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2023年8月31日 (木)

挨拶の意義

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

FLC&Sでは「挨拶」を重視しています。「FLC&Sの教科書」にも掲載されていますし、本欄でも何度も取り上げています。その意義に関しては礼儀や技術、ルールという観点からご説明して来ましたが、今日は、これまでとは違う観点からご説明したいと思います。

私は、挨拶には人と人との「心の交わり」の入口としての意義があると思っています。「心の交わり」とは何か、うまく説明はできないのですが、言ってみれば、「必須ではない意思疎通」です。

みなさんは当然業務を進めるにあたって「必須である意思疎通」を、同僚や上司・部下との間で行っていると思います。それ以上の「必須でない意思疎通」は、「必須でない」のですから行う必要はないわけです。

ですから、仕事上の関わりのない方と敢えて会話をする必要はありませんし、挨拶もする必要はないでしょう。

しかし私はみなさんに、この「必須でない意思疎通」を行うことをお勧めしたいのです。なぜならこれが、それまで知らなかった世界を知り、人生をより豊かなものにしてくれるきっかけになると思うからです。

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2023年8月30日 (水)

今、ここを生きる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「対話」の6つ目の要素は「今、ここ」を生きることです(同書209頁)。

当たり前のことを言っているようですが、中原教授によると、私達は日常生活の中で、「今、ここ(Here and now)」を生きていないのだそうです。そう言われてもピンと来ない方も多いかも知れませんが、次のような例を上げられると、納得できると思います。つまり、日頃私達はあまり「今、ここを生きる」ことを意識していないということです。

今、ここを生きていない例として「対話の最中にスマホを見つめている」や、「ワークショップの最中に、職場から電話が入り、『ちょっとあっちで電話してきていいですかー、あの件、てんぱっちゃってて』という」などを上げています。

これはみなさんにも心当たりがあると思います。つまり、「今、ここを生きる」ことは、「意図をもって選択し続けなければならない」のです。

対話においては、「『今、ここ』の瞬間に、自分が感じたことや脳裏に思い浮かんだことに誠実になり、自ら気づいたことを、相手に伝えることから逃げてはいけません」。

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2023年8月29日 (火)

マイノリティの声をスルーしない

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

お互いの意見のズレの探り合い(「対話」の要素⓹)をする場合にもう一つ注意したいこととして、中原教授は「マイノリティの声を聞き流さないこと」を上げています(同書206頁)。

最終的にマイノリティの意見は採用されないかも知れませんが、重要なのは採用される(可能性がある)かどうかではなく、「お互いの視点や意見の違いを交換し合うこと」だからだと言います。

少数派の意見を汲み上げて尊重することが大事であることは、民主主義教育を受けて来たみなさんなら(頭では)わかっていると思います。しかし、これが現場でできているかどうかはまた別の問題です。

「話し合いが苦手」(8月8日付当欄)だったり、「心理的安全性」が不十分(6月19日、8月21日付同)な職場ではできていないことが多いでしょう。

つまり、マイノリティの声をスルーするというより、スルーされるからマイノリティなのでははないでしょうか。

支持者が相対的に少ないからではなく、その意見が取り上げられ検討されることがないからこそ、マイノリティなのです。

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2023年8月28日 (月)

他人の靴を履く

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「他者の合理性を大切にせよ」と言われて、「自分は他人の立場に立って考える(他人の気持ちを想像する)ように教えられてきたし、そのように心がけているから大丈夫だ」と思った方もいらっしゃるでしょう。

でも、自分と違う考えを持った方がいるときに、その方の「立場に立つ」(合理性を感じ取る)事が本当にできているでしょうか?

