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2022年9月30日 (金)

不動産事故が発生したら

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

不動産事故発生の懸念要素があるにも関わらず、当事者がその除去に非協力的な場合、私達司法書士はどうすれば良いでしょうか。

懸念要素の内容によって、対応は違ってきます。

1 意思無能力など、不動産事故発生の確定的要因がある場合。
意思無能力の場合私達は取引の延期(後見人を付するまで)を強く勧めますが、当事者がそれに従わない場合は、登記の依頼を拒絶する必要があります(司法書士法21条の正当事由)。
もっとも、その前に「それなら他の司法書士に頼む」と言われるかも知れませんが(今はそこまでして強行する方はいない?)。

2 事前確認を拒むなど、不動産事故発生を懸念させる要因はあるが、確定的要因とはいえない場合。
この場合私達は、意を尽くして懸念事項除去(事前確認を行わせて頂くなど)の必要性を説きますが、それでも当事者が従ってくださらない場合、私たちは最悪の場合(事故発生)でも責任を問われることがないように(訴訟で過失=注意義務違反を認定されないように)備える必要があります。

そのためにはどうすれば良いでしょうか。

不動産の売買において司法書士の注意義務がどこまであるのかは、事案に沿って具体的に検討する必要があります。

まず、わかりやすい事例から考えてみましょう。
例えば売主が高齢で、意思能力が低下している疑いがあるにも関わらず、取引を行い、取引後に売買無効であると売主の親族から訴えられ、無効が認められた場合、司法書士はどこまですれば注意義務を尽くしたと言えるでしょうか?

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2022年9月29日 (木)

不動産事故が防ぎきれないとき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今月の朝礼でも確認しましたが、私達が現在行っている仕事(提供しているサービス)は大きく分けると1登記申請手続、2取引円滑化の担保、3取引毀損の防止の3つがあります。

このうち3取引毀損防止に関しては追加してご説明しておかなければならないことがあります。

朝礼では、取引毀損防止とは、効果不発生、無効、取り消し、及びそれを主張される、などといったトラブルに巻き込まれるのを防止する機能だとご説明しました。

別の言葉で言うと「不動産事故の防止」であり、この機能を果たすのは私達司法書士の当然の職責ですが、必ずしも十分に果たせない場合があります。

不動産事故の防止手段に関しては、内外の研修でお話している通り、「懸念事項」の有無が大きな要素となります。「懸念事項」が多ければ、事故発生の可能性が高くなりますから、司法書士は懸念点の解消に努め、あるいは当事者にそれを強く勧めます。

しかし、当事者が必ずしも懸念事項の解消に動いてくださらない場合もあります。

そのような場合にはどうすれば良いのでしょうか。

この問題は2つに場合分けして考える必要があります。

一つは不動産事故発生の確定的要因がある場合、例えば、売主が意思無能力であると判断できる場合や売主本人の意思確認が全くできない場合などです。
もう一つは不動作事故発生を懸念させる要因はあるが、確定的ではない場合、例えば、高額物件であるにもかかわらず、異常に条件が良い、決済までの期間が極めて短い、事前に売主に面談させることや必要物(のコピー)を事前に確認させるのを頑なに拒むなどの場合です。

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2022年9月28日 (水)

営業の本質

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「営業の本質」については、今月の朝礼(20日)でお話しましたが、ビデオだけでテキストを共有しておりませんでした(少し冗長でもありました)ので、整理して共有します。

営業は、実はみなさんが日頃の仕事で行っていることです。

みなさんは自分自身(の提供する労働でありサービス)という商品を売り、その対価である給料を獲得しています。

そしてその対価(給与)の額を増やすためには「商品」の価値を上げる、即ち、サービス提供対象に何らかのメリット(得)を与えることが必要です。

そして、「得」を与えるためには、相手が何を欲しがっているのか、なにが足りないのか、何か困っていることはないかを考え、あるいは調べることが必要です。

これが営業活動の中核的部分です。

このように、営業とは「サービスや商品の提供対象のことをよく知った上でよりよいサービス・商品を提供する(及びそれによって対価を増やそうとする)活動及び思考」のことであり、みなさんの場合、自分の給与を引き上げるために、どうすれば相手(会社)にとって「得」なのかを考え、それを実現するという、営業を行っているのです。

言い換えれば、自分が提供している価値を引き上げるための活動が営業です(弊社の理念の価値創出にもつながります)。

そして、対外的な接点を持つ機会のある方は、是非、上記したような営業の本質を再認識して、顧客に対する営業(対外的営業)を行って欲しいと思います。

なお、「対内的営業」において「どうすれば企業にとって得なのか」は現在構築中の評価制度がその指針を示してくれることになると思います。

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2022年9月27日 (火)

役割のラインナップ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

会社と社員との約束(誓い)は役割と指針を書いたものでしたが、体系的に網羅したものではありませんので、役割として例えば次のようなものが足りないのが分かります。

◇企業の目標を定める役割
◇マネジメントをする役割
◇(対外的な)営業をする役割
◇広報をする役割

〈企業の目標〉

これは主に私が大枠を定め、みなさんにその中身を具体的に作って頂いて来ました。

〈マネジメント〉

マネジメントとは「人を通じ、人とともに何事かを成し遂げること」と定義されます。

「人を通じ」とは自分自身が行うのではなく、他の人に行わせるということであり、「人と共に」とは、自分ひとりで行うのではなく、他の人と力を合わせて行うということです。

FLC&Sでマネジメントをする役割を担うのは「リーダー」ですが、現実的に大半のリーダーはプレイングマネージャーとして自分自身も具体的な業務を行いつつ、マネジメントも行っています。

そしてリーダーが「何事かを成し遂げる」ために必要なのが、組織人としての「価値基準や行動基準」です。自らだけでなく部下にもこれらの基準を満たさせなければなりません。

