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2024年8月30日 (金)

司法書士が見た地面師ドラマ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今朝は、ドラマ「地面師たち」(ネットフリックス)の話です(ネタバレご容赦を)。

司法書士の決済立ち合いの場面は極めてリアルに描かれていました。

二つの事件に関わった司法書士は、決済の場で本人確認のために行うべきことを正当に行いましたが、それでも替え玉を見破れず、代金全額を騙し取られます。

実は決済時以外にも事故防止のためにできることはあります。

司法書士が事故防止のために決済立ち合い以外で何を行わなければならないか、そして事故を防げなかった責任を問われるか否かは、取引の規模や経緯、そして依頼者との間でどのような委任契約が交わされていたか(どこまで期待されていたか)等によりますが、その点はこの作品では描かれていません。

ただ、描かれた情報を弊社の基準に照らし合わせる限りは十分な対策を取ったとは言えない可能性が高いと思います。

但し弊社の基準は一般より高いため、本作品の司法書士の場合必ずしも法的責任を問われるとは言えません。

基準の詳細については「不動産事故防止の教科書(仮案)」をご参照ください。

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2024年8月29日 (木)

修行は目的でなく結果

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、価値観やマインドセットを磨く努力を修行だと思っていると書きましたが、少し不正確な表現でした。

修行とは仏道や武芸のように極めるものがあって行うものですが、私が修行と言ったのはそうではなく、例えば、様々な自分の行動、特に日課や自分を強いて行ったこと、失敗したことや恥ずかしかったことなどをふと振り返って考えたときに、それがあたかも修行のように自分を鍛える効果があったと考えて自分をなぐさめるということです。

「やる気を出そうとしなくて良い」(23日)と同じで、目的や必要性もないのに「修行だ」と自分を鼓舞し、頑張る必要はありません。

この「よしなしごと」や「ニュース共有」も、当然修行のために始めた訳ではありませんが、毎日続けることや、ものの考え方や時間の使い方が鍛えられる効果があり、それが修行のようでもあります。

そうでなく修行が自己目的化してしまうと、逃げたり休んだりできず苦しく、ストレス過剰になり心の不調に繋がる危険があります。

結局私のようなやる気のない生き方が「安全」なのかも知れません。

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2024年8月28日 (水)

価値観とマインドセットを磨く

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

両者の違いは磨き方の違いに連なります。価値観は客観的な評価(どう受け止めるか)であり、マインドセットは主観的な思考・行動の基準(どう発信するか)です。

例えば「対等」という概念について見てみます。

これに価値を認めるか(人と人とは本来対等であると考えるか)否かが価値観です。理念とも言います。

そしてこの価値観(人と人とは対等である)を持った人がそれを実現するために必要な思考習慣がマインドセットです。

例えば、地位や役割(年齢・役職・経験の上下・多少)を離れた場面では意味もなく見下した態度をとったり、へりくだりすぎたりせず、相互に適度な敬意を持つ、といったことです。

組織が何らかの概念に価値を認めている場合、構成員は同じ価値観を磨く必要があります。人によっては努力が必要です。カルチャーショックを感じ自分の価値観を修正しなければならないこともあります。

そして、理念を実現するために必要なマインドセットを持ち、行動できるようになるためには日常の努力が必要です。

私自身はこれを修行だと思っています。

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2024年8月27日 (火)

価値観が修正されるとき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ある価値観に真に共鳴したなら、時間はかかってもマインドセットを変えていく/備えていくことは可能です。

難しいのは、自分のマインドセットを意識すること、さらにそれを変える必要性を感じることです。

人が新しい価値観と出会い、それが自分のそれと相容れないとき、大概は新しい価値観を受け入れることはありません。人は変化を嫌います。

しかし稀に新しい価値観によって自分の価値観が修正されることがあります。それは具体的な必要性を身をもって感じたときです。

例えば私は今「対等」が大切だと思っています。しかし、初めからそのような価値観を持っていた訳でも、漠然と対等という抽象的な概念に共鳴してそれを受け入れた訳でもありません。

きっかけは、ある方が初対面の相手から年下だというだけで目下扱いされ、それを憤慨していた場面に遭遇したことです。

その後年齢だけでなく、不合理な権力格差が所々に存在することが気になり、対等という価値観にたどり着きました。

ところで価値観とマインドセットは同じ概念の時系列的な違いかもしれません。

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2024年8月26日 (月)

