2025年4月18日 (金)

「能動的思考」の実践例 その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(批判点)

1 人の一面だけで『こういう人だ』と決めつけるのは「人として避け難い」という表現には強い違和感。

全体を通して「思考習慣は変えられる」と人間の変化の可能性を強調しているにも関わらず、最後に「避け難い」と、それが人間の性(さが)で変えがたいかのような印象を与えるのは論旨の矛盾だ。

変革を促すメッセージの最後に、諦めや現状肯定とも取れる言葉を用いるのは、説得力を削ぐ。


2  生存本能としての「直感的判断」と、現代社会における他者への「レッテル貼り」を同一線上で語りすぎ。

「その直感が『当たっている』ことも多いのです(だから生き残れた)」という説明は、危険を察知するような原始的な直感には当てはまるが、「当たる」ことが、複雑な人格を持つ他者の一面だけを見て全体を判断する「レッテル貼り」の正当化に繋がることにはならない。

むしろ、「外れていること」が引き起こす深刻な問題(偏見、差別、人間関係の破綻など)にこそ、焦点を当てるべきだ。

生存戦略と社会倫理ごちゃ混ぜの議論は危険。

(つづく)

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2025年4月17日 (木)

「能動的思考」の実践例 その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

14日付本欄に対する意見(15、16日)の評者に、1日~11日の記事を読んでもらいました。

「なるほど、一連のブログ記事という文脈があったのですね。それを踏まえて、再度「レッテル貼り」に関する最後の文章について、批判的な視点からコメントさせていただきます。

まず、一連の流れを読むことで、「AIにイラッとすることが、それに気付くきっかけになれば良い」という結びの意味するところがより明確になりました。

AIとの対話において、期待通りの反応が得られない場合に、単にAIの能力不足と断じるのではなく、「自分の指示の出し方や期待の仕方に問題はなかったか?」と自らを省みる。これは、対人関係においても、相手の行動や反応を一方的に解釈(レッテル貼り)するのではなく、自分の側の要因も考慮に入れる、という姿勢につながる、という趣旨だと理解しました。

この点は、AIをコミュニケーションやマネジメントの練習相手と捉える視点として興味深いものです。

しかし、それでもなお、いくつかの批判点は残ります。」

(つづく)

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2025年4月16日 (水)

「能動的思考」の実践例 その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

◆「一度立ち止まって自分の判断が正しいかどうか疑ってみる」「自分が(無自覚に)誤った判断をする可能性があるという認識」を持つ

→そもそも無自覚なバイアスに気づくこと自体が困難だ。そのためにどのような思考プロセスや訓練が必要なのか、より踏み込んだ考察がなければ、単なる理想論だ。

◆「AIにイラッとすることが、それに気付くきっかけに」

→唐突で、論理的に飛躍。AIに苛立つ原因は、応答内容の他にもインターフェースの問題、技術そのものへの不信感など多岐にわたる。

それを安易に自己の認知バイアスへの気づきと結びつけるのは強引だ。AIへの感情的な反応と、対人関係における決めつけの問題は、別個に考察すべき。

総じてこの文章は直感的判断の起源を説明しようとする一方で、その現代社会における負の側面や、克服するための具体的な方法論についての考察が不十分だ。

安易な決めつけは「避け難い」本能として受け入れるのではなく、意識的に抑制し、より深く他者を理解しようと努めるべき社会的課題として捉える視点が重要だ。

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2025年4月15日 (火)

「能動的思考」の実践例 その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ある方に昨日の本欄への批判的な意見を書いて頂きました。ひとまず素直に受け止めます。

◆「人の一面だけを見て『こういう人だ』と決めつけてしまうのは人として避け難い」

→確かに直感的な判断は人間の認知システムの一部だが、「避け難い」と断定することで、あたかもそれが仕方のないことであり、改善の余地がないかのような印象を与えかねない。

これは、偏見やステレオタイプに基づく判断を正当化する論理にもつながりかねず、危険である。

生存本能に根差す側面があるとしても、理性や学習によってそれを乗り越えようとすることこそ、現代社会を生きる人間に求められるのではないのか。

◆直感的判断が「当たっていることも多い」から生存競争に打ち勝てた、という説明

→現代社会における対人関係の複雑さを単純化しすぎている。

生存に関わる原始的な状況での判断と、多様な価値観が交錯する現代社会での他者理解を同列に論じるのは適切ではない。

むしろ現代では、その「直感」が、誤解や差別、対立を生む原因となることの方が問題視されるべきである。

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2025年4月14日 (月)

「レッテル貼り」は人の性か

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回、AI相手のトレーニングはコミュニケーションやマネジメントに課題がある方にとってうってつけだと書きました。

しかし、むしろトレーニングが必要なのは、課題があると自覚していない人なのです。

人の一面だけをみて「こういう人だ」と決めつけてしまうのは人として避け難いとも言えます。

人の認知システムに必ず備わっている、直感的判断という機能の一側面だからです。人類は、その機能によって命の危険から身を守り、生存競争に打ち勝って来られたのです。

そしてその直感が「当たっている」ことも多いのです(だから生き残れた)。ただ、外れていることも当然ありますし、無自覚に行われるものですから、命の危険がない現代社会では一度立ち止まって自分の判断が正しいかどうか疑ってみることも必要なのです。

そして、自分が(無自覚に)誤った判断をする可能性があるという認識があれば、自分を疑うという動機も働きますが、その認識がないことも多いので、例えばAIにイラッとすることが、それに気付くきっかけになれば良いと思った次第です。