尚、マネジメントの行動指針の一つに「人を育てる」というものがあります。

これは、「指針」である(人を育てる必要がある)とも捉えることができますし、人を育てるという「役割」であると位置づけることも出来ます。

〈営業〉

「営業の本質」については、今月の朝礼(20日)でお話しました。

〈広報〉

これに関してはあまりこれまで論じて来ませんでした。

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2022年9月26日 (月)

役割と指針

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「社員と会社の約束」(先日「誓い」と改めることにしました)は、私がメンバーのみなさんに「こうあって欲しい」、と列挙したものですので、網羅的でも体系的でもありませんでした。

そこでこれを改めて体系立ててみると、こうなりました。

【役割の設定】

◆未来を創る(第一の約束)
◆楽しく働ける仕事環境をつくる(第二の約束)、(M)
◆革新する(A)
◆環境・しくみをつくる(共通)

ここでは何かを直接つくることだけを役割としていますが、それらを間接的にささえることも当然役割と位置づけられ、それは全社員の役割であるといえるでしょう。

【価値基準・行動指針】

《組織人として》

◆一つになる(B)・・一つの目標に向かって一体となる
◆相互尊重(E)・・全ての仲間の価値観と個性(=多様性)を尊重
◆人間関係(H)・・良好な人間関係を維持
◆情報共有(I)・・相互に情報を共有
◆もてなしの心(N)・・周囲の人も楽しくなる仕事ぶり
◆感謝(O)・・全ての人に感謝

その他、現在定めておらず、加える必要があるのが、「ルール順守」。

《個人として》

◆成長(C)・・生涯成長を続ける
◆目標(D)・・目標の設定と達成に向けての努力
◆健康(F)・・心と体の健康を維持
◆挑戦(G)・・失敗を恐れず挑戦する
◆自由(J)・・やりたいことをし、言いたいことを言い、責任を持つ
◆自信と誇り(K)・・仕事と行動に自信と誇りを持つ
◆希望(L)・・希望に満ちた将来像

・・・・・・・・・・・・・

客観的には不足もあると思います。

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2022年9月25日 (日)

アートをわかる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

デザインは、わかってもらうことを目的としているが、アートはそれを目的とはしていない。わかりやすいのがデザインで、わかりにくいのがアート。などと勝手なことを言わせて頂きました。

しかし、「わかりにくい」ということが、「わかり得ない」、あるいは「わかる必要がない」ということを言っている訳ではありません。

では、アートを「わかる」「理解する」とはどういうことなのでしょうか?

昨日ご紹介した、視覚障害者のアート鑑賞方法を紹介している「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の中で、著者の伊藤亜紗さんは、視覚障害者が印象派の絵画を「理解する」という言い方をされています。

伊藤さんは、ヨーロッパの「チカチカした光が風景や人にあたって私達の目に飛び込み、その目の中までチカチカさせる。そこを描こうとしたのが印象派」だから、そのチカチカした感じを伝えなければ視覚障害者が印象派を「理解」したことにはならない、と言っているのです。

そして、その時目の見える人が行うのは作品の「解説」ではない、つまり、技法や作者の意図や印象派の特徴等の情報を他人の言葉で伝えるのではなく、その方がアートを自分で見て、見たままや感じたことを伝えるのだそうです。

そしてそれによって目の見えない人が「印象派を理解する」ことができるといいます。

それは、伝えられたことから何事かを感じ、或いは想像し、さらに思考を巡らすという、感覚と論理の相互作用を通して作者の意図などを論理的に把握することを意味しているのだと思います。

アートに限らず、わかる、理解するとはそういうことなのかも知れません。

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2022年9月24日 (土)

見えなくても見える

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

以前、「わかりやすいのがデザインでわかりにくいのがアートだ」などと勝手なことを言いました。アートを飾りたいと思うかどうかは、それを見て、わかるかどうか、というよりも、心が動かされるかどうか、だと思っていましたが、そもそも「わかる」とはどういうことなのか、が疑問に思えてきました。

さらに、「わかる」前に「見る」必要があるのですが、「見る」とはどういうことなのか、もです。
例えば、目の見えない人はアートを「見る」ことはできないのでしょうか?

実は、目の見えない人でもアートを鑑賞することができます。
どのような方法を取ると思いますか?

彫刻など立体造形であれば直接触れるという鑑賞方法があります。
しかし、絵画などの二次元的作品ではそれはできません。

そこには驚くべき方法が取られています。
視覚障害者のための美術展ツアーを実施している美術館は全国にあるそうですので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

それは、目の見える人が一緒に作品を見ながら、言葉で伝えるのです。
但し、作品解説ではありません。見えたもの、感じたことをそのまま伝えるのだそうです。
そこには見える人と見えない人とのコミュニケーションが生まれます。

その中で、見えない人もアートを「見る」ことができるのです。

こんな、視覚障害者についての驚くべき理解を与えてくれた書籍が、美学者の伊藤亜紗さんの「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(光文社新書、2015年)です。

ご興味のある方には是非一読をお勧めします。

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2022年9月23日 (金)

基本理念と最適化

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、無条件の「最適」はないが、常に「最適化」を目指さなければならない、と言いました。これは、皆さん自身が仕事をしていく上で広く心がけて欲しいことです。

現在、評価制度の再構築を行っていますが、そこでは「役割等級制度」を採用することを予定しています。

みなさんの「役割」自体は多種多様なものがあり、それぞれの役割に応じた評価をして、給与も決めていこうというものです。

そして、この役割があってこそ広くみなさんに「最適化」を求めることができます。

つまり、それぞれ各人が自分の役割にもっとも適した仕事をすることが求められるということです。

それぞれの役割の中での「最適化」の積み重ねが、FLC&Sという船を基本理念(未来を創る、価値を創る、楽しい世界、楽しい会社)という目的地に向かってそれこそ「最適に」進ませてくれると思います。

