2025年7月 9日 (水)

実務家は科学者から何を得るのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の月次朝礼で、「神の領域」に近づく、すなわち合理的な価値判断ができるようになるための方法は、専門家(認知心理学や行動経済学など)の研究によって「与えられる」ものではない、と話しました。

少し分かりにくかったかもしれませんので補足します。

私たちはこれまで、仕事や私生活でのさまざまな課題―ミスやクレームも含め―を、自分たちの手で解決してきました。同じ問題が再発しないよう、対策も講じてきました。

その際には原因を究明し、再発防止の工夫をしてきましたが、それだけでは限界があります。本質的な原因や根底にある「原理」にたどり着けなければ、同じ構造の問題が別の形で現れたとき、うまく対応できません。

そうしたとき、私たちにヒントをくれるのが科学者の研究成果です。彼らは問題の背後にある構造や原則を明らかにし、私たちの手法に科学的な裏付けを与えてくれます。

その結果、私たちのやり方は場当たり的な対処から、再現性のある「正しい方法」へと進化していくのです。

これこそが、「科学的な仕事の進め方」です。

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2025年7月 8日 (火)

新しい心理学は私達の仕事に役立つか その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

さて、幅広い心理学の研究領域の中で、不動産事件・事故の分野で特に問題になるのは、判断や意思決定の場面での心理状態です。

「新しい心理学」(プロスペクト理論など)では、人間の判断や意思決定が必ずしも合理的に行われるものでないことが明らかにされて来ました。

それに影響を受けた行動経済学では、伝統的経済学が想定した合理的経済人ではなく「非合理」な人間をモデルとして設定します。

そして、非合理な人間(普通の人間)が犯す過ち(バイアス)は系統的で予測可能とされ、これを学ぶことが、事件・事故防止には非常に有益なのですが、これは、あらゆる場面で役立ちます。

例えば

・司法書士が職責上の判断・決定をするとき
・部課長がマネジメント上の判断・決定をするとき
・依頼者との間で条件や業務内容について交渉するとき
・業務上の問題・課題を解決する時
・噂やネット情報の真偽を判断する時

・・等々、仕事でも私生活でもあらゆる意思決定の場面で役立つものなのです。

具体的には今後各種の「教科書」の形で示して行きます。

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2025年7月 7日 (月)

新しい心理学は私達の仕事に役立つか その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(休暇中、休載しておりましたが本日から再開致します)

現在私は「不動産取引における事件・事故防止の教科書」(仮題)を執筆しています。

これは、これまで事件・事故について問題意識をもって取り組んで来たことの途中経過の報告の意味も持っています。

この取り組みの過程の中で、被害者側の要因の重要性に気づき、否応なく人間心理の問題に着目するようになりました。

これは少し考えれば当たり前のことです。

事件・事故の加害者も被害者も人間ですから、その心理状態を無視することができないのは当然なのです。

さて、人の心の問題については古来から多くの専門家がその研究対象として来ました。

みなさんの中には哲学や心理学を学んできた方や、教養としての哲学や心理学に興味を持たれている方も少なくないと思います。

そして哲学や心理学が 自分達の生活に役立てるべきものであることも理解されていると思います。

しかし、私達の仕事の面では哲学や心理学がまだまだ十分に役立っているとは言えないと思います。

特に事件事故防止(不動産デューデリジェンス)の側面からそれを学びました。

つづく

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2025年6月23日 (月)

世の中、理不尽なことにあふれている

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日、ある地方議会議員の方との話で、「理不尽な要求をする有権者の支持を得なければ政治には関われない」という現実に、改めて議員という仕事の難しさを感じました。

理不尽といえば、政治に限らず、世の中には理不尽なことが本当に多い。

たとえばオレオレ詐欺や地面師事件など、詐欺は世間に横行していますが、そんな事件でさえ「騙される側も悪い」といった声が上がります。これもまた、理不尽の一つでしょう。

もちろん、騙す側が100%悪いのは言うまでもありません。被害者を責めるのは、筋違いです。

ただ、それだけで済まされない現実もある。私は司法書士として、詐欺に限らず多くの不動産取引事故を見てきましたが、どれも「正論」だけでは防げなかったものばかりです。

悔しい話ですが、被害に遭わないためには、「被害者にも何らかの問題があった」と認める視点も必要なのだと、感じざるを得ません。

もっとも、「悪い」「問題」と言ってしまうと話がこじれます。「要因」と言い換えれば、少しだけ理不尽さのトゲも和らぐかもしれません。

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2025年6月20日 (金)

確証バイアスとフィルターバブル その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

フィルターバブルは外部の仕組みによるものなので、まだ対処しやすい面があると書きました。しかし、ここに一つ厄介な前提があります。

それは「自分がフィルターバブルの中にいる」という問題意識そのものがなければ、そもそも気づきようがない、ということです。

そして、この「気づけなさ」を助長しているのが、確証バイアスです。人は、自分の信じたい情報、安心できる意見、自分の価値観を裏付けてくれる言葉ばかりに反応します。

たとえば「不動産は今が買い時である」と思いこんでいる人は、同じ論調の発信は肯定できますが「今は市場が過熱気味で危険」という警告には同調できません。無意識のうちに、自分にとって心地よい「正しさ」だけを集めてしまうのです。

結局、確証バイアスから逃れられなければ、フィルターバブルからも逃れられないのです。

つまり、「見たいものだけが見える」心理と、「見たいものだけを見せる」技術の合わせ技で、私たちはますます「別の視点」「反対の意見」「違和感を覚える情報」から遠ざかって行くのです。

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2025年6月19日 (木)

