立ち止まったらまた歩く、ということ
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
良く考えてみますと、大人が誰でも意図的に立ち止まってものごとを考えることができるとは限りませんね。昨日の実験で、障害のある(であろう)方の顔真似をしなかった(できなかった)方も、理由は他にあるかも知れません。
もちろん顔真似の是非を考えた方もいると思いますが、単にその実験に驚いたり違和感を感じただけかも知れません。顔をゆがめる動作だけを取り上げて、所謂「障害者と健常者」を比較するなどということはあまりないことだからです。
ところで偏見とは文字通り「偏った見解」です。多様な側面を持つ事物の一側面しか見ないことを指すのだと思います。
ただ、誰にでも最初は物事の一側面しか見えません。そこで立ち止まることなく他の側面も見ようとすることで、色々な側面が見え、やがて事物の本当の姿を捉えることができるようになります。
いわゆる「障害」も、人間の一側面に過ぎませんから、最初はそこしか見えなくても(偏見)、立ち止まらずに他の側面も遍く見ようとすれば、その人の姿を正確につかむことができる筈です。
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