修行は目的でなく結果
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
昨日、価値観やマインドセットを磨く努力を修行だと思っていると書きましたが、少し不正確な表現でした。
修行とは仏道や武芸のように極めるものがあって行うものですが、私が修行と言ったのはそうではなく、例えば、様々な自分の行動、特に日課や自分を強いて行ったこと、失敗したことや恥ずかしかったことなどをふと振り返って考えたときに、それがあたかも修行のように自分を鍛える効果があったと考えて自分をなぐさめるということです。
「やる気を出そうとしなくて良い」(23日)と同じで、目的や必要性もないのに「修行だ」と自分を鼓舞し、頑張る必要はありません。
この「よしなしごと」や「ニュース共有」も、当然修行のために始めた訳ではありませんが、毎日続けることや、ものの考え方や時間の使い方が鍛えられる効果があり、それが修行のようでもあります。
そうでなく修行が自己目的化してしまうと、逃げたり休んだりできず苦しく、ストレス過剰になり心の不調に繋がる危険があります。
結局私のようなやる気のない生き方が「安全」なのかも知れません。
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