2026年9月14日 (月)

大きく考える 25

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

問題解決手順(「21」参照)、特に手順①について大きく考えてみます。

手順①は「客観的事実の把握」ですが、これは、a 事実の正確な認識、b それが解決すべき問題かという評価、c それは解決可能かという考察、の3段階からなります。

蚊の例で考えてみます。

a 事実:蚊が存在すること、人に近づくこと、刺すこと、痒みを催すこと、病気を媒介すること、などが考えられます。
b そのいずれが解決すべき問題なのか:評価者によって異なります。
c 解決可能性:bで何を問題とするかによります。存在することが問題であるとすると、絶滅させることが解決であり、殺虫剤では解決にならず、解決(その妥当性は別にして)は極めて難しいと言えるでしょう。人に近付くことが問題だとすると、(人への接近を防げる)防虫剤が解決手段となります。

仕事など人の行動に関する問題の場合も同様に考えることができます。a どんな行動を取っているかという事実の正確な認識、b それを問題と評価すべきかという判断(基準やルールへの当てはめ)、c 解決可能性の考察という順番です。

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2026年9月11日 (金)

大きく考える 24

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、数学者が何年かかっても解けなかった数学の超難問をAIが解いた(らしい)という新聞報道が有りました。開発企業は「AIの発展における新たな段階に入った」と言っているそうです。

もっとも、チェスや囲碁で人間のチャンピオンがAIに敗れたのはずいぶん前のことです。既にある意味でシンギュラリティ(AIが人間の能力を超える)は起こっていると言っても良いと思います。

一方AI兵器については、自ら標的を識別・選択し、攻撃や殺傷の判断を行うことで無差別、大量の殺戮が行われることになるのではないかという恐怖心が撒き散らされています。

それでもAIが道具であるという第一命題には何の変わりもありません。数学の問題や、チェスや囲碁に挑ませるのも、戦争を行わせるのも人間であり、AIは人間の決定を(人間よりも高度に)実践しているだけです。

また大量殺戮などの暴走は、第二命題「AIは機械である」から当然導き出されることに過ぎません。

ですからAIに対して必要以上の期待や過度の恐怖心を持つ必要はないのです。考えるべきは、AIを如何に道具として正しく使い、機械として制御するかです。

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2026年9月10日 (木)

大きく考える 23

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

話を本題に戻して、流行りの「AI」を「大きく」考えてみます。即ちAIの本質は何か、です。今私がAIの本質と考えるのは次の2つです。

1 AIはツール(道具)である。
2 AIはコンピュータ(機械)である。

AIとの付き合い方を考えるときには、この点に気をつけたいと思います。

AIとは言うまでもなくArtificial Intelligence 「人工知能」です。その定義は一定していないようですが、国語辞典では「学習・推論・判断など、人間の持つ高度な知的能力を実現しようとするコンピューターシステム。人工知能。」(三省堂・第八版)とされています。

今では「人間の持つ」ではなく「人間を超えた」知的能力ですが、あくまでも道具としての能力に過ぎないことを忘れてはならないと思います。

例えば私がAI(生成AI)に頼るのは主に「面倒くさいこと」を代わりにやってもらう時です。例えば、膨大な量の文書(判決など)の要約や、思いつくままに走り書きされたような悪文のまともな文章への修正といった使い方です。

つまり、人間でもできますが極めて長い時間を要するであろうような仕事です。

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2026年9月 9日 (水)

大きく考える 22

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

問題解決手順の②を経ずに問題解決をすることはできないはずですが、実際にはそういうことがよく行われています。

ただ、よく考えますと、それは問題を「解決」しようとしているのではなく「対策」を立てようとしているに過ぎないことがわかります。原因が分からなくても、「①客観的事実の把握」ができれば対策は立てられます。それはそれで理にはかなっています。

蚊に食われたら蚊取り線香で対策するのと同じです。蚊の発生原因は分からなくても蚊に刺されるのを防ぐことはできます。さらに、蚊の発生原因を研究し、生育環境を減らすことはできました。ただ発生原因をなくした訳ではありませんから、蚊取り線香は夏の定番です。

仕事上の問題も、解決するのではなく対策するに止まることはよくあります。ミスやルール違反という問題を「解決」するのはどうやらかなり難しいようです。

ある問題の原因が仕事観の違いだと分かった場合、それを解決するためにさらにその原因を探らなければなりませんが、なぜ仕事観が違うのか、答えを探すのは簡単ではありません。

価値観は大抵時間をかけて形成されるものだということもその一因かも知れません。

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2026年9月 8日 (火)

大きく考える 21

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

お互いの仕事観が違うことを相互に認識すると言いましたが、それは現実的には簡単ではないかも知れません。

仕事観に限らず個人の価値観というものは内心の問題ですから、他人の価値観を窺い知る機会は通常多くはありません。フクダリーガルでは、新人研修の一環で「価値観ラボ」(旧「価値研修」)と題し、一定の価値について各人の考え方を自由に話してもらうセッションの場を設けていますが、これは日常的にそういう機会がないからです。

そもそも人の価値観を知ろうという動機も働かないのだと思います。価値観を知ることが問題解決の鍵になることもあるのに。

例えば誰かの仕事のやり方や仕事に向き合う姿勢に問題を感じ、その問題を解決したいと思った時に、問題解決の基本手順(①客観的事実の把握②その原因の分析③原因に応じた対策)に従えば、なぜそういう仕事の仕方をするのかを考える(②の手順)ことは必須です。

この手順を踏めば、仕事観の違いという原因に近づける(人の価値観を知ろうとする動機になる)のですが、不思議なことに多くの人は(問題解決全般において)②の手順を踏まずに問題を解決しようとします。

