2026年10月 8日 (木)

問題解決手順の見直し 4

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

問題解決手順の第一段階では、まず事実を正確に把握し、次いでそこに如何なる問題があるのかを評価することになります。事実の正確な把握ができた後は、「何が問題か」を明確にしますが、それは「何をもって解決とするか」と裏腹であることに注意が必要です。

以前検討した蚊のたとえ話(「大きく考える 25」他)で考えてみます。蚊に大きな嫌悪感を抱いている人にとっては、蚊が存在すること自体が「事実」であり、さらにそれが「問題」であると考えることができます。そう考えると、この問題の「完全な解決」は蚊の存在を恒久的に消し去ること、つまり絶滅させることだと言えます。

しかしそれは極めて困難であるばかりでなく妥当性も検討が必要です。そこで一次的にでも人の前から蚊の存在を消し去ることで完全な解決に代えようとします。

例えば殺虫剤などの方法です。つまり解決の実現可能性によって「事実」及び「問題」が、蚊が「存在すること」から「人の前に現れること」に変わるということです。

さらに蚊が存在する限り「人の前から蚊の存在を消し去る」ことも完全には行えません。

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2026年10月 7日 (水)

問題解決手順の見直し 3

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「起こっている問題を漠然としか捉えていない」ので「客観的事実として定量的に」捉える必要がある、というのがなぜいけないか。

それは、「問題」と「事実」を混同しているから。

まず、私達がちゃんと出来ていないのは事実を正確に把握することです。何が起こっているのかを曇りのない目で淡々と観察して把握することは案外難しく、先入観、偏見や感情で歪んだ事実を見ていることが少なくないのです。

まず出来なければならないのは、「問題」でなく「事実」をまともに捉えることです。

冷静に客観的事実を把握して初めて、その事実にどんな問題があるのかを「評価」することができるのです。「問題」とは人がそのように「評価」することによって生み出されるものですが、事実は事実でありそれ以上でも以下でもないのです。

即ち「問題」と「事実」は全くの別物であり、同じ文脈の中で並列的に捉えることはできないということです。

「問題」を「客観的事実として定量的に」「捉える」ことはできないのです。

つまり、問題解決の第一段階は、「問題認識」即ち、何が事実で何が問題なのかを段階的に分けて認識することなのです。

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2026年10月 6日 (火)

問題解決手順の見直し 2

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

そうではなくて、さらに一歩踏み込んでその現象の背景や根本的な原因、つまり「真因」を探ることが必要なのです。
そのための具体的な方法の例として、トヨタの「なぜを5回繰り返す」があります。私はもう一つ、できるだけ沢山の人と話し合いながらそれを考えるという方法をお勧めしたいと思います。

4 真因をなくすための対策を講じる
真因がわかれば、それをなくすための対策は自ずと導き出されるでしょう。しかし、真因が簡単にはわからない場合もあります。その場合は、「仮説」を立てます。仮に、これが原因ではないかという仮説を立ててそれに対する対策を講じるのです。

5 検証する
その対策が効果を表しているかどうかを検証します。この効果は一定期間続くことが必要です。かりに効果が出ていない場合は、「1」からのことを繰り返すことになります。

・・・

ここでは5段階になっていますが大枠は3段階(事実、原因、対策)です。

そして今回見直しが必要だと思ったのは、先ず「1 問題は何かを正確に捉える」のところです。「起こっている問題を漠然としか捉えていない」ので「客観的事実として定量的に」捉える必要があると言っている点です。

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2026年10月 5日 (月)

問題解決手順の見直し 1

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「大きく考える」では問題解決の基本手順を「①客観的事実の把握②その原因の分析③原因に応じた対策」として様々な事象に当てはめて考えてみましたが、この手順自体の手直しの必要性も見えてきました。

そこで先ず、この基準について説明したものを改めてご紹介します。昨年10月の朝礼でお伝えしたものです。

・・・

1 問題は何かを正確に捉える
実はこれが案外できていません。つまり起こっている問題を漠然としか捉えていないのです。客観的事実として定量的に人に伝えることが必要です。

2 それが問題である理由を考える
これは「1」を行う過程で自ずとわかってくると思いますが、案外この問題点を漠然としか捉えていないことが多いのです。時には感情が作用していることもあります。これは問題の重要度や優先順位を考えることでもあります。

3 問題の生じる原因を考える
これも、出来ているようで出来ていないことが案外多いのです。原因を把握せずに起きている問題に対処しようとすることもあります。あるいは表面的な原因、つまり起こっている現象の直接的な原因しか見ず、それを解消する方法しか考えようとしないのです。
(続く)

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2026年10月 2日 (金)

大きく考える 31

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日知人が、カスタマー・ハラスメント対策(従業員を守る)についての報道を見て、「店員(サービス提供者)の側にも原因があることを全く度外視している。客が腹を立てるには原因が必ずあるのに!」と憤慨していました。

この意見には私も賛同するところがあります。ハラスメント行動をとってはいけないのは当然ですし、それに対して弱い立場の従業員を守るための対策や研修も必要でしょう。

ただ、ハラスメントを引き起こすきっかけを、ハラスメントを受ける側が作っている場合があるのも確かではないでしょうか。

先の報道には、次のような観点が欠けていたのではないかと思います。

1 問題(ハラスメント)そのもの(内容、発生比率)を正確に把握する(問題解決の基本手順①)

2 問題が起こる原因を分析する(問題解決の基本手順②)

これらの観点からは、ハラスメントを単なる一方的な「加害・被害」の関係としてではなく双方向の人間関係の問題として捉えることができます。

この種の問題は感情に引きずられて対策(時には立法)が取られることも多く、上記のように「大きく考える」ことが的確な対策のためには必要だと思います。

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2026年10月 1日 (木)

