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2022年6月30日 (木)

お客様はお急ぎ?

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

フクダリーガルの教科書の検討の続きです。

〈3.お客様から伝言を承った時/3.1 必ず伝言の内容を復唱して確認する。「(ご伝言を)復唱致します。ご伝言は、・・・・・・でございますね。」〉

復唱して確認するのは、お名前のところでご説明したのと同じことです。

〈3.2 本人が外出中または離席中の場合:伝言は原則として全てチャットワークにアップする。(紙の伝言メモは不要)〉

チャットに上げて紙のメモ不要というのは今は当然のことのように浸透していると思いますが、チャットを導入するまでは紙のメモを使っていたので、このような規定が必要でした。

〈3.3緊急のときは、チャットではなく、本人の携帯電話に直接電話をする。〉

ここでいっている「緊急」とはどういう状況でしょうか?

「緊急」は単なる「急ぎ」とは違うのでしょうか?

それらをどうやって判断すればよいでしょうか。

お客様が急ぎである旨をおっしゃる場合もありますが、そうおっしゃっていない場合、どの程度急いで伝える必要があるのかの判断はどうすればよいのでしょうか?

「緊急事態でしょうか?」「お急ぎですか?」とお客様に伺いますか?
それはないでしょう。
私はどこかで「お急ぎですか」と伺うのを禁止するルールを定めた記憶があります。
そのルールの根拠は確か「お客様は基本的にお急ぎである」としていたと記憶しています。

もちろん急いでいないお客さまもいらっしゃるでしょうがここで言っていることはそういうことではないのです。

そもそも「緊急か」「お急ぎか」を問題にすること自体がおかしいのです。

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2022年6月29日 (水)

名前を聴き直すのは失礼か

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈フクダリーガルの教科書〉の検討にもどります。

〈接遇ルール2《電話》〉〈2.冒頭:お客様が名乗られた時/2.1 お客様の名前を確認する。「○○の○○様ですね。いつもお世話になっております。」/2.2 お客様のお名前(会社名)を聞き取れなかった時:「おそれ入りますが、もう一度、お名前(御社名)をお伺いしてよろしいでしょうか。」※「東京ナントカのナントカ様」等の伝言をすることがないように。聞き直すことよりよほど失礼である。〉

お客様から伺ったお名前は復唱することが必要です。伝言については次の〈3〉で「復唱する」とされていますが、名前についても同様です。名前は伝言の重要な部分ですから間違いがないようにしなければなりません。これは礼儀としても、正確な情報を伝えるという意味からも、当然のことです。

ですから、名前や会社名が聞き取れなかったときは聞き直さなければなりません。決してお客様に対して失礼だと思う必要はありません。上記の「※」以下はそういう意味です。

尚、聴き直す際の言葉遣いは、お客さまに対する敬意や礼儀が伝わるものであれば上記の例のとおりでなくても構いません。「すみません」は(よほど関係性の近い相手でない限り)少々馴れ馴れしい言い方なので、避けて下さい。「申し訳ございません」でも悪くはありませんが、「恐れ入ります」くらいは使えるようになって欲しいところです。

ところで、名前の漢字表記がわからなかった場合、伝言は「カナ」で書くというルールがあります。これについては誤解されている方もいらっしゃるようです。

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2022年6月28日 (火)

認知バイアス的日常局面

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

認知バイアスというのは色々な問題を説明できる概念です。それは認知バイアスが日常のいたるところに潜んでいることを意味します。
昨日まで日常の業務や不動産事故の場面での認知バイアスについてお話しましたが、今朝はあと2つほどお話しておきます。

一つは経営判断の局面です。

先日の月次朝礼で、「私の仕事の大半は経営課題の解決だが、私の能力は知れている(限界がある)から皆さん方に助けて頂いている」という趣旨のお話をしました。

この「能力の限界」には認知バイアスの問題もあります。私自身の経営判断も認知バイアスにとらわれていないとは言えません。先日のよしなしごとでお話したような昔話(※)ではないのです。
誰の意見も聞かずに自分一人で考えて、この判断が絶対に間違っていないなどと言えるほどの自信は私にはありませんから、みなさんの意見を聞いて認知バイアスからの解放を図ります。

もう一つは会議の局面です。

フクダリーガルはチームビルディングセッション(TBS)を始めとして会議体をいくつか持っていますが、会議の意義も認知バイアスからの解放という観点から説明できます。

TBSは主にチームメンバーがお互いに意見を戦わせる場です。それによって各人が認知バイアスから解放されるという効果もあるのです。「セッション」という名称は、活発に意見を戦わせる場とするという趣旨から、ジャズプレイヤーが即興演奏を披露し合う「ジャム・セッション」から頂きました。

決してTBSは「報告」の場ではありません。

※http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/06/post-2dd298.html

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2022年6月27日 (月)

認知バイアスを助長する条件

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「自分だったらそんな思い込みはしない」と、誰もが思うような思い込みや先入観にとらわれてしまうのが認知バイアスの認知バイアスたる所以ですが、一方で、「認知バイアスにとらわれやすくなる条件(状況、環境)」があります。

例えば昨日例に出した登記手続の工程の場合、繁忙時で時間が限られれば限られるほど、認知バイアスにとらわれやすくなります。

即ち、時間がない!という状況(繁忙)が、私達を認知バイアスにとらわれやすくする条件の一つであることがわかります。

ついでに言うと、不動産事故の場合も、時間がない状況は認知バイアスを生み出す要因になりますが、地面師を始めとした「事故を仕掛けてくる側」は、そこを逆手に取って認知バイアスにとらわれやすい状況を敢えて作り出してきます。

不動産取引の場合、「状況」には他にこんなものがあります。

1 購入や融資の実績を作らなければならないという立場
2 物件の条件の良さ
3 希少な優良物件の場合の売主優位の状況
4 競合先 
5 権威ある(一般的に信頼度の高い)当事者の関与

不動産取引の場合は、こういう状況を回避していたのでは仕事になりません。
そこが、プロが関わる場合の難しさであり、プロほど被害に会いやすいという意味もそこにあります。

