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2024年9月13日 (金)

型があるからはめたくなる

(今朝のFLC&S社内ブログ「ニュース共有」より)

自分の鋳型(理想の人材像)に人を当てはめ、はまらない人材を切り捨てることはやってはならないことですが、自分なりの型を持っている方には(切り捨てないまでも)型にはめようとするのはありがちなことでもあります。

私自身、日頃力説していることが結局これと同じことなのではないかと悩むことはしばしばあります。

例えば私は「能動的思考」というマインドセットを大変重要なものだと考えており、FLC&Sのメンバーには是非これを身につけて欲しいと願っています。

しかし、誰もがすぐにこれを身に付けることができる訳ではありません。それ自体は致し方ないことです。長い間培われて来た思考習慣を変えるのは簡単なことではありませんから。

しかし自分の型(価値観)に酔ってそんな当たり前のことに気づけなくなると、鋳型はめが起こります。

これも認知バイアスの一種と考えると、それに気づくところから始めなければなりません。

人には向き不向き、得手不得手があり全ての人を同じ型に当てはめるのは不可能だという当たり前のことに気づくことです。

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2024年9月12日 (木)

会社の中はジレンマだらけ の続き

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ジレンマの一つに、未熟な部下に仕事を任せたのでは成果が上がらないが、仕事を任せないと部下が育たない、があります。

この本では「企業では、マネジャーの業務内容を『部下を育てること』だとは定義していない」とする一方で「成果をあげ続けるために、マネジャーは部下を育てなくてはならない」としています。

これは人を育てることの難しさを物語るものです。

人が育つとは、技術や知識の習得だけではなく、自分の知らない能力や適性を見出す、やりがいをみつける、対人関係が円滑になる、ものごとを深く考えられるようになる・・・等々、多岐に渡り、それを育てることも容易ではありません。

そこで陥りがちな誤りが、自分の鋳型(理想の人材像)に人を当てはめ、それにはまらない人材を切り捨てる方法です。これはマネジャー(課長)としては人を育てる以前にまずやってはならないことです。

各人がそれぞれ持った課題や設定した目標を達成するという方法もとられます(弊社でもそれを支援するしくみが用意されています)がこれも十分ではありません。

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2024年9月11日 (水)

会社の中はジレンマだらけ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

これは、「話し合いの作法」の著者である中原淳さんと、「ヤフーの1on1」の著者である本間浩輔さんの対談形式で、会社の様々なジレンマの乗り越え方のヒントを与えて下さる本です(※)。

そこに「なぜマネジャーに〝現場仕事〟 が増えるのか」という章があります。

「チームはたくさんの仕事を抱えており、 それらをうまく切り分けてメンバーに割り振るのが マネジャーとしての自分の役割だとAさんは認識しています。新人や経験の浅いメンバーにも難しい仕事にチャレンジしてもらい、成長してほしいとも考えています。

しかし、Aさんには自分の部署で成果を出すという任務がありますし、 仕事には納期がつきものです。そのため、 Aさんはしばしば、ハードな案件を自分で背負い込んでしまいがちです。

自分でやっ たほうが早いし、そのほうが気が楽だと思ってしまうからなのですが、一部のメンバーの間では『Aさんは自分たちを信頼してくれていないのではないか』という不満もわいているようです。」

ではどうするか、興味ある方も多いかも知れませんね。

※2016年光文社

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2024年9月10日 (火)

ミスの共通原理

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

FLC&Sの教科書所収の「ミス三原則」は最も典型的かつ重要なミスを想定してその扱い方を定めたものです(そのためミスの定義もされていません)。

しかし、実際は一言でミスと言っても千差万別です。

私達の仕事上のミスも、書類作成時の軽微な不注意によるかな漢字変換ミスから、替え玉を見抜けず地面師に数十億円を詐取される不動産事故防止ミスまで(ミス三原則はこれら両極端を想定していません)、ミスの原因も、結果も大小さまざまです。

ですから、ミスへの対処もケースバイケースで教科書の原則だけで全てを決めることはできず、ミスの内容や程度に応じ各人が柔軟に対応を考えなければならなりません。

但し、次のことは基本的知識として十分理解しておく必要があります。

最も軽微な部類の、単純な誤変換の場合、当人は自分が間違えるはずがないという思い込み(バイアス)にとらわれています。

最も重い部類の、不動産詐欺の場合も、自分は騙されないというバイアスにとらわれています。

両者は全く同じ原理に支配されることで発生するのだということです。

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2024年9月 9日 (月)

ミスは叱るべきか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ミスによって問題を発生させた時に第一に行うべきことは、次の2つです。
1 問題の迅速な終息・回復・修復及び正確な情報の内外への共有(必要に応じて謝罪)
2 再発防止のための原因の究明と対策の策定
(FLC&Sの教科書の「ミス三原則」)

ミスをした直接の当事者やその上席に対する処遇については具体的に記載されていません。別途始末書の提出が義務付けられているだけです。

なぜならそれらは再発防止策の一環と捉えるべきだからです。

当事者に対する処遇として行われることとしては、指摘、注意、叱責、非難、責任追及などが考えられます。このうち指摘・注意までは、ミスを認識させ、反省を促し、ミスの原因を明らかにするために必要なことです。

しかし、叱責、非難、責任追及はこれらの目的からは必要とは言えません。多くは(ネガティブな)感情から行われるものです。

感情の原因はミスに対する考え方(受け止め方)にあります。例えば、ミスの原因が当事者個人だけにあると考えるのか、指導方法や、ミスを防ぐ仕組みの内容にもあると考えるか、です。