大きく考える 30

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(体調を崩し長く休み失礼しました)

「大きく考える」ことの対象は当初「部分最適・全体最適」でしたが、その後「仕事論」「本質論」「価値観(の共有)」「問題解決手順」「AI論」「人間関係論」等にまで広がりました。

様々な対象に対して「大きく考える」ことを試行してみた中で、ふとこんなことを思いました。「これは案外使えるんじゃないか?」と。

もちろん「大きく考える」とか、「使える」などという言い方は抽象的・比喩的ですし、独り善がりに過ぎないかも知れませんが、一応ご説明しておきますと、それぞれの言葉はこういう意味で使っています。

◆大きく考える:様々な問題や事象に対処するにあたって、次のような姿勢で臨むこと

・視野を大きく、広くとる
・俯瞰する
・視点を変える
・多角的に考える
・長い時間軸で考える
・批判的に考える
・時間をかけて考える
・何度も繰り返し考える
・存在意義を考える
・原因を考える

◆使える:問題への的確かつ迅速な対処に役立つ(手がかりが見つからずに行き詰まった時に、問題や事象の本質が見えて来たり、対処の糸口がつかめる)

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2026年9月18日 (金)

大きく考える 29

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人間関係の問題の予防に「問題解決手順を役立てる」とは、過去の問題から問題事実と原因を抽出し、その集積から解決のための規範を導くという、みなさんが当たり前に行っていることです。

その規範の一つが、「意思疎通を十分行うべし」です。そしてそれが予防策となります。

さらに、意思疎通が不十分な場合、その一因に「環境」があるとすると、「意思疎通の環境を整えるべし」が規範であり予防策です。

環境の問題としては「権力格差」や「心理的安全」などが考えられます(これらの概念の意味についてはこのチャットグループ内を検索して下さい)。

また、価値観の相違も人間関係の問題の原因として考えられ「価値観を共有すべし」という規範が導き出されます。日頃から意思疎通を十分行い、価値観の共有を行うことが予防策になります。

「価値観の共有」についても意味を理解する必要がありますが、最近の新人研修プログラムの一つ「価値観ラボ(旧価値研修)」では参加者の方達が身を持ってその一端を体験する機会を設けています。それが職場でも実践できれば、人間関係問題発生の予防策の実践となります。

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2026年9月17日 (木)

大きく考える 28

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

さて、人間関係の問題も、問題である以上問題解決の基本手順に則って解決することができるはずです。

手順①は客観的事実の把握です。ルール違反の事実やミスの事実は客観的なルールや正解に反する行動ですので比較的明確です。しかし人間関係の問題の場合、基準となるものは客観的なものでなく各人の内心にある主観的なものです。ですから何が問題事実なのか明確でないことが多く問題解決を難しくしています。

さらに、この問題の解決のために基本的かつ重要な前提があります。それは、当事者に問題を解決しようとする意思があること、さらに言えば解決すべき(解決できる)問題であるという認識を持つことです。

そして最も大きな障害は問題の現場でよく目にするこんな光景です。それは一方的に相手に非がある、さらに酷い時は加害者と被害者の関係であるとの認識にまで至ってしまっている状況です。ここまでになってしまうと問題の解決は極めて困難になります。

人間関係の問題も早期発見・早期治療が必要ですが、もっとも重要なのは予防です。人間関係の問題に関しては、問題解決手順はむしろ予防にこそ役立てるべきであると思います。

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2026年9月16日 (水)

大きく考える 27

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ルール違反やミスだけでなく人の悩みの全てだとも言われる(アドラー)人間関係の問題の場合も人が作った基準があることで問題が生じます。

つまり、これらの問題の解決では蚊の問題のように裸の事実から検討を進めても無意味です。

さらにそこには感情や認知バイアスが影響することも多いですから余計複雑になります。

それでもやはり手順①で事実を正確に把握することには意味があります。認知バイアスや感情が邪魔をして、起こっている事実を客観的かつ冷静に把握することができず、それが的確な問題解決の障害になることも少なくないからです。

よく企業などが不祥事を起こしたときに再発防止策の策定のために外部の「第三者委員会」に調査を委ねることがありますが、これはまさしく手順①を出来るだけ客観的かつ中立な立場から、正確に進めるためであると考えられます。

そのような大事件でない、私達の身近なルール違反やミスや人間関係の問題の場合も、適切な問題解決のためにはできるだけ中立な立場の第三者によって公平かつ客観的に事実確認を行う(あるいはチェックリストやリニアモデルのようなツールを使う)ことが必要です。

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2026年9月15日 (火)

大きく考える 26

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

①cの解決可能性の検討では②の原因分析に踏み込んでしまっているともいえますが、②程には慎重な分析は必要としません。

逆に①c解決可能性の検討や②原因分析を行わなくても解決が可能な問題はあり得ます。

蚊が近づくという問題を解決するために防虫剤ではなく殺虫剤を使うという問題解決方法です。

この場合、蚊がなぜ近づくのかという分析をしなくても、蚊を殺してしまうことでその問題は解決できます。勿論これは過剰な方法で、この方法による弊害が生じる場合(例えば人体への悪影響)には他の解決手段を検討する必要があり、この段階で初めて②の原因分析の必要性が生じます。

なぜ蚊は近づくのか、その理由が分かれば人体に悪影響を与える殺虫剤を使わずに蚊を遠ざける防虫剤を開発することで問題を解決できる可能性が出てきます。

では、手順①を人の行動における問題、例えばルール違反やミスで考えてみます。いずれも事実はルールや正解といった基準との関係でのみ意味を持ちます。

どういう事実(行為)がルール違反/ミスなのか、そのルールや正解の目的や必要性は何かまで考えてみる必要があります。

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