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2022年10月31日 (月)

自分で登記をしたい

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「GVA法人登記」は全てのケースでの書類を作成するにはある程度の知識が必要だから、「使えるシステム」ではないと言いました。

しかし、法人登記の利用者は、会社などの法人の経営者や総務・法務担当者であり、そういった方達の中にはある程度の法律知識(会社法や税法)を持った方達も多いと言って良いでしょう。

そういった方達が、コスト節約のために司法書士に依頼せず、自分たちで登記を申請しようとする場合に、このシステムは「使えるシステム」であると言って良いのかも知れません(同システムのウエブサイトでは「利用者数5,000社以上」とうたわれています)。

しかし、会社の経営者や総務担当者が全て法律知識を持っているとは限りません。現に司法書士に会社の登記を依頼して来られる方達の中には法律知識を司法書士が補うことを期待されて来られる方が多いのも事実です。

では、そういう方達がコストを節約するために自分たちで登記を申請できるようにする、つまり、「使えるシステム」にするためにはどうすれば良いでしょうか?

これは、法人登記についてだけではなく、不動産登記についても(登記を自分で行いたいと考える方達は当然いらっしゃいますから)同じ様に考えることができます。

ただ、不動産登記の場合に当事者ご本人が自分で登記を申請することが事実上可能なのは、利害の対立する当事者が存在しない場合、つまり、相続の登記や住宅ローンの自然完済による担保抹消の登記等に限られます。

なお、相続登記に関して同様のシステムはありますが、やはり「使えるシステム」とはいえません。

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2022年10月30日 (日)

自分で作成するから適法

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

少し難しく考えすぎて論点がずれました。

国は「利用者の判断において作成」するから適法だと言っているのですから、これを素直に読んで、利用者が自分で作成するのだから、司法書士法上の(「業」の)問題は生じないと言っていると理解すれば良かったのです(利用者が自分で作成するのでなく、誰かに作成してもらう場合に初めて司法書士法との兼ね合いが問題となります)。

そして、作成するために使っているツール(道具)がたまたま(Web上で稼働する)登記専門のコンピュータシステムであるに過ぎないということです。

権(ちから)やサムポローニアも登記専門のコンピュータシステムですが、司法書士向けでコストが合わないため通常は一般の方は使いません。
しかし、仮にこれを一般の方が使って登記の申請書その他の書類を作成したとしても、自分で作成する限り司法書士法上の問題は生じません。

これと同じことです。

そして、これらの司法書士向けのシステムが、コストが合わなくて一般の方が使えないのであれば、同じものをSaaS(Software as a Service、クラウド上にあるソフトウェアを、インターネット経由で利用できるサービス)で安く提供できれば一般の方も使えるようになる訳です。

それを実現したのが今回の「GVA法人登記」ですが、「権」や「サムポローニア」を使用するためにはある程度の知識が必要であるのと同じように、これも全く知識がなくても全ての書類作成ができるとは言えません。

ここが「使えるシステム」かどうかの分かれ目であり、高いハードルなのかも知れません。

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2022年10月29日 (土)

コンピューターは正しい

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

Web上で登記書類を作成するサービスがグレーゾーン解消制度によって司法書士法(3条1項2号)に違反しないとされた根拠は、このシステムが「一義的」に結果を表示するから、即ち誰がやっても同じだからだ、と言いましたが、これは不正確でした。

誰がやっても同じ、ではなく、コンピューターによって行われるため常に同じ答えが出るから、です。

誰がやっても同じならそもそも資格を司法書士に限定する必要はありません。

即ち、法が規制する(司法書士のみが業として行い得るとする)「作成」には、コンピューターによる自動生成は含まれないということです。

これは、コンピューターが出す答えは一義的(常に同じ答え)であるというだけでなく、司法書士が行った場合と同等の、(形式的に)正しい答えであることが前提になっているということでもあります。

形式的に正しい、とは、俗な言い方をすれば「登記が通る」ということです。

適切にプログラムが施されたコンピューターによれば誰が入力しても「登記の通る」書類が作れるということです。

但し、「登記が通る」としてもそれが問題のない登記かどうかはまた別の問題です。

問題のない登記とは、有効である(無効でない)こと、取り消される恐れがないこと、そしてこれらの主張がなされる蓋然性が低いことを意味します。

コンピューターが作成した書類に基づいて行われた登記が、これらのリスクを内在させていないとは言えないのです。

コンピューターが作る書類はあくまでも形式的に正しい書類であるというだけで、実質的な問題の有無までは判断していないからです(少なくとも今回対象になっているシステムでは)。

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2022年10月28日 (金)

書類作成誰が判断

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

Web上で申請書を作成するサービスが司法書士法(3条1項2号)に違反しないとされているのは、(法的)判断を伴わないからだと言いましたが、どうやら少し違ったようです。

グレーゾーン解消制度上の照会に対し、確かに法務省はこう回答しています。
「登記に必要となる登記申請書、印鑑届出書等を利用者の判断において作成する場合に限定されており、個別の事案において利用者からの依頼に基づき個別具体的なアドバイスをするようなものでない」

「利用者の判断において作成」という言い方はわかりにくいですが、判断するのは利用者で、作成者(サービス提供者)は判断しないと言っているように読めます。

しかし、サービス提供者からの登記内容についての質問に利用者が答え、その答えに応じて必用な書類を作成するのですから、何が必要かという判断は当然行われています。

ですから、法に反しないことの根拠を判断の有無に求めていると解釈するのは難しいと思います。

むしろ、事業者(紹介者)側の、事業内容についての説明が参考になります。こう言っています。「WEBサイトを通じたサービス上で、利用者に本店移転登記手続に必要な書類を洗い出すための質問に対し、利用者の判断で回答させ、一義的な結果を表示し、利用者が入力した情報を自動的に本店移転登記の書類として生成すること」。

「一義的な結果」とは、情報の入力に対して返される結果が常に同一である、つまり誰がやっても結論は同じということです。

この点を根拠にしているというなら理屈はわかります。理屈はわかりますが.......。

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2022年10月27日 (木)

