恥ずかしいことは恥ずかしくない その4
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
「恥」に限らず感情は相対的なものです。
恥は人の視線や評価をどう受け止めるかの問題です。恥ずかしいと感じるか、また、それがどの程度かは受け止める側の認識(認知)の度合いによって異なります。
人によっても違いますし、同じ人でもコンディションによって変わります。
また、感情とは受動的なものです。恥も人の視線や評価という働きかけを受けることによって湧き起るものですが、元を糺せばその原因は自分の行動や属性など「自分発」のものです。敢えて行動しなければ恥をかくこともありません。
恥ずかしい経験は思い出したくもありませんが、それを招いた自分の行動を敢えて積極的に解釈し、恥に肯定的な意味付けをすることもできます。
さらに進んで、人前で課題や目標を宣言してそれに向かって努力するなど、恥の力を何かを成し遂げるためのテコとすることもできます。
逆に、恥をかくことそのものを目的とすることもできます。がむしゃらに動き、恥に対する感性を鈍麻させるのです。
恥というものを毒にするも薬にするも自分次第です。
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