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2024年11月29日 (金)

休憩は休む

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

休載をしてご心配をおかけしました。旅行で、体調は全く問題ありません。以前は旅先にもPCを持参して仕事をしたのですが、今回から休暇はちゃんと休むことにしました。

これは仕事中の休憩についても同じです。休憩時間にはちゃんと休むこと(切り替えること)が必要です。これは昼食休憩も同じです。忙しいからとれなくて仕方ないと考えるのではなく、忙しいときに休憩をとるにはどうすれば良いかと考えることが必要です。

弊社の場合は既に実践例があります。昨日ある社員の方が、月末の最繁忙日でも全員が休憩をとって食事する余裕を作り出している(業務は増加)と仰っていました。以前は食事の時間を十分にとれずパンをかじりながら仕事をしていたこともあったので、格段の進歩だとのことでした。

繁忙時に限らず、仕事机で食事をとるのは心身に良くないという話はよく聞きます。問題点はネットに沢山出ています。

尚、旅行は相撲で、秀ノ山(元大関琴奨菊)部屋の後援会長として千秋楽の打ち上げにも参加致しました。みなさんも秀ノ山部屋を是非応援してください!

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2024年11月28日 (木)

リスクベース・アプローチと不動産事件・事故防止

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

金融庁は、マネー・ローンダリング等に対峙する方法として、リスクベース・アプローチをとることを求めています。

「リスクベース・アプローチとは、金融機関等が、自らのマネロン・テロ資金供与リスクを特定・評価し、これをリスク許容度の範囲内に実効的に低減するため、当該リスクに見合った対策を講ずること」であり、それにより「マネロン・テロ資金供与リスクを自ら適切に特定・評価し、これに見合った態勢の構築・整備等を優先順位付けしつつ機動的に行っていく」必要があるとしています(※)。

つまり、マネロン等の手法や態様は常に変化し、高度化しているから、それに応じ、対策も不断に高度化を図っていく必要があるということです。

これは、「不動産事件・事故防止の教科書」で、実際の事故の態様に応じ、また、不安要素の程度に応じてレベルの異なる防止策をとることを訴えていることと全く同じことです。

つまり私達はリスクベース・アプローチをとっているからこそ、事件・事故の防止を可能にして来たということです。

マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策に関するガイドライン

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2024年11月22日 (金)

不動産ブローカーはクロでないのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

地面師記事を寄稿したプレジデント誌(11/1号)では冒頭のページに記事の中の「グレーな存在を排除することが極めて困難である」という一文が金文字で抜き書きされています。

グレーな存在とは、不動産ブローカーのことです。ブローカーとは仲介者の意味で、グレーでも何でもないのですが、日本で不動産ブローカーと言うと無免許で不動産仲介を行う者を意味しますので、グレーどころかクロです。

それがグレーとされるのは、現場での必要性から合法化が図られていると推測されることと、「業」の判断のわかりにくさがあります。

仲介行為に宅建免許が必要なのは、業として行う場合です。その基準は反復継続性と営利性です。

例えば宅建免許のない人がSNS上の友達同士の土地売買を仲介して謝礼を受け取ったとき、この人が不動産ブローカーとなるかは、反復継続性の有無によりますが、その判断は行為自体の客観的側面(一回行っただけ)のみから判断されるわけではなく、様々な要素が考慮されます。

そこにグレーだと言われる所以の一つがあるのです。

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2024年11月21日 (木)

急ぐという不安要素

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

不動産取引の不安要素の一つに、急かされる、というものがあります。これは、一方当事者が他方当事者に対し取引の進捗を急かす場合、事案の調査に時間をかけさせないように仕向けて悪事が露見しにくくするという意図が隠れていることがあるからです。

この場合、その意図に乗らず、確認すべきことを確認して事件事故を防ぎます。

ところが、昨日の私のセミナー(不動産事件事故防止研修「地面師は何故防げないか」)を受講して下さった方から、必ずしも悪事が隠れていなくても急かされる場合があることを教えて頂きました。

それは、高齢者が関わっている場合です。それも、平均寿命を遥かに超えた、言わば超高齢者の場合です。

この場合、色々な面で残された時間が少なくなっているため、誰が急かす訳でもなく関係当事者全員が急いで事を進めようとします。

しかし、急ぐことが不安要素であることには変わりありませんから、どんな事情があろうと、本来慎重に進めるべき手順をおろそかにせず、(事件事故防止の教科書に従い)確認すべきことを確認することが必要です。

