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2024年12月27日 (金)

序列と役割は違うということ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

誤解を避けるために一応ご説明しておきますが、弊社の場合はお客様にお出しする飲み物はペットボトルの水のみです(冷たいものと常温のもののどちらを出すかはお客さまのご意向を伺うなどして担当者が判断)ので担当者が用意するのが最も効率的だと考えた次第です。

企業によっては、緑茶やコーヒーをその都度用意して出されるところもあります。お茶を淹れたりコーヒーを抽出するためには一定の技術が必要ですから、それに長けた方、あるいは専門部署(庶務など)が行う場合もあります。

いずれにしても、あくまでも役割分担の話で、仕事や担当者の序列とは無関係です。

もちろん庶務がお茶出しをする会社でも、一定規模の組織になっていると(庶務課など)、組織内で役割分担が生じます。庶務課長と庶務課員などです。このときお茶を出すのは課員であり課長ではないという約束がある場合、それも役割分担であり序列ではありません。

課長の第一の役割はマネジメント、課員の第一の役割は実務、実務であるお茶出しを第一に担うのは課員であるという約束です。

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2024年12月26日 (木)

序列意識は適正な業務分配を妨げる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

分かりやすいので来客にお茶をお出しするという業務で説明します。

それが女性の仕事だという考え方は時代錯誤的ですが、かつては当たり前でした。これには二重に序列意識が働いています。

一つは男女間の序列意識(男の方が女よりも上位という意識)、もう一つは職務に関する序列意識(お茶出しという仕事は価値の低い仕事である)、そして、価値の低い仕事は位の低い者が行うべきであるという考え方です。

しかし、仕事の役割分担は、能力・適性、即ち誰が担当すれば最も生産性があがるかによって決めるべきです。お客様にお茶(お水)をお出しする仕事も、その仕事に最も適性があり、最も高い能力を持った者が担当すべきです。

弊社の場合は、お客様のホスト(取り仕切り役、即ち来社目的である業務の担当者)が担当するというルールになっています。これは、応接室(会議室)へ向かう途中で冷蔵庫から水を出してお客様に供するという業務ですので、ホスト自身が行うことが最も効率的だからです。

私がホストの場合はもちろん私がお水をお出しします。

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2024年12月25日 (水)

序列意識の弊害

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回まで「不合理な序列意識」について書いて来ましたが、社会には「序列」や「序列意識」は厳然として存在しますし、それが様々な社会集団とその活動を支える機能を発揮していることも確かです。しかし(日本の場合特に)必要以上に序列が意識されることで、様々な弊害が生じているように思えてなりません。

例えば、以前ご紹介した(※1)「話し合い」がうまく機能しなくなります。序列の上の人が、下の人の意見をきちんと聞かなかったり、下の人が上の人に対して意見を述べることを遠慮したりしてしまうのは、必要以上に序列を意識しているからです。

先日ご紹介した(※2)中国やインドやチベットの場合、日本社会以上に明確な序列が敷かれていますが、「何か重要な決定を要する相談事では年長者に対しても堂々と自分の意見を披瀝」しますし(中国)、「こと議論の場面では堂々と反論できる」(インド)、学者の議論においては序列意識が放擲され「敬語は完全に姿を消し、発言の仕方、応酬も全く同列に立ってなされ、そこには実力しか存在しなくなります」(チベット)。


※1 2023年7月28日他
※2 2024年12月13日、16日

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2024年12月24日 (火)

序列意識を無意識のうちに軽減するルール

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「FLC&Sの教科書」にはこんなルールがあります(第三章 行動基準 接遇のルールとマナー 接遇ルール3《挨拶・電話共通》)

《5.「お疲れ様です。」「お疲れ様でした。」を使う場面
(主に1日の仕事を終えたことに対する)ねぎらいの言葉であるから、帰宅する際の「お先に失礼します。」に対して、送り出す側の挨拶として使うのが典型例である(「挨拶」4参照)。》

元来の趣旨は、挨拶には挨拶の言葉(おはようございます、こんにちは、こんばんは等)を使おうということでしたが、実際の使用例を見ていると、序列意識が原因でこれができない場合があるのではないかと思えます。

《3.敬称を付ける
お客様の敬称は、法人でも個人でも、「様(さま)」である。
×「〇〇株式会社さん」、×「〇〇社の〇〇さん」、×「〇〇先生」、×「売主さん」、×「買主さん」、×「仲介さん」、×「銀行さん」》

