低生産性は我々の意思
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
日本の生産性の低さについては何度か触れてきました。
これに関して私達のやるべきことは、先ず自分たち(法人、業界)の生産性を上げ、やがて日本の生産性を上げることに貢献したいということです。
しかし、最近の日本の社会、政治状況をみていて、日本の生産性を上げることは容易なことではないと思えてきました。
例えば国会です。昨日お話しした女性の参画についての保守的な考え方もそうですが、国会のリモート開催やウクライナ大統領のリモート演説の申入れがあった際に「前例がない」「伝統に反する」などという理由から反対する議員や事務方が少なからずおり、そのためリモート国会は実現していませんし、ゼレンスキー大統領の国会演説実現までに時間がかかった、という事実から、国会そのものが岩盤的な抵抗勢力であること、そしてそれはとりもなおさず日本の国民(有権者)の意思であることを痛感させられました。
私は行政の生産性向上についても、DXより縦割りの弊害を排することが先決だろうとかマイナンバーカードは最初に義務化すべきだったとか、色々言って来ましたし、民間では医療情報の病院間連携が全く出来ていないことを非難して来ましたが、主権者である国民に生産性向上の意思がない限り何を言っても無駄なのではないかと、少々虚しい思いにとらわれています。
戦後の高度成長にせよ、明治期の近代化にせよ、何らかの強烈な外圧と、確固たる信念を持った強力な指導者がいない限り、「大国」である日本の革新的な生産性向上はおぼつかないのではないでしょうか。
| 固定リンク | 0
コメント