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2024年11月20日 (水)

付加価値とは気が利くこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、ある外食産業のトップの方のお話を伺う機会があり、同じサービス業として大変参考になりました。

その話の前に、司法書士業は日本標準産業分類でサービス業に分類され、独禁法の規制対象である歴とした営利事業であることを確認しておきます(司法書士の仕事は分け合うものだという考えが未だに有るのは驚くしかありません)。

さて、お話の中で、サービスは顧客からの期待度が高い反面その顧客からの高い報酬を望み難いという、正しく我々の業界の話ではないかと思える話がありました。

そして、高い報酬を得るためには付加価値のあるサービス提供が必要であり、付加価値とは「◯◯なら余分にお金を払っても良い」と顧客に思わせることだと、非常に分かりやすい説明をして下さいました。

その◯◯の例として、物品とサービスを一つずつ挙げられました。物品の例としては国産の野菜や果物、サービスの例としてはマニュアルを超えたサービスです。

この「マニュアルを超えたサービス」とは、私がこれまで何度か触れた、「気が利いた」サービスに他なりません。

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2024年11月19日 (火)

事故防止の教科書の修正内容の補足

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

■「懸念事項」を「不安要素」と呼び方を変えて、感性をより重視する理由

一つは、リスクを感覚的・情緒的に、謂わば肌感覚で察知して欲しいからです。もう一つは、リスク要因として現れるものの中には一般的にはリスクと感じられないものがあるからです。

例えば、「きれいな不動産」(担保設定や強制執行の履歴がない)、「好立地」や「著名企業」と聞いたときに、一般の方はそこに安心感や魅力を感じると思いますが、司法書士にはそれらには逆に不安を感じてもらいたいのです。

■不動産事件・事故の原因について「主観的要因」の重要さを強調する理由

「怖いもの見たさ」では、興味の対象はもっぱら悪いことをしてくる相手側に向かいます。一般的に対策として打ち出されているものも相手がどんなことを行ってくるかという点と、それをどう防げば良いかしか論じられていません。

不動産事故の要因が自分たちの側にあることを理解せずに防御方法だけを考えるのは、高性能兵器を装備した軍隊の司令官が、その兵器を使う必要性を感じないのと同じなのです。

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2024年11月18日 (月)

不動産事故防止の教科書の完成度

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

地面師を扱ったドラマがヒットし、バズワード(漠然とした流行語)化した要因の一つは、「怖いもの見たさ」だと思います。正体を暴く記事や書籍も人気を博しているようです。

もちろん危ないものを怖がることは危険を避けるために必要なことです。一般の方ならもちろんそれだけで構いませんが、私達は危険を防ぐ立場にありますから、無闇に怖がったり、面白がっている訳には行きません。言ってみれば、「正しく怖がる」必要があります。

正しく怖がる方法を体系化しマニュアル化したのが「不動産事故防止の教科書」です。まだ未完成で、社内での検討も重ねて頂いておりますが、既にこれを研修や講演などで社外に発信しています。

内外への発信により新たな気付きも得られ、より完成に近づけて行けると考えています。

例えば、「事故」を「事件・事故」として詐欺のような犯罪性のあるものとそれ以外を区別し、「懸念事項」を「不安要素」として感性をより重視する姿勢を明確にし、事故の「主観的・客観的要因」は前者を強調する書面構成に変更する予定です。

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2024年11月15日 (金)

本も人も同じだと思うこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私がお世話になったある方は、若い頃好きな本を好きなだけ買えるようになりたいと思って
いたそうです。やがてその方は好きな本を買えるようになり、蔵書のために家を一軒立てるまでになりました。

私もそこまでではないですが、本が好きです。本は狭い自分の世界を広げてくれます。本に出会って特に喜びを感じるのは、自分の知らないことが書いてある本を見つけた時です。

ネットの情報や動画も参照しますが、アクセスタイムや内容の把握は本や紙の新聞の方が圧倒的に早いと思います(俯瞰でき、イライラしません)。

そして私は人も好きです。人はそれぞれ独自の世界を持っています。人との出会いもやはり自分の世界を広げ、学びをもたらしてくれます。

もちろん一冊の本、一人の人の全てに自分が賛同できる訳ではありません。

若い頃は、自分が賛同できないところが少しでもあれば、その人や本全体に否定的な評価をしてしまう嫌いがありましたが、今は多少賛同できない部分があったとしても、学ぶところを見つけてそこから学ぶことができるようになりました。

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2024年11月14日 (木)

人は興味でのみ動く

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、不動産事業者の皆様に不動産事故防止の研修をする機会を頂きました。

幸い居眠りをされる方も途中退席される方もいらっしゃいませんでしたので、それなりに興味を持って頂けたとは思います。

ところで興味を持つとは一体どういうことなのでしょうか? もちろん興味を持って頂けるように考えて、講演や研修の資料を作るのですが、なぜ興味を持って頂く必要があるのか?