これの目的はお客様への敬意表現による弊社の品位レベルの作出ですが、「〇〇先生」の禁止は序列意識を拭い去るのが元来の目的です。

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2024年12月23日 (月)

無意識の序列意識

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週まで日本の「タテ社会」やそこに存在する「序列意識」について、書籍「タテ社会の人間関係」から、旋盤工や大学教授、外交官、俳優、作家などの例をご紹介しました。

こういった、年齢や年次、役職、性別などによる、不合理・不必要な序列意識は多かれ少なかれ私達にも身に染みついています。

自由な発想や議論そしてイノベーションを妨げることから無意味な序列意識を持たぬように心がけても、タテ社会の中で自然に身につき習慣化しているため、簡単に払拭できるものではなく、日頃の言動や思考に現れてしまいます。

例えば
・自分より年少の男性に対する敬称は、親しくなくても「〇〇クン」、一方年長者は「〇〇さん」(同じ年少者でも女性は「〇〇さん」)
・上司や年長者には「こんにちは」と言えず「お疲れ様ですー」と言う
・弁護士や議員や作家や漫画家を「〇〇先生」と呼ぶ
・お客様にお茶(水)を出すことは年少者や新人や女性が行うものだと考える
・家事や育児は女性の役割だと考える
・女性が料理を取り分けることに疑問を感じない
等々上げるにきりがありません。

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2024年12月20日 (金)

現代も「タテ社会」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回まで日本社会の序列意識の現れを「タテ社会の人間関係」から長々と引用してきました。同書は私がこれまで色々と感じて来た問題意識への回答をあっさりと、まさに目から鱗を落とすように与えてくれました。日本の序列意識もそれが「タテ社会」がもたらすものであることを教えられました。

もちろん、同書の執筆は1967年であり、現代社会にはそのまま通用しないのではないかとも思われます。例えば年功序列制などは現在はかなり薄れてきている部分もあるでしょう。しかし、「タテ社会」の本質は変わっていません。

一例です。昨日付の日経朝刊にあるシンクタンクの研究員の方が「CXO」(最高〇〇責任者)体制について書いた記事です。

本来「CxOで構成される経営陣がチームとして、互いの担当領域にまで口を挟むことを恐れずに闊達な議論を行い、迅速に戦略的意思決定を行う」ものだが

「多くの日本企業の執行体制は縦割り組織であり」「経営の意思決定に際しては、部門間で直接の対話を行わず、経営企画という日本特有の組織が部門間の調整に奔走している」

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2024年12月19日 (木)

さらに日本の序列意識の「伝統」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「 いかに日本人が序列偏重だとはいえ、現実に顕在する個人の能力差を無視することはできないし、また、 実際に能力の評価ということが行われている。この評価は、序列システムの枠内というように、きわめて狭い範囲で行われる、また行われざるをえない 」

「例えば、十人の同期の中から一人の課長を選ぶなどという時には、当然それが問題となってくる。 どの年度にもいわゆる出世頭と呼ばれる人がいる。 人事が不当に行われない限り、この能力判定は有効に使われている」

「さらに、 特定の年の同期だけでなく、その前後三~四年の幅を持たせて昇進の選抜が行われ、一年 あるいはニ~三年後の者がその前の者より早く高い地位につくこともあるが、よく見ると、各年度の出世頭の線では年度による序列が守られている(年度の後の者が前の年度の者を追い越すことはあっても、その前の年度の出世頭を起こすことはない)のがつねである」

「したがって、能力主義というものがある程度の弾力性を持たせて、一定の序列の枠内で行われているといえよう」

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2024年12月18日 (水)

日本の序列意識の「伝統」 つづき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「私たちは序列の意識なしには席に着くこともできない(日本間のしつらえは、特に決定的な作用を果たしている)し、しゃべることもできない(敬語のデリケートな使用、発言の順序・量などに必然的に反映される)」

「どんな会合に招かれても(それが西洋式な部屋だとしても)招いた側の集団の成員の序列は、一目瞭然であるのが普通である。招客のすぐ横が上座であり、入口の方が下座で、発言の順序・量・態度といったものが、驚くほどその座順を反映しているからである」

「個人の能力で百パーセント活動できる作家や俳優のような職業に従事する人々のなかにまで、序列意識が根強くある」「ある文学賞を授与されたある作家の言として、『受賞はうれしいが、先輩をさしおいて私のごときものが受賞するのは‥‥‥である』という文句があったり」