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2026年9月 7日 (月)

大きく考える 20

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

仕事観が違っても共存出来るというのは当たり前のことかも知れません。

同じ仕事観の方達だけの職場であれば、そもそも仕事観を意識することもないでしょう。案外そういう職場が多いのかも知れません。

もし中に仕事観が異なる方がいた場合、それは仕事の仕方の違いとして表れますから否応なしに意識せざるを得ないと思います。

ただ、それだけで両者が共存し得ないとも言えません。一方が相違を感じながらもそれを伏せ、自分の仕事観を表に出さずに仕事をしている(仕事の仕方を他方に合わせる)ということもあり得ます。

また、違う仕事観、違う仕事の仕方でも、必ずしも相反し両立し得ないものばかりとは限りません。

例えば今回取り上げた2つの仕事観(登記に限定する/しない)は、仕事の射程の違い、あるいは分野の違いであると考えることもできます。そう考えると、両者は対立するどころか相互に補い合う関係であると考えることもできます。

ただ重要なのは、お互いの仕事観が違うことを相互に認識することだと思います。相互に認識し、違いを理解し合わなければ相互に補い合うという関係性は構築できません。

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2026年9月 4日 (金)

大きく考える 19

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ですから、本質の追求を別の人(異なる価値観の人)が行えば、当然答えは異なったものになります。

例えば仮に「司法書士の仕事は依頼された登記を忠実・確実に実行すること(だけ)である」という価値観(仕事観)の方がいたとすると、どんな本質論を語るでしょうか。

恐らく、本質という概念は出て来ないと思います。登記申請という仕事の目的は登記であり、それ以上でもそれ以下でもない。だから本質論なんぞを考える暇があるなら登記の腕を磨くべきだ。即ち登記をめぐる論点や問題点を良く勉強し、登記に関する最新情報も常にアップデートすることを心がけるべきだ。ということになるのではないでしょうか。

それは司法書士の執務姿勢として間違いなく素晴らしいことです。この仕事観の方は「大きく考える」(本質を追求する)という思考習慣はないと思いますが、それは価値観の違いであり良いも悪いもありません。そもそもその方の「仕事観」は一つですからあれこれ考えることもないでしょう。

それは私の仕事観とは違いますが、フクダリーガルでは2つの仕事観は今のところ共存可能です。

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2026年9月 3日 (木)

大きく考える 18

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここで言っている「ストレスフリー」とは、(書類や確認など手続きが煩雑な)不動産売買の当事者がストレスを感じることなく取引に携われるように、手続を円滑かつ迅速に進めたり対応を快適に(不快な思いをしないように)行う(しくみを作る)ことを意味しています。

これは、登記の実行や取引の安全とはまた別の、司法書士の仕事の本質であると言っても良いのではないかと思います。

この場面で具体的に司法書士が行っている仕事は多岐に渡りますが、一言で言えば不動産取引の進行管理であり、その本質の一つが、取引参加者のストレスをなくすことであるということになります。

そして、さらにその本質を深く追求して行くと、「不動産取引を活性化する」「人を幸せにする」といった、どこかで聞いた話になります。

「司法書士の仕事」という一つの対象を一度「横に」大きく考え、見出したそれぞれの仕事を今度は「縦に」大きく考えて(本質を追求して)行く作業を行えば、最終的には根底にある価値観に行きつくのは当然です。

さらにそれを一人の人間が行っている以上、最後に根底にある価値観が現れて来なければむしろおかしいのです。

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2026年9月 2日 (水)

大きく考える 17

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私達の仕事の本質を掘り下げたことで得られる気付きないし学びの一つは、私達が仕事に向かう姿勢のあり方です。

私が折に触れて(現在執筆中の書籍でも)、不動産売買に関わる際の司法書士の職責として強調していることも、考えてみればその現れに他なりません。重要度の高い順に次の4つです。

1 リスクを感知する
2 取引を有効に成立させる
3 事故や問題を発生させない
4 過失責任を問われない

これは私自身が実務を通じ、身を持って感じて来た問題意識の一つです。残念ながら全ての司法書士がこの通りに実践しているとは言えませんが私はこれは司法書士の仕事の本質的なものだと思っています。

特に「不動産取引を活性化させる」という本質から「2」が導かれることは強調したいと思います。

さて、司法書士の仕事の本質についてもっと考えるべきことの二つ目(さらに広く本質を探索すること、つまり取引の安全の他にも本質と言えるものがあるのではないかを探ること)ですが、これはフクダリーガルのコーポレートサイトのトップに書かれています。

そこには「ストレスフリーな不動産取引を実現する」とあります。

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2026年9月 1日 (火)

大きく考える 16

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

本質をさらに深く追求するとは、問いを繰り返すということです。つまり、「取引の安全を図るのは何故か」という問いに対する「取引当事者の経済的損失を防ぐ」や「不動産取引自体を活性化する」といった答えについて、さらにそれらがなぜ必要か(目的は何か)を考える、ということです。

いずれも様々な答えが考えられますが、さらにそれらがなぜ必要かを考えることができ、出て来る答えはより広範で抽象的になります。

例えばこんな答えも出て来るでしょう。「社会を良くするため」「世界を豊かにするため」そして「人を幸せにするため」・・・。こうなると、そこからさらに問いを重ね本質を追求することは、もはや哲学や宗教の範疇かも知れませんが、それも仕事の本質と捉えることができます。

そして、このように深く考えを掘り下げることは私達に様々な気付きや学びをもたらしてくれます。

その一つは、如何に私達司法書士の仕事が多くの価値を生み出すものであるのかがわかることです。

もう一つは、私達が仕事に向かう姿勢がどうあらねばならないかを教えてくれるということです。

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