例えば多くの読者に買って頂かなければならない商業誌では、読者の興味を引く内容を中心に発信する必要があります。プレジデント誌に寄稿した地面師や不動産ブローカーの記事はその類です。

しかし、今回のものを含め私の研修や講演あるいは出版や新聞への寄稿の多くは、自分が興味があるが多くの方がまだ興味のないことに興味を持ってもらうために行うものです。

このよしなしごとも、ニュース共有も、自分が興味をもっていることが中心です。

このテーマも、興味をもったある本(いずれご紹介できると思います)を読み始めたところ浮かんできたものです。その本の内容とは全く関係ないのですが。

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2024年11月13日 (水)

不動産事件・事故防止と価値観との関係

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「不動産事故防止の教科書 仮案」に「自分たち司法書士にとってではなく、依頼者にとって不利益なことについて敏感になってもらいたい」「当事者にとって不利益なことでも、司法書士の職務上注意義務が及ばないような『事故』について、どのように関わるべきなのか」と書きました。

一方価値研修ではまず自分が幸せになることを考えるべきという考えに立っています。

例えば地面師詐欺では、直接不利益を被り不幸になるのは売買代金を騙し取られた買主だけです。

従ってそれ以外の関与者は損害発生に対する責任が生じなければ、幸せでいられます。

ですから、自分が責任を負わないような仕事の進め方をするというのは一つの考え方です。

しかしそれより、そもそも誰も地面師の被害に遭わないようにして、誰も不幸にならないようにすれば、人の幸せと自分の幸せの双方を実現することができます。

どちらを取るかは、そこにかかる労力やコストの違いによって決めることができます。

そんな考え方が、不動産事故防止の教科書の根底には流れているのです。

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2024年11月12日 (火)

創造性には二種類ある

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私がこれまで書いたり話したりしてきた創造性についての考え方を裏打ちして下さる、ある研究に関する記事を見つけました(※)。次のような内容です。

「創造性はEveryday Creativity(日常的な創造性):Small-CとEminent Creativity(卓越した創造性):Big-Cの二種類があり、両者は異なるものである」(Big-Cは、歴史を変えるような傑出した発明を生み出すような創造性)

昨日ここに書いた、「日常の生活や業務の中で、多かれ少なかれ発揮している創造性」とは、まさしくこのSmall-Cです。

「Big-Cを生み出すためには、Small-Cを大切にすることが重要な条件」

「企業活動では、利益をもたらすBig-Cを近視眼的に追い求めがちだが、社員がSmall-Cを普段から発揮できていなければ、企業に創造的な発明が生まれる土壌が育たない」

まさしく我が意を得たり、これも、何度も書いたと思いますが、創造とは無から何事かを生み出すことではなく、小さな気付きや改革の積み重ねなのです。

※ https://www.cultibase.jp/articles/11434

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2024年11月11日 (月)

日常での創造性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今月の月次朝礼では、私達が実現してきた「新しい価値」を生み出す方法、つまり、創造性を発揮するにはどうすれば良いかお話しました。

一つは、日々の業務に追われる中でも、生じた疑問や気付きはどんな些細なことでも大切にすることです。誰かに「普通はそんなこと気にしない」と言われるかも知れませんが大丈夫です。新しい価値とは「普通」ではない価値のことですから。

もう一つはその問題の解決方法をできるだけ沢山考えることです。どれだけ沢山のアイディアを出せるか(発想の拡散)は創造性の尺度の一つです。

日常の生活や業務の中で、皆さんも多かれ少なかれ創造性を発揮しています。

例えばミスが発生した時の対応です。再発防止のために原因を考えます。

例えば登記ミスの原因は、繁忙だから、情報が遅いから、手入力だから、人が確認するから、システムの性能、工程が多い、複雑、登記事項だから、ミスの基準があるから、登記するから、取引するから、等々書ききれない程あるはずです。

人によって思いつく数即ち発想の拡散度が違いますが、行うことは同じです。

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2024年11月 8日 (金)