申請書のWeb作成

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

登記申請書類をネット上で作成してくれるサービス(GVA法人登記)は「使える」仕組み(司法書士の仕事を奪う?)でしょうか。

会社の登記情報が自動反映され、本店移転の他、募集株式発行、ストックオプション等9種類の登記について、変更内容を入力あるいは選択すると、議事録や申請書等の必要書類が自動生成されます。

変更内容がわかっていれば、書類作成自体は非常に簡単です。費用も殆どが一登記事項について10,000円と(一見)格安です。

言ってみれば、プロ向けの登記申請支援システム(リーガルの権〈ちから〉や、日立のサムポローニアなど)を一般の方(個人・法人)向けにSaaSで提供しているといった感じですね。ですから、法的知識が多少ある方にとって、あるいは法的知識が必要ない登記事項(役員の住所変更など)については、便利なシステムだと思います。

しかし、大半の登記事項は、内容を確定するために多少なりとも法的知識を必要としますから、法的知識のない一般の方にとっては、まだまだ限定的ですね。
法的知識のある方(企業の法務・総務セクションなど)にとっては、費用を支払って書類を作成してもらうまでもないでしょうし。

政府のグレーゾーン解消制度で、このシステムが司法書士法に違反しないという判断がされたのも頷けますが、本当に便利になるのは、法的判断の部分をAIが行なう機能が備わってからで、そうなると今度は司法書士法に反するという判断がされる可能性があります。契約書のAI審査が弁護士法72条に反する疑いがあるという判断がされ、物議をかもしているように。

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2022年10月26日 (水)

私達自身の生産性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

日本の生産性が諸外国に比較して低いと言われるときの「生産性」とは、就業者1人当たり、就業1時間当たりの国内総生産(GDP)で、これは謂わば日本の生産活動によって生み出されている「結果」ですから、「あなた方は生産性が低い」と言われても自分ごととしてはなかなかピンと来ないのは当然かも知れません。

また、生産性が低い原因として、無駄な仕事が多い、労働時間が長い、デジタル化が進んでいない、意識(会社の価値観や仕事のやり方)が以前と変わっていない、そもそも価格設定が低い、等々色々と言われていますが、個々人や各企業独自の努力だけでは如何ともしがたいものも多いのも事実です。

しかし、日本の生産性を上げることに貢献する使命のある(?)私達は少なくとも自分たち自身の生産性を上げる努力をして行く必要があり、みなさんも日頃様々な生産性向上、即ち業務改革、イノベーションを実践して下さっています。

そして、この改革、イノベーションにはゴールがありません。以前この欄で「最適はない」と言いましたが()それと同じことです。こういう意識(マインドセット)を持っていただくためにルール化もしています()。

ところで改革の未来像として描いた「やがて来る時代の不動産取引」()は改革の大きな指針でもあるのですが、私自身日頃はあまり意識していません。
しかし先日ある外部協力者の方が、これに大いに共感しているとおっしゃって下さいました。少し面映ゆかったので軽く受け流しましたが、実は大変嬉しいことでした。

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2022年10月25日 (火)

自分の生産性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

日本国民には日本の生産性を上げる意思がないとしか考えられないのですが、それは、生産性が低くても困っていない(現状に問題を感じていない)ということではないでしょう。

日本国民が自分たちの経済状況や社会状況に問題を感じていないことはないと思います。困っていることは沢山あるはずです。敗戦や明治維新のような大きな問題ではなくても(おそらく)、問題は山積しているはずです。

それなのに、生産性を上げる必要性を感じていないのは、これらの問題と生産性の低さが結びついていない、言い換えれば生産性を上げることで問題が解決するという認識がないのではないでしょうか。

例えば日本の平均給与は30年来横ばいで、先進国中最下位です(生産性の順位と同じですね)が、給与が上がらず、諸外国よりも低い水準になっていることの原因が自分たちの生産性の低さにあるという認識が果たしてあるでしょうか。

つまり、「こんなに一所懸命働き、休みもなく、睡眠時間も削って(睡眠時間も先進国中最下位)身を粉にして働いているのに、なぜ給与が上がらないのか?」という疑問はあっても、それを解決するためにどうすれば良いのかというアイディアがないのです。

あるいは「生産性が低い」といわれてもそれが何を意味しているのか、その具体的内容が理解できていないのかも知れません。そうだとすると、どうすれば生産性が上がるのかを考えることができるはずもありません。

果たして「あなたは自分たちの生産性は低いと思いますか?」と質問したなら、どのような答えが返ってくるのでしょうか?

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2022年10月24日 (月)

低生産性は我々の意思

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

日本の生産性の低さについては何度か触れてきました。
これに関して私達のやるべきことは、先ず自分たち(法人、業界)の生産性を上げ、やがて日本の生産性を上げることに貢献したいということです。
しかし、最近の日本の社会、政治状況をみていて、日本の生産性を上げることは容易なことではないと思えてきました。

例えば国会です。昨日お話しした女性の参画についての保守的な考え方もそうですが、国会のリモート開催やウクライナ大統領のリモート演説の申入れがあった際に「前例がない」「伝統に反する」などという理由から反対する議員や事務方が少なからずおり、そのためリモート国会は実現していませんし、ゼレンスキー大統領の国会演説実現までに時間がかかった、という事実から、国会そのものが岩盤的な抵抗勢力であること、そしてそれはとりもなおさず日本の国民(有権者)の意思であることを痛感させられました。

私は行政の生産性向上についても、DXより縦割りの弊害を排することが先決だろうとかマイナンバーカードは最初に義務化すべきだったとか、色々言って来ましたし、民間では医療情報の病院間連携が全く出来ていないことを非難して来ましたが、主権者である国民に生産性向上の意思がない限り何を言っても無駄なのではないかと、少々虚しい思いにとらわれています。

