デザインがアートに変わるとき
(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
わかりやすいのが「デザイン」で、わかりにくいのが「アート」だと言いましたが、もっと言えば、わかってもらおうという意図でつくるのが「デザイン」で、わかってもらおうという意図がない、あるいはそれは二の次で、とにかく自分の言いたいことを表現するのが「アート」ということなのかも知れません。
佐藤可士和展の図録を改めて見てみると、圧倒的な迫力で迫ってくるデザインばかりなのですが、その色彩と、直線が中心のデザインは、人の「快感」に訴え(見ていて楽しい、心地よい)、それによってより強く「わかる」「伝わる」ものとしようとしているのがわかります。これが「デザインの力」なのでしょう。
佐藤可士和展では彼のデザインの工程を垣間見せる「下書き」も展示されているのですが、ミリ単位で実に緻密な計算がされているのがわかります。
このように、より強く人が快感を感じ、より「わかる」ものとするためには、細かく、かつ圧倒的に「執拗な」調整が必要だったことがわかります。
また、会場には佐藤可士和の著名なロゴやデザインが巨大化されて展示されていました。
「わかる」デザインも、巨大化することで、元々の商業的目的とは別の意味を持ち、「問い」を発し、「わかりにくい」オブジェ、つまりアートに転じているようにも感じられました。
もっとも、つまるところ作品は、受け手がどう感じ、解釈し、意味づけをするかによってアートにもデザインにもただのガラクタにもなるのだと思います。便器がアートになるように。
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