俳優のギャラ値上げ要求の理由として「自分より後輩のY(著名な女優)でさえ自分よりはるかに多いギャラをもらっているのだから、先輩の自分がもっと多いギャラを取るのは当然、というようなことをいっている」

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2024年12月17日 (火)

日本の序列意識の「伝統」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「タテ社会の人間関係」から。

今も本質は変わりません。

「同じ実力と資格を有する旋盤工であっても、年齢・入社年次・勤続期間の長短などによって差が生じ、同じ大学の教授であっても、発令の年月日によって序列ができ、また、かつての軍隊では、同じ将校といえども位官の違いによる差別は、驚くほど大きく、さらに同じ少尉であっても任官の順によって明確な序列ができていたという。同じく外交官といえども、たとえば一等書記官と二等書記官の差は素人では想像できないほど大きく、さらに同期(外交官試験合格年次)であるとか、先輩・後輩の序列がある」

「従業員の序列というものは入社年次によって(学歴が同じであるということを前提としているが)普通きまるようである。これは、経営者側がつくるというよりは、従業員自体の意識によって設定される」「同年にはいった者たちが『同期生の会』というものをしばしばつくっている。これはいっそう会社内における先輩・後輩の序列をはっきりさせる役割をもち、年功序列をますます助長させる結果となっている」

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2024年12月16日 (月)

各社会における序列意識

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「タテ社会の人間関係」は綿密な調査研究に基づく鋭い分析とともに、具体的な実例がわかりやすく書かれているので非常に興味深く読める本です。序列意識についての中国社会以外の例も興味深いのでご紹介します(古さを感じません)。

この点インド人は中国人よりもさらに自由です。敬老精神が強く、カーストなどの身分差があり、年少者や低身分の者が、年長者や上の身分の者に対して行動では序列を見せます(煙草を吸わないとか着席しないなど)が、こと議論の場面では堂々と反論できるそうです。

チベットは日本以上に序列意識の強い社会ですが、学者の議論においてはこれが放擲されます。敬語は完全に姿を消し、発言の仕方、応酬も全く同列に立ってなされ、そこには実力しか存在しなくなります。ダライ・ラマ(君主)でさえ玉座を降りて他の学者と同列の座に着く習慣だそうです。

英米では「タテ」でなく「ヨコ」(資格)の社会であり、同じ資格(教師同士、学生同士、等)では序列意識は極めて低調で、年長者と年少者がファーストネームで呼び合ったりもします。

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2024年12月13日 (金)

権力格差の原因

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私はFLC&Sをよりイノベーティブな組織にするために、自由な発想や議論の妨げになる「権力格差」を縮小したいと考えて来ました。しかし一方で、誰もが多かれ少なかれ持っている(年齢や社歴や役職や性別などによる)不必要な序列意識や、長幼の序という美徳との矛盾への解が得られませんでした。

そこに分かりやすい回答を与えてくれたのが「タテ社会の人間関係」です。

日本では会社等の「場」による集団、即ち「資格」が異なるものを包含する集団が第一義的な社会集団であり、そのような集団では構成員を結びつける方法は「タテ」の関係となり、従って自ずと構成員間には序列が生じます。これが、私達に序列意識が沁みついている原因です。

そして長幼の序は、本家の中国では日本とはありようがかなり違います。中国人は年長者に対しては二、三歩下がった地点に自分を置くなど序列を示しますが、何か重要な決定を要する相談事では年長者に対しても堂々と自分の意見を披瀝するのだそうです。

私の目指すものも言ってみればこの「中国式」に近いものなのかもしれません。

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2024年12月12日 (木)

権力格差とタテ社会

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

これまで何度か「対等」という価値やその尺度としての「権力格差」について書きました。権力格差が大きい組織、つまり例えば上司と部下、先輩と後輩、年長者と年少者、男性と女性、等々に関してそれぞれの間の距離感が大きい組織はイノベーションを生み出しにくいという評価です。

しかし、日本の権力格差の度合に関しては既に数十年前に優れた研究が行われていました。「タテ社会」という分析です。

これは社会人類学者の中根千枝(東京大学名誉教授)が、著書「タテ社会の人間関係」(講談社現代新書1967年)で発表したものです。

同書によれば、社会集団の構成要因には氏素姓あるいは学歴や地位、職業などの「資格」(属性)と、会社や一定の地域などの「場」(枠)があります。どちらが集団を構成する第一条件になるのかで、社会集団のありようや人間関係は大きく異なります。