マインドセットも変えなくて良いか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

人は元来前向きなものではなく、無理に前向きになろうとする必要はないという考え方をご紹介しましたが、マインドセット全般に同じことが言えます。

米国の心理学者が書いた「マインドセット」という本でも、人の能力は固定的と考えるか柔軟と考えるかを論じています。

一方私がこれまでここに書いたり研修で話したりしてきた「マインドセット」は、もっと多面的で幅広く、考える姿勢や思考習慣の意味ですが、それには人によって元来身についたものがあります。それを変えるのは簡単なことではなく、むしろ無理に変えようとする必要はないとも考えられます。

能動的思考についても、人は元々受動的思考者で、思考停止が自然ですから、無理に能動的思考者にならなくても生きるに支障はないという考え方もできます。

そういう考え方を否定はしません。しかし私は、それでは困ると考えています。革新や創造(イノベーション)を実現することができないからです。

その他のマインドセットについても、変える必要性の有無は価値観の相違でもあると言えるでしょう。

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2024年8月23日 (金)

やる気を出そうとしなくて良い

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

この欄では、自分が元来やる気のない人間だということや、それを出すための色々な方法(感謝とか枠とか檻とかワクワク感とか)について書いて来ましたが、これに関しても多面的に考える余地があることに今さらながら気付かされました(改めて自分の未熟さを認識)。

やる気がないから出そうと考える発想自体が一面的だということです。やる気がないのはその必要がないだけと考えることもできます。やる気を出す必要があれば自ずと出て来るということです。

ある方が、逆説的ではありますがこんなことをおっしゃっています。

「前向きになれと言われるけれど、『前向き』なんて、どっか胡散臭いんですよ。そもそも人間は自己決定で生まれてきたわけではないですから、パッシブ(受動的)なんですよ。アクティブにやれなんて無理でしょう。ネガティブを受け入れるところからはじめなければ」(※)

この方がおっしゃる通り、人は元来前向きなものではなく、やる気がないのは自然なことで、無理にやる気に(前向きに)なろうとする必要はないとも考えられるのです。


※ Yahoo!ニュース 8/17(土) 9:53配信 無理に夢や希望を持つ必要はない、正解なんて出なくていい――恐山の禅僧が語る、「人生の重荷」との向き合い方

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2024年8月22日 (木)

チップ制でサービスは良くなる?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

面白い記事を見つけました。「日本にも絶対チップ制が必要である」という主張です(※)。

筆者は、ご自分が実際に経験された日本の高級ホテルや高級レストランの、状況に柔軟に対応できない硬直的な(慇懃無礼な)対応と、アメリカの庶民的なレストランやコーヒーショップのフレンドリーで柔軟で気前の良い対応を比較した上で、「絶対チップ制が必要」とする理由を次のように述べています。

〈日本のサービスのベクトルのほとんどは雇用主に向いているが、アメリカのそれは100%カスタマーに向いている。もちろん、チップが欲しいからであるが、本当に心地が良く受けたいサービスは後者である〉

確かに傾向として間違ってはいないと思います。「ベクトルが雇用主に向いている」のはサービスの目的がルールやマニュアルを守ることになってしまっているということで、ありがちなことです。

そうなってしまうのはルールが作られている目的への共感が得られていないからです。そこに共感できていれば、自ずとベクトルは顧客に向きます。

価値観の共有です。


※Forbes Japan 2024.08.14

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2024年8月21日 (水)

能動的思考の先にあるものとは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、能動的思考というマインドセット(思考停止させない)は、それが「身に付いている方からすれば簡単なこと」だと書きました。しかし、これはあくまでも相対的なものです。身についている方(能動的思考者)でも、大半の場面では思考停止しています。そうでなければ日常の仕事も生活も迅速な処理はできません。

そして、場合によっては思考停止を解除する必要があるということを理解し、そして実際に解除することができるのが能動的思考者です。

さらに昨日、それは「風土、企業文化の問題」とも書きましたが、能動的思考自体は風土に関わらず身につけられます。問題はそれを活かせるか否かです。

例えば、「言われたことには疑問を挟まずそのまま従っていれば良い」という風土(空気)の組織では能動的思考者が活躍することは難しいでしょう。

しかし、問題はその方に組織の空気、風土を変えようというマインドセットがあるかどうかです。

そのマインドセットを持った者こそイノベーター(改革者)であり、そのマインドセットを志と呼ぶのだと思います。

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2024年8月20日 (火)

マインドセットは変えられるのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「価値研修」ではマインドセット(価値を実現するための心の持ち方や思考習慣)についても学びます。研修と言っても時間も限られているためマインドセットを身に付け育てる訓練まではできず、価値との関係で備えるべきマインドセットは何か、等の知識の獲得までです。

