2026年7月17日 (金)

人の見方 29

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

6 結束力を強める(距離感を縮める)行動
・町内会=挨拶などの声かけや目的の共有を行った
・中堅企業=結束力を強める行動を敢えて行うか否かは、当該企業(部署、社員)が結束力(社員同士の距離感)をどれだけ重視しているかに関わる

・・・

こうやって当てはめ、比較してみると組織の本質が多少見えて来ます。例えば目的の共有(相互に認識し共感すること)は組織の本質ではない(目的が共有されていなくても組織として成立し得る)ということなどです。

即ち組織の成り立ちには、町内会のように単なる(偶然による)人の集合が目的を共有することで組織に変化して行く場合と、企業(会社)のように、(目的の共有を前提とすることなく)人為的に形作られる場合とがあり得ます。

後者の場合も設立当初の構成員が目的を共有していることもありますがそれは必須の要件ではありませんし、偶々内心の目的が類似していることも多いでしょうが、それは共有では有りません。

そして目的が共有されていない組織の実体(本質)は単なる人の集まりやコミュニティです。そこに組織や構成員がどういう意味を見出すかはまた別ですが。

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2026年7月16日 (木)

人の見方 28

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

しかし、フクダリーガルにそのまま当てはめる(妥当な結論を得る)ことは実は不可能です。私の偏った見方に基づくものに過ぎないからです。

フクダリーガルのような大型の司法書士法人は組織としては中堅企業と共通したところが多いので、中堅企業を想定してみます。仮説に沿って順に町内会の仮説を中堅企業に当てはめて(比較して)みます。

1 形態
双方とも組織である(偶然の人の集合やコミュニティではない)

2 起源・変遷
・町内会=空間を共有する人々の集合→コミュニティ→組織へと発展
・中堅企業=当初から組織

3 組織化の目的
・町内会=社会貢献目的実現のため
・中堅企業=事業目的遂行のため

4 組織化の手段
・町内会=有志が他の構成員へ声かけ(挨拶)をして相互の距離を縮め、その後目的を共有することで組織化の動機を形成
・中堅企業=当初から組織化されている

5 組織の結束力(相互の距離感)
・町内会=強い(近い) 目的を共有し、実現するために組織に参加しているため
・中堅企業=強い(近い)かどうかは目的がどれだけメンバー間で共有されているかに関わる

つづく

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2026年7月15日 (水)

人の見方 27

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

仮説の検証とは、通常はその仮説が正しいかどうかの検討で、町内会の成り立ちについての仮説であればそれが事実(史実)に合致しているかを調査・確認することです。

しかし、仮説が事実に一致したとして、それ自体を喜んでもあまり意味は有りません。喜ぶべきは、仮説が対象の本質を捉えていたという点です。

そして本質をつかむことの意義の一つは、対象をより良きものにする、即ち本質(本来の存在意義)に即したものに作り変える(本質に反するものを排除し、本質に関係しないものを減らす)ことができることです。

従って仮説には、あるべき本質としての管見の意味があり、検証とは、それが果たしてあるべき本質なのかを確かめることであると考えることができます。行うべきは、その仮説を(改善したいと考える)他の類似の(形は違うが本質は同じだと思える)ものに当てはめてみることです。それによって対象の本質が浮かび上がり、改善の手がかりもつかめるのです。

私が当てはめてみたいのはもちろんフクダリーガルです。組織(町内会)の本質をつかもうとしたのはフクダリーガルに当てはめるためです。

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2026年7月14日 (火)

人の見方 26

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「管見」とは、細い管からものを見ることに例えて、狭い観点からのものに過ぎないと、自分の意見のことをへりくだって指し示す言葉です。

自分の頭だけで考えると独善に陥ってしまって間違えることもあり得るということを忘れずに、謙虚でいることは大切です。

しかしそれは後からいくらでも検証し修正することが可能です。重要なのは自分で考えることです。「能動的思考」です。

さて、それでは今回の仮説を検証してみます。今回は町内会を題材に、人の集団とコミュニティと組織それぞれの違いと成り立ち、そしてその変容がどのような過程をたどるかについて想像し、次のような仮説を立てました。

・地域コミュニティは社会に対して貢献するという目的を持つ
・その目的の実現のためにコミュニティは組織となることが必要となる
・コミュニティ構成員の有志が他の構成員に挨拶などの声掛けをして距離を縮める
・参加者同士が目的を共有する
・以上の努力の結果コミュニティは次第に組織へと発展する
・その結束力は非常に強い
・その理由は①組織を作る目的が明確であるから②それを個々人が理解し共感して組織に加わるから

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2026年7月13日 (月)

人の見方 25

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

町内会の来歴は私の勝手な想像に過ぎず、それが正しいか(事実に合致しているか)どうかは分かりません。しかし、こうやって想像を巡らせ(想像しようとする)、仮説を立てる(立てようとする)、という過程自体が、結果の正否以上に重要であると私は思っています。

他人の頭(AIやネットや書籍や識者)に安易に頼らず自分の頭で考えることで、借り物でない自分の言葉で自分のオリジナルの思考をすることができ、より深い思考、より本質に近い理解が得られるのではないでしょうか。

勿論自分で考えるための基礎となる材料は、過去に「他人の頭」から与えられたものですが、それは一度料理され摂取され消化されて自分の血肉となっているものです。

ですからそうやって得られた結果は腹落ちするはずです。そう感じるまで考え続けることは大変なように思えますが、思考の対象が明確である(今回の町内会のように)ときは、それをめぐって想像し類推することはものごとを俯瞰的・客観的に捉え、論理的なつながりを見つけることで、楽しいことでこそあれ、大変なことは全くありません(急がなければ)。

ただし、「管見」も忘れてはなりません。

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2026年7月10日 (金)

