アートをわかる
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
デザインは、わかってもらうことを目的としているが、アートはそれを目的とはしていない。わかりやすいのがデザインで、わかりにくいのがアート。などと勝手なことを言わせて頂きました。
しかし、「わかりにくい」ということが、「わかり得ない」、あるいは「わかる必要がない」ということを言っている訳ではありません。
では、アートを「わかる」「理解する」とはどういうことなのでしょうか?
昨日ご紹介した、視覚障害者のアート鑑賞方法を紹介している「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の中で、著者の伊藤亜紗さんは、視覚障害者が印象派の絵画を「理解する」という言い方をされています。
伊藤さんは、ヨーロッパの「チカチカした光が風景や人にあたって私達の目に飛び込み、その目の中までチカチカさせる。そこを描こうとしたのが印象派」だから、そのチカチカした感じを伝えなければ視覚障害者が印象派を「理解」したことにはならない、と言っているのです。
そして、その時目の見える人が行うのは作品の「解説」ではない、つまり、技法や作者の意図や印象派の特徴等の情報を他人の言葉で伝えるのではなく、その方がアートを自分で見て、見たままや感じたことを伝えるのだそうです。
そしてそれによって目の見えない人が「印象派を理解する」ことができるといいます。
それは、伝えられたことから何事かを感じ、或いは想像し、さらに思考を巡らすという、感覚と論理の相互作用を通して作者の意図などを論理的に把握することを意味しているのだと思います。
アートに限らず、わかる、理解するとはそういうことなのかも知れません。
| 固定リンク | 0
« 見えなくても見える | トップページ | 役割と指針 »
コメント