そう考えますと、基本理念の中の「VALUE」(価値基準、行動規範)として定めた、「社員と会社の約束」(8月に「誓い」に修正することを検討しましたが)は、さらに修正を要するという事になります。

つまり、多様な役割の方々に対して一律に一つの基準を当てはめ、「約束」や「誓い」を求めることはできないということです。

もし約束や誓いを求めるとすると、それぞれの役割の限度でという留保付きでなければなりません。

一言で言いますと、行動基準・思考基準は「自分の役割を果たすために最適な行動、考え方をとる」となります。

今掲げている「社員と会社の約束」の内容は、ある役割の方にだけ当てはまり、その他の役割の方には当てはまらないものもあるということです。

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2022年9月22日 (木)

最適はない

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

タクシーのウェブ配車(配車アプリ)に関して一昨日の全体朝礼でお伝えしたことを少し訂正します。
法人タクシーが配車アプリを導入したことで個人タクシーは打撃を受けたであろうと言いましたが、配車アプリは法人だけでなく個人タクシーも導入していますね。失礼致しました。

個人タクシーの場合も配車だけでなくタクシー広告も導入していますから、当然ラジオを聞いたり、世間話をしたりというのも禁止されているのだと思います。

もちろん「運転部分」の最適化がそういった接遇マナーのところだけかどうかはわかりませんが、利用者としてすぐにわかるところとしてはそういったところです。

私達の場合は「登記申請手続部分」の最適化です。8月13日の本欄で(※)、〈皆さんが今行っている手続が「最適」ではない〉と言いました。
では最適な手続とはどのようなものなのでしょうか?

実は、最適な手続というものは存在しません。もっと厳密に言うと、無条件に最適といえるものは存在しないのです。

しかし、「最適化」は可能ですし、必要です。
「最適化」とは一般的には目的達成のために一定の限定条件の下で最も適した手段をとることを言いますが、私達の目指す「最適化」は違います。

それは、この一定の限定条件を変えて行くことです。それまで当たり前としてみんなが受け入れてきた前提条件を疑い、変えて行くことです。

ですから、現在の手続は常に最適ではなく、最適を目指す必要があるのです。

(創り出す近未来1)登記申請手続の最適化

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2022年9月21日 (水)

登記申請の最適化はいわずもがな

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

タクシー業界では、「手動運転」がなくなるまでの間に、「運転」以外の部分を最適化することを目指し、ネット配車のシステム(配車アプリ)を構築しました。

それにならい、司法書士業界では「登記申請手続」がなくなるまでの間に「申請手続」以外の部分(取引円滑化担保と取引毀損防止)を最適化することを目指すべきである、と昨日の全体朝礼でお話しました。

ただ、少し誤解を招いたかも知れませんので、補足しておきます。

タクシー業界は、ネット配車の導入に合わせて、「運転」の部分の「最適化」も進めています。例えば、配車アプリ「GO」の場合、運転手の顧客対応が一律改善されています。必要以上の無駄な会話を一切しません。迎車の場合は車の外で直立で待っていますし、ドアの開閉も原則外に回ります。

余計な会話(世間話)をしない点は、以前のこの欄(※1)で理髪店を例にとってお話したように、私自身は大歓迎です(これはラジオをつけないこととも合わせ、タクシー広告を顧客に見せるために求められたのでしょうが)。

ただ、むしろそういった最適化の内容よりも、全ての運転手に対して同じ対応をとるようにルール付けし、訓練(研修)を施していると思われる点に着目したいと思います。

タクシー業界が「運転」の部分の最適化も進めているように、私達司法書士も「登記申請」の部分の最適化も進める必要があるのは当然です(※2)。昨日の朝礼では、登記申請の部分の最適化は不要であると誤解されるような言い方をしてしまいましたが、決してそのようなことはありません。

※1 理髪店でも会話を?
※2(創り出す近未来1)登記申請手続の最適化

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2022年9月20日 (火)

タクシー業界のアナロジー

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

タクシー会社の経営者は、運転手が不要となる未来のことを考えることで、自分たちが提供している価値(行っている仕事)を再認識し、より近い未来に自分たちがやるべきことが見えたのだと思います。

タクシー会社が顧客に提供しているサービスは単に顧客をA地点からB地点に運ぶということ(自動運転の対象)だけではないということを再認識し、それ以外のサービス、例えば「顧客がタクシーに乗るまでの過程」を最適化することにしたのでしょう。
それで、彼らが行ったのがネットによる配車システムの構築です。

これによってタクシーの利用方法は劇的に変わり、利用者の利便性は大幅に向上(利用者の生産性向上に寄与)、利用者数も増えたのではないでしょうか?

これは、運転だけではない、自分たちが提供しているサービス全体についての新しい(効率的で顧客満足度の高い)システムを構築する第一歩なのではないでしょうか。

また、運転という業務が奪われるまでの間に自分たちの業務効率を高め、収益性を高め、体力をつけておくという意味ももちろんあるのだと思います。

これを私達司法書士の仕事に当てはめてみましょう。

〈タクシーは単に顧客をA地点からB地点に運ぶだけがサービスではない〉
→〈司法書士は単に顧客が登記するのを代わりに行うだけがサービスではない〉

〈「顧客がタクシーに乗るまでの過程」を最適化することにした〉
→〈「顧客が登記を申請するまでの過程」を最適化することにした〉

どうでしょうか。これで私達がやるべきことも見えてきたような気がしませんか?

