マニュアル復活の趣旨
廃止していた接遇マニュアルを2013年に復活させたときの趣意書がこれだ。
前回の全面改正(2012/04/04)では、マニュアルを廃止し原則全て自由であるとした。その趣旨は、仮にマニュアル通りに行動したとしてもそこに「心」がなければ基本理念の実現(良いサービスの提供)はできないというところにあった。
その考え方に変わりはないが、考えて見ればいくら「自由」としたからと言って行動に「心」が伴う事になる訳ではないのである。もともと「心」が無い者を自由に行動させても、そこに「心」が生まれる訳ではないのである。
ではどうすれば行動に「心」が伴うようになるのか。
その考え方に変わりはないが、考えて見ればいくら「自由」としたからと言って行動に「心」が伴う事になる訳ではないのである。もともと「心」が無い者を自由に行動させても、そこに「心」が生まれる訳ではないのである。
ではどうすれば行動に「心」が伴うようになるのか。
それは「自分で考える」事である。
まず、「知識」として理念を知る。次にその理念を実現するにはどうすれば良いかを自分の頭で考える事が必要なのである。つまり、一つひとつの行動について、理念に沿った行動(「心」の伴った行動)とはどんな行動なのか自分で考えるという事である。
しかし、現代人の多くは自分でものを考えるという思考習慣がないか、著しくその能力が低下している。
そこで自分でものを考える様になれるための手助け(呼び水)としてマニュアルを再設定することにした。
即ち今度のマニュアルはある程度の指針乃至行動原則あるいは手本の様なものである。
つづく
このシリーズの第1回は→こちら
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まず、「知識」として理念を知る。次にその理念を実現するにはどうすれば良いかを自分の頭で考える事が必要なのである。つまり、一つひとつの行動について、理念に沿った行動(「心」の伴った行動)とはどんな行動なのか自分で考えるという事である。
しかし、現代人の多くは自分でものを考えるという思考習慣がないか、著しくその能力が低下している。
そこで自分でものを考える様になれるための手助け(呼び水)としてマニュアルを再設定することにした。
即ち今度のマニュアルはある程度の指針乃至行動原則あるいは手本の様なものである。
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