真正な身分証明書を使ったなりすまし事件

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

こんな実例がありました。

(実例1)

自社の運転資金に困ったAが甲銀行から借り入れをするために、同居している父親X所有の自宅土地建物を担保にすることをXに頼んだが、Xは承知しなかった。

そこでAは叔父(Xに容貌の似た実弟)X’に替玉になることを頼み、AがXに無断で持ち出した運転免許証と実印、印鑑カードを用いて担保権設定登記を行い、融資も実行されたが、書類が自宅に郵送されたため悪事が露見した。

(実例2)

Yは高齢で物忘れも激しくなり、身の回りのことも覚束なくなってきたため、友人Bに相談したところ、自宅を売却して施設に入居することを勧められた。

Bの紹介する不動産会社に売却を依頼し、登記を担当する司法書士と面談したところ、認知症で判断力が低下しているから後見人を立てないと売却できないと言われた。

そこでBはYに容貌の似たYの友人Zに事情を話し、替玉になってもらうことにし、登記は他の司法書士に依頼した。ZはYになりすまし、Yの運転免許証を提示して本人確認を行い、決済・登記も完了した。

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2024年11月 7日 (木)

なぜ地面師に負けてしまうのか 2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

仮に一定の規制が行われたとすれば、地面師には勝てます。つまり、携帯電話購入時の本人確認同様、現在司法書士が行っている本人確認の際に必要とされる証明書をマイナンバーカードのICチップ読み取りに限定すれば、地面師(なりすまし+証明書偽造)に騙される危険度は著しく低下します。

この規制の実現可能性はともかく、これが実現したとしても不動産詐欺がなくなることはありません。詐欺を働くのは地面師だけではないからです。

例えば地面師よりはるかに件数の多いものに「契約詐欺(手付詐欺)」があります。これが行われる段階(売買交渉から契約締結まで)に司法書士が関わることは通常は殆どありませんから、司法書士の本人確認を厳格にしてもこの手の詐欺は防げません(弊社の場合は契約締結前から関わることも少なくはなく、その場合には全て事件・事故を防いでいますが、それができたのは本人確認の厳格化とは無関係です)。

なお、同じなりすましでも真正な身分証明書を使ったものについては身分証明書の制限は当然意味を持ちません。

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2024年11月 6日 (水)

なぜ地面師に負けてしまうのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「地面師」は国語辞典にも掲載された、はっきりした定義のある言葉ですが、例のドラマ以来すっかりバズワード(曖昧な用語)化してしまっています。つまり、不動産取引の世界は得体の知れない恐ろしいところだというイメージです。

確かに地面師のような存在は不動産取引にとっては脅威であり、十分注意しなければなりませんが、正体不明のバケモノのように無闇に恐れる必要はありません。

弊社でも地面師などの「正しい恐れ方」を様々な媒体で発信し、また被害も防いで来ましたが、残念ながら今後もこの脅威は簡単にはなくならないと思います。

その要因は色々ありますが、徹底的な規制が行われていないことにも原因はあると思います。

例えば携帯電話購入時の本人確認は厳格化され、本人確認資料をマイナンバーカードのみとし、さらにICチップの読み取りを義務付けるという法改正も予定されていますが、不動産取引の世界ではそこまで徹底した規制は行われていません。

ただ、仮に規制されても特殊詐欺同様それだけでは不動産詐欺の被害はなくなりません。

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2024年11月 5日 (火)

「気が利かない」とは価値観の共有ができていないこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回、「『気が利かない』とは主観的感覚だ」と書きましたが、これは、人に対して「気が利かない」と言うのは自分の基準(価値観)に人が従わないということに過ぎないということです。

ですから相手がその方の期待通りの行動をとっていなかったとしてもそれだけで単純に非難することはできません。

まず、双方が同じ基準を持っている(価値観の共有ができている)ことを確認することが必要です。同じ基準を持っていない人に対して「気が利かない」というのは価値観の違いを非難することであり、それ自体は無意味です。

たまたま利用した飲食店などであれば、価値観の違う相手とは関わらずに済ませるということもできます。しかし、もっと関係性が強い場合、例えば職場でしたら、「あの人とは価値観が違うから一緒に仕事はできません」という訳には行きません。

共有可能な職場(組織)の価値観を共に作ることが必要な理由はこういうことからも説明できます。

「気が利かない」という前に価値観を共有する努力をすべきだということです。

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