日本では場が優先されます。例えばどこの会社に属しているか、どこの「家」の者か、などです。そして場のなかでは「タテ」の関係、即ち同列に置かれない二者を結ぶ関係が重視されます。

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2024年12月11日 (水)

飛び込み営業から学ぶ その7

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

もう一つは、営業は直接顧客と接する方達だけが行うことではないということです。「営業とは問題解決である」とは何度も言っておりますが、みなさん方は役割分担をして、「依頼者(お客さま)の権利を登記によって保全するという問題解決」に直接、あるいは間接的に関わっています。さらに、それを「より安全かつ合理的に行うという問題解決」についても同様です。つまり、みなさん全員が営業に関わっているのです。

ですから全員が「飛び込み営業」から学ぶことができるのです。

さらにもう一つ、営業は顧客との関係でのみ必要とされるものではないということです。

およそ人は人と接し、人と関わらずに生きて行くことはできません。社内でも、人と関わらずにできる仕事はありません。そこで、人との関わりを作り出し、それをよりストレスのない、楽しいものにし、さらにそこから生み出される果実をより実りあるものにすることが必要となります。

その全てが正しく「営業」に他なりません。

言い換えれば、良い人間関係を構築することが「営業」なのです。

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2024年12月10日 (火)

飛び込み営業から学ぶ その6

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「飛び込み営業」と聞いて、自分には「飛び込み営業」はおろか「営業」は関係ないと思った方もいらっしゃるかも知れません。そんな方はこれを知っておいて下さい。

一つは、私達の仕事は営業なしでは成り立たないということです。以前に関西のある司法書士の方に「福田さん営業しはるんでっか?」と聞かれて意味が分からず、「営業しないでどうやって仕事を頂くんですか?」と聞いたことがあります。その方は「そんなん紹介とかでんがな」と仰いますので「いやいや紹介も立派な営業でんがな」と言ったことがありました。

つまり、仕事の依頼を受けるためには何らかの道筋(おぜん立て)が必要で、それ即ち営業です。多かれ少なかれ司法書士も仕事の依頼を受けるための道筋を立てます。例えば司法書士が路面に事務所を構えること自体が「営業」に他なりません。路面店で看板を掲げることは「仕事の依頼を下さい」と言っているのと同じことです。

今なら路面だけでなくweb上のコーポレートサイトやメタバース上のバーチャルオフィスという「道筋」もあります。

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2024年12月 9日 (月)

飛び込み営業から学ぶ その5

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

最初の回で、「飛び込み営業を行うことはまずありません」と書きましたが、それは他に優先すべき、効果的で効率的な営業(顧客拡大)手段があるからです。

私は今でも外出先で町場の不動産屋さんを見かけると、飛び込んでみようかとふと思うことがありますが、やってみないのは、今私の役割はそこにはないからというだけのことです。

もちろん会社の営業方針として社員に飛び込み営業をやらせることもありません。かつては営業の何たるかを身を持って学ばせるために飛び込み営業をやらせる会社もありましたが、今はそれも流行りません。

何故なら、学習効果を上げるためには強制されて嫌々行わせることは意味がないからです。自分が成果を上げたい(買って貰いたい)という気持ちを持ち(マインドセット)、そのためにどうすれば良いかを考え、工夫するところに学びが生まれるのです。

これを推し進めると、新しい営業手法や対象、そして新しいサービスなどのアイディアが生まれます。もしそういうアイディアが湧いて来たら、大切にして欲しいと思います。

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2024年12月 6日 (金)

飛び込み営業から学ぶ その4

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日は、飛び込み営業独自の強み、即ち失敗を恐れない行動力とマインドセット(信念の強さ)は、どんな営業スタイルをとるにしても必要不可欠であるとして、最も基本的な「営業」である「日常業務」に当てはめてみました。

もちろん営業には他にも、紹介営業、反響営業、セミナー営業、電話(テレアポ)営業、ルート営業、交流会営業、コンサルティング営業等々様々なスタイルがありますが、いずれの場合でもこの強みが身についていると、効果が格段に上がります。

どんな営業スタイルでも、それまで買って貰えていなかった方に買って貰う訳ですから、失敗することはありますし、それでも買って貰いたいという強い気持ちが必要です。

そして、この強みが最も求められるのが「新規開拓営業」です。

新規開拓とは、全く新しい顧客で、なんの接点も見出せていない相手に、自社(の商品やサービス)を買ってもらうことですが、そのためには、まさしく失敗を恐れない行動力と、絶対に買って貰うんだという強い信念(マインドセット)を持っていることが必要です。

