偏見について立ち止まって考える
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
時々当欄の感想をチャットして下さる方から、「見た目問題」についてもコメントを頂きました。そこに、フランスのある団体が行った社会実験を紹介する日本のサイトが紹介されていました。
その実験は、何組かの親子にスクリーンに映し出される人が顔をゆがめる様を真似させるというものです。何人か写し出される中の最後の人物は、恐らく何らかの原因があり意図せず顔がゆがんでしまうと思われる方でしたが、その方が登場すると、子供はそれを真似ますが、大人は真似ませんでした。
そのサイトでは「障害者に対する無意識の偏見」としていました。
しかし、それは単に大人は子供に気が付かないこと(顔をゆがめる理由)に気が付き、さらに立ち止まって考えることができるということに過ぎないのではないでしょうか。
大人はそれができるので、子供のように無邪気に外見や動作を真似ることができない(それがその人を蔑みあるいは傷つけることにつながると考える)のではないでしょうか。それを偏見という一言で片付けることは無理なのではないでしょうか。
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