戦後の高度成長にせよ、明治期の近代化にせよ、何らかの強烈な外圧と、確固たる信念を持った強力な指導者がいない限り、「大国」である日本の革新的な生産性向上はおぼつかないのではないでしょうか。

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2022年10月23日 (日)

無知を生み出すもの

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

知らないことが「罪」(困ったことを引き起こす)であるのは、障害者や社会的弱者に関することだけではありません。

例えば私達男性が女性特有の体調不良について知らないために、家庭や職場で女性が休みを取りづらかったり、配慮を受けづらく、苦痛を強いられたり、負担が大きくなるということがあります。

ここで男性が女性の体調についてどの程度認識しているかを知るキーワードをご紹介します。
「PMS」。ご存知でしょうか。

この言葉の存在だけでもご存知の方は、女性特有の体調の問題に少なくとも関心はあると言えるでしょう。

夫や上司がこの言葉を知っているだけで、妻や部下への接し方が変わり、女性が我慢を強いられることも少なくなるのではないでしょうか。

ただ一方で、女性自身も知識が十分だとは言えないようです。
例えば、適切に使用することによって生理に伴う数々の不調から解放されるというある薬剤がありますが、それについて正確な知識を持ち活用している女性は少ないのだそうです。

結局こういった知識の欠如も日本の教育の問題に起因するところが大きいと思われますが、その根底には男性中心、男性優位という封建的なものの考え方があるのではないでしょうか。

その象徴が国権の最高機関である国会です。参議院は女性議員の比率が25.8%、衆議院に至っては一割を切っています(9.9%、9月1日現在)。

これは即ち国民の意思の現れです。国民が、依然として男性中心の社会を容認しているということではないでしょうか。

そして、生産性の低さに関しても同じことが言えます。

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2022年10月22日 (土)

いっしょに歩こう

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

白い杖をついて路上や地下通路を歩いている方が、迷っていたり人混みで思うように前に進めないのを見かけたり、ホームの端を歩いていて危ないと思ったとき、みなさんはどうされるでしょうか。

多くの方は何か力になりたい、手助けをしたいと思うでしょうし、実際に行動に移す方もいらっしゃるでしょう。
手助けをすること自体は慣れないと勇気がいるでしょうし、素晴らしいことだと思いますが、ここでも「無知」や「想像力の欠如」が困ったことを引き起こします。

例えばときどき見かけるのが、いきなり腕や肩を掴む、という行動です。これは自分がそれをされた時のことを想像すれば、やってはいけないことなのはすぐわかると思います。

まず声をかけます。なんと声をかけますか?
それは、「お手伝いしましょうか?」です。自分に置き換えて考えれば、全ての視覚障害者が助けを求めているわけではないだろうことが想像できるはずです。

実際このように声をかけますと、何人かに一人は「いいえ、大丈夫です」と答えます。そのような場合は無理にお手伝いする必要はなく、「気をつけてください」と少し見守っていれば良いでしょう。

「お願いします」「ありがとうございます」と言われたら、その方の手を引いたり肩を押したりするのではなく、横にならんで、自分の腕につかまってもらいます。あくまでもご本人主体です。

・・・・・・こういうことは知らないとできないことが多いです。私も失敗を繰り返して、またメディアなどで学んで「知る」ことができましたが、ある程度は自分で考えれば(「他者基準」のマインドセットをもっていれば)人に教えられなくてもできるものです。

詳しくはこちらをご参照下さい:いっしょに歩こう ~目の不自由な人と楽しく町を歩くために~

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2022年10月21日 (金)

障害を知らないとは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、最大の罪は知らないことだと申し上げました。「知らない」とは例えば一定の障害の存在そのものについての無知、社会的弱者に対してどのような差別が行われているかについての無知、社会的弱者に対する対応(悪意のない対応、よかれと思ってしたこと)が当人にどの様な影響を与えるかについての無知、等々様々です。

一定の障害そのものについての無知の例としては、発達障害があります。その存在が一般に知られる様になったのはつい最近のことです。
他にも例えば社会(社交)不安障害というものがあります。
いくつかある不安障害の中の一つです(他にはパニック障害、強迫性障害など)。不安な気持ちは誰でも色々持っており、それと戦っているわけですが、それが日常生活に支障を来したり、身体症状が現れたりするようになると障害という診断を受けることになります。

こういった障害のある方によく見られる症状として、人と視線を合わせられない、人前で食事ができない、人前で文字を書けない(字がきちんと書けない程手が震える)などがあります。

この障害の存在を知らないと、こういう症状(行動特性)を示す方に対して適切な対処ができず、厳しく当たり過ぎたり、嫌悪感を示したり、あるいは普通の交流ができなくなったり、ということになります。これはお互いにとって不幸です。

障害の存在を知っていても、適切な対応の仕方を知らなければ、またそれは問題です。
例えば、まちなかで白い杖をついた方を見かけることがあります。視覚障害を知らない方はいないと思いますし、白い杖の意味を知らない方も少ないと思います

しかし・・・・。

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2022年10月20日 (木)

知らないことが罪

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

某シンガーソングライターのアルバムに付属予定だったグッズに「ヘルプマーク」と似たデザインが用いられていて問題になりました。

ヘルプマークは時々見かけますが、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、援助を得やすくなるよう、東京都が作成、配布している「札」です。

これに酷似したもの(カードケース)をアルバムの付録にしたんですね。画像を見ると、偶然似てしまったのではなく、敢えて似せて作ったものでしょう。

ヘルプマークの意味を知っていて、パロディとして作ったとすると、社会的弱者に対する配慮というか想像力が欠如しています。

ただ、もう一つ考えられるのは、ヘルプマークの意味を知らなかったのではないか、ということです。

仮に知らなかったとしてもそのことを責めるというよりは、なぜそうなってしまっているのかが問題だと思います。結局それは教育の問題に行き着くのではないでしょうか。

先日共有したニュース(※)に、「日本では障害児を隔離する分離教育が優勢で、障害の有無にかかわらず子供たちが通常学級で共に学ぶインクルーシブ教育の遅れが指摘されてきた」とありました。

