見えなくても見える
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
以前、「わかりやすいのがデザインでわかりにくいのがアートだ」などと勝手なことを言いました。アートを飾りたいと思うかどうかは、それを見て、わかるかどうか、というよりも、心が動かされるかどうか、だと思っていましたが、そもそも「わかる」とはどういうことなのか、が疑問に思えてきました。
さらに、「わかる」前に「見る」必要があるのですが、「見る」とはどういうことなのか、もです。
例えば、目の見えない人はアートを「見る」ことはできないのでしょうか?
実は、目の見えない人でもアートを鑑賞することができます。
どのような方法を取ると思いますか?
彫刻など立体造形であれば直接触れるという鑑賞方法があります。
しかし、絵画などの二次元的作品ではそれはできません。
そこには驚くべき方法が取られています。
視覚障害者のための美術展ツアーを実施している美術館は全国にあるそうですので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。
それは、目の見える人が一緒に作品を見ながら、言葉で伝えるのです。
但し、作品解説ではありません。見えたもの、感じたことをそのまま伝えるのだそうです。
そこには見える人と見えない人とのコミュニケーションが生まれます。
その中で、見えない人もアートを「見る」ことができるのです。
こんな、視覚障害者についての驚くべき理解を与えてくれた書籍が、美学者の伊藤亜紗さんの「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書、2015年)です。
ご興味のある方には是非一読をお勧めします。
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