人の見方 24

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前述のマンション管理組合の例(住民同士のイベント)に限らず、希薄な関係性の人々同士の距離感を縮めようとする努力が払われるのは、他に積極的な意味があるからだと思います。

考えてみれば、空間を共有するだけの関係の人々同士の距離を近づける仕組みは古来から色々有りました。例えば町内会です。これはもちろん、昨日考えたように安全性の必要から生まれたものでもあるでしょうが、より積極的な意味、目的もあったはずです。

それは地域コミュニティが社会に対して何らかの貢献をすることではないかと思います。そしてその目的の実現のためにはコミュニティがコミュニティ以上の存在、即ち組織となることが必要です。

そこでコミュニティ構成員の有志が他の構成員に挨拶などの声掛けをして距離を縮め、次に参加者同士が目的を共有することで、次第に組織へと発展して行ったのではないかと思います。

元来町内会とはこのように自然に誕生したものだったのではないでしょうか。しかもその結束力は非常に強いものがあったと思います。なぜなら組織を作る目的が明確でそれを個々人が理解し共感して組織に加わっていったからです。

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2026年7月 9日 (木)

人の見方 23

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ハイカーや同じマンションの住民など、組織と呼ぶことはもちろんコミュニティとも言えないような、空間や目的を同じくしているだけの希薄な関係性の人達同士が、(挨拶をするなど)距離感を縮める努力をしない時に、いったいどんな問題が生じるというのでしょうか。

山登りやハイキングなら、距離感が近くないと、信頼関係はもちろん育ちませんから、山や高原など様々な危険が想定される場所で、いざ危険な状況に陥った際の助け合いや協力を期待することはできず、安全面での脅威を減らすことができない、といったことが考えられます。

近隣の方との関係性においても、距離感を縮めることができなければ、社会的危険性が高まっている現代社会において、窃盗や強盗などの犯罪の危険について、例えば不審者の情報を共有するなどして、自分達の身を守るための備えができないということが考えられます。

これら希薄な関係性の下で人と人との距離感を縮める必要性が、このような消極的なものだけだとすると、現代人が人との心理的距離を縮めることに消極的であるのは当然に思えます。

しかし、距離感を縮めることで得られるものは、おそらくそれだけではないのでしょう。

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2026年7月 8日 (水)

人の見方 22

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

登山者やハイカー同士の関係性と似ていると私が思うのは、住宅の近隣の方々との関係です。

住宅地ではいわゆる「ご近所付き合い」があることも多く、少なくとも「ご近所」の方との挨拶はすると思いますが、ハイカーの場合よりも更に同調圧力が強いのではないかと思います。

しかし都市部の、特に集合住宅では、近隣との関係性は希薄で、ご近所付き合いどころか挨拶もしない場合が少なくないと思います。これは通行人同様に特定の個人としての認識をしていないということです。

人と人との関係性は時代と共に変化するものなのでしょう。以前羽田空港のトップ清掃員だった新津春子さんの「清掃員は人として見られない(無視される)」という話をご紹介しましたが、近隣の方に対してもだんだんそれと同じレベルに近づいて来ているのではないでしょうか。

ただ、そこに問題を感じているあるマンションの管理組合が住民同士の距離を縮めるためにイベントを実施したというような話も最近は耳にするようになりました。

そして、こういった傾向は様々なコミュニティーや人の集合、組織で見られるもので、問題はそこにどんな問題があるかということだと思います。

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2026年7月 7日 (火)

人の見方 21

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ハイカー同士の挨拶も始めは自然発生的なものだったのでしょう。誰に指示された訳でもなく始めた人がいて、それに触発された人が同じ行動を取り、それが広がったのでしょう。

もちろんそれに違和感を感じる人もいたでしょう。同じ空間、同じ目的のもとにある人だからといって心理的距離を近く感じるとは限らないからです。

かと言って、違和感を感じている人が挨拶をしない訳では有りません。同調圧力も有りますし(前述のAIによればマナーだともされているそうです)、された挨拶に対して挨拶を返しているだけ(さらにその心理も、好意的なものから防衛的なものまで様々だと思われます)の場合もあるでしょう。

こう考えると、人が挨拶をする動機は距離感だけではなく、マナーや同調圧力、更には防衛本能だったりすることがわかります。

ただ自ら進んで挨拶する場合、距離感を近く感じている(近づけたいと思っている)ことも確かです。

ところで都会ではそもそも多数の通行人を特定の個人として認識しませんから、挨拶もしないのは当然です。例外的に距離を縮めようとする人達が通行人に挨拶(声かけ)をするだけです。

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2026年7月 6日 (月)

人の見方 20

(今朝のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ハイカーの挨拶が距離感の話だ、とは、挨拶をする理由や目的を距離感で説明することができるのではないかということです。

ハイキングや山登りでよく経験することですが、山道ですれ違う方達同士は(もちろん見ず知らずです)気軽に挨拶を交わします。

日常の往来、特に都会ではそのような経験をすることはまずありません。

挨拶すること自体にはもちろん色々な意味が有ります。3年ほど前に登山者やハイカー同士が挨拶をする理由についてのAIの答えをここに載せました(この頃は安易にAIに聞いていたようでお恥ずかしい)。

今回は挨拶を距離感に関する意思表示として位置づけてみます。即ち、誰に指示されるでもなく自ら進んで挨拶をすることは、相手との距離を近く感じていることの、あるいは距離を縮めたいという意思の表れなのではないでしょうか。

登山者やハイカー同士の場合、日常都会を往来している人達同士よりもお互いの距離を近く感じているということです。そうさせる要因は、同じ空間(山道や郊外)にいるという認識や、目的(登山やハイキング)の共通性などではないかと思います。

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