアクセラレーターのような、原動力になるような働きをするというよりは、心を浄化するような、カタルシス的な働きをする側面があります。
もう一つ考えられるのは、言い訳や逃げ場としての位置づけです。何に対する言い訳で、何からの逃げかというと、自分が沢山の方達から援助を受けて来たことに対する返礼が十分出来ていないことに対する、です。
借りを返すよりも簡単にその重荷から自由になる方法です。
ある意味「祈り」に近いかも知れません(私は朝神棚に向かって色々な感謝を述べます)。
更に、傲慢になるのを防ぐための冷却装置のような働きがあるのも確かです。この働きがもっとも重要かもしれません。
また、感謝の気持ちを外に表す(礼を述べる)のは礼儀である、とも通常考えられています。
礼儀とは人間関係を円滑にする技術ですから、感謝を伝えることはその技術だと言って良いのでしょう。
アボリジニ(オーストラリア先住民)の社会には「感謝」という概念がないそうです。それは、お互いに助け合うことが当たり前のことだからだそうです。
私達の社会では助け合うことが当たり前ではないからこそ、感謝という概念が生まれて来るとも言えるのでしょう。
だから「有り難い」「有り難う」なんだということです。
感謝という概念、そして行動についてはもう少し整理して考えてみたいと思います。
また、「感謝」以外にもこういったこと(自分がちょっとズレた理解をしていること)はあります。
例えば「楽しく生きる」です。
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