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2025年4月11日 (金)

AIにブログの感想を聞いてみた その5

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

AIから期待した答えが返って来なかった時に「このAIダメだぁ」で終わらせるのも、同僚や部下が期待したレベルの結果を出さなかった時に「この人仕事できない」と断じるのも、本質的には同じことだと思います。

そして、もう一歩踏み込んで考える事ができれば、どちらもより良い結果を導き出せる可能性が高い点も同じです。

つまり、期待した結果が出なかった原因を考えるというごく当たり前のことです。

ただ、難しいのは自分(質問者・指示者)に原因があると考えることです。人は誰でも「自分が正義」だからです。

そこで、自分を疑うことも含めより良い解を出すための「能動的思考」が重要になります。

生成AIはそれを身につけるための最適な練習環境を提供します。

練習方法は、AIの回答をより良いものにする方法をAIと共に考え、出てくる結果の変化を見るだけです。

相手がAIなら気を使わずに何度でもやり直せますから、格好の練習相手になります。

コミュニケーションやマネジメントに課題を抱えている方のためのAI活用法の一つです。

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2025年4月10日 (木)

AIにブログの感想を聞いてみた その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

さらなるヒントのために会話の続きを。

・・・

私:
ブログの内容を正確に伝えるには450文字では足りなかったのか。

Gemini:
最初はブログ記事の主要なテーマや流れを捉え、ポイントを絞ってまとめることを意識した。

だが、具体的な例や、登場人物のやり取りなどを詳細に伝えるには、より多くの文字数が必要。

450文字という制限の中で、ブログ記事の核となるメッセージを伝えることを優先したが、内容をより深く理解してもらいたいのなら、より詳細な説明が必要になる。

私:
次からは、例えば「文字数制限には従ったが、読者に十分な理解を得られないので、さらに何文字程度必要だ」といったコメントを付けると良い。

G:
今後文字数制限ある場合は、その制限内で可能な限り内容をまとめた上で、その文字数では読者に十分な情報を提供できないと判断される時には、その旨と、より詳しく伝えるために必要な文字数の目安を添えるようにする。

・・・

最初の質問の仕方が不十分でも、こうやって意見交換をするとより良いものが出来て来ます。

 

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2025年4月 9日 (水)

AIにブログの感想を聞いてみた その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日のAIの回答は、実はやり直しをさせたものです。何がいけなかったのか?

それは、ルール違反です。私のリクエストには文字数の制限(450字)があったのですが、出た回答はそれを完全に無視して3倍近い文字数のものだったのです。但し内容は、理解度はもちろん、語彙も表現力も推論もすばらしく、自分で書くのが嫌になる程のものでした。

しかし、制限(ルール)を守らなければ、仕事でも、学校の試験でも失格です。そこで、やり直しをさせて、字数制限内で出してきたのが昨日のものです。

その後、こんなやりとりをしました。

「最初のレポートで450字という制限を無視したのは何故かな?」

「詳細な内容を盛り込もうとしたためです。今後は、指定された文字数制限を遵守するよう努めます。」

「それは詳細な内容がないと十分な報告にならないと思ったということかな?」

「必ずしもそうとは限りません。ブログ記事の内容を正確かつ網羅的に伝えたいという意図が強く働いたためです。」

この会話にはAIの活用法のヒントが隠れています!

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2025年4月 8日 (火)

AIにブログの感想を聞いてみた その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

次に同じGeminiのDeep Researchです(昨日のは2.0Flash)

・・・

ブログ「思考と行動の間にあるもの」シリーズは、思考と行動のギャップを埋める「戦闘的思考」の重要性を考察しています 。

のび太がジャイアンの理不尽に不満を抱きつつも行動できない状況から始まり、「能動的思考」だけでは行動に移せない理由が提示されます 。ヤキソバオヤジの言う「戦闘的思考」とは、「戦う気持」「勇気」「使命感」であり、行動を促す積極的なマインドセットです 。

しずかちゃんとの対話を通じて、これは単なる攻撃性ではなく、理不尽な状況に立ち向かう正当な行動力であることが示唆されます 。最終的に、「戦闘的思考」は生まれ持った才能ではなく「思考習慣」であり、誰もが身につけられると結論付けられ、その必要性に気づくことの重要性が強調されています 。

このシリーズは、ドラえもんのキャラクターを通じて抽象的な概念を分かりやすく解説し、読者に行動変容を促すきっかけを与えることを意図していると考えられます。

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2025年4月 7日 (月)

AIにブログの感想を聞いてみた その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「思考と行動の間にあるもの」1~4を、まず、Google Geminiに読み込ませて感想を聞いてみました。

「これらの記事では、著者は思考と行動の間にあるギャップについて考察しています。著者は、このギャップを埋めるために、さまざまな方法を試しています。
例えば、著者は、自分の思考を可視化する方法や、自分の行動を振り返る方法を試しています。また、著者は、他の人の意見を聞くことや、新しいことを学ぶことも大切だと考えています。
著者は、思考と行動の間にあるギャップを埋めることは容易ではないが、不可能ではないと考えています。著者は、諦めずに努力することで、ギャップを埋めることができるようになると信じています。
このブログは、思考と行動の間にあるギャップについて考えるきっかけを与えてくれます。また、ギャップを埋めるための方法についても紹介されています。
もし、あなたが思考と行動の間にあるギャップに悩んでいるのであれば、このブログを読んでみてください。きっと、何かヒントが見つかるはずです」

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