しかし、私達の日常業務においてはそのようなことはありませんから、認知バイアスの呪縛から解き放たれるためにはそういう(時間がないなどの)状況をできるだけ作り出さないようにすることが必要です。

これは個々人の努力では限界がありますから、フクダリーガルが組織として解決していかなければならない問題です。

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2022年6月26日 (日)

認知バイアスとチームワーク

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

認知バイアスから抜け出すもっとも有効な方法は「だれか他の人に意見を聞いてみる」ですが、これはチーム(複数人)で仕事をすることの重要性とも関係してきます。

人はみな認知バイアスにとらわれるものだとすると、何をするにしても第三者の目を通し、意見を仰がないと判断を誤る危険性があります。

フクダリーガルの主要業務である登記申請業務の工程においては、この第三者の目を通す工程を「チェック工程」と呼んでいますが、この工程に限らず、何らかの判断が求められる場面では、最適な判断をするために第三者の意見を聞くことが重要です。

ところで認知バイアスという概念は、様々な局面を解析するために便利なので最近よく使っていますが、背景にある問題は新しいものではありません。
これまで仕事をする際の心がまえとして、「思い込みを捨てよ」「憶測で仕事をするな」「指示やルールを疑え」等々くどくど言って来たことは「認知バイアスに気をつけよ」と言っているのと同じことなのです。

ただ「気をつけよ」と言っても難しいので、第三者によって解放してもらうことが必要だという訳です。
但し、その第三者が同じように認知バイアスにとらわれてしまっていたのでは、全く意味がありません。「チェック工程」でもチェック担当者が「ミスはないだろう」などという先入観をもっていたり、逆に前工程の担当者が、「後にチェック工程があるから大丈夫だろう」などと考えたら、チェック工程が台無しになります。

これを聞いたみなさんは、「自分だったらそんな思い込みはしない」と思ったでしょう。
それが、認知バイアスなのです。

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2022年6月25日 (土)

認知バイアスから解放される方法

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が認知バイアスから解き放たれた方法は、誰かに相談すること、でした。

日頃から信頼をおいている方に電話して、自分が直面している事実関係を全て説明し、どう対処すべきか意見を求めました。
その方は客観的に第三者の立場から考え、助言して下さいました。

事実関係がもしこうなら、その行為は不適切だが、事実関係がそうでないなら不適切とはいえず、特段問題にされるいわれはない、というものです。
それは私自身大いに腹落ちするもの(冷静に考えてみれば確かにそうだと納得できるもの)でした。

地面師の話のときも、後から話を聞いた第三者は皆、「自分だったらそんな騙され方はしない」と言うものだ、とお話ししましたが、正しくそれと同じことです。
詐欺もクレームも自分自身が直面した瞬間、人は誰でも認知バイアスにとらわれてしまうのです。

ですから、自分も常に認知バイアスにとらわれている可能性があるということを自覚し、客観的かつ冷静に事実関係を再確認してみることが重要になってきます。
しかし、通常はそれが難しいので、第三者に助けてもらうことが必要になります。

即ち、認知バイアスから抜け出すもっとも有効な方法は「だれか他の人に意見を聞いてみる」、なのです。
さぁ大変だ、という追い詰められた気持ちになったとき、これはとてもいい話だと気持ちが高ぶったとき、いずれにしても普通の心理状態でない状況に陥ったときは、間違いなく認知バイアスにとらわれていますから、結論は第三者の意見を聞いてから決めることが肝要なのです。

そしてこの意識はチーム(複数人)で仕事をすることの重要性とも関係してきます。

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2022年6月24日 (金)

クレームからの認知バイアス

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここで一旦少し話題を変えます(戻します)。

最近地面師を題材に講演をする機会が何度かありました(他にも引き合いがあります)。

地面師を始めとする不動産事故や融資事故の予防は自分(認知バイアス)との戦いである、という話を講演でしましたし、この「よしなしごと」にも書きました。
これはもちろん実務の中で得た知見ですが、不動産事故に限ったことではありません。

例えばこれは私が会社員だった時代のことです。
ある重要な顧客から、福田さんが行ったある行為から弊社は損害を被った。どうしてくれる、と「クレーム」のご連絡を頂きました。

このご連絡だけで私は「認知バイアス」に囚われてしまいました。
「認知バイアス」とは(以前にもご説明しましたが)「先入観にとらわれて物事の一側面にだけ注意が向けられ、その他の側面についての思慮が足りない」状態のことです。

ここでいう「先入観」は、「思い込み」と言い換えても良いかも知れません。つまりこの場合、重要な顧客を自分の落ち度で怒らせた、という「思い込み」から、一側面、つまり、これは重大だ、大きな責任を問われるかもしれない、という考えにだけ意識が向けられ、その他の側面、つまり事実関係を客観的に把握し、それに基づいて相手の主張の妥当性を冷静に判断すべきということについて考えが及ばない状態になってしまったのです。

しかし、私はあることをして、なんとか認知バイアスから解き放たれました。

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2022年6月23日 (木)

クッション言葉はただ使ってもだめ

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

クッション言葉は冒頭に持って来る必要があります。

ときどきクッション言葉を後に持ってくる人がいますが、それでは意味がありません。
例えば「お世話になっております、フクダリーガルの〇〇です」なら良いのですが、「フクダリーガルの◯◯です、お世話になっております」ではクッション言葉としての機能は果たせません。

また、冒頭に持って来ればどんな言葉でも良いというわけではもちろんありません。

昔々、電話をかける際の第一声を「はい、◯◯(社名)です」としていた方がいて(再編前の大手損保の方でした)、「その上から目線はなんだ!」と驚いたことがあります。冒頭に「はい」などというのは緊張感を和らげるどころか、逆に緊張感を高めてしまいます。これならなにも言わずにいきなり社名を名乗ったほうがまだましだと思います(「上から目線」ばなしは破綻した某長信銀の電話交換台の方の話など他にもあり、私達自身の態度を振り返る上でも重要なのですが、それはまた別の機会に)。

言葉の選択だけでなく声の調子も重要です。クッション言葉を使っても、それが暗い、低い声音であったとしたら、それこそ不快感を助長するだけです。ここでも「NHK」(ニコニコ、ハキハキ、キビキビ)という基本的な態度が大事です。
冒頭に「はい」と言っていた方はもちろん事務的な暗い声で言っていたわけで、「ハーイ!」と(英語調で?)明るく高い声で言っていたのなら、十分クッション言葉としての機能を果たしたかも?