まさにこれが、障害者、あるいは障害に対する「無知」を生み出す一つの原因になっていると思います。

そして同じことが障害者だけでなく、様々な社会的弱者に対する無知の原因になっているのではないでしょうか。

社会的弱者に対して、支援等のアクションを起こすことはもちろん大事なことですが、最大の罪は「知らない」ことです。

 

インクルーシブ教育の実現を 榎本裕洋氏

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2022年10月19日 (水)

行動の限界

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

アートや植物など、仕事に直接役に立たない(無駄な)ものがなぜ必要かについて、一つだけ思いついた理屈があります。

以前どなたか忘れましたが、他のスポーツ経験のある選手はない選手よりも優れていることが多いということを仰っていたことがあります。その理由は、特定のスポーツだけをやっていたのでは発達しない筋肉が発達するからではないか、とその方は推測されていました。

このお話がヒントです。つまり、アートや植物を鑑賞するときに、仕事では使わない脳の部分を使うのであろう。それが仕事にも役立つのではないか? さらに、脳全体の成長につながるのではないか、ということです。

これはアートや植物に限ったことではなく、仕事に役立たない様々なことー趣味的なことをすることは、恐らく仕事とは違う脳の部分を活性化させるのだと思います。

ここまで書いて、ある本のことを思い出しました。「データの見えざる手」(矢野和男/草思社文庫/2018)です。この本は、以前弊社にいらしたある司法書士の方に紹介して頂いたものなのですが、大手メーカーの研究者である著者がウエアラブルセンサーを用いて驚くべき人間の活動の特性を見出したことの報告です。

この調査研究によると、ある一日にある行動を行うことには、限界値があるそうです。つまり、ある行動(今の私のようにスマホに向かってテキスト入力をするなど)を続けられる時間には限界があり、それを超えてやろうとしても成果は上がらないということです。

ですから、限界を超えたら、別の行動(別の仕事や「無駄な」行動)をしたほうが(あるいは何もせずに休んだほうが)良いということです。

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2022年10月18日 (火)

無駄と余裕

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

役に立たない、無駄なものが必要だと思うという話に関して昨日引用した記事に、「働かない働きアリ」のことが書かれていました。働かない働きアリは一見無駄だが、観点を変えると役に立つということです。

観点を変えて、無駄、を、余裕、と考えてみたいと思います。
例えば弊社の場合、増員に関しては現場が必要な人員数を出して申告し、それにしたがって人材を募集し、採用するという方法をとってきました。

一方で、現場には売上予算が割り振られ、その達成状況は月次、年次でチェックされます。

そのせいか、「人を採用するには一人当たり売上最低◯◯円が必要である」という基準が、謂わば都市伝説のように独り歩きするようになってしまい、人材の必要数算出の見えない(?)「枠」となってしまっているように感じます。

しかし、必要な人員数の算出は、仕事を行うために必要最小限の、ギリギリの数ではだめで、ある程度の余裕を持った数でなければ企業は成長しません。

アリの様に他の社員が働けなくなった場合の代替要員と考えることもできますが、人はアリとは違います。

人の場合、必要最小限を超える、余裕を持った人員を採用する目的は、日頃業務に追われてできないようなことを行う余裕を作るということです。

それは、日頃の気付きに基づいて業務を改善、改革したり、チームリーダーやグループリーダーがマネジメントに専念できるようにしたり、資格取得を目指している社員が受験勉強をする時間を作ったり、などです。イノベーション推進本部で行う仕事もそうです。

尚、残業をなくすための増員は当然の前提(必要最小限の範囲)で、全く別の次元の話です。

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2022年10月17日 (月)

無駄の必用性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

10月9日に共有したニュースに「無駄」について書かれたものがありました。オスのクジャクの美しい羽や、鳥たちがさえずる歌や求愛ダンス、オスのシカの角などは、種の繁栄にとっては無駄な機能なのだそうです。

以前この欄ではアートについて少し書きました。また、以前の月次朝礼(今は動画配信をしていますたコロナ前は旧ラウンジで対面で行っていました)では、よく仕事とは全く関係のない話をしました。私が休日に見つけた珍しいものの話(バラの花の形をしたピンクのオムライスとか!)などです。

こういう話は、仕事との関係からすると全く「無駄」な話に見えます。昔の朝礼は受講後にレポート(感想)を提出して貰っていたのですが、その感想の中にそんな私の「余談」について、「全く意味不明」と書いて来た方がいらっしゃいました。正しく考えようによっては無駄な話で、貴重な朝礼の時間を使ってするような話ではないかもしれません。

アートは、増床に伴い増やすことにしました。観葉植物も同様に増やします。また、新ラウンジの廊下側の壁は緑化壁ですし(フェイクですが)、床は芝生です(人口芝ですが)。

こういったものは仕事に直接役には立たない、ある意味無駄なものにも思えます。しかし私にはこれが全く無駄なものだとは思えないのです。

アートや観葉植物がなぜ無駄ではないと思えるのか、そのうまい説明はまだできていません(一つだけ思いついたことがありますが、それはまた別の機会に)が、前述のクジャクの羽などは、観点を変えれば無駄ではなく、意義のあるものなのだそうです(※)。


2割の働かないアリ、無駄な存在ではなかった…ある程度いる方がコロニーやや長く存続

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2022年10月16日 (日)

形だけのマインドセット

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

形から入る(ルールやマニュアルに従う)ことで(正しい、即ち成功をもたらす)マインドセットが身につくと言いましたが、闇雲に表面的な形だけ真似れば(ルールやマニュアルに従えば)良いという訳でもありません。

その形がどんなマインドセットの表現なのかを理解し、それを身に付けたいと思っていなければ、形を真似る(ルールやマニュアルに従う)こと自体が目的になってしまい、マインドセットが自分のものになることはありません。

