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2024年6月21日 (金)

立ち止まると得られるのが気付き

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、「服装は敬意の現れ」と書いたところ、「自分は着たいものを着るので、敬意という観点はなかった」という声がありました。しかし、ここに書くのはあくまでも私の一意見に過ぎないですし、仮にそこに真理が含まれることがあっても、あくまでもそれは「一面の」真理に過ぎません。「服装は自己表現である」というのも真理であると思います。

また、これは私が「気付いた」だけで、「今さら何を当たり前のことを」と思われた方もいらっしゃったと思います。例えば、冠婚葬祭の場に参列するときに、誰でも決まり切った礼装をする理由を問うと「みんながそうだから」「そういう慣習だから」「それが礼儀だから」という答えが返ってくると思いますが、さらにそれはなぜかと考えると「他者への敬意を表すため」というのも一つの答えとして出てくると思います。

このように、気付きは、当たり前のことを一度立ち止まって考えてみた結論です。冠婚葬祭に限らず服装は場で決まる→場にふさわしくない服装がなぜ不快か、と考えて得た結論が昨日の気付きです。

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