当たり前というバイアス
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
フクダリーガルの明文化されたルールの一つに見直しルールがあります。
何らかの仕事をしたら、その人が自分で見直さなければならないということです。仕事をし、自分で見直して初めて「仕事をした」ことになるということです。
このきまりがルール化されるまでには、こんな経緯があります。
私は仕事を自分で見直す(ミスがないようにする)のは当たり前のことだと思っていましたから、これをみんなに守ってほしい、そのためにルール化が必要だ、と考えました。
しかし、「当たり前だ」という考え方はまさしく「決めつけ」であり、認知バイアスの典型です。
実際にこれ(見直す)が「当たり前」ではないという考え方や、「当たり前」ではない状況が存在するということは有り得ます(認知バイアスに囚われているとそういう考え方や状況に意識が向かない)。
そこで、認知バイアスから解き放たれるために、第三者の意見を聞く必要がありますが、同じ立場、同じ方向性、同じ価値観の方の意見を聞いてもこのバイアスから解放されることはありません。
その方達もやはり仕事の見直しは必要だと答えます。
結局ルールはこうやって、多数者のバイアスのかかったまま定められていく危険性があります。
認知バイアスから解放される唯一の方法は第三者の意見を聞くことだと言いましたが、この方法にも限界があるようです(「下手の考え休むに似たり」?)。
むしろ、自分の頭のなかで、反対意見を想定してみるという方法の方が良いのかもしれません。
さて、「見直すのは当たり前」、どうでしょうか?
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