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2022年9月19日 (月)

未来に学ぶ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

(賢者は)歴史に学ぶという言葉がありますが、「未来に学ぶ」ということもあります。未だ起こっていない出来事から何を学ぶのかと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、出来事や事実から学ぶのではなく、未来を想像することの中から学ぶのです。

私は常々「やがて来る時代の不動産取引」やら「登記申請手続はいずれなくなる」やら「司法書士の仕事はどうなる」やら、未来のことばかり考えて、ここでもお話しています。

未来のことを考えるのは、もちろんFLC&Sを企業として永続させ、発展させ続けなければならないからです。

それはさておき、このひと月半ほどは、やがて来る登記申請不要化時代に備えて、FLC&Sだけでなく司法書士はどうすべきなのか、について考えて来ました。
登記申請が不要になる時代は既に始まっており、一部不要になりつつあるのは皆さんも御存知の通りですが、全ての申請が不要になるまでにはまだ少し時間があります。

そんな先のことを考えて意味があるのかと思う方もいらっしゃるかも知れませんが、まさしく未来のことを考える中で学んだことがあります。現在の私達の姿です。

未来のことを考えることで現在の自分たちの姿が明確になり、より近い未来に何をすべきなのかがわかってくるのです。

これを考えるときに思い浮かぶのが、タクシー業界です。
完全自動運転が実現すると今の形のタクシーは不要になります。少なくとも運転手は不要となります。

当然タクシー会社の経営者は、運転手が不要となる未来のことを考えたでしょう。

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2022年9月18日 (日)

デザインがアートに変わるとき

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

わかりやすいのが「デザイン」で、わかりにくいのが「アート」だと言いましたが、もっと言えば、わかってもらおうという意図でつくるのが「デザイン」で、わかってもらおうという意図がない、あるいはそれは二の次で、とにかく自分の言いたいことを表現するのが「アート」ということなのかも知れません。

佐藤可士和展の図録を改めて見てみると、圧倒的な迫力で迫ってくるデザインばかりなのですが、その色彩と、直線が中心のデザインは、人の「快感」に訴え(見ていて楽しい、心地よい)、それによってより強く「わかる」「伝わる」ものとしようとしているのがわかります。これが「デザインの力」なのでしょう。

佐藤可士和展では彼のデザインの工程を垣間見せる「下書き」も展示されているのですが、ミリ単位で実に緻密な計算がされているのがわかります。

このように、より強く人が快感を感じ、より「わかる」ものとするためには、細かく、かつ圧倒的に「執拗な」調整が必要だったことがわかります。

また、会場には佐藤可士和の著名なロゴやデザインが巨大化されて展示されていました。

「わかる」デザインも、巨大化することで、元々の商業的目的とは別の意味を持ち、「問い」を発し、「わかりにくい」オブジェ、つまりアートに転じているようにも感じられました。

もっとも、つまるところ作品は、受け手がどう感じ、解釈し、意味づけをするかによってアートにもデザインにもただのガラクタにもなるのだと思います。便器がアートになるように。

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2022年9月17日 (土)

アートとデザイン

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週、先々週とチームラボやライゾマティクスなど、「アート」ネタのお話をしました。

今週は「デザイン」ネタで、佐藤可士和です。

アート(思考)とデザイン(思考)の違いは何でしょうか?

「アート思考」(プレジデント社、2019年)の著書、秋元雄史さんによると、アートは問を発し、デザインは問に答えるのだそうです。

炭坑のカナリアに例えられるように、世の中の問題にいち早く警告を発するのがアーティストだとも言います。

私の、鑑賞者(あるいは受信者)側からする感覚的な定義では、分かりやすいのがデザイン、分かりにくいのがアート、です。

佐藤可士和さんはあまりにも有名なロゴを多数デザインしていますから(ユニクロ、楽天、7&i、Tカード、くら寿司他ーこれは当然分かりやすい)デザインの人なんでしょうが、昨年の佐藤可士和展では「LINES」※1や「FLOW」※2といった「分かりにくい」作品もあり、これはアートの分野かなと思います(私は思わずLINESのポスターを買いました)。

佐藤可士和公式サイトでは肩書が「クリエティブディレクター」となっています。
これは自らデザインするだけではなく、デザイン以上の仕事をするという意味なのだと理解しています。

まあ、肩書なんてどうでもいいのかも知れませんが。

もう一つ佐藤可士和さんでとても印象に残る作品が幼稚園のコンセプトデザインです。

建築デザインはこれも有名な建築デザイナーが行っていますが(手塚建築研究所)ドーナツ形で仕切りのない園舎という設計の基本的方向性は佐藤可士和の手になるものです。

これはマスメディアでも報道されましたからご覧になった方も多いと思います※3

※1  LINESムービー
※2  FLOWムービー
※3  ふじ幼稚園

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2022年9月16日 (金)

改善は誰のためか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

自分の(他のメンバーの、チームの、全社の)仕事の効率についての受け止め方は、おおよそ次の3類型になるのではないでしょうか。

1 非効率だと思っていない(今の仕事の進め方が最適である)。
2 非効率だと思っているので改善提案をしている(これまでも改善してきた)。
3 非効率だと思っているが改善提案はしていない。

「1」はここでは置いておきましょう(但し、必ず改善の余地はあります。今が最適ということはありえません)。

「2」も、提案後の進捗は気になりますが、それはまた別の機会にしましょう。

今日の注目点は「3」です。
非効率だと思っているにも関わらず改善提案をしていない理由は既にご説明した通りですが、それが、自分(達)の仕事の効率及び改善提案について考える意義に関連してくるのです。

この数日間それを考えてきたのは、「取引円滑化担保機能」(現在私達が提供している機能(サービス)の一つ)をより強化する前提として重要だからです。

この、「取引円滑化担保」機能には、現在の取引の効率を上げるために、取引当事者に対して改善提案をしていくことも当然含まれます。

そもそも自分たちの仕事の効率化、改善(提案)ができないのであれば、取引当事者に対する改善提案など到底おぼつかないと考えられます。

例に上げた、登記必要物の事前確認も、自分たちだけの改善ではなく取引当事者に対する改善提案でもあった訳です。

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2022年9月15日 (木)