確証バイアスとフィルターバブル その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

この二つは、互いに作用しながら私たちの視野をじわじわと狭めていく困った存在です。
それに巻き込まれないために、まず必要なのは「そういう仕組みがある」と知っておくこと。

フィルターバブルは、検索エンジンやSNSのアルゴリズムといった外部の仕組みによるものなので、自分が偏った情報に囲まれていることに気づければ、まだ対処しやすい面があります。

厄介なのは確証バイアスです。これは自分自身の内面から自然に生まれる心理メカニズムなので、気づくこと自体が難しい。

では、どうすればよいか。
月曜日の当欄で紹介したように、ひとつの有効な方法は「反対のことを考える」習慣をもつことです。

たとえば、ある人について「この人は頼りないな」と感じたときに、あえて「この人が実は優秀だったとしたら?」と逆の評価を思い浮かべてみる。

すると、自分の判断が感情や直感に引きずられていた可能性に気づき、少し立ち止まって考え直す余地が生まれます。
この「ひと呼吸」が、確証バイアスの呪縛をゆるめてくれる可能性があるのです。

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2025年6月18日 (水)

確証バイアスとフィルターバブル その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

◆相互作用など

1. 相互強化
 フィルターバブルが提供する偏った情報が、確証バイアスによって「ほらやっぱり!」と補強されることがあります。
 逆に、確証バイアスが強い人ほど、フィルターバブル的な環境を好み、居心地の良さにどっぷりハマります。

2. 情報の選別
 どちらも「見たい情報しか見ない」構造を持ちます。  
 確証バイアスは内的なフィルター、フィルターバブルは外的なフィルターだという点は違いますが。

3. 分断の加速
 この両者が組み合わさることで、自分と異なる価値観や現実を理解する力が低下し、社会的分断が加速する危険があります。

◆まとめ(対比)

・原因
 確証バイアス:心理メカニズム
 フィルターバブル:技術的アルゴリズム
・フィルターの出所
 確証バイアス:自分の思考
 フィルターバブル:外部システム
・自覚しやすさ
 確証バイアス:低い(無意識)
 フィルターバブル:比較的高い(気づける)
・効果
 確証バイアス:自説の強化
 フィルターバブル:情報の偏在
・相互関係
 いずれも相互に補完し合う

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2025年6月17日 (火)

確証バイアスとフィルターバブル その1

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「確証バイアス」と似た言葉が流行っていますね。「フィルターバブル」です。

どちらも人が「自分にとって都合のいい情報ばかりを受け入れ、不都合な情報を無視・回避する」傾向に関係している点で共通しています。ただし、仕組みと発生源が違います。

◆確証バイアス

定義:自分の信念や仮説に合致する情報ばかりを集め、反する情報を無視・軽視する心理的傾向。

発生源:個人の心理メカニズム的要因(二重過程のうちの直感的過程)。

例:「Aは怪しい」と思い込んだ人が、Aのちょっとした言動もすべて「やっぱり怪しい」と解釈する。

◆フィルターバブル

定義:インターネット上で、検索エンジンやSNSのアルゴリズムによって、ユーザーの嗜好に合った情報ばかりが表示される現象。異なる意見や情報に触れにくくなる。

発生源:主に外部の技術的要因(AI・アルゴリズム)。本人の意思とは無関係に情報が「選別」される。

例:SNSで政治的な投稿を「いいね」した人に、同じ立場の意見ばかりが表示され、反対意見が目に入らなくなる。

つづく

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2025年6月16日 (月)

人を責める前に、自分の伝え方を省みる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

誰かが思った通りに動いてくれないとき、「相手が悪い」と感じてしまうことは、誰にでもあると思います。

例えば、頼んだ仕事の結果がイマイチだったり、提案をうまく理解してもらえなかったりしたとき、「使えないな」とか「この人ちょっとズレてるな」と、つい相手のせいにしてしまう。

私も、ついついそう考えてしまうことがあります。

けれど後になって考えると、自分の伝え方や依頼の仕方にも落ち度があったと気づくことも多いのです。電話だけで済ませていたとか、説明を文書にしていなかったとか、前提を共有していなかったとか。

にもかかわらず、「あの人が悪い」と思い込んでしまうのは、「確証バイアス」という心のクセかもしれません。いったん相手を「こういう人」だと決めつけると、それを裏づける材料ばかりが目につく。

認知バイアスは「ある特定の状況で決まって起こる系統的なエラー」で、誰でも陥りやすいものです。ですから、「特定の状況下」で「意図的に反対のことを考える」ことでバイアスを排除する努力が必要になります。

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2025年6月13日 (金)

非対面だと、なぜ過激? その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(非対面だと表現がキツくなる理由)

2 クッションがない
 文章は声のトーンや表情といったクッション(緩衝材)を持ちません。本来なら、顔つきや話し方で伝わるニュアンスも、文章にするとすべてストレートに届きます。結果、意図せず強い印象になってしまう。

3 感想にすぎないという思い
 「これはただの感想」と思うことで、言葉の重みを見誤ってしまい勝ちです。また批判的なことを言うとき、人は自分の中で「これは改善のために必要なことだ」と正当化しがちです。その結果、受け取る側の気持ちを想像する配慮が、どうしても後回しになってしまう。

そして(理由はともかく)キツい言葉のあるかも知れない感想文を開くのが次第に怖くなってしまいました。

とはいえ、約束した以上、必ず読もうとは思っています。また、どんなにキツく感じる言葉の中にもきっと何かしらの学びや気づきがあることも分かってはいます。

ただ、今回は「非対面での伝え方」について、自分自身の受け止め方も含めて、少し考える機会になったこともお伝えしたかったのです。

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