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2022年6月22日 (水)

クッション言葉はなぜ必要なのか

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここでまた「フクダリーガルの教科書」の検討に戻ります。

〈接遇ルール2《電話》/1.冒頭:「クッション言葉」を使う/1.1 電話をかける時:
「こんにちは。」「おはようございます。」「いつもお世話になっております。」等/1.2 電話を受けた時:「こんにちは。」「おはようございます。」「(お電話)ありがとうございます。」/※フクダリーガル創設時から電話第一声は「お電話ありがとうございます。フクダリーガル〇〇(自分の姓)でございます。」がルールである。/1.3 何かをお願いする時:「おそれ入ります。」(電話の場合に限らない)/1.4 名宛人不在の時:「申し訳ございません。(○○は外出中でございまして・・・)」〉

「クッション」は衝撃をやわらげるものであり、「クッション言葉」にはそのまま用件に入る場合よりも緊張感をやわらげたり、不快感をなくす働きがあります。

電話をかけたり受けたりする場合にクッション言葉を用いることが必要な理由について、私は次のように考えています。

電話をかける側は、基本的には顔が見えず誰なのかもわからない状態で相手の時間に割り込んで行く(一方的に会話を始めようとする)もので、緊張感や不快感を伴うものである。
電話を受ける側も、かけた側には顔も見えず誰なのかもわからない状態で、登場することになり、やはり緊張感や不快感を伴うものである。
クッション言葉を先に持ってくることには、それらの緊張感や不快感を和らげる効果がある。
そういう気遣いをすることは、電話をかける側の礼儀である。

ですから、クッション言葉は冒頭に持ってこなければ意味がありません。
また、クッション言葉がかえって緊張感を高めるようなものであっても意味がありません。

例えば・・・。

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2022年6月21日 (火)

マナーはこのままで良いのか

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

フクダリーガル創設から20年経った今日、ルールはこのままで良いのでしょうか?

「普通の会社がやっている程度」のマナーで差別化できた当時とは環境も様変わりしています。
昨日少し触れた日本司法書士会連合会(日司連)総合研究所の報告書でも「司法書士はサービス業」とはっきり書いています。

そして、同業他社が「司法書士はサービス業である」という意識を持つようになった現在、本当の市場競争激化要因は他のところにあります。
国内の人口減少、そして、(今日の「ニュース共有」にも載せましたが)不動産の証券化(小口投資)の拡大等により、不動産登記マーケットが確実に縮小するという要因です。

そういう厳しい競争の中で、「マナー」は差別化要因としての重要性を増していきます。
ですから、「普通の会社程度」の「マナー」水準からさらにレベルを上げることが必要になるのです。

ただその前に、現在の「マナー」に関するルールがそもそも守られているのかどうかが問題です。

現在は幸い沢山のお客様からのご依頼を頂いていますから、少なくともルールは守られていて、「マナー」に関する問題はないと考えたいところです。

ただ、お客様から選ばれる理由はマナーだけではありませんから、マナーがおろそかになっていてもすぐには影響として現れません。

そして、大半のお客様はサービス提供者のマナーが良くないと思ってもそれを指摘しては下さいません。黙って離れていくだけです。そうやって徐々に影響が顕現化して来ますが、そうなった時点で慌てても遅いのです。

サービス提供者側が自覚して、マナーの水準を維持・向上させる努力を不断に続けなければならないのです。

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2022年6月20日 (月)

「裏返し」のマナー

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

フクダリーガルはどうやってサービス業としての側面を強化してきたのでしょうか。

引き続き「資格起業3年で10倍の法則」(2007年)から引用します。

〈たとえば電話応対です。/「電話応対はフクダリーガルの原点である」とスタッフにはよくいいます。お客様からは「フクダリーガルさんの電話応対は素晴らしいね」とよくいわれます。しかし実際は、普通の会社がやっている程度の応対をしているだけなのですが、それでもとても素晴らしく感じられるようなのです。〉

この後実際のフクダリーガルの「電話ルール」が掲載されていますが、教科書とほぼ同じですので省略します。この後に、どうやってこのルールを作ったかが書かれています。

〈ごく当たり前のマニュアルです(フクダリーガルでは「マナー」と呼んでいます)。しかし、この程度のことでも、サムライ業の世界ではまだまだ差別化が可能なのです。/この「マナー集」は、私自身が電話をした際に相手方の対応で不快と感じたことの逆をルール化しただけなのです〉

実に単純です。私自身が体験して「嫌だな」と思ったことの逆を行っているということです。

そこが評価されて、お客様の数を徐々に増やし(その後紆余曲折はありますが)今日に至っているのです。

では、フクダリーガル創設から20年経った今日、ルールはこのままで良いのでしょうか?

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2022年6月19日 (日)

ルールでフクダリーガルは大きくなった

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ルール化はどういうときに必要になるのでしょうか。
「フクダリーガルの教科書」の中のルールが、どんな経緯で決められてきたのか、振り返ってみました。

私の著書に(大変お恥ずかしいのですが)〈資格起業「3年で10倍の法則」〉という本があります(日本実業出版社、2007年※)。ここに、「教科書」にも規定されている「電話ルール」を定めた経緯が書かれています(85頁)。

簡単に言いますと、「3年で10倍」、つまり事務所を大きくするという目標実現のために、同業他社と差別化する手段として「ルール」を定めたのです。
本書から少し引用してみます。

〈この業界は、とくに「サービス」という面ではとても遅れているのです。「サービス」のレベルを云々する以前の、未開社会状態とでもいいましょうか。そもそも自分たちがサービス業であるという認識がないのです。/ですから、この点で実は差別化しやすいのです。少しでもサービス業だという視点をもって応対をしただけで、簡単に同業他社に差をつけることができます。〉

(文章の稚拙さには目を瞑ってください)いささか極端な言い方に聞こえるかもしれませんし、みなさんの「常識」とはかけ離れていると思われるかもしれませんが、フクダリーガルを創業した20年前には、大げさでなく本当にこう感じていました。

現在、「司法書士はサービス業」というのは業界の常識と言ってよいと思います。
これはフクダリーガルが先鞭をつけたといってよいのかもしれません。
それはどうやったのでしょうか?