その場合は例えばこのようなことが起こり得ます。

セリフは「お電話ありがとうございます」と言っていても、発声が低音で暗い。
声の調子は高くても非常に早口で聞き取りづらい。

これではクッション言葉の趣旨(不安を取り除く)とはかけ離れたものになってしまいます。むしろ不安を増大させ、場合によっては不快感を与えることになります。

このようなことが起きないようにするには、形(ルールやマニュアル)をより実質化する工夫が必要です。セリフだけなく、声の高低(明るさ)やスピードも含めて形とすれば少なくともこのようなことにはなりません。

「フクダリーガルの教科書」の「挨拶通則」のところで「☆笑顔で、元気よく!」と付記されているのはそういう趣旨です。

もちろん、形だけの笑顔、形だけの元気よさというのもあり得ますが、それを継続し、習慣化することができれば、マインドセットにも大きな影響が出てくることでしょう。

尚、既に正しいマインドセットが身についている方には形を与える必要もない(自ずと実行できる)のは言うまでもありません。

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2022年10月15日 (土)

形から入る

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「お電話ありがとうございます」はクッション言葉ですから、他の言葉でももちろん構いません。

朝(11時頃まで)なら「おはようございます」の方が良いかもしれませんし、昼や夜なら「こんにちは」「こんばんは」でも構いません。使い分けはクッション言葉の意義を考えてそれに沿ったものであればマニュアル通りでなくても構わないのです。

ただ「お電話ありがとうございます」には感謝の言葉が含まれていますので、その意味で一枚上手(?)かもしれません。これも他者基準というマインドセットの現れです。他者に対する感謝の気持ちを忘れないということです。

さて、外線を受けた際の第一声の最後「〇〇です」。自分の名前を名乗ります。これには色々な機能がありますが、重要なのはやはり(誰だか分からないという)不安を取り除く機能です。

もちろん電話を受けたのがお目当ての人でしたらかけた方も手間が省けて効率的ですが、あくまでも副次的機能です。

クッション言葉や名乗ることで相手の不安を取り除く。これは他者基準というマインドセットのある方でないと出て来ない行動です。自分基準であれば面倒なだけですが、相手のことを常に考え、相手にとって良いと思うこと、正しいと思うことを行うという他者基準が身についている方なら自然に出てくる行動です。

それが身についていない方でも決まりごととしてこれを行うことでこの行動が身につき、そこにマインドセットが伴うようになる(はず)です。

「形から入る」。

ルールやマニュアルによってマインドセットが身につくとはこういうことです。

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2022年10月14日 (金)

マインドセットとルール

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここまで、マインドセットについてあれこれ書いてきましたが、この欄で以前色々書いたフクダリーガルの教科書や諸ルールは、角度を変えれば各人が個々にこのマインドセットを身につけるためのしくみであるとともに、このマインドセットを組織全体のものとして表明するためのものであるともいえます。

例えば外線電話を取った時の第一声についてのルール「お電話ありがとうございます。フクダリーガル◯◯です」。

これは言うまでもなく「他者基準」というマインドセットを形にして、各人がこのマインドセットを身につけるべくしむけるとともに、社外に向けてウチは「他者基準」であることを表現しています。

ではこのルールの中の「他者基準」を分解してみましょう。

冒頭の「お電話ありがとうございます」。これはいわゆる「クッション言葉」です。クッション言葉を使うことは他のところでもルール化しています。これが他者基準であることは言うまでもありません。

クッション言葉を使う目的については以前もここで書いたと思いますが、マインドセットの理解のために、また書きます。

電話という便利な道具は、受けた側の都合を考えることなく生活(仕事)時間の中に割り込んで行くものですから、電話をかけた側は(会社等の組織にかけて誰が出るか分からないときは特に)自分が歓迎されているのか、迷惑に思われているのか、不安な気持ちになっています(無意識かもしれませんが)。

クッション言葉を使うことはその不安を取り除く効果があります。

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2022年10月13日 (木)

成功の鍵

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

以前、ある女性司法書士がユーチューブで「ブラック事務所をどう見分けるか」についてお話しされていました。その中で彼女は「独立志向のある人ならブラックかどうかを気にするよりも、独立に必要なことを教えてくれるかどうかを事務所選びの基準にすべきである」とおっしゃっていました。

では「独立に必要なこと」とは一体何でしょうか?
殆どの新人資格者は幅広い登記に関する実務的な知識や技術の習得であると考えるようです。

この質問に対して、かつて私は、「実務知識・技術よりもっと重要なことがある、それは仕事の獲得の仕方、即ちマーケティングや営業である。仕事がなければ知識もへったくれもない」と答えていました。

しかし今はこう答えるでしょう。「身につけるべきは『必要なこと』ではなく『成功の鍵』であり、それは正しい思考習慣である。」

ここ何日か「FLC&Sの思考習慣」についてお話していますが、「正しい思考習慣」こそ(登記の技術や営業の技術を身につけること以上に)私達が仕事を通じてより多くの方の役に立ち、支持される存在になっていく、即ち社会に求められ、不可欠な存在になっていくために欠くべからざる要素なのです。

ただ、残念ながらウチの全メンバーが「FLC&Sの思考習慣」を自分のものにできているとはまだ言えません。

これが身につく仕組みは作って来ましたが、全員が同じ様にこの仕組みによって思考習慣が身につくわけではなく、各個人の姿勢にかかって来るところも大きいのです。

ところで、「思考習慣」ではいささか地味なので、今後は「マインドセット」と呼ぶことにします(笑)。

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2022年10月12日 (水)

思考習慣の再現性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

拙著「3年で10倍の法則」が読者として想定していたのは、新人司法書士や司法書士資格を目指して勉強されている方達です。つまりこの本は司法書士として独立し、規模を短期間で大きくするためのハウツー本でした。

そのためテクニックの部分が目立ち、その根底にあるものを掘り下げることができておらず、表面的なものになっています。

この本を書いた当時(15年前/FLC&S5年目)は自分でもなぜ「3年10倍」ができたのかを明確には自覚しておらず、現象だけに着目したテクニック論になってしまったのだと思います。