改善はこうやる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

非効率的な方法を行っている理由は2つ考えられます。
1 非効率だという認識がない。
2 非効率だという認識はあるが抵抗があり変えられない。

1の、認識がない場合は、その認識を持たない限り、つまり、それが非効率だということ、いいかえれば、他にもっと効率的な方法があるという認識を持たない限り、やり方を変えるという動機は働きません。

この認識を持たせるのは、第三者の目が入りでもしない限り難しいでしょう。

2の、非効率だという認識はあるが抵抗がある場合は、その抵抗を排除する動機がはたらきますから、1より改善は容易であろうと思われます。

例えば、不動産登記の必要物を決済当日初めて確認するというやり方を誰も非効率だとは思っていない場合、それを変えることはないでしょう。

それに対して、これが非効率だと思っている人がいるが、変える(事前にコピーを入手)ことに抵抗する存在があり、変えられていない、という場合は色々と方法はあるでしょう。

抵抗する理由は(前にも書きましたが)2つ。
1 変えること自体が嫌(慣性の法則?)。
2 余計な手間が増える。

いずれの場合も抵抗を和らげるには、変えることによる効果(メリット)を理解してもらうという方法しかないでしょう。
この場合の効果とは、決済当日に必要物が揃わず取引が遅延ないし中止に追い込まれるという問題が防げることです。

抵抗するよりこの効果(見返り)を得た方が得だとわかれば、手間をかけて新しいやり方を行うことにも賛成するでしょう。

こうして業務改善・改革は実現されて行きます。

では、今みなさんが行っている仕事の進め方の効率はどうでしょう?

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2022年9月14日 (水)

なぜ非効率なことを?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今は当たり前になっている仕事の進め方が、以前は非効率なやり方で行われていたということは決して珍しくはありません。

ではなぜ非効率な方法を続けてしまうのでしょうか?

必要書類等の事前確認の例で考えてみましょう。

私達司法書士からすれば、売主が権利書(登記識別情報)を決済当日に間違いなく用意できるかどうかは重要です。決済当日になって初めて用意できないことが判明した場合、決済予定手順は大きく狂いますし、場合によっては当日の決済ができなくなることも考えられます(取引そのものの存続に影響することもあります)。

それを回避するためにもっとも確実なのは、事前に原本をお預かりすることですが、現在の取引慣行からも、契約上も民法上もそれを当然に要求することはできません。
せめて事前に原本の存在を直接確認させて頂ければ安心ですが、全ての案件についてそれを行うのは司法書士側にとっても負担が大きく、現実的ではありません。

そこで、次善の策として、原本の写しを事前に頂く(メール、ファクス、郵送等)という方法が考えられるのですが、以前はこの方法は行われていませんでした。

それはなぜか?

1 司法書士側
■問題を感じない。
それまで行って来た方法だという理由だけで最善と考える。
■やり方を変えることへの抵抗感。
新しいことや、自分のやり方を変えさせられることへの抵抗感は誰しも持ちやすい。
2 依頼者側
■手間が増えることへの抵抗感。
今まで必要がなかったコピーを取る手間、送る手間が増える。
■メリットがない。
手間をかけた事による見返りが感じられない。

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2022年9月13日 (火)

それは当たり前?

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

司法書士が生き残るために、「取引円滑化担保」機能をさらに磨き上げる必要がありますが、そのためには何より自分達の仕事(の円滑化)を磨き上げることが先決です。

私たちはこれまで様々な局面でそのための創意工夫、即ち業務改善、最適化を進めて来ました。

今は誰でも当たり前に行っていることが、実は業務改革の結果であって、決して初めから当たり前だった訳ではないということは珍しいことではありません。

非効率的なやり方が何の疑問も持たずに行われ続けていることに誰かが疑問を感じ、やり方を変え効率化されて現在に至っているわけです。

例えば、事前に資料のコピーを頂くのは、今は当たり前ですが、それがかつては当たり前ではなかったのです。

権利書や印鑑証明、身分証明書は決済当日に初めて確認するのが普通でした。
これでは原本に不審な点があっても指摘しづらいという問題もありますが、それより何より、そもそも権利書が決済当日用意されていないということが少なからず起こるのです(持って来た権利書が別のものだということも)。

それに対処するために、事後的に対応する方法を用意していたのです。本人確認情報の書式(昔なら保証書の書式)を準備しておく、などです。

しかしこれが本末転倒だということはおわかり頂けると思います。不備が起こることを予測して備えるのではなく、不備が起こらないようにすべきなのです。

ではなぜこのようなやり方を長年に渡って行ってきたのでしょうか?

これを考えることで業務改革の要諦がわかるかも知れません。

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2022年9月12日 (月)

司法書士が生き残るために

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「取引円滑化担保」機能と「取引毀損防止」機能が司法書士の機能であるというお話をしましたが、これは残念ながら司法書士の独占業務ではありません。

現在司法書士は、登記の(申請)手続を代理しており、これは独占業務です(司法書士法3条1項1号)。
そして、上記の2つの機能(サービス)は、この独占業務と密接不可分のものとして提供されているため、事実上独占的なサービスとなっており、当然司法書士以上にそのノウハウを有する存在はありません。

従って司法書士は、(楽観的に考えれば)登記申請を代理することがなくなったとしても、これらのサービスを通じて不動産取引における重要な役割を演じ続けることができるであろうと考えられますが、これらが法律上の独占業務ではない以上、司法書士以外の存在が司法書士に代わってこれら2つのサービスを提供することになる可能性も否定出来ません。

この悲観的シナリオに沿って今司法書士が行うべきことは何かを考えてみると、一つは現在提供しているこれらのサービスの価値を高めることであり、もう一つはこれらのサービスを容易に他に奪われないもの(しくみ)にしていくことです。

では、価値の高いサービスとは何でしょうか?
私達FLC&Sは、これまで価値の高いサービスを提供してきたでしょうか?