 

※事務所内に何冊かはあると思いますが、Amazonの「プリントオンデマンド」でも購入できます。

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2022年6月18日 (土)

挨拶ことばの使い方

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈接遇ルール1《挨拶》/【挨拶通則】〉の続きです。

〈4.帰宅する時/「お先に失礼します」//「お疲れ様でした」・・・送り出す方も必ず挨拶をする。/☆笑顔で、元気よく!! /☆「お疲れ様」を使うのは、原則としてこの場面(ねぎらい)だけである。〉

「お疲れ様」のルールに関しては社内で一部誤解があるようです。
フクダリーガルの教科書では「お疲れ様」自体を禁じているわけではなく、本来の意味で使うことを求めているだけです。
「お疲れ様」は本来「ねぎらい」のための言葉です。誰かをねぎらう(労う/国語辞典では「苦労に感謝してやさしくいたわる」とされています)場面で使うものであり、挨拶(おはようこんにちはこんばんは等)の言葉として使うものではありません(下記「5.」に記載)。

〈5.誰か(※)に会った時/・朝(11:00まで)・・「おはようございます!」/・日中・・「こんにちは!」/・夜(18:00以降)・・「こんばんは!」/※「誰か」とは、お客様や社内の人間(同僚・上司・部下)はもちろん、社外の「知らない方」「赤の他人」も含まれる。/☆笑顔で、元気よく!!/☆「お疲れ様」は、こういう場面で使う言葉ではない(ねぎらいのことば)〉

これは昨日、「エレベーターホール等ですれ違った場合などは、誰にでも(社内、社外を問わず)挨拶が必要」と書いたのと同じことです。

〈6.チャットツールによるメッセージの場合/原則として挨拶の言葉は不要である。/伝言をして貰った時等のお礼も原則として不要である。/※チャットツールを用いる目的は情報伝達の迅速性にあるからである。〉

フクダリーガルの教科書では挨拶を重視していますが、チャットの場合は逆に禁じています。
また、チャットツールは迅速性という意味では役に立つ道具ですが、口頭でのやりとりをすべき場合もあります。

この点は実は重要ですが、まだ「ルール化」するまでには至っていません。
「ルール化」はどういうときに必要になるのでしょうか?

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2022年6月17日 (金)

当たり前の挨拶をルール化

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

再整理を前提に「各論」を見ていきます。

〈~世界一楽しい会社の接遇マニュアル各論~〉
〈【通則】/常に「ニコニコ」「ハキハキ」「キビキビ」を心がけること。〉

これは「NHK」などとも呼ばれ、接遇や対人関係の心がけとしては良いと思います。

〈接遇ルール1《挨拶》/【挨拶通則】/その日初めて会った時、外出する時、帰社したときは必ず挨拶すること〉

これも当たり前のことです。
ただ、まだまだフクダリーガルが小さな事務所だったころに決めたものなので、現在のように100人以上のオフィスでは、基準として機能しなくなっています。
例えば誰に対して挨拶するのか?

普通に声をかければ全社に聞こえるような規模のオフィスであれば、「全員に対して」一度挨拶をする、ということでしょうが、今はそれは無理ですし、むしろ必要ないと思います。

ただ、出会った方や自席の周辺の方には挨拶(声掛け)する必要があります。
また、エレベーターホール等ですれ違った場合などは、誰にでも(社内、社外を問わず)挨拶が必要です。

〈1.朝、出社した時/「おはようございます!」/☆笑顔で、元気よく!!/2.外出する時/「行って参ります(来ます)」//「行ってらっしゃい(ませ)」・・・送り出す方も必ず挨拶をする。/☆笑顔で、元気よく!!/3.帰社した時/「只今帰りました」//
「お帰りなさい(ませ)」・・・迎える方も必ず挨拶をする。/☆笑顔で、元気よく!!〉

当たり前過ぎますが、ルールとして具体的に定めています。

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2022年6月16日 (木)

挨拶の技術は再整理します。

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈フクダリーガルの教科書 第3章行動基準 接遇のルールとマナー〉
〈人を楽しくさせるための指標/~世界一楽しい会社の接遇マニュアル/総論その2~〉
〈2.挨拶・接遇〉の検討(見直し)の続きです。

〈【レベル3】/基本的・常識的なマナーが身に付いていて、相手に不快感を与えないことができる。〉

これはもちろん必要なことですが、「技術基準」という観点からはあまり意味がありませんでした。
「基本的・常識的なマナー」とは何かがわかりません。「各論」には主要なものが書いてありますが、網羅してあるわけではありません。

〈【レベル4】/常に相手の気持ちを慮った行動を心掛けることができる。/(自分が相手の立場に立った時にどう感じるか想像することができる)〉

これも抽象的で、具体的な指標とはなりませんね。せいぜい心構え的なもの?

〈【レベル5】/想定外の事態に遭遇しても、自己の判断で最適な対応をすることができる。〉

これも同様です。難しそうではありますが。

【レベル2】もそうです(そもそも「挨拶すべきとき」とはいつなのかが記載されていません)。
以上「総論」は抽象的で、技術基準としての機能は十分とはいえないですね。

ただ、【レベル1】の「相手の目を見て」というのは具体的な方法の指示です。


・・・どうやら「総論」「各論」全体を再整理した方が良さそうです。

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2022年6月15日 (水)

挨拶が基本技術

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈1.電話対応〉の〈レベル3〉に移る前に気がついたことがあります。〈1.電話対応〉の次が〈2.挨拶・接遇〉となっていますが、こちらを〈1.電話対応〉よりも先に持ってくるべきでした。

人と接する場面の最初はやはり「挨拶」です。真っ先に挨拶という「技術」に関する決まりごとを定めておかなければなりません。電話は人と接する手段の一つに過ぎませんので、次の段階です。