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2024年12月 5日 (木)

飛び込み営業から学ぶ その3

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、飛び込み営業から学ぶことをいくつか並べましたが、マーケティングやコミュニケーションは飛び込み営業そのものに内在するものではなく、飛び込みの弱点を補うという性格のものです。

飛び込み営業独自の強みは失敗を恐れない行動力とマインドセット(信念の強さ)です。これらはどんな営業スタイルをとるにしても必要不可欠です。

例えば、私達が日々行っている業務もまた営業に他なりません。これは、「営業とは問題解決」ですが、私達が日々行っている業務(提供しているサービス)も問題解決だからです。

そして、そこに行動力とマインドセットが伴えば、より営業としての高い効果を発揮するのです。

つまり、業務においても失敗を恐れずに行動しなければならない場合があります。改善提案などです。

また、仕事を増やしたい(仕事が増えることが嬉しい)というマインドセットがあることも大切です。それがあるからこそ問題解決に真に効果的な提案ができます。効率を考えるだけでは、必ずしもお客様の利益になる提案ができないことも多いのです。

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2024年12月 4日 (水)

飛び込み営業から学ぶ その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

・問題に直面した時の打開方法

解決方法はおろか、どこに問題があるのか糸口すらつかめない、という時にまず行動してみるということです。「見る前に跳べ」「いつやるの? 今でしょう」です。直ぐに行動しないことの言い訳をなくすことです。

・マーケティングの考え方

獲物のいないところに飛び込んでも意味がありません。一般家庭や事業会社でなく、銀行やマンションデベロッパーに飛び込んだのはそういう意味です。これを推し進めると事前の情報収集をするようになります。

・営業のためのマインドセット

直接的な目的は、自社の商品(サービス)を買って貰うことですから、「買って貰いたい」という気持ちがなければなりません。質問の「何を話すのか」の答えは、「買ってください」です。

・コミュニケーション技術

知らない人間が突然訪ねて話を聞いてもらうためには、服装や立ち居振る舞いから話し方や声の抑揚まで、相手にできるだけ好感を抱いて貰う工夫をします。話す内容以前にそういったことが如何に大切かを身を持って体感せざるを得なくなります。

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2024年12月 3日 (火)

飛び込み営業から学ぶ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日地方で開業している若手司法書士の方と話す機会がありました。その際に、私も銀行の支店やマンションデベロッパーに飛び込み営業をしていたことがあると話したところ「飛び込み営業ってどうやるのですか?何を話すのですか?」と聞かれました。

日頃みなさんには、営業とは問題解決であると言っていますが、飛び込み営業の場合もそれを仕事につなげるためには相手方の抱えている問題を解決する必要がある点は同じです。

しかし、「飛び込み」とは良く知らない相手のところに初めて訪問することですから、相手がどんな問題を抱えているかはわからないのが通常ですし、相手側もいきなり飛び込んで来た相手に自分の抱えている問題を話すことは考えにくいですから、問題解決という意味では飛び込み営業は効率的ではありません。

ですから現在は飛び込み営業を行うことはまずありませんが、問題に直面した時の打開方法、マーケティングの考え方、営業のためのマインドセット、コミュニケーション技術などなど、飛び込み営業から学べることは実は非常に多いのです。

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2024年12月 2日 (月)

分業は人を成長させる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

企業の大規模化の目的の一つは、生産性を向上して高付加価値化を実現し、より社会に貢献するところにあります。分業化も必須ですが、それは生産性向上のためだけでなく、人材の成長のためにも必要なことです。

役割分担(業務分解)をすることで、各人が自分に向いた仕事を見つけ、強みをより強くしていく(弱いところを人に助けてもらう)ことができます。

私自身もそうです。私の役割(行うべきこと)も2人での創業時から200人規模になった現在までの間に大きく変わって来ました。

現在は、私にしかできないこと、強みのあることだけを行い、それ以外は内外の方達と役割分担をして(助けて)頂いています。

それが出来るのは人に恵まれて来たからですが、役割分担をすることで、それぞれの役割の人達も成長して来ました。

現在は私が企業の課題だと感じることがあっても、あえて意識的に指摘しないことが多くなっています。

課題認識も、その解決方法やしくみ作りも、私が考える以上のことを考え、実践して貰えることが容易に想像できるようになって来たからです。

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