まず、取引円滑化担保機能を見てみます。
「担保」と言っているのは、他者に働きかける事だからです。他者が円滑に取引を進めることを促進する機能です。
しかし、その前にまずやるべきことは(当然ですが)自分達の仕事を円滑に進めることです。

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2022年9月11日 (日)

ライゾマ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週(9月3日)チームラボのお話をしましたが、今日は日本のもう一つのメディアアート集団、Rhizomatiks(ライゾマティクス)について。

ライゾマティクス(ライゾマ)と聞いてピンと来ない方でも、Perfume(パフューム)のステージ、といえば、あああれか、とお気づきになる方も多いのではないでしょうか。あれがライゾマです。

昨年ライゾマの「個展」に行ってきました(※)。チームラボボーダレスと比較すると、より「物理的」な印象です。チームラボの方は「動くアートの投影」が多いですが(それがインタラクティブなのでより不思議です)ライゾマには例えば箱やボールがプログラムに従ってロボットの様に動いたり、螺旋上のレールを動き回ったり、という作品があります。

もちろんレーザーなどによる光の演出が施され、非現実的、幻想的な空間を作り出していて、その中に入って体験するという点は共通しています。

先週、今週と、アーティストは一般人とはものの見え方が違うという話をしてきました。ジャコメッティは客体(モデル)を観察して創造していきますが、チームラボやライゾの場合は誰にもまだ見えていないものが見えているのかも知れません。

よく芸術について、わかるか、わからないか、という議論がされますが、実はわかるか否かではなく、感じるか、感じないか、であり、感じるまでの時間が長いか短いか、ではないでしょうか?

そして、彼らのアートの特徴は、商業主義と結びつくことで、より多くの人に感じてもらうしくみや「場」を作り、それによって多くの「集客」を実現していることではないでしょうか。


ライゾマティクス_マルティプレックス(東京都現代美術館)

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2022年9月10日 (土)

芸術と狂気とアホ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

9月4日の本欄で、芸術家の見えているものは我々凡人とは違うというお話をしましたが、先日机を整理していてたまたま出てきた本に、似たようなことが書かれていました。

筒井康隆の「アホの壁」という本です(新潮新書、2010年)。
「アホの壁」とは「人それぞれの、良識とアホの間に立ちはだかる壁」のことで、「文化的であり文明人である筈の現代人が、なぜ簡単に壁を乗り越えてアホの側へ行ってしまうのか」について書かれているのですが、「アホの壁を乗り越えて彼方へ行かぬ限りは成り立たない仕事もある」と言います。

それが、(言うまでもなく)芸術という仕事である、と彼は言っています。

「芸術的狂気というものはいったん良識から離れてアホの側に身を置かねばならない」。但し、単なるアホとは違い芸術家は「壁の存在、壁の所在、壁の位置、壁の高さ、壁を乗り越える方法などを熟知している」「そのためには冷静な正気を保ちながら壁を認識しなければならない」そうです。

この点について、同欄で紹介した秋元雄史は著書「アート思考」でこう言っています。「絵を描くことや見ることといった芸術体験は、一種の『常識からの逸脱行為』」であり、「アートはどこか常識を破ったところにある」。

そして見えるものが違うことについては、「アーティストは普段からプロとして訓練を行い外界の認識に不断の変更を加えている」。

ジャコメッティも「絵を描いていく訓練の果てに、通常、私達が見ているようには、見えなくなっている」のだそうです。

もちろん、誰でも訓練すればそうなれるというわけではないのでしょうが。

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2022年9月 9日 (金)

司法書士はいつ不要になるか

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

司法書士が登記に関わる必要がなくなるのは、次の2つの役割を司法書士が果たす必要がなくなったときです。

まず、「取引円滑化の担保」という役割です。
これは、「決済」という目標に向かって、それを滞りなく実現するために必要な手順のそれぞれについて準備が出来ているかを確認するところから始まり、それぞれの行為(代金の支払いや不動産の引き渡し、ローンの返済等)を行っても良いかの判断と、良いと判断した場合の許諾(行為の指示)等です(それぞれについての遅滞があった場合にそれを促進することも含まれます)。

次に、「取引毀損防止」という役割です。
これは、「予防法務」と呼んできたものであり、取引(即ち登記)の無効・取消の(それらが主張される)原因を排除する役割です。
大きく分けて次の2つのことを行います。
第一に、決済手続が間違いなく実行されたかどうかの調査・確認。
第二に、そこまでの手続に無効・取消原因がないかどうかの調査・確認。

この2つを司法書士が行う必要がなくなるのは、司法書士以外の存在がその役割を果たすことができるようになったときです。

第一段階は、AI(を活用したプラットフォーム)による置き換わりです(web2.0の世界)。
第二段階はブロックチェーンによる置き換わりです(web3.0の世界)。

いずれにおいても取引円滑化の担保に関しては、実現にさほど時間は要しないと思いますが取引毀損防止に関しては、多少の時間が必要でしょう。

それ以前のところで司法書士が上記役割を果たす必要がなくなるということは考えにくいと思います。

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2022年9月 8日 (木)

予防法務以前の役割

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

結局元のところに、つまり再三お話していた「予防法務が司法書士の提供する価値の中心である」というところに戻ってきたわけです。

ただ、これまでは「予防法務」という抽象的な言い方と、意思能力の確認等個別のお話しかしてきませんでしたが、その意味するところ(位置付け)が少しわかりやすくなったのではないかと思います。

つまり、「予防」とは、登記(の原因である物権変動)が無効になったり取り消される、あるいはそれらを主張されるのを防ぐことである、ということです。

・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、現在司法書士が提供している価値は「予防」だけではない、ということは(みなさんが日常的に当たり前に行っていることでもあり)これまであまりお話して来ませんでした。