今改めて読み返してみるとわかりますが、当時はもちろんこれが精一杯でした。そしてやはり期待するほどの売れ行きは得られませんでした。


これは書籍のことだけでなく、当時は社内のメンバーに対しても、表面的な技術しか伝えられていなかったと思います。そのせいか、独立していった司法書士たちも表面だけをまねた営業スタイルの方が大半だったような気がします。

しかし、今は少しは私も成長し、もう少し自覚的に本質的なものを伝えることが出来るようになっていると思います(「思考習慣」はそういうものの一つです)。

上手く伝えることができているか、伝わっているかは、まだわかりませんが、これを理解し、身につけ、再現することができれば、例えば司法書士として独立するときも、ウチの様なBtoBモデルだけでなく、あらゆるマーケット、様々な営業スタイルについて(不動産登記、商業登記に限らず、相続や後見のマーケットで展開する場合でも)大きな失敗をすることはないと思います。

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2022年10月11日 (火)

初期FLC&Sの思考習慣

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

FLC&Sの代表的な思考習慣は「他者のことを考える」「他者の考え方に囚われず、独自でも、正しいと信じることを行う」の2つです。

言い換えると、ものごとを判断する時の基準についての決まり事です。

主観的基準:自分でなく他者
客観的基準:正しいか否か

ところで、これらの思考習慣(思考基準)は設立当初から現在まで承継されてきたものであるともお話しました。
そこで、この思考習慣が初期のころにはどのような形で現れていたのかを確認してみようと思い、久しぶりに拙著「資格起業『3年で10倍』の法則」(日本実業出版社、2007年)を開いてみました。

ところが、この本にはこんなことは一切書いてありません。

しかし、この本を書いた頃(FLC&S設立5年目頃)に、この思考習慣がなかったということではありません。

単に思考習慣として意識していなかったということです。

この本はこの思考習慣の「結果」である「3年で10倍」という「規模」とその「スピード」とそれを生み出すテクニックを主に抽出して書いています。実に表面的で未熟です(汗)。

しかし、意識はしていませんが、やはりこの思考習慣はFLC&Sの初期の頃から潜在的に存在していたことがわかります。
次のようなところにそれが現れています。

「マーケティングとは①お客様に本当に役立つことは何かを理解し、②それを必要とする人がどこにいるかを発見し、③その人にサービスなどを届ける方法を考えることである」(73頁)
(電話ルールは)「私自身が電話をした際に相手方の対応で不快と感じたことと逆のことをルール化した」(86頁)

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2022年10月10日 (月)

FLC&Sの「思考習慣」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

新人研修の題名についてのもう一つの変更は「遺伝子」を「思考習慣」としたことです。

この研修で伝えたかったことは、当初2人で始めた小さな事務所が100人を超える規模にまで拡大し、多くのお客様の支持を得られるまでに成長した背景には、FLC&S特有のものの考え方や価値観、行動基準があったということです。

これらのものの考え方・価値観・行動基準は、設立当初から存在し、承継され、未来にも受け継がれていくもので有る為、この点を象徴的に表現する「遺伝子」という言葉でひとまとめにしてみました。

しかし、「遺伝子」は各人に生来備わっている(自然に承継されている)ものであり、意識して獲得(習得)していくものではありません。

一方、ものの考え方・価値観・行動習慣などは、FLC&Sに所属することによって影響を受け、意識して身につけていく、あるいは会社の決まり事として(明文で、または不文律として)定められた思考方法や行動手順を実践し、反復継続することで各所属メンバー自身の決まり事になっていく、という性格のものです。

そこで、この性格をより適切に表す言葉として「習慣」という言葉を選んだ訳です(もっともこの理屈は後から考えて気づいたことで、最初はなんとなく「違うな」と思っただけですが)。

FLC&Sのものの考え方・価値観・行動習慣をまとめて「思考習慣」と表現し、その中でも代表的なものを2つ取り上げました。

この2つです。

◇他者のことを考える
◇他者の考え方に囚われず、独自でも、正しいと信じることを行う

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2022年10月 9日 (日)

社名に込めた意味

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

では、「フクダリーガルコントラクツ&サービシス」という名前にはどんな意味が込められているのでしょうか。

実はこの名前には名付け親がいます。2002年に新事務所を立ち上げる際に、ある広告代理店兼ウェブ制作会社社長のYさんが、設立のお祝いに社名とシンボルマークをプレゼントするよとおっしゃって、あの社名を考え、羽ペンのマークをデザインして下さいました。

社名(屋号)に関しては、先ずYさんからどんな事務所にしたいのか、何をやりたいのかと尋ねられました。

それについてはおおよそこんなことを言ったのではないかと思います。

◇とにかく大きくしたい(これは言わなかったかも)
◇登記だけではなく、取引に関する法的助言など、幅広いサービスを行いたい。
◇クロスボーダーな仕事を行いたい。

これを受けてYさんが3つの案を考えて下さり、その中から選んだのが現在の社名です。

この社名については、Yさんの友人である米国人のPさんにも相談してくださり、海外でも通用するものにして頂きました(マークのデザインは中国人デザイナーの方)。

当時としては(今でも?)司法書士事務所の名称としては独創的でしたが(その後「◯◯リーガル」は模倣されます)今はフクダリーガルといえば◯◯というブランディングも進んでいると思います。

社名に込められた「何をしたいのか」はその後変遷を遂げ(成長あるいは進化)、現在の「基本理念」に至り、今後も成長し進化して行くと思います。それにそぐわなくなったときには社名も変更することになるかも知れません。

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2022年10月 8日 (土)

名前の意味

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先日の新人研修の題名で、「フクダリーガル」を「FLC&S」としました。

「フクダリーガル」は弊社の呼び名としてみなさんにも日頃使って頂いていますし、お客さまにもそう呼んで頂くことが多いですが、もちろん正式名称ではありません。正式名称はフクダリーガルコントラクツ&サービシス(司法書士法人/株式会社)です。「フクダリーガル」は言ってみれば「通称」ないし「略称」で、「FLC&S」は(正確であり正式な)略称です。

