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2022年6月13日 (月)

「心遣い」はルール化できるか。

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈2.2 戦略的意義 人と接する時のあり方の到達点は“極め細やかな心遣い”である。〉

ここでは〈「心遣い」をしよう〉と言っているわけですが、これは「楽しく仕事しよう」同様、人の心の問題でありルール化になじまない、ということはないでしょうか?

これに関してはある意味結論は明快だと思います。〈人と接するときのあり方〉は〈行動基準〉の一部として定められたルールだからです。

ここで言っている「行動」とは単なる体の動きだけではなく「思考」の動きも指します。

「心遣いをしなければならない」と定めるのは「行動(思考及び体の動き)」を対象としたルールであり、人の「気持ち」即ち感情を対象としたものではありませんので、ルール化することに何の問題もないと思います。

整理します。

まず、問題としているルールは〈フクダリーガルの教科書〉の中の〈行動基準〉です。
つまり、「行動」を対象としたルールです。

そして「楽しく~しなければならない」というルールは「気持ち・感情」を対象としたものであり、「行動」を対象としたものではありませんので、〈行動基準〉の対象とはなりません。

一方、「心遣いをしなければならない」というルールは「行動」を対象としたものですので、〈行動基準〉の対象となります。

即ち、「心遣い」はルール化できる、ということです。

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