しかし新たなマインドセットを身に付けることの困難さは今に始まったことではありません。

例えば能動的思考(法的思考)という、革新・創造という価値実現のために重要なマインドセットがあります。謂わば「疑う」「思考停止させない」ことで、身に付いている方からすれば簡単なことです。

ところが、これを新たに身につけようとしたり、実際に身につけることは簡単ではありません。法律的な知識や実務経験とも無関係ですので、資格者や実力者でも、これを持たず、その自覚もない方は少なくありません。

これに限らずそもそもマインドセットを新たに身に付ける以前に、それが自分にない、それが必用なことに、気がつきません。

個人の問題でなく、風土、企業文化の問題なのかも知れません。

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2024年8月19日 (月)

価値観の共有とは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

これについてはこれまで次のように定義して来ました(新入社員向け「価値研修」)。

「企業における価値(観)の共有とは、それぞれ異なる価値観をもつ社員たちが、お互いの価値観を理解し、尊重し・・・いかなる価値観に従うかを、共感を持って決めることである」。

しかし、この定義はいささか不正確だったようです。

個人の価値観は内面の問題で、人が他人の価値観を知るのはそれが外に表現されたときだけです。その端的な例が、人がとった何らかの行動が他と異なるときです。そこに価値観の相違が見出されることが間々あります。

その時にお互いの価値観を理解し、尊重することが個人間における価値観の共有です。いずれかの価値観に従うことではありません。

一方、企業はその価値観即ち企業理念に社員が従うことを求めます。企業が前に進むために必要なことだからです。

これが企業と社員との間の価値観の共有です。従うべき価値観(理念)の決定とは別の次元の概念です。

冒頭の定義は企業の場合と個人の場合を混同していて不正確でしたので、上記のように訂正します。

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2024年8月16日 (金)

Rizzになるための魔法

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

Rizzは受け止める側が相手をそう認識するかどうかの問題です。ただ、黙っているだけではそう認識してもらえません。

赤ん坊だけは例外で、生まれついてのRizzです。自らそうなるための行動をしなくても、受け止める側にそのような感情が湧きあがるしくみが作られています。それはまるで魔法のようです(正体は「愛情ホルモン」オキシトシンが分泌されるプログラム)。

しかし天が施した魔法の効果は成長するにつれて徐々に薄れ、大人になると完全に失われます。その代わり大人には自分がその魔法を使う力が与えられます。自分の力でオキシトシンを出す(出させる)ことができるようになるのです。例えばスキンシップや、感謝の気持ちを持つといったことによってもオキシトシンは分泌されます。

実は魔法はオキシトシンに限らず、あらゆるプラス感情を生み出します。

プラス感情とは、愛情、友情、親近感、尊敬、憧憬等、言わば「愛」です。

魔法の使い方は簡単で、自分が相手に「愛」を持ち、それを相手に対して行動、仕草、表情、言葉等で示すことです。

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2024年8月15日 (木)

誰もが初めは皆Rizzだった

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

最近Rizzの話ばかりしているのは、これを身につけることが人も組織も幸せになれる簡単な方法だからです。

そして今日は、私達の大半が生まれながらにしてRizzだったという話です。

つまり、殆どの人は生まれた時に父母・祖父母やきょうだいや周囲の大人たちに愛され、可愛がられていたはずです。言い換えれば、誰もが皆、人を魅了するRizzだったのです。

成長過程でも子供は親や家族のRizzであり続けますが、やがて(人によって差があるかも知れませんが)そうではなくなって行きます。

そして今度は、家族以外の誰かにとってのRizzとなったり、なろうとしたりします。学校に行けば友達ができ、また作ろうとします。

もちろん個人差はありますし、全員に当てはまることでもないですが、今もみなさんの多くは誰かにとってのRizzだと思いますし、大抵の場合みなさんにとってのRizzも存在すると思います。

例えば我が社でも、それぞれのメンバーが他のメンバーにとってのRizzになる(なろうとする)ことは難しくないはずなのです。

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2024年8月14日 (水)

ホスピタリティとRizzとカリスマ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ホスピタリティの概念は一般的には客に対するもてなしや歓待の意味で使われます。つまり、「自己と客」という、立場の違う二者の対立構造や上下関係を前提とするものです。

しかし、自己と客との関係だけでなく、上司と部下、教師と生徒、サービス提供者と依頼者等あらゆる「立場」の違いは絶対的なものではない、つまり役割を離れれば対等なものです。

そこで、昨日の当欄では対等な関係を前提にした人と人との結びつき(コミュニケーション)を前提としたもの(ホスピタリティからさらに一歩進んだもの)としてRizz(人を魅惑する力、その力を持った人)を取り上げました。