実は、それができているかどうかは、他人の立場に立っている(と思っている)時に、「違和感」を感じたかどうかでわかることがあるのです。本当に他人の立場に立っているのであれば、なにがしかの違和感を感じるはずです。

それを中原教授はブレイディみかこさんの表現(※)を借りて、「他人の靴を履く」ような感覚だと言っています(同書205頁)。

自分と異なる意見を持った方の「肩越し」からその方の見ている光景をながめ、その方の考え方とのズレを実感するとき、その感覚は、あたかも他人の靴を履いたような感覚であるはずなのです。

もしそれがなければあなたは他人の立場にたっている「ふり」をしているだけなのかも知れません。

 

※ブレイディみかこ「他者の靴を履く アナ-キック・エンパシーのすすめ」(文芸春秋2021年)

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2023年8月25日 (金)

他者の合理性を大切に

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「お互いのズレを分かり合う」ために必要な「知的態度」として「『他者の合理性』を大切にすること」が上げられています(同書200頁)。「他者の合理性」とは「他者には他者なりの筋道の通った世界(合理性)がある」ということです。

他人が「なぜそんなことをいうのか、どうしてそんな行動をとるのか理解できない(その考えは間違っている、その行動は正しくない)と感じることは良くあることだと思います。

その時みなさんどうしていますか?

「いやそれは違うよ、それはこうだよ(これが正しいよ)」と指摘するか、指摘しないまでも、あるいは一応「傾聴」するにしても、少なくとも内心ではそう考える方が大半ではないでしょうか?

しかし、それでは「対話」を正しく行うための態度としては良くありません。

例えますと、「『他者の肩越し』から他者の見ている光景を見つめ、他者の立場に立って物事を考え」、「他者の合理性」を感じ取る(相手がなぜそう考えたのかがわかる)ことが重要なのです。

「他者の合理性」の分かりやすい例として、下記が紹介されています。
https://www.pressnet.or.jp/adarc/adc/2013/no1_b.html

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2023年8月24日 (木)

対話には「間」も必要

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「対話」の5つ目の要素は「お互いのズレをわかり合う」ことです(同書194頁)。こう言われてピンと来る方は殆どいないと思います。大半の方は、人々の意見が多様であることは当たり前だ、自分と意見が違うことがあるなどということは分かり切っていることだ、と思うのではないでしょうか。

しかし、みなさんの日頃の会話の進め方を見ると、決してそうではないことがわかります。相手の発言が終わらないうちに、かぶせるように自分の発言をし始めたり、賛否を表すのは珍しくないのではないでしょうか。私自身それをやっていたことに、この本を読んでから気づかされました。

「ズレをわかり合う」ためには、相手の意見を一旦受け取って「鑑賞・吟味」する時間が必要です。「ははあ、Aさんはそう考えているんだね、ふーん」と「相手の意見が自分の考えとどのように違っているのか、何が同じなのかを見つめる」ことが必要です。

その時、考える時間が必要ですので、対話の中には「間」が生まれます。

今、「間」のある会話をすることは殆どないのではないでしょうか。

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2023年8月23日 (水)

神のお告げは正しいか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「○○さんが~という考えだ」の「○○さん」は特定の個人とは限りません。ネット上の情報であったり、書籍の内容であったりします。

「対話」の要素として問題なのは、ネットでも書籍でも自分の意見を根拠としていない点なのですが、それとは別に、特に私達の専門分野である法律や登記に関して議論するときに、その情報が信頼できるのか、という問題があります。

往々にして「××先生のご著書に~と書かれているから~と考えるべきである」と、さも信頼できる情報だという言い方をされます(この方が心から著者を尊敬しており私淑しているというのであれば、「先生」と呼ぶのも一応は理解できます)。

しかし、著者がたとえ有名な方であっても、書籍を根拠にされると、天の邪鬼な私はすんなりと「はいそうですか」とは言えません。まるで「神がおっしゃるから正しいのです」と言われているようで、「いや私はその神は信奉していませんから」と言いたくなります。

その「神のお告げ」がなぜ正しいのか、信じられるのかを論じてもらわないと法的な議論にはなりません。

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2023年8月22日 (火)

自分を持ち寄る

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「対話」の4つ目の要素は「自分を持ち寄ること」です(中原淳「話し合いの作法」183頁)。