というわけで、先に〈2.挨拶・接遇〉を見てみましょう。
こちらも5段階の「レベル」に分けられています。

〈【レベル1】/相手の目を見て、常に笑顔で元気な(大きな)声で、ハキハキとメリハリを付け、姿勢を正して、挨拶・接遇ができる。〉

当たり前のことですね。全員ができていなければなりません。
ただ、挨拶と接遇を一緒にしていますが、技術としては別ですので分けて規定すべきでした。

〈【レベル2】/挨拶すべき時に挨拶ができ、相手に嫌悪感を与えないことができる。〉

これも同様ですが、レベル1とレベル2は逆ですね。

まず、挨拶をする、ということ。
次にその挨拶の仕方が問題になる、という順序です。


尚、今さらですが、〈行動基準〉は「技術」の基準です。

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2022年6月14日 (火)

電話の受け答えも業務上の技術

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

さて、次は〈人を楽しくさせるための指標〉(~世界一楽しい会社の接遇マニュアル/総論その2~)です。

まず、〈1.電話対応〉

ここでは〈レベル1〉から〈レベル5〉までの5段階を設定して、電話応対の「技術」が段階を追って高度化し洗練されていくことを想定しています。
これを「指標」としていますが、その内容は技術であり、磨き・訓練し・高度化させることができるもので、高度な技術には当然高い評価が伴います。

ただ、この点はまだ明確に評価に反映できていません。
現在評価制度を再構築しているところですので、これらの内容も当然評価項目に反映させることになります。

では、内容を見ていきましょう。

〈レベル1〉

〈(電話をかけるときも受けるときも通話中も常に)笑顔で元気な(大きな)声で、ハキハキとメリハリを付け姿勢を正して(前かがみになったり背もたれにもたれたり足を組んだり肘をついたりしないで)、電話応対ができる。〉

これは、全ての方ができなければならないことです。できていますか?
「業務」知識・技術の上級者でも、例えば暗い顔、暗い(低い)声だったり、肘をついていたりしないか、等、自分の振る舞いを振り返って見て下さい(自分では案外気がついていないものです)。

〈レベル2〉

〈言われたことを間違いなく聞き取り、伝えることができる。〉

「上級者」の方々、如何ですか? お名前を正確に記憶する、会社名が聞き取れなければ何度でも確認する、等というのは、「業務」の一部ですから、できていると思います。

ここまで見ただけでも、レベル1,レベル2という段階分けが適切なのか見直す必要があるかも知れないと感じます。

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2022年6月13日 (月)

「心遣い」はルール化できるか。

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈2.2 戦略的意義 人と接する時のあり方の到達点は“極め細やかな心遣い”である。〉

ここでは〈「心遣い」をしよう〉と言っているわけですが、これは「楽しく仕事しよう」同様、人の心の問題でありルール化になじまない、ということはないでしょうか?

これに関してはある意味結論は明快だと思います。〈人と接するときのあり方〉は〈行動基準〉の一部として定められたルールだからです。

ここで言っている「行動」とは単なる体の動きだけではなく「思考」の動きも指します。

「心遣いをしなければならない」と定めるのは「行動(思考及び体の動き)」を対象としたルールであり、人の「気持ち」即ち感情を対象としたものではありませんので、ルール化することに何の問題もないと思います。

整理します。

まず、問題としているルールは〈フクダリーガルの教科書〉の中の〈行動基準〉です。
つまり、「行動」を対象としたルールです。

そして「楽しく~しなければならない」というルールは「気持ち・感情」を対象としたものであり、「行動」を対象としたものではありませんので、〈行動基準〉の対象とはなりません。

一方、「心遣いをしなければならない」というルールは「行動」を対象としたものですので、〈行動基準〉の対象となります。

即ち、「心遣い」はルール化できる、ということです。

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2022年6月12日 (日)

楽しく見せる技術

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈人と接するときのあり方〉と同じ趣旨(楽しく仕事をしよう)の記載が〈基本理念〉の〈社員と会社の約束〉にもあります。

〈 M)常に楽しく仕事をします。そのために業務改善、生産性向上の努力を続けます。
会社は楽しい職場環境を作り、業務改善を支援します。〉

これも変更します。

〈 M)自分は常に楽しくふるまいます。また、業務改善、生産性向上の努力を続けます。
会社は楽しく仕事のできる職場環境を作り、業務改善を支援します。〉


では、〈人と接する時のあり方 ~世界一楽しい会社の接遇マニュアル総論その1~〉の検討を続けます。

〈2.気持ちの「表現」の習得〉

〈2.1 自分自身が楽しく生きることにより、他の人達にも楽しくなって欲しいという気持ちを持つことが出来たとしても、「気持ち」とその「表現」は別物である。/「人を楽しい気持ちにさせたい」という「気持ち」があっても、それをうまく「表現」できていない人は多い。
/この「気持ち」をうまく「表現」するためには、「表現方法を学ぶ」ことと「表現の訓練をする」ことが必要である。/※本マニュアルは、「表現方法を学ぶ」ための手引きである。〉

ここも〈楽しく生きる〉〈気持ち(を持つ)〉と、内面に踏み込み過ぎているところは変更します。

〈自分自身が楽しく生きているように見えるためには、「そのように見せる」ことが必要であり、そのための「技術」を習得する必要がある。本マニュアルはその技術を習得するための手引である。〉

〈2.2 戦略的意義 人と接する時のあり方の到達点は“極め細やかな心遣い”である。〉

ここでは〈心遣い〉と言っていますが、これは内面に踏み込んでいるとはいえないでしょうか?