名称、呼び名、略称、通称、あだ名、等々名前にも色々ありますが、要は様々な意図、目的によって使い分けられるものです。
「通称」や「略称」は、長い名称を縮めて発音や記載を容易にする、つまり効率化のために使うものです。ときには「フクダ」と縮めて使われる場合もありますよね。

ですから、効率よりも優先すべきものがある場合には通称や略称は使わず、正式名称を使う必要があります。「場」による使い分けといっても良いでしょう。

優先すべきもの、とは、名前に込められた「意味」です。
どんな名前にも、命名者はそれに意味を込めています。命名者自身だけではなく、それを自分(自社)の名前として使ってきた人たちはやはりそこに独自の意味を見出し、尊重していることもあります。

「フクダリーガル」や「FL」では、場によってはそれがないがしろにされたと感じられることもあります。

自分(自社)の名前にしろ、他人(他社)の名前にしろ、是非、名前は大切に扱って頂きたいと思います。

尚、新人研修のタイトルについては、通称でも良いのですが、教育的効果も考えて正式略称を使いました。

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2022年10月 7日 (金)

FLC&Sの思考習慣

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、「FLC&Sの思考習慣」という新人向け研修をやらせていただきました。
以前は「フクダリーガルの遺伝子」として行なっていたものを改題しました。

ウチがこれまでお客様に支持されて来、さらに現在も支持を広げ続けている理由はどこにあるのか、つまり、他者と弊社との違いはどこにあるのか、について20年前の弊社創設時(ワンルームマンションでたった二人で始めました)にまで遡って考えてみた結果わかってきたことを、新人に理解して頂くという研修です。

それは、ものの考え方が法則あるいはルールの様になっているもの、つまり「思考習慣」です。

FLC&Sの思考習慣はいくつかありますが、代表的なものは2つです。一つは、「他者のことを考える」、もう一つは「他者の考えに囚われず、独自であっても正しいと思うことを行う」です。

もちろんこれは最初は私個人のものの考え方であったわけですが、それを組織としての考え方に転換するために、しくみ(組織構造、理念、ルール、制度)に落とし込んで来ましたし、その結果、それらが企業風土といえるまで浸透することを期待しているということです。

研修ではこの思考習慣が企業風土といえるまで浸透しているかは疑問だと言いましたが、考えてみますと、程度の差はあれこの「ルール」の理解は着実に広がっているのだと思います。だからこそ、企業としての成長が続いているのでしょう。

いずれにしてもこの思考習慣を企業風土として定着させるためのしくみとして、この研修は新人だけでなく旧人ならぬ既存社員向けにも行なっていくつもりです。

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2022年10月 6日 (木)

日本の生産性

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、医療機関が「社会全体の生産性」に興味がなかったと言いましたが、自分たち自身の生産性には大いに興味があったようです。

医療現場はすでにほとんどデジタル化されています。電子カルテ、 医療用画像管理システム 、ロボット支援下内視鏡手術などが導入されています。確かに大病院であっても院内の情報共有はかなり進んでいる印象があります。

それに比較すると司法書士事務所のデジタル化、というよりも生産性向上の取り組みはまだまだですね。ウチはRPAの導入も早かったですし、クラウドツールの活用もかなり進んでいる方ではありますが、案件管理を病院の電子カルテレベルにするにはもう少し時間がかかりそうです。

一方、司法書士が登記で取り扱う情報に目を転じますと、例えば、典型的な個人情報である、住所・氏名・生年月日・移転歴等の情報は、当初は居住地の役場にその情報が記録されるのみでしたが、現在は住基ネットにより、全国ネットワークで共有されています。
またその情報は地方公共団体同士のみの共有でしたが、最近は他省庁にも共有されるようになってきています。

ただ、これはあくまでも「官」の側での共有であり、「民」の側での共有が進んでいるわけではありません。この点は医療業界と大差はありません。

不動産取引に関する情報の共有も日本の場合は限定的です。「レインズ(REINS)」という仕組みがありますが、米国のMLS(Multiple Listing Service)のように広く不動産を売買したい個人に開かれているしくみではありません。

「日本の生産性」の問題です。

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2022年10月 5日 (水)

医薬業界のICT

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

以前、タクシーの業界と司法書士の業界を比較してみましたが、今日はより共通点の多い(?)医薬の業界について見てみましょう。

医薬業界では診断内容や薬剤の処方内容が、他の病・医院や薬局同士で自動的に共有されるということがありません。

医療機関同士の情報の共有は、なんと(紙の)紹介状、画像ディスク、電話やファクス、で行われているのです。

医療情報を一つのプラットフォームで共有しておいて貰えれば、患者側には何の負担もなく、あるクリニックでの診療内容を別のクリニックでも速やかに共有し、遠隔地での治療ができたり、セカンドオピニオンを迅速に取得したりできるはずです。

そして、その問題点は、このコロナ禍であらわになりました。

なぜこんなことになっていたのか? それは、おわかりの様に「個人情報保護」という建前です。

しかし、実質的な理由は、結局のところ、医療機関が「社会全体の生産性」に興味がなかったということなのではないでしょうか。仮に医療情報が共有されて「全体生産性」が高まっても彼らには特段のメリットがない(保険料収入が増えるわけではない)ということなのでしょう。

しかし、いよいよパンデミックへの対応不全という大問題が発生し、情報共有へシフトしていかざるをならなくなるのではないでしょうか。

では、司法書士はどうでしょうか?