「自分を持ち寄る」とは「自分が、ひそかに抱きしめて来た意見や価値観を、他者の目の前に、そっと差し出すこと」です。これを中原教授は別に「当事者性」という言葉を使って表現しています。

「当事者性」は1つ目の要素である対話のテーマについてのものでもあります。対話のテーマは自分たち自身の問題ですから、当事者性は当然だと思えるのですが、実は私達は自分たちの問題を自分たちの考えとして論じない習慣ができていると教授は仰います。

みなさんの「話し合い」でも、こんな「意見」の述べ方がよく見られませんか?

1 根拠:「みんな~と言っています」「○○さんが~という考えだ」「会社の方針は~だ」
2 結論:「だから~すべきだ」

こういう言い方をされると、そこには「自分」がなく、議論の余地がありません。

「対話」は単なる雑談や情報共有と違って、決定(議論)に至る前提とならなければなりませんから、「自分を持ち寄る」ものでなければならないのです。

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2023年8月21日 (月)

フラットな関係

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「対話」の3つ目の要素は「フラットな関係」(同書168頁)です。

私達が職場で「話し合い」をするとき、参加者の間には必ずフラットでない関係があります。役職、年齢や年次、実務経験などから来る上下関係です。

これらの上下関係をなくすことは難しいですが、心理的なフラットさは作れます。ただ、意識して行う必要があります。

一つは、「上から発言」をやめることです。上の地位の方が、相手の発言を最後まで聞かずに被せるように自分が発言する、もしくは、「そうだね」「いいね」「賛成」など評価する発言をする、などは多いと思います。これをやめることです。

ただ、無意識に行うことが多いので、自分がそれをしていることに気づくことが先ず必要です。

もう一つは、以前にも書いた「心理的安全性」です。これは次の2段階の手順で実現します。

1 発言しやすい題材で全員に発言を促し、皆が関心を持って聞く。
→何を言っても大丈夫だという雰囲気を醸成。

2 それぞれの発言を一旦「ひろう」。
=耳の痛いことでも取り上げ、意見を出してくれたことに感謝する。

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2023年8月18日 (金)

成功力

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、独立のメリットは法人所属のままでも享受できると書き、誤解を招いたようですので簡単にご説明します。

法人所属のままで独立のメリットを得る方法とは、例えば次のようなことであり、組織内で独立するということではありません(そもそも「組織内で独立」は矛盾です)。

1 高年収・・高い評価を得ること。
2 仕事の自由度を上げる・・管理監督者やスペシャリストになるなどして、自己の裁量を増やすこと。

特に弊社のように明確な理念の下で大きく成長し、日々のイノベーションによりさらなる成長・発展を目指している企業では、司法書士が組織内で活躍する機会は多く、成功の可能性も高いと言って良いと思います。

つまり重要なのは「独立力」ではなく「成功力」なのです。

そして、資格者以外の方たちも、弊社で成功力を身に付け、発揮することで、一般企業以上の成功を得られる可能性が、特に今後弊社では高まっていくと思います。

もちろん独立の意義や目的は多様だと思いますので、独立を志向される方は応援しますが、是非弊社で「成功力」を身に付けて欲しいですね。

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2023年8月17日 (木)

「独立力」を試す

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今日は「対話」の話を休み、「独立」についての話です。

弊社の司法書士の中にも明確な独立予定を持っている方は何人かいらっしゃいます。漠然と独立を考えている方も含めて、自分が独立して成功できるかどうかが気になる方は多いのではないでしょうか。

独立して「成功する」とは、独立のメリットを享受できるということだと思いますが、一般的に言われている独立のメリットは、年収の高さ、仕事の自由度(仕事や顧客・マーケットの選択、ワークライフバランス、事務所設計、場所など)、達成感、などだと思います。

これらはどれも法人所属のままでも享受できます(資格の有無も関係有りませんが)。

つまり、独立の必要はないのですが、どうしても独立したい方は、まず法人内でこれらのメリットを獲得できるかどうか試してみれば良いと思います。ある程度でもそれができない方には、独立してそれを行うことは非常に難しいと思います。

独立に何の心配もないという方や独立そのものが目的だという方も、自分のこの謂わば「独立力」を試してみては如何でしょうか?