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2024年9月 6日 (金)

ポジティブ人間

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ポジティブ・ネガティブは考え方の傾向です。昨日は「問題に直面した時にそれをどう感じるか」と書きましたが、正確には、原因となる「考え方」の問題です。

感情でなく考え方なので、ある程度自分でコントロールできます。例えば、自分が犯したちょっとしたミスについて、上司に厳しく叱責された時に、それをどう考えるか、例えば、「嫌われている」と考えるか、「敢えて厳しくしてくれている」と考えるか。

上司に嫌われていると考えると悲しくなり、それが続くと追い込まれたような心理状態に陥る危険性があります。しかし、ものは考えようで、別の考え方ができることを知るべきです。

「不動産事故防止の教科書(仮案)」に似たような話があります。

「認知バイアス」です。先入観によって一つの考えにとらわれてしまう状態です。それを外す方法は、

多様な考え方ができるという知識

他の考え方ができないか自分で考える

立場の違う第三者の意見を聞く

ストレスフルな事象に直接対応する。上司の叱責の例なら、上司に直接聞いてみる

日頃からのコミュニケーションが重要です。

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2024年9月 5日 (木)

ネガティブな世界で重要なこと

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

どうやら私の「ネガティブ」という言葉の使い方が、一般とは違っていたようです。消極的という意味の他に「不合理」という意味なのですが、両者を混同して使っていました。

ある行動が前向き(ポジティブ)か後ろ向き(ネガティブ)かとか、ある人がポジティブ人間かネガティブ人間かなどという議論におけるそれは、積極・消極の意味です。

世界にネガティブか溢れているという場合のそれは、それに加えて合理・不合理の意味も含んでいます。

世の中にあふれているが誰もがネガティブと思わないことをネガティブと感じることができるかどうか、という場合は合理・不合理の意味です。

例えば、多くの人が当たり前だと思って疑問を持たずに従っている決まりごとに疑問を感じるのは、合理・不合理の問題です。

ところで、自分はポジティブ人間じゃないと悩む必要はありません。そもそも人の生きる姿勢として前向きも後ろ向きもありません。生来のポジティブ人間という人間もいないのです。

それは、何かの問題に直面した時にそれをどう感じるかの問題だからです。

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2024年9月 4日 (水)

世界はネガティブにあふれてる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私の場合、行動を起こす動機の大半は前向き(ポジティブ)なものではありません。

例えば「未来を創る」などの企業理念を作りましたが、企業理念を作り、価値観を共有しようとするのは、それらが存在していない、実現できていないという後ろ向き(ネガティブ)な状況があるからです。

私の場合もそういった状況が嫌だったので理念を作り、価値研修を始めました。決して何か前向きな、崇高な目的があった訳ではありません。

また、初期にFLC&Sの教科書を作ったきっかけも、他社で経験して嫌だったことの逆をルールにしただけで、理想のFLC&Sを思い描いていた訳ではありません。

私は何でも嫌悪し、否定するひねくれた性分で、やる気のない人間ですが、自分の身に危険が迫ると流石にそれを回避しなければならず、それが前向きと評されることがあるだけです。

その危険を感じるための物差しは、ひねくれた性分のため人と少し違うかも知れません。

しかし、私同様前向きは後ろ向きの否定に過ぎず、無意味に前向きにはなれない方も多いのではないでしょうか。

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2024年9月 3日 (火)

ひねくれた人間が行動する時

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が「やる気がない」のは、人類(生物)共通の特性である受動性以外に、私自身の生まれついてのひねくれた性分(誰もが考えることや行うことと逆に考え、行動する、あるいは何もしないという性分)から来るところ大です。

幼い頃からこれが後ろ向きに発動されることが殆どでした。例えば、幼稚園にたどり着かない、宿題をやらない、学級委員を拒む、学園祭に参加しない、遅刻の常習犯、受験勉強をしない、講義を受けない、就職活動をしない、等々枚挙に暇がなく、しかもただやらないというだけで、代わりに何か前向きなことをする訳ではありません。

それでも司法書士になれましたし、3年で10倍、新中間省略登記や不動産事故防止、大規模化、企業理念や価値観の共有、そしてこのよしなしごとなどもやってきました。

しかしこれらも決して前向きなものではなく、危機感や不安を感じて否応なく始めざるを得なかったというのが正直なところです。多かれ少なかれ人の行動の動機はそんなものかも知れませんが、私の場合は特に危機耐性が高い(?)のだと思います。

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2024年9月 2日 (月)

司法書士が見た地面師ドラマ その2

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「不動産事故防止の教科書(仮案)」では詐欺に限らず不動産事故に巻き込まれる要因を「客観的事故要因」と「主観的事故要因」の二つに分けています。本作品ではその双方が生々しく描かれます。

客観的事故要因は5つありますが、地面師の場合のそれは言うまでもなく権利主体性(本人性)です。それを偽る手口(替え玉や偽造)がありありと描写されます。

主観的事故要因は全ての不動産事故に共通するものです。教科書ではこれが事故を引き起こす最大の要因であるとしていますが、これはさらに「認識」と「意識」に分けられます。特に意識の部分、認知バイアス、正常性バイアスが重要な要因となりますが、本作品ではこの部分も人間ドラマとして克明に描かれています。

時に生じる依頼者との認識の隔たりを考える時、各々の立場に立って主観的事故要因を考察する必要性も教えてくれます。

このドラマは、教科書で学んだ大事故を疑似体験できる生きた教材として観ることも、なぜ事故が防止できなかったのか、反面教師として観ることもできると思います。

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