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2022年6月11日 (土)

楽しい、ではなく、そのように見せる

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

〈フクダリーガルの教科書〉の〈人と接する時のあり方〉には、「同じ仕事をするのなら楽しい方が良い」あるいは「自分自身が楽しく生きることが必要」と書いてありますが、これが人の内面を制御することを目的とするものではないことは、このルールを読んで頂ければすぐにわかります。

こう書いてあります。

〈「人と接する時のあり方」を一言で言うと、「その人を楽しい気持ちにさせられるような接し方をすること」である。〉

制御しようとしているのは「人との接し方」の方であって、人の内面ではありません。

ただ、これに続けて、〈そのような接し方ができるために「人を楽しい気持ちにさせたい」という気持ちを持っていることが必要である。〉〈自分が「人を楽しい気持ちにさせたい」という気持ちを持つためには、自分自身が楽しい気持ちでいること、即ち、「自分自身が楽しく生きる」ことが必要なのである。〉と書いたのは踏み込み過ぎだったかも知れません。

そこで、書き方を変えることにします。

〈人を楽しい気持ちにさせられるような接し方ができるためには、その人自身が「楽しい気持ちでいるように見える」ことが必要である〉

その人自身が楽しかろうが楽しくなかろうが、他人に対しては楽しそうに見せてね、ということです(これは「NHK」※にもつながります)。

そうすると、他にも見直す必要のあるところが出てきます。

 

※ NHK(ニコニコ、ハキハキ、キビキビ)→「社員と会社の約束の具体的内容(Q&A)Q13」

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2022年6月10日 (金)

仕事は楽しく?

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

今日からは、また「フクダリーガルの教科書」にもどります。
前回は「基本理念」の見直しをしました。今回は「行動基準」を見ていきます。

まず、「接遇のルールとマナー」/「人と接する時のあり方/~世界一楽しい会社の接遇マニュアル総論その1~」。

冒頭に「『同じ仕事をするのなら楽しい方が良い』。」とあり、続いて「1.2 「人と接する時のあり方」の要諦」に「『自分自身が楽しく生きる』ことが必要なのである。」とあります。

どうでしょう。

実はこの「仕事をするのなら楽しい方が・・」を何年か前の朝礼(まだ対面でできていたころです)でお話したところ、反対意見が寄せられました。「仕事なんて楽しいものではない。楽しいなんて仕事ではない」というものです。

たまたまその意見を言って下さった方とはその後すぐに面談する機会がありましたから(まだ全社員と面談ができていた頃です)、このことについて話を聞いてみました。
その方が仰るには「自分は仕事以外に楽しみがある。その楽しみがあるから仕事をしているのであって、仕事そのものを楽しいと感じたことなどない」のだそうです。

その話を聞いた時には、なんてことを言うんだ、と思ったのですが、よくよく考えてみると、楽しいかどうかは人の内面の形容であり、その有りようは人それぞれです。

そもそも「楽しく」を会社がルールとして定める、あるいは推奨するということは、人の内面を制御しようとすることで、やってはいけない、いやそもそも不可能なことなのではないでしょうか?

しかし、教科書のこのルールが(確かに人の内面に踏み込んではいますが)人の内面を制御することを目的とするものではないことは、このルールを読んで頂ければすぐにわかります。

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2022年6月 9日 (木)

新事業領域はやはり予防法務?

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

ここまで、フクダリーガルの予防法務機能は価値が高く有望な技術であること、しかし新たな事業領域として開発することは疑問であることを、その理由とともにご説明しました。

しかし、新しい事業領域として有力であるとお伝えした、フクダリーガル特有の登記申請業務を革新する技術の開発も、少し考えれば開発力のあるITスタートアップやリーガルテック企業の方が我々法務の専門家よりも早く実現する可能性が高いことに気づきます。

つまり結局私達が優位性を持つのは(何度も行ったり来たりの試行錯誤で申し訳ありませんが)やはり予防法務機能であり、予防法務を新事業領域とすることを考えるべきだということになります。

そうなると予防法務を新しい事業領域とすることに消極的な理由を再検討してみることが必要になって来ます。
予防法務が新事業領域になり難いと考えたのは、それが当事者に直接届けられない(買ってもらえない)からでした。
それならその理由をなくせば良い、つまり予防法務を当事者に直接買ってもらえるような仕掛けをすれば良いということになります(※)。

それはどうすればよいのでしょうか?

これまでの予防法務の「仕掛け」は、経験則に基づいてルール化したり、せいぜいチェックリストを作ったりといったものでしたが、これは事業者(不動産・融資)を想定した(一定の知識のある層に対する)サービスにしかならず、(大半が一般個人である)取引当事者に直接には届きません。

ですから、これを直接当事者に届ける形にすればよいということです。
ここまでくればなんとなく見えてきたのではないでしょうか?


※何年か前に作ったフクダリーガルの中・長期目標(社内ホームページに掲載されています)には、「3.直接エンドユーザーから指名される様にブランド化します。」とありますが、この前段部分を実現するということです。

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2022年6月 8日 (水)

司法書士の予防法務機能の用途を開拓?

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私が予防法務を新しい領域として考えることに消極的だったもう一つの理由は、予防法務機能の担い手は私達司法書士だけではないということです。

即ち、予防法務機能は、不動産や融資の各事業者もその役割を担っています(5月18日のよしなしごと※)。

取引内容や当事者自身に法的な問題がないかどうかは、まずこれら事業者が確認します。

これを行うのはコンプライアンスの担い手として当然のことなのですが、きちんと各事業者が役割を果たした場合、取引当事者に対する予防法務機能に関しては私達の出る幕はなくなります。

ここで再認識せざるを得ないのは、事業対象(対価を受け取る対象)が、取引当事者(即ち費用の出捐者)であるかどうかが、事業領域となるかどうかの重要な要件になるということです。

現在の取引構造上、取引当事者に直接予防法務機能を働かせるのは各事業者であり、司法書士ではない、即ち、対象が取引当事者ではないため、予防法務機能が司法書士の事業領域にはなり得ないということになります。

例外的に各事業者が十分な予防法務機能を果たしているとは言えない場合にのみ司法書士の予防法務機能の発揮機会が与えられるに過ぎません。

これが、私達の予防法務機能が新しい事業領域にはなり難いと考えたもう一つの理由です。

ところで、私達は度々予防法務に関する講演や研修の依頼を各事業者から頂きます(昨日も不動産事故予防対策をテーマとした講演を2件!やらせていただきました)。

これは、私達の予防法務機能が、事業者から評価される、価値の高い技術であることを意味しています。

柴田教授の言葉を借りればこれは「有望な技術領域」であり、その「用途を開発する」必要があるとも考えられるのが悩ましいところです。


※ http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/05/post-d4eeb6.html

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2022年6月 7日 (火)

予防法務を新しい事業領域に?