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2023年8月14日 (月)

対話には時間がかかる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「対話」の2つ目の要素は「メンバー全員が偏ることなく、等しく発言している状態」(「人が向き合って言葉を交わす風景」同書156頁)。

実はこれが難しい。メンバー全員に発言の機会を与えることは当然必要ですが、それだけでは不十分です。リーダー(ファシリテーター、司会進行役)は、メンバーに十分考えて発言させる時間を与えることが必要なのです。

この点、私もそうですが、みなさんにも心当たりがあるのではないでしょうか。リーダー自身や一部の「声の大きい人」だけが発言し、「声の小さい人」には十分な発言機会や、考える時間を与えないということが有りがちでは?

そうなる原因の一つが、リーダーが「沈黙を恐れる」点にあります。また、対話に十分な時間を確保していないことも理由の一つかも知れません。

すると、「なんで忙しいときに対話に時間をかけなければならないのか?」という声が聞こえて来そうですが、そこで思い出してほしいのが、対話の目的です。

対話は全員が当事者となっている問題を解決するために行うものだということです。

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2023年8月13日 (日)

ケリのついていないテーマ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

中原教授によりますと(「話し合いの作法」PHPビジネス選書)「話し合い」には「対話」と「決断」の二つの局面があり、対話には8つの要素があります。

対話の1つ目の要素は、目的に関するものです(同書134頁~)。
対話を成立させるためには、「それぞれのメンバーが問題の当事者であるが、いまだに解決できていないこと」をテーマとする必要があります(これを教授は「ケリのついていないテーマ」と呼んでいます)。

さて、みなさんもお気づきだと思いますが、対話の成立は、メンバー全員が参加することを前提としています。「参加」とは、会議の場に出席するという意味ではなく、対話に加わる(テーマについての自分の考えを話す)ということです。

逆に言うと、メンバー全員が自分事として考えることができ、決めたいと思えるものこそが対話(「話し合い」)のテーマになるということです。

昨日、「話し合いの必要なものは決定を必要とするもの全てである」と言いましたが、「決定を必要とするもの」=「ケリのついていないテーマ」だということです。

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2023年8月12日 (土)

「話し合いの必要なもの」 修正版

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、「話し合いが必要になるのは、反対意見が出ることが想定できる場合だけだ」と書きましたが、少し急ぎすぎて考えが浅かったので修正します(毎日書くことにするとこういうことがあります)。

まず、課題に対して出される意見を単純に「賛成」と「反対」に分けること自体が乱暴でした。人の考えはそんなに単純なものではなく、多様で複雑なものです。

多様な意見があるからこそ「話し合い」が意味を持ってくるのです。

次に、反対意見(多様な意見)が出ることが「想定できる場合」としたのもよくありませんでした。これには問題が2つあります。

1 解決すべき課題に対して「多様な意見が出されることを想定しない」などということができるのか?

2 仮にそれが想定できるとしても、果たしてそれを誰が判断するのか?

ですから、原則として話し合いを必要とするものは決定を必要とする全ての課題だと考えるべきでしょう。

時間との兼ね合いは、課題に優先順位をつけて解決することになりますが、これも誰が判断するのかという問題は残ります。

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2023年8月11日 (金)

話し合いの必要なもの

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

全ての会議に「話し合い」が必要な訳ではありません。必要なのは何かを「決める」場合です(何も決めないものはそもそも「会議」と呼ぶべきではないでしょう)。「非対話的」なもの(8月1日)の一つである「業務報告」や研修、注意事項の「共有」を行うだけの場合は「話し合い」の余地はありません。

