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2022年4月14日 (木)

考えること、疑うこと(その4)

(フクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「考える習慣がなくなっても問題なく仕事ができるのであれば、考える習慣は必要ないのでは?」というのも一つの考え方です。

登記手続きを安全・円滑・迅速に進めるためには多くの知識や技術が必要です。有能な司法書士はそういった知識・技術をしっかり身に付けた司法書士です。
そして、それらの知識や手続きについて考えたり疑ったりしていては、膨大な登記申請を迅速・正確に処理することはできないのも確かです。
また、考えずに問題のない仕事を迅速に行えるのであればそれは効率が良く生産性が高い仕事であるといえるでしょう。
ただ、それは現在のしくみが最適なものであることが前提です。
しかし、現在のしくみや登記手続きの進め方が最適なものであり未来永劫かわらないとはとても考えられませんし(10日の本稿「SFと問題解決」に書いたことはずいぶん先のことかもしれませんが)、科学や経済を巡る技術や理論の進歩とともに登記制度や手続きの在り方も常に進歩させていく必要があるはずです。
そういった要請に対応し、改革を進めていくために最低限必要なもの、それは既存のしくみを疑うこと、自分の頭で考えることなのです。
また、司法書士の仕事は手続き代理だけではありません。否、むしろ手続き代理以外のところに司法書士の本質、私たちが提供するサービスの本質(司法書士だからこそ提供できる価値)があるのです。
ただ、ここには難しい問題が立ちはだかっています。
これについてはまた別の機会にお話したいと思います。

 

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