楽しい、ではなく、そのように見せる
(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)
〈フクダリーガルの教科書〉の〈人と接する時のあり方〉には、「同じ仕事をするのなら楽しい方が良い」あるいは「自分自身が楽しく生きることが必要」と書いてありますが、これが人の内面を制御することを目的とするものではないことは、このルールを読んで頂ければすぐにわかります。
こう書いてあります。
〈「人と接する時のあり方」を一言で言うと、「その人を楽しい気持ちにさせられるような接し方をすること」である。〉
制御しようとしているのは「人との接し方」の方であって、人の内面ではありません。
ただ、これに続けて、〈そのような接し方ができるために「人を楽しい気持ちにさせたい」という気持ちを持っていることが必要である。〉〈自分が「人を楽しい気持ちにさせたい」という気持ちを持つためには、自分自身が楽しい気持ちでいること、即ち、「自分自身が楽しく生きる」ことが必要なのである。〉と書いたのは踏み込み過ぎだったかも知れません。
そこで、書き方を変えることにします。
〈人を楽しい気持ちにさせられるような接し方ができるためには、その人自身が「楽しい気持ちでいるように見える」ことが必要である〉
その人自身が楽しかろうが楽しくなかろうが、他人に対しては楽しそうに見せてね、ということです(これは「NHK」※にもつながります)。
そうすると、他にも見直す必要のあるところが出てきます。
※ NHK(ニコニコ、ハキハキ、キビキビ)→「社員と会社の約束の具体的内容(Q&A)Q13」
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