もちろん、何かを決める場合全てに「話し合い」が必要だという訳でもありません。

「話し合い」が必要になるのは、反対意見が出ることが想定できる場合だけだと言って良いのではないでしょうか。

というと、殆どの決定事項には反対意見が想定できるから、「話し合い」が必要となる。しかし、そんなことをしている時間はない。多数決で決めれば良いではないか、と言われそうです。
しかし、そうやって決めた結果には後々色々と問題が生じることが多いのです。

即ち、後日になって反対した人の不満が噴出したり、決まったことに従わない人が出てきたりということが生じるのです。

そうならないように、仮に多数決による場合でも、その前に「話し合い」が必要になるのです。

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2023年8月10日 (木)

空気を読まない会議

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の月次朝礼で、「会議で空気を読まなくてよくなれば、ウチはもっと強くなる」と言いました。この「空気を読まない会議」が、中原教授の言う「話し合い」の場です。

「話し合い」には「対話」の局面と「決断」の局面があります。「対話」とは、「お互いの意見のズレや違いを表出させ、認識し合うようなコミュニケーションのこと」です(「話し合いの作法」90頁)。

ここでは「空気を読まず」に、自分の考えを素直に述べれば良いだけです。ただし、「対話」ですから、一方的に自分の考えを伝えるだけでなく、相手(他のメンバー)の考えを、一旦は素直に受け取ることも必要です。

そして、相手の言っていることが自分の考えとどのように違うのか、何が同じなのかを見つめる「鑑賞・吟味」をし(195頁)、次の局面に移ります。

現在の私達の会議の場では、これは殆どなされていないと思います。

もちろん全ての会議にこれを求める必要はありません。先日お話したようにTBSは様々な目的をもっていて、必ずしも全てに「話し合い」が必要である訳ではありません。

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2023年8月 9日 (水)

研修から話し合いへ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日の「価値研修」ではさらに大幅に内容を変更しました。情報量を半分程度に減らし、進め方も大きく変えました。最初の30分は一方的に私が話し、休憩を挟んだ後半にその復習の形式で、参加者の方々の考えをできるだけ聞くようにしました。

例えば「多様性」という価値について、これまでのFLC&Sの失敗から生み出されたものであるという正しく正鵠を射た意見が出され、メンバーの理解の深さを感じましたし、一人一人の具体的な「マインドセット」も聞くことができ、大変勉強になりました。

さらに、「価値は、単なる理想論でなく、具体的な施策に活かされなければ意味がないと思う-例えばラウンジの設計」という、耳の痛い意見が出されたことは特に今回の収穫であったと思います。今後もこういった意見が出されることを期待します。

なぜなら、自分自身の問題(例えばラウンジ)についての考えを伝え、また、他の人の考えも聞き、それを踏まえて「決断」をし、ともに前に進んでいくという、今学んでいる「話し合い」に多少なりとも近づけると思うからです。

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2023年8月 8日 (火)

日本人は「話し合い」が苦手

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

では、「話し合い」と、その要素である「対話」についてもう少し詳しく見ていきましょう。

まず、中原教授は、日本人は話し合いが苦手だとおっしゃっています。その理由は下記の3つです。

1.同質性
・日本人は、同質性が極めて高い集団の中でお互いに同調行動をとりながら日常生活を送っている。
・同調圧力が強く「みんなの前でこんなことを言ったら後から刺されるかもしれない」と発言をためらいがちになる(「出る杭は打たれる」)。

2.ダメな話し合いの積み重ね
・子供の頃から「ダメな話し合い」を数多く経験してきている。
・話し合いの方法についてきちんと教わらない(身につけない)で、学級会や部活のミーティングなど、「話し合いを実践する機会」を数多く経験。

3.正解主義
・日本の学校教育では一斉授業や暗記中心の学習を通じて「正解主義」的な考え方が強くなる。
・それによって「答えのないもの」を自分の頭で考えることに苦手意識を持つようになる。
・話し合いは「答えの出ていないこと」を皆で対話して考える、「かったるい行為」である。


