一つの言葉に立ち止まってこだわる
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
ある言葉に違和感を感じ少し考えました。
先日の「顔しかめ実験」を紹介した記事では、子供が顔真似を続けたことを「純粋な行動」だとしています。
「純粋」は通常「欲やかけひきがない」という意味で使われますが、ここでは「悪意」、即ち、傷つけ、蔑むなどの否定的な気持ち(ここでは「哀れんだり、無視したり」と言っています)がない、という意味で使われています。
つまり大人も子供も「純粋な行動」をとるべき、つまり偏見に満ちた悪意のある行動はとらないようにすべきだという文脈です。
それ自体は良いのですが、仮に大人が顔真似をしたらそれを「純粋な行動」と言うことには違和感があります。悪意ある、または子供じみた行動と言う方がしっくり来ます。
この場合使うなら「純粋」でなく「未熟」だったと思います。子供の行動も、純粋さではなく、未熟さ(気付きや気配りができない)のなせる技です。
ただ、同じ顔真似でも大人であれば「悪意」があるように見られ、子供であれば「純粋」に見られ勝ちです。これもよくある偏見だと思います。
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