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日、フクダリーガル独自の技術で新しい事業領域を開拓できるのではないかというお話をしました。

ここで想定していたのは登記申請代行業務のことで、これまで何度も司法書士の仕事の本質だと言ってきた予防法務のことではありませんでした。
むしろ予防法務に関しては、単独で(登記報酬と切り離して)報酬を獲得するのは難しいと言って来ましたし、これからもその点は容易には変わらないだろうから、予防法務を新しい事業領域とするのは難しいと考えていました。

しかしそう考えるのは果たして正解なのか。
再び柴田教授の論稿を引用します。

(既存事業の生産性の向上と新たな領域の探索・開拓について)「性質が違うこれら2つの活動を、企業内でいかにしてバランスよく遂行できるかが持続的成長のためには重要である。そのための一つのカギは、主力製品と探索製品の製品代替性に着目することだ。」「代替性が高い場合、探索から生まれる製品は主力製品の需要を減少させ、両者は共食いの関係になる。」例えば「EV(電気自動車)とガソリン車は製品代替性が高く、EVの台頭につれてガソリン車の需要は大きく減少する。」

登記申請手続き業務中の独自技術を新しい用途に応用する場合に、それが既存の登記申請手続き業務に対して代替性の高いものである場合には既存業務の需要を大きく減少させてしまうことになります。
しかし、独自技術が予防法務に関するものである場合にはそのような問題は生じません。予防法務は登記申請を代替するものではないからです。

ただ、予防法務を新しい領域として考えることに消極的であるのにはもう一つ理由があります。

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2022年6月 6日 (月)

フクダリーガル独自の技術

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

フクダリーガルの「業務工程の見直し」では柴田教授がその論稿で述べている「既存事業の生産性の向上」と「新たな領域の探索・開拓」の双方を行います。

ところで、「新たな領域の探索」について同論稿では、実例として富士フィルムとコダックというかつての2大写真フィルムメーカーの、医薬品関連領域における「探索」の差を挙げています。
富士フィルムは、探索を粘り強く継続し、フィルム事業で蓄積したコラーゲン技術などを化粧品事業に転用して成功しましたが、コダックは事業化につなげることができずに途中で撤退し、結果的に経営破綻に至りました(現在は別事業で再建)。

では、フクダリーガルには新しい事業領域に転用できる技術はあるのでしょうか?また、その新しい事業領域とは何でしょうか?

これまでフクダリーガルが登記手続き代行事業において優れた成果を上げて来られた(多くの顧客に支持され、さらに支持が広がっている)のは、その中に同業他社と比較して優れた「技術」があったから(のはず)です。

これはみなさんの努力の賜物でもありますが、日頃当たり前に行っていることなので、それが他社より優れた技術だということや、さらに改良しより優れた技術に高めることができること、そしてそれを新しい用途に応用出来る可能性があることに気がついていないかも知れません。業務工程の見直しには、それを改めて認識して頂くという意味もあります。

フクダリーガル独自の優れた技術を、さらに高め、新しい「用途」への応用を可能にできれば、それが新しい事業領域の開拓につながっていきます。

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2022年6月 5日 (日)

新たな事業領域の探索 つづき

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

私はこれまで、登記手続き代行事業と同じしくみをもった事業は、士業の世界をはじめとして多数の世界で展開されているので、フクダリーガルが使っているしくみを応用していくことのできる世界は無数にあるはずだ、と漠然と考えていました。

ただ、この考えはまだ抽象的で、今何をなすべきか、また、現在の課題を解決するために行っていることがそれとどう結びついて行くのかが、具体的に見えていたわけではありませんでした。
しかし、ここで考えてみることで、それが少し見えて来たような気がします(この「よしなしごと」ではそういうことがよくあります)。
そして、それはある「知見」に助けられました。

その「知見」とは、6月1日の日本経済新聞朝刊に掲載された、柴田友厚・学習院大学教授の「日本企業、戦略不全からの脱出(下) 競争と探索、比重見極めよ」という論稿(※)です。

冒頭の文章を引用します。

「企業が持続的に成長するには、既存事業の生産性を向上させて競争に勝ち、シェアの拡大を狙う競争戦略と、新たな領域を探索・開拓する探索戦略の両方が必要になる。難しいのは、両者を遂行する能力は根本的に異なるという点にある。
前者に求められるのは目標に向かって既存技術や製品を磨き上げる能力だが、後者に求められるものはどれが有望な技術領域なのかを探索し、見極めて用途を開発する能力であり、様々な試行錯誤と学習を伴う。前者は成果がすぐ出てくるが、後者は長い時間と継続的投資が必要であり、ある種の執拗さが要求される。」

これを読んだときに「これはフクダリーガルにそのまま当てはめることができるのではないか」と思いました。


※ https://www.nikkei.com/article/DGKKZO61288240R30C22A5KE8000/

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2022年6月 4日 (土)

新たな事業領域の探索

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨日まで、司法書士としての4つの「在り方」についてお話して来ました。4つ目は「事業家として」でしたが、事業家としての司法書士が行うべきことの一つに、新しい事業領域の探索というものがあります。
なくなり行く登記手続き代行事業に代わる新しい事業は何かを探索して行くことが求められるのです。

ところで先日、コンサルティングのノウハウはこれまで行なってきた業務の中に隠れているというお話をしました(※1)。
もちろん、コンサルティング(予防法務)が登記手続きに代わる新しい事業(収益源)になれば良いのですが、これまで単独で報酬を得てこなかった(登記手続き報酬の中に埋没してきた)コンサルティングを収益の柱に育てるのには一工夫いるでしょう。

しかし、新しい事業はコンサルティングだけとは限りません。私たちはそれを探索して行く必要がありますが、これもやはりこれまで行なってきた業務の中に隠れているのです。そして、実はこの探索は既に始まっています。

それは、これも先日お話した、「業務工程の見直し」です(※2)。その時、これらは第一義的には社内の業務の効率化、生産性の向上、業務ミスの極小化を目的とするものだが、さらに日本全体の生産性を上げることに繋がるものでもある、ということもお話ししました。
つまりこれが、新しい事業領域につながっていくのではないか、ということです。