※以上、「話し合いの作法」p.40~

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2023年8月 7日 (月)

チームビルディングと対話  続き

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

もう少しわかりやすい言葉で言いますと、チームビルディングとはチームを「まとめる」ということです。
それぞれ多様な個性を持ったメンバーにまとまりを持たせ、個々の力を超えてチームとしての一つの成果をあげられるようにすることです。

そのために、TLは、構成員相互の関係性を効果的に高めるにはどうすれば良いのか、一つのチームとしての一体性をもたせるためにはどうすれば良いのか、等々に頭を悩ませることになります。

これらの問題を解決するために大いに役立つのが、これまで何度かご紹介した「話し合い」であり、その要素である「対話」だと、私は考えています。

即ち、実現あるいは解決すべき課題を、チームメンバー全員が「自分事」として考え、それぞれの考えを伝え合い、お互いの考えの違いを受け止め、それを前提にして一つの結論を出して、一緒に前進していく、という(※)「話し合い」そのものがチームビルディングの要素であると言ってもよいのではないでしょうか?

「話し合い」を通じてチームをまとめるのがTLの役割なのです。

 

※(何度もご紹介していますが)中原淳「話し合いの作法」(PHPビジネス新書/2022年)

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2023年8月 6日 (日)

チームビルディングと対話

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

対話の話に戻ります。

「非対話的」なものの例を3つ(一方向、非対称、立場)見て頂きましたが(8月1日)、今FLC&Sで見られるコミュニケーションには「非対話的」なものが多いことにみなさんもお気づきになったと思います。

現在最も対話に近いものが行われていると思われるのが、Team Building Session(TBS)です。
ただ、TBSはチームリーダー(TL)の裁量で、様々な目的のために行われています。比較的多いと思われるのが情報共有や注意事項の伝達です。

これらは先の3つともまた違いますが、やはり「対話」ではありません。その理由、つまり対話の要件については今後見ていきますが、私が対話を必要だと考えている理由を改めてお話しします。

そもそもなぜ「チーム会議」ではなく「Team Building」 Sessionと呼ぶのか、がその理由の説明にもなります。つまり、この会議体の目的はチームビルディング、即ちチームを有意的な組織に作り上げることであり、そのためには対話が不可欠だということです。

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2023年8月 5日 (土)

登記不要≒担保不要

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

抵当権を登記することの必要性が理解できると、債務者の、抵当権の登記をしないか、せめて仮登記で済ませて欲しいという要望が、債権者にとってどんな意味をもつのかは容易に理解できると思います。

おさらいをしますと、まず、抵当権を登記しないと、所有者が当該不動産を誰かに売ってしまったときに、買った人に対して抵当権を対抗(=主張して認めさせる)できません。また、他に債権者がいた場合も同様です(民法177条)。

次に、いざ債務不履行になって競売にかけようとしたときに、登記(本登記※)がないと、他の手段(確定判決や公正証書)で抵当権の存在を証明しなければならなくなります(民事執行法181条1項)。

これらは即ち、抵当権の設定を無意味にするに等しいことですから、債権者にそれを認めさせるには、抵当権の設定を不要とさせるような根拠が必要となります。

その根拠としては、債務者が高い信用力を持っていること、当該抵当権以外の履行確保手段(別の不動産担保や、預金担保、信用度の高い保証人等)を講じてあることが考えられます。

※仮登記ではだめです(民事執行法181条1項3号)

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2023年8月 4日 (金)

なぜ担保登記が必要か

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

抵当権は特定の不動産から優先的に弁済を受ける権利を確保する手段です。つまり債務者が債務を履行しない、わかりやすく言えば貸した金を返してくれない時に、不動産をお金に換えて回収することができる権利です。

債権者と所有者が抵当権設定契約を締結すれば、債権者(抵当権者)はその権利を獲得します。

ではなぜ、さらに登記(抵当権設定登記)をする必要があるのでしょうか?