それは「取引円滑化の担保」とでもいうべき役割です。

つまり、「予防」の前に、無事に登記が行われること、その大前提として物権変動が当事者全員の期待どおりに滞りなく効力を生じること、すなわち決済が円滑に行われることを「担保」する役割を担います。

典型的な不動産取引、例えば個人間の住宅の売買であれば、「決済」とは、買主に対して銀行が融資を実行し(担保を設定)、その融資金から売主に売買代金が支払われ、その代金から現在の所有者が借りているローンが返済されます(担保を抹消)。司法書士は、この一連の流れが全て滞りなく行われるように(それぞれの当事者が予め準備)しておくことを担保するという役割を担っているのです。

この面からも、登記申請が不要になっても司法書士は重要な役割を担う、といえるのです。

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2022年9月 7日 (水)

司法書士の存在意義

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

では、登記申請が不要となった場合に司法書士の出る幕がなくなるのかどうかについて考えてみましょう。

登記簿に記載する内容は、その効力が発生すると同時に自動的に登記簿に反映され、完了します。登記を完了させること自体には司法書士の関与は不要です。

しかし、登記申請を不要とするしくみは、現在の制度を技術的に改良(IT化)することによって作り上げられるに過ぎませんから、一度完了した登記が後から無効や取消によって覆される可能性は残ります。

そして、登記に公信力を認めないという法制度上の原則が変わらない限り(これは単なるIT化の問題ではないので、登記制度そのものを抜本的に変えない限り変わらないでしょう)、登記が後から無効になったり取消されてしまうと、大きな損失を被る方が出てきて、大変不都合です。

これを防ぐためには、登記管理者または信頼のおける第三者に登記内容についての審査権限を与えることが必要になってきます。

そこで、現在はこれをどうしているのか、を考えることになりますが、言うまでもなくこの責任の大半を担っているのは司法書士です。

そして、登記の申請が不要となったとしても、司法書士以上にこの責任を全うできる存在はいないと言って良いでしょう。

形式的には登記に関する「手続」を代理するのが司法書士の仕事であり(司法書士法3条1項1号、「手続」とは申請だけではない)その一環として司法書士はこの責任を全うする必要性があると言えます。

実質的にもこの点についての十分な知見・技術を持っているのが司法書士だけであり、この責任を全うすることが求められるのです。

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2022年9月 6日 (火)

先の先を考える意味

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、登記申請が「不要となる」とは、登記事項である物権変動の内容が、その効力発生と同時に自動反映されることであり、そのためにはそれらが自動的に「登記管理者」に把握されるしくみが構築されていることが大前提であるとお話しました。

つまり、現在電子契約やweb重説など、オンライン不動産取引が実運用開始されており、完全オンラインの登記手続きも実証実験が行われていますし、先日ご紹介しましたように、ネット上での登記申請書の自動生成システムも実用化されていますが、「登記申請が不要」になるレベルはさらにその先の段階であるということです。

図式的にはこんな感じです。

登記申請書作成のIT化(申請書自動生成)→登記申請までの完全IT化→登記申請不要(登記簿への自動反映)

さらにこの先もありますが、今はこれくらいを考えておきましょう(ここまで考えるだけでも、私達のやるべきことは膨大です)。

そして、それぞれの段階で私達司法書士の関与の度合いやあり方、作業やサービスの提供の仕方が変わっていきます。

ですから、今私達が考えるべきなのは、一足飛びに「登記申請が不要」となった場合のことではないのかも知れません。

しかし、「登記申請が不要」となった時代の司法書士の関与の仕方(そもそも関与するのか)を考えることは、これまで私達が提供し、また、新しく創り出してきた価値を再認識するための良い機会になるとともに、私達が進むべき方向を知るための有効な手がかりになるのです。

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2022年9月 5日 (月)

登記申請が不要になるとは

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「登記申請なき時代の司法書士」(9月2日)の続きです。

登記の申請が不要となると、こうなることが考えられます。

1 司法書士が登記の申請を代理することがなくなる
2 司法書士が(登記申請の有効性の前提である)売買契約の有効性を確認することがなくなる


1は当然ですが、2はどうでしょうか。

これを考える前提として次の疑問に答える必要があります。

1 登記申請が不要となる、とは具体的にはどういうことか
2 その時司法書士は登記、ひいては不動産取引に関与しなくなるのか
3 そうなった場合、司法書士が担っていた役割を誰が担うのか

まず、1から検討します。

〈登記申請が「不要となる」とは〉
不動産の売買の場合、登記簿に記載する内容(物権変動の内容すなわち売買なら所有権の取得者、取得原因、日付)が、物権変動の効力発生と同時に自動的に登記簿に反映される。

〈反映される情報の源泉〉
「売買契約」+「契約上の債務が履行された旨」(この情報で登記は完了)

〈自動反映〉
申請(情報の送信)を要さず自動的に反映されるために、売買契約の内容および債務の履行の旨が、それが行われる度に自動的に「登記管理者」に把握されるしくみが構築されている。

〈前提〉
登記された内容が有効である(契約や履行に無効原因や取消原因がない)こと。

〈有効性の担保〉
専門家による。
売買契約とその履行は売買契約の当事者(売主と買主)が行うが、無効・取消原因がないことの確認を彼らが行うことは困難。

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2022年9月 4日 (日)

アート思考

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今日は、数年前から(デザイン思考、SF思考などとともに)注目されている「アート思考」について。

「アート思考」(秋元 雄史著 プレジデント社)※1という本があります。この本自体はアート思考をビジネスにどう活かすかという観点から、出版社が企画したもので、つまるところ、アート思考とビジネス思考の共通点は「クリエイティビティ」だということに尽きるのですが、私はアート思考そのものに興味がありましたので、著者の講演会にも行って来ました(代官山の蔦屋でした)。