司法書士だけでなく、弁護士、いや士業全般でも同様に、相談内容や依頼内容が同業者間で共有されるということは考えられません。

理由は医療の業界同様だと思いますが、さらに、コロナ禍に相当するような強烈な動機は今のところ存在しません。

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2022年10月 4日 (火)

真の危険回避

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、司法書士自身が責任を問われないことも大切だが、それを言い訳に司法書士の機能を放棄してしまっては本末転倒であると申し上げました。

言い変えますと、取引になんらかの危険があることに気づき、それを理由にただ取引の中止を勧めたり、依頼を断るようなことがあってはならない、司法書士の機能(役割)は危険を排除した上で取引を成立させることであるから、ということです。

具体例で説明しましょう。

司法書士が不動産の売買による所有権移転登記の依頼を受けたが、売主が高齢であったため事情の聞き取りを行なったところ、認知症の診断がされているが後見人は立てられていないことが判明した。
そこで司法書士は、売主には後見人を立てないと取引は継続できない旨関係当事者に告げたが、後見人を立てずに登記をして欲しいと要請されたので、登記申請代理の依頼を断った。

この事例を見て、この司法書士のとった行動には何の問題もない、通常そうするであろうと思った方も多いのではないかと思います。

確かに、後見人を立てることを勧めるのは危険回避の一つの方法ではありますし、それを拒絶されたことは依頼を断る正当事由にあたるのかも知れません。

しかし、これが最良の方法であるとは言い難いのです。後見人の選任には様々なデメリットがあるからです。

そこで、これらのデメリットを回避して売買を行える方法がないかを考え、提案するのが、本当に私達が行うべきことなのです。

後見のデメリットや、それを回避する方法は研修レジュメを参照してください。また、デメリット修正の動きがあることも頭に入れておいてください(※)。

厚労省 第二期成年後見制度利用促進基本計画

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2022年10月 3日 (月)

司法書士自身の責任回避法

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

意思無能力などの不動産事故(取引毀損)を防ぐために司法書士が行うべきことは何か、また責任を問われる必要がない場合にまで責任を問われないようにする具体的方法については2019年の研修(レジュメ)を参照して欲しいと申し上げましたが、一部訂正致します。


研修では予防法務機能を提供するコンサルタントとしての立場から、顧客(依頼者)が責任を問われることがないようにする方法は説明していますが、私達自身が責任を問われることがないようにするためにはどうすれば良いかについては説明していませんでした。失礼致しました。

その点はいずれ研修項目としても良いかもしれませんが、さほど難しいことではありません。

これまで何度も司法書士あるいは当事者が「行うべきこと」という言い方をしていますが、これには様々な目的があります。次の4つです。

1 事故防止(契約不存在、無効、取消等)
2 トラブル防止(1の訴え、金銭要求、クレーム等)
3 当事者の責任回避
4 司法書士の責任回避

4は研修の内容に入っておりません(1〜3は研修で説明)が、端的に言えば、1〜3をきちんと行った上で、その証拠を残しておく、ということです。

ところで、タイトル「予防法務にインパクトを与えよう」からもわかるとおり、この研修は司法書士の機能(取引毀損、不動産事故防止機能)の積極面を強調している、いわば「攻め」の研修という印象が強いですが、「自分自身の責任回避」という消極面、いわば「守り」の側面も軽視してはなりません。

ただし、それを言い訳に司法書士の機能を放棄してしまっては本末転倒です。

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2022年10月 2日 (日)

責任回避も大事

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

少し(「よしなしごと」にしては)細かいところにまで入り過ぎましたが、つまるところ、司法書士(及び関係当事者)が意思能力の有無の判断をするにあたってどれほどの注意義務が課されるか、また、その注意義務を全うしているかどうかは、最終的に取引全体の諸事情を勘案したうえで裁判所が判断するということです。
意思能力の有無の判断は(医学的判断ではなく)法的判断だからです。

その詳細は各裁判例や2019年の社内研修「予防法務にインパクトを与えよう!/1 認知症発症者の経済活動」をご参照頂きたいと思います。

そして、先日来、細々と書いてきましたが、最もお伝えしたかったこと(9月29日の本欄「追加してご説明しておかなければならないこと」)は、責任を問われないことも重要だということです。

これまで、司法書士の「不動産事故防止機能」(取引毀損防止機能)について、サービス提供者としての立場から、事故(取引毀損)を防止することに重きをおいて話をしてきましたが、それに加えて、実務者として押さえるべき重要な視点が、「責任を問われない」ことです。

行うべきことを行わずに責任を問われるのは致し方ありません。

しかし、行うべきことを行ったにもかかわらず事故が防げないことはあり得ることで、その時にまで責任を問われるようなことがあってはなりません。

行うべきことは何か、また責任を問われる必要がない場合に責任を問われないようにする具体手方法については、やはり研修を参照してください。

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2022年10月 1日 (土)

意思無能力を見抜けなかったら

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

売主が意思無能力であったために売買が無効とされた場合の司法書士の関わり方としては、次のようなものが考えられます。

1.司法書士が意思能力の確認(面談等)を行わなかった。
2.司法書士が意思能力の確認を行ったが、
2.1 意思無能力ではないと判断した。
2.2 意思無能力であると判断し、取引中止(延期)を勧めたが、当事者が了解せず取引を続行した。
2.3 意思能力低下の疑いがあると判断したが、意思無能力であると確定的な判断ができなかったため、意思能力ありとして取引の続行を容認した。
2.4 2.3.と同様だが、当事者に対して意思能力低下の疑いがあること及び意思無能力となった場合の効果(売買無効)を説明し、取引続行するか否かの判断を求めたところ、当事者が取引続行の判断をした。

1.(意思能力の確認を全く行わなかった)
司法書士は登記申請代理を受任するにあたり、本人確認、意思確認を行う義務があるとされていますから、それを怠ったこと自体が過失とされる可能性があります(仮に本人確認をしても意思無能力に気づくことが難しかったとしても)。

2.1.(意思無能力ではないと判断した)
意思能力に疑念がある場合司法書士には調査を尽くすべき義務があるとした裁判例(東京高判 平27・4・28 ウエストロー・ジャパン)があります。
これに照らしますと、
1 意思能力に疑念があるか
2 調査を尽くしたか
が問題になります。

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