それは、一つには第三者との関係です。当事者同士であれば、登記がなくても、契約をしている以上抵当権の存在を相手方に主張することができますが、第三者(不動産を譲り受けた人や他の債権者など)に対してそれを主張するためには登記が必要とされます(民法177条)。

もう一つは抵当権を実際に行使する場合の手続き上の必要性です。抵当権があるからといって、債権者が勝手に不動産を処分することはできず、必ず裁判所の関与の下に行われなければなりません。

その際に、登記は裁判所に対して抵当権の存在を証明する手段の一つとされているのです(民事執行法181条1項3号)。

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2023年8月 3日 (木)

担保はなぜ必要か

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

不登法105条の要件(情報を提供することができない、または、請求権を保存しようとする)を満たさないのに仮登記が行われている理屈は?、という問題は、多方面での検討を要する面白い課題だと思いますので、暫く宿題にしておきたいと思います(業務監査室長には法務局側の立場からご検討頂いています)。

さて、この課題が出て来たきっかけは、融資を受けるためにかかる負担(コスト)をできるだけ少くしたいという債務者の、本登記ではなくて仮登記で済ませられないか、というご相談を受けたことでした(さらに仮登記すら、そして、担保の提供すら不要にできないか、という要望につながりますが、ここではそこまで踏み込みません)。

これを考えるには、まず、担保の必要性についての理解が必要です。そもそもなぜ担保の提供を要請されるのでしょうか(担保の機能)。

これは民法の基本的な理解です。担保とは金銭債権の履行確保の制度の一つであり、中でも担保物権(物的担保、抵当権や質権)は特定の物から優先的に弁済を受ける権利を確保しておく手段です(※)。

 

※内田貴「民法Ⅲ 第4版」(東京大学出版会 2020年)221頁~223頁

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2023年8月 2日 (水)

仮登記できるのか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

抵当権設定仮登記を扱った経験のある方は少なくないと思いますが、その依頼の大半は、抵当権設定契約を行っているが登記は仮登記で行って欲しいというものではないかと思います。

この依頼を受けて、疑問を感じた方はどれくらいいるでしょうか?珍しいことではないので、何の疑問も感じないという方が大半かも知れませんね。

しかし、よく考えてみて下さい。仮登記とは元来本登記ができない事情がある場合(物権変動が生じていないが請求権を保全したい、あるいは、物権変動は生じているが本登記に必要な登記識別情報などを提供できないなどの場合)に、次善の策として行われるものです(不動産登記法105条)。

それに対して、大半の依頼の場合、抵当権設定契約は交わされ物権変動は生じていますし、所有権移転登記と連件申請になるので登記識別情報が提供不能だということは有り得ず、本登記が可能、つまり仮登記の要件を満たしていないことになります。

ではなぜ、問題なく抵当権の仮登記が行われている(多数の銀行及びノンバンクでの実例があります)のでしょうか。

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2023年8月 1日 (火)

対話とは(続き)

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

恐らく私達にとって役に立つ(個人と組織を成長させる)であろう「対話」とはどのようなものか、引き続き「話し合いの作法」からご紹介します。

「対話」とは何かを知るためには、逆に「非対話的」なものをイメージするとわかりやすくなります。「非対話的なコミュニケーション」には次のようなものがあると中原教授はおっしゃいます。

1.一方向の授業や講演
2.業務報告
3.「立場や役割」から話すもの

それぞれ、

1.授業や講演・・・学校教育に慣れ親しんだ人たちは、多数人が一人の話を何十分も聞き続ける状況をコミュニケーションとして変だとは思わないが、これは生身の人間のコミュニケーションとしては「自然」ではない。

2.業務報告・・・上司と部下には「上下の権力関係」がある。対話とは非対称な関係の中で行われるコミュニケーションではない。

3.「立場や役割」・・・対話とは「フクダリーガルとしては~」とか「第◯グループとしては」ではなく、「私は~と思っている」と自分の感じたこと、思っていることをそのまま表出するコミュニケーションである。

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