Rizzによるコミュニケーションは、一方が他方に奉仕するとか、逆に優越するなどといった、二項対立や上下関係でなく対等な立場を基盤としなければ成立し得ないものです。

そして、その関係を作り出す源となり、またその関係から生み出されるものは、お互いに対する敬意や好意、関心です。

そこが一般的な理解におけるカリスマ(上下関係が前提)とは違うところなのです。

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2024年8月13日 (火)

だれにでも同等に接してこそrizz

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日ある社員の方がエントランス前で来客に「いらっしゃいませ」と声をかけたところ、実はその方は入社間もない新人の方で、恥ずかしく気まずい思いをしたという話を聞きました。

確かに新人の方を紹介される機会はありますし、何千人も社員のいる大会社でもありませんから、新人でも顔を知っているべきで、知らなかったことを恥ずかしく思ったり当人に申し訳なく思う気持ちは理解できます。

しかし、私はこのエピソードから別のことを学びました。

この方が来客に声をかけたのはホスピタリティ精神からだと思います。しかし、更に進んで「rizz」(カリスマ的資質)から、あるいはrizzになるための努力として、自分の知らない方に対しても積極的に声をかけることを心がけていたのかも知れません。そうだとすると嬉しいことです。

ただ、来客と同僚とで挨拶の言葉を使い分けることはrizzとしてはまだ十分ではないと思います。

どちらに対しても「こんにちは」と声をかけられ、一方にへりくだり過ぎないことこそrizz的ではないかと思います。

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2024年8月 9日 (金)

挨拶から始まる全員”Rizz”

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「Rizz」になる(カリスマ的資質を身につける)ためのテクニックとしてWSJの記事で紹介されていることの中には、私自身心がけてきたことも色々あります。

これらが個人的な成功(友人を作ったり昇進する)のためのものとして紹介されているように、私の「心がけ」にも正直そういう意図はありました。

だからこそ、誰でもカリスマになれるとか、そうなるための方法があるなどと考えたことはありませんでした。

しかし、Rizzという呼び方をすることや、皆がこれを身につけることを想像すると、なぜか楽しい気持ちになります。

つまりRizzは、弊社のビジョンでありパーパスである楽しい会社、幸せな会社を実現するための、一つの重要なヒントになるのではないかと思うのです。

つまり、全員がRizzになることを目指すべきだと思いますし、そのためのテクニックを身につけるべきだと思います。

テクニックというと浅薄に響きますが、それはただ自分が人に興味がある(好きである)ことを形として表すことです。

そして、その第一歩が挨拶です。

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2024年8月 8日 (木)

みんなでカリスマを目指そう

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

WSJはカリスマ(的資質)「Rizz」(1)を、「その人に接すると温かみがにじみ出て、何もしなくても周りに人が集まってくる資質」と定義し、それがあれば人との交流がスムーズになり、友達作りや昇進にも役立つと言っています(2)。

そして「出世に役立つのは、人とコミュニケーションを取り、信頼を得る能力」でありスキル(業務が出来ること)ではないとも言います。

さらに、Rizzは限られた人が持つ才能ではなく、努力して身につけられるとも。

その方法として、
・有意義で本質を突いた回答を引き出しながらも詮索にならない深い質問をする
・同僚の誕生日など人々の人生の詳細や日付を覚えておく
・手書きの短い手紙を送る
・非言語の合図(ゆっくり3回うなずき、話に耳を傾けていることを示すなど)
などのテクニックを上げています。

つまり、誰でもカリスマになれる、いや、なるべきだということです。

要は、まず人に興味を持つこと。そしてそのことを具体的に相手に示すことです。どちらも才能は不要で、意識と努力で実践できることです。

1 https://front-row.jp/_ct/17671634
2 https://jp.wsj.com/articles/is-rizz-the-secret-to-getting-ahead-at-work-6309454b

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2024年8月 7日 (水)

イノベーションには多様性がなぜ必要か

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

朝礼でコミュニケーションの活性化と多様性の尊重はイノベーションを起こしFLC&Sが勝ち残っていくために不可欠な要素である(規模が大きいだけでは勝ち残って行けない)と言いました。

なぜでしょうか。

それは、イノベーション(改革)は一人では実現できないからです。

改革は段階を追って進んでいきます。まず、問題点を共有します。次にそれを解決するためのアイディアを出し合います。あるいはアイディアを共に創り出し、練り上げて行きます。

ここでコミュニケーションが重要なのは言うまでもありませんが、多様性はその大前提として不可欠なものなのです。

この場合の多様性とは、アイディア(考え方)の多様性です。世の中には多様な意見やものの見方があり得るということです。

それを前提にしなければコミュニケーションは意味を持ちません。皆が皆金太郎飴のように同じ意見であれば、それを出し合う必要はありません。それ以上のものに育てることもできません。