そこで伺った話の中で衝撃的だったのは、天才アーティストの見ているものは私達普通人が見ているものとは全く違うということです。例えばジャコメッティというアーティストはモデルを観察して人物彫刻を作成するのですが、出来上がったものは全く写実的ではなく、異様に細長く引き伸ばされた形態をしています※2。彼の目にはそのように見えているのだと言うのです。

ジャコメッティに限らず、写実とかけ離れた表現の芸術作品は多いですが、芸術家にはそもそもものの見え方からして違うのだということに衝撃を受けました。

また、便器をそのままアートにしてしまった作品はご存知でしょうか?
市販の男性用便器を横にしてそこにサインを施しただけのものですが、現代アートの原点とも言われています(※3)。

しかし、これが美術館に展示されているのではなく、道端に置いてあったとしたら、それはアートなのでしょうか。

この点を講演会で秋元さんにお尋ねしたところ「美術館にあるからこそアートと認められても、路上に放置されているに過ぎない場合は誰もアートとは気づかないであろう」とのことでした。

 


※1https://tinyurl.com/yxb89566
※2https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/4968
※3マルセル・デュシャンの「泉」https://www.momak.go.jp/Japanese/collectionGalleryArchive/2017/specialTheme2017curatorial12.html

 

 

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2022年9月 3日 (土)

ボーダレス

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週土曜日(8月27日)に、チームラボのデジタルアートミュージアム「ボーダレス」をご紹介しました。まだ行かれていない方も、映像で見て頂くと「面白そう」と思っていただけると思いますが、はて、デジタルアートってそもそも何なんでしょうか?

チームラボ関係者の発信(※)によりますと、こんな感じです(少し古いですが)。

デジタルアートとはデジタル技術を使ったアートである(あたりまえですね)。
ただ、デジタル技術を使っても概念自体は古いものもある。
例えばキャンバスに絵筆で描いていた伝統絵画をペンタブレットで描く。

チームラボは新しい概念のアート、つまり「現代アート」をつくりたい。
チームラボの新しい概念とは?

それが「ボーダレス」。

西洋美術は固定された「主観」の視点から視るアート。
日本の絵巻物は視点が移動するアート。それが一種の空間になっている。
チームラボはそれを「超主観空間」と呼ぶ。
そして「超主観空間」を拡張したコンセプトが「ボーダレス」。

だから作品は常に動き、移動し(会場の境界すら超えていきます)、さらに触れたり、働きかけると変化します(インタラクティブアート)。

東西の古典的美術や古典的技法の現代アートを「鑑賞」するのも、こういったインタラクティブなアートを「体感」するのも、アートの体験として、どちらも等しく良い時間の過ごし方かも知れません。

ところで、お台場パレットタウンのチームラボボーダレスは先月末で閉館しましたが、来年虎ノ門で復活するそうです。


※Unity Learning Materials:https://learning.unity3d.jp/754/

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2022年9月 2日 (金)

登記申請なき時代の司法書士

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

既に成立・発効している売買契約に基づく債務の履行を行うに過ぎないから、売買契約が意思無能力により無効になっても司法書士に責任はないという考え方があります。

仮にそういう考え方に立ったとしても、私達司法書士は売買契約当事者の意思能力の確認を行います。

それは、司法書士が債務の履行(登記申請)を代理しているだけだとしても、単に形式的に、登記申請の手続きだけを求められているのではなく、実質的に、行った登記が結果的に有効であることまで求められている、と考えているからです。

そして、債務の履行(登記)が結果的に有効である(無効とならない)ためには、債務の発生原因たる売買契約自体が有効であることが必要です。従って司法書士は売買契約自体の有効性(意思能力)も確認する必要があるということになります。

では、登記の申請が不要となる時代が来ると、司法書士は登記の申請を代理することはなく、(登記申請の有効性の前提である)売買契約の有効性を確認する必要がなくなるのでしょうか?
そして司法書士が有効性の確認をしないのであれば、誰がそれを確認するのでしょうか?

現在の不動産取引に関わっているプロフェショナルである不動産会社(仲介事業者)や 銀行(融資事業者)でしょうか? あるいは法律事務全般の専門家である弁護士でしょうか?

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2022年9月 1日 (木)

登記知見の意義

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

8月30日の本欄で、登記申請行為が不要となった場合に備えて私たちが行っていくべきことの一つは、「私たちの登記知見・技術を申請に関するものとそれ以外とに峻別すること」であると言いました。

これについてもう少しつっこんで考えてみましょう。

例えば司法書士の有する重要な登記知見として、当事者、例えば不動産の売主の意思能力確認に関するものがあります。

なぜ司法書士は売主の意思能力を確認する必要があるのでしょうか?

一般論として、意思能力の有無を気にするのは、それが法律行為の有効要件だからです(民法3条の2)。
そして、売買を原因とする所有権移転登記申請を司法書士が行う時に関係してくる法律行為は次の2つです。

1 売買契約(不動産取引当事者同士)
2 委任契約(不動産取引当事者と司法書士)

さて、司法書士の仕事について、既に成立・発効している売買契約に基づく債務の履行(の代理)に過ぎない(だからこそ双方代理が可能である/民法108条但書)という考え方があります。

この考え方に立ちますと、司法書士が気にしなければならない意思能力は、委任契約についてのもののみ、であり、売買契約が意思無能力により無効(登記も無効)になっても司法書士に責任はないということになります(2つの意思能力を別個に判断)。

この前提のもとで登記申請が不要な時代が来ますと、当然司法書士に対して登記申請を委任するということもなくなりますから、司法書士が意思能力を判断することも不要となります(そもそも司法書士が不動産の売買に関わる必要がなくなります)。

しかし、はたしてそうでしょうか?

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