教育以前の問題
(また移動の車内で書いてます)
高校の履修もれの問題。どうなんでしょうね。
ある意味日本の学校教育制度の問題点であることは間違いないのでしょうが、もう一つ教師が教育者としての資質を持っていない、つまり教師自身が受けてきた教育(学校に限らない)の問題であるともいえるのではないでしょうか。
先日も生徒がいじめで自殺した中学校の校長が、母親から娘がいじめに会っているという相談を受けたが、「まだいじめがあったかどうか確認できていない」という趣旨の発言をしていました。
驚くべき発言としかいいようがありません。
とても教育者の発言とは思えない。
生徒を思いやる気持ちのかけらも感じられない。
確かに親の一方的な言い分が全て真実とは限らないでしょう。
しかし、教育者なら、親は子供に深い愛情を抱いており子を守るために全身全霊を捧げるものであるということをまず信じるべきでしょう。
そして教育者自身、子供達に深い愛情を注ぎ、全ての児童・生徒を守るべき立場にあるということを認識しなければなりません。
これはある意味「教育」以前の問題であるということが出来るかも知れません。
そういう意識があれば、親からの相談について、「確認」などという言葉が真っ先に出てくることなどありえないはずです。
未履修問題にしても根は同じではないでしょうか。教育が何のためにあるのかを見失っているとしか思えません。
教育が何のためにあるのかを理解していない者に教育者たるべき資質が備わっているとはおよそ言いがたいはずです。
これもまた、教師が受けてきた「教育」(学校教育に限らない)の問題が大きいんじゃないでしょうかね。
つまりは主体的にものを考えられない人間、「法的思考」の出来ない人間を作り出してきた教育の問題です。
ところでシアトルマリナーズの城島捕手はこれをどう考えるでしょうかね。元々はこちらの話題を取り上げるはずだったのですが(彼の「法的思考」について)、これはまた改めます。
それにしても六本木駅近くのウェンディーズ様、外に出られない出口に非常口の標識を出しておくのはやめて下さいね。
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