異なる意見を相互に受け入れ、違いを知るからこそ磨かれ育って行くのです。

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2024年8月 6日 (火)

試行錯誤の正体

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

試行錯誤というとカッコ良く聞こえますが、実はただ思考停止していただけということが大半です。

それまで当然と思っていたことの周辺でたまたま立ち止まった時になんとなく違和感を感じ、原因を探り始めるという感覚です。

その繰り返しです。

例えば、(狭義の)「不動産事故防止」についてです。最近まで私はそれを行うことは司法書士の職責として当然であると考えていました。

自分の司法書士としてのあり方(理念)ならそれで十分です。しかし、私は一人で仕事をしている訳ではなく、それを自分以外の人にも実行してもらう必要があります。

それまでは、人も私同様当然それが必要と考えるだろうと思っていましたが、それこそ思考停止で少し考えれば分かることであり、人と自分は見えていることも考えていることも違います。

そんな当たり前のことにやっと気づき、なぜ事故防止が必要なのかを考え始め、ようやく不動産事故防止対策をとることには法的な根拠があるのか、という論点にたどり着いたという訳です。

お恥ずかしい限りですが、これが私の「試行錯誤」の正体です。

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2024年8月 5日 (月)

よしなしごとの作り方

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日ある方からこの「よしなしごと」について、「経営者が毎日情報発信するのは珍しいことではないが、試行錯誤の過程まで含めて書く人はあまりいないのではないか」と言われました。

それが良いとも悪いともその方はおっしゃいませんでしたが、自分では気付いていなかった観点ですし、他人のあまりやっていないことをやるのが好きな質なのでこのままのスタイルで続けようと思いました(笑)。

実は未熟な自分が考えていることや気付いたことを毎日発信するためにはそうならざるを得ないというのが本当のところですが。

ついでにもう一つ種明かし(?)をしますと、この試行錯誤というのも、一つのことについてああでもないこうでもないと考え続けるというよりは、一気に一つの考えをまとめたら後は放置しておく(他のことに意識を向ける)と自ずと違う考え方が浮かんで来るというイメージです。

特に一晩置くと新しい考え方が浮かんで来ることが多く、翌日掲載のため夜中に目が覚めて書き直すことはしばしば。(その方によると)睡眠中に脳が思考を整理するのだとか。

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2024年8月 2日 (金)

勘や直感を意識して身につける?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私はそもそも何かを身につけるために努力するなどという習慣のない怠け者なので、勘を身につける訓練をするという発想はないのですが、羽生さんは、そのことについても書かれています。

直感は「脳の回路が鍛えられ、修練されていった結果」であるとし、方法についても色々と書いています。例えば、対局の現場へ行って「対局者と同じ時間を共有しながら、自分の頭で考える」という「経験を積むことでも直感を導き出す力は鍛えられる」。

また「経験から直感を導き出す訓練を、日常生活の中でも行う必要がある」。

これらは、FLC&Sが大切にしている(身につけて欲しい)マインドセットの一つ「能動的思考」にも通じるものです。将棋の対局のような究極の局面だけでなく、日常の何気ないルーティンワークの中でも、「自分の頭で考える」というマインドセットが備わっていれば自ずと勘が鍛えられるのではないでしょうか。

また、新しいことへのチャレンジを好むマインドセットがあれば、敢えて訓練に努めなくても多様な経験を積み勘も養えるのだと思います。

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2024年8月 1日 (木)

勘の沸き起こる感覚

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

羽生さんは、私の「勘-マグマ論」(?)に似たことも書いています。

よけいな情報を増やして自滅してしまうよりも、「その状況を理解するというのだろうか、『ツボを押さえる』といった感覚が自分の中に出現するのを待つことが大事なのではないかと思う。 」

そのためには、「まずは地を這うような読みと同時に、その状況を一足飛びに天空から俯瞰して見るような大局観を備えもたなければならない。そうした多面的な視野で臨むうちに、自然と何かが湧き上がってくる瞬間がある。 」

「こういう方針で、こういう道順で行けばいいと、瞬時のうちに腑に落ちるような感じとでもいうのだろうか。考えを巡らせることなく一番いい手、最善手が見つけられる。その場から、突如ジャンプして最後の答えまで一気に行きつく道が見える。ある瞬間から突如回路がつながる」。

「自然と湧き上がり、一瞬にして回路をつなげてしまうものを直感という。 だから、本当に見えているときは答えが先に見えて理論や確認は後からついてくるものだ。」

この感覚は棋士も司法書士も同じ・・。

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