経験とカンは使えるか 3
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
弊社には不動産事故を防いで来た実績が少なからずありますが、それが出来たのは不完全な基準を「経験とカン」が補って来たからだと思います。
やがて主観的な「経験とカン」はある程度客観的化され、自主基準(教科書)を構成し、経験がないことでも的確な判断ができるようになります。
しかし、誰も経験したことのない危険は新たに現れ続けますからそこにも限界があり、「カン」の働く余地はそれだけではなくなりません。
逆に、教科書通りの確認が行われていなくても安全性に確信が持てることがあります。この感覚も「カン」だと思います。
あるいはそもそも全ては「カン」によって先に結論が出ていて、そこに説得力を持たせるために基準を設け、事実確認での裏付けをしているに過ぎないのかも知れません。
そう思いたくなるほど「カン」とは不思議で、大きな力を持ったものだと思います。
やがて膨大なデータを学習したAIが事故防止を行うようになっても、AIに「カン」はなく、人間の「カン」が働く余地が残るのではないかと思います。
私の「カン」ですが・・。
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