 

※1 http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/05/post-3ece61.html
※2 http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/05/post-34f007.html

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2022年6月 3日 (金)

勤務司法書士としてどんな道を行くか

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

勤務司法書士としての「在り方」にもいくつかの種類があります。

【在り方の例】
1 自分自身の能力を磨き、より高いレベルの「専門家」・「コンサルタント」となる
2 自分以外の人達と力を合わせて、一人では実現できない大きな成果を上げる
3 仕事以外の人生を重視する(※1)

【在り方を選ぶ基準の例】
1 どんな在り方により高い価値を置くか
2 どんな在り方によりやりがい・醍醐味を感じるか
3 どんな在り方により自分の能力を発揮できるか  

以上も参考にして頂いて、勤務司法書士としての自分の「在り方」を考えて欲しいと思います。
もちろん、司法書士業務の経験がない方にこの選択は難しいかも知れません。
とにかく何でもやってみて、やりながら見つかることも多いと思います。
逆にやってみないうちに結論を出す必要もありません。

特に自分の能力や特質に関しては、色々なことをやってみて初めて、わかってくるということは多いと思います。
そして重要なのは、それらがわかってきたら、強みを伸ばす方向に努力すべきだということです。自分の弱みを気にして、そこを強化しようとは考えないことです。それは時間の使い方としてはとてももったいないことです。
自分が弱いな、と思っているところがあれば、そこは誰か(そこに強みを持っている人)に補ってもらえばよいのですから。

ところで自分の特質を測ってみる面白い方法があります。
ギャラップ社の「クリフトンストレングステスト」(※2)です。
フクダリーガルでは入社すると全員の方にやっていただくことになっています。
ただ、残念ながらこの結果をまだ十分に活かせてはいません。
まず、自分の同僚や上司、部下の特質(トップ5)を共有することから初めて欲しいと思います。


※1〈「専門家」の多様性 その2〉〈5 仕事以外の生活についての考え方〉(5月24日)をご参照下さい。http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/05/post-f8ea65.html
※2 旧「ストレングスファインダー」です。https://www.gallup.com/cliftonstrengths/ja/253634/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0.aspx

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2022年6月 2日 (木)

「職業人」か「事業家」か

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

新人司法書士のみなさんが将来(あるいは今すぐ)「職業人としての司法書士」を選ぶかどうかという質問の本当の意味は、(司法書士を職業とするのは当たり前過ぎますから)もう一つの選択肢である「事業家としての司法書士」と、いずれを選びますか、ということです。

ここで「事業家」というのは、独立した自営の司法書士のなかでも、特に事業規模や事業領域を拡大して行こうとする意思をもった司法書士を指しています。
「事業家」を目指さないということは「専門家」あるいは「コンサルタント」として独立するか、または勤務司法書士としての道を選ぶということだと私は考えています。

私自身は、試験に受かって最初に大手司法書士事務所に勤めて以来、数年間はサラリーマンで(一般事業会社にも務めました)、「事業家」を目指すどころか独立する意思すらありませんでした。意思がないというより独立してやって行けるなどと全く思ってもいませんでした。
それが何故か独立して20年間フクダリーガルを継続し、それなりに大きくすることができたのですから(もちろん紆余曲折はありましたが)わからないものです。
独立する気のなかった数年間が今にどう役立っているかはわかりませんし、もっと早く独立していた方が良かったのかもしれませんが、その当時はその気がなかったのですから致し方ありません。それも含めての自分です。「思考は現実化する」です(※)。

ただ、みなさんには私のようにふらふらして目的のない司法書士生活を送るよりは、方向性だけでも決めておいて頂いた方が良いと思います。
早い段階で目標が定まれば、学ぶ知識も身につける技術についても無駄はなくなると思います。

ところで勤務司法書士の道を選ぶ方にも、さらに、選択肢があります。


※ http://hap.air-nifty.com/phytoncid/2022/05/post-dae3dd.html

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2022年6月 1日 (水)

司法書士は公正な競争環境に置かれたサービス業

(本日のフクダリーガル社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

コンサルタントとしての司法書士に関しては、ひとまずはさわりだけにしておきます。

次に、「司法書士としての在り方」の三番目、「職業人としての司法書士」についてお話します。

「職業人」とは一般的には「職業を持って自立している人」とか、「職業を通じて社会に参加している人」という意味で使われているようです。

新人司法書士のみなさんも司法書士を職業として選んだのでしょうから、「職業人としての司法書士」であるのは当たり前のことだと思うでしょう。

しかし、「職業」の捉え方には色々あります。私は司法書士になって30年以上経ちますが(先日連合会から勤続30年表彰をして頂きました。ありがとうございます)、これまで司法書士の「職業」について、私とは考えが違うと感じる方にお会いすることが時々ありました。

その方達は、司法書士を「聖職」あるいは「公職」であり、お互い競い合ってはいけないと考えているようなのです。もちろん、どんな職業観をもつのも自由ですから、そういう考え方を否定することはしませんが、少なくとも国はそれを明確に否定しています。

聖職でも公職でもないことは総務省の日本標準産業分類で示されています。司法書士は(その他の士業も)「専門サービス業」に分類されています(※1)。ちなみにこれはデザイナーや小説家と同じ分類です。
また、公正取引委員会も、司法書士会などの資格者団体が競争制限をおこなうことは独占禁止法上問題になるとして、司法書士同士の自由競争を保証しています(※2)。
 
司法書士という職業は、サービス業であり、公正な競争が保証されているのです。
新人司法書士のみなさんもその点は正確に認識しておいて頂きたいと思います。

ただ、私が「司法書士の在り方」の選択肢の一つとして「職業人」を上げた主眼はそこではありません。

 

※1 総務省「日本標準産分類」https://www.soumu.go.jp/toukei_toukatsu/index/seido/sangyo/02toukatsu01_03000044.html#l
※2 公正取引委員会「資格者団体の活動に関する独占禁止法上の考え方」https://www.jftc.go.jp/dk/guideline/unyoukijun/shikakusha.html

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