芸術と狂気とアホ
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
9月4日の本欄で、芸術家の見えているものは我々凡人とは違うというお話をしましたが、先日机を整理していてたまたま出てきた本に、似たようなことが書かれていました。
筒井康隆の「アホの壁」という本です(新潮新書、2010年)。
「アホの壁」とは「人それぞれの、良識とアホの間に立ちはだかる壁」のことで、「文化的であり文明人である筈の現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側へ行ってしまうのか」について書かれているのですが、「アホの壁を乗り越えて彼方へ行かぬ限りは成り立たない仕事もある」と言います。
それが、(言うまでもなく)芸術という仕事である、と彼は言っています。
「芸術的狂気というものはいったん良識から離れてアホの側に身を置かねばならない」。但し、単なるアホとは違い芸術家は「壁の存在、壁の所在、壁の位置、壁の高さ、壁を乗り越える方法などを熟知している」「そのためには冷静な正気を保ちながら壁を認識しなければならない」そうです。
この点について、同欄で紹介した秋元雄史は著書「アート思考」でこう言っています。「絵を描くことや見ることといった芸術体験は、一種の『常識からの逸脱行為』」であり、「アートはどこか常識を破ったところにある」。
そして見えるものが違うことについては、「アーティストは普段からプロとして訓練を行い外界の認識に不断の変更を加えている」。
ジャコメッティも「絵を描いていく訓練の果てに、通常、私達が見ているようには、見えなくなっている」のだそうです。
もちろん、誰でも訓練すればそうなれるというわけではないのでしょうが。
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