法的思考のできる奴が仕事のできる奴 その7 仕事の出来る奴は話が短い
原稿の締め切りを延ばして頂いたので(重ね重ね申し訳ございませんS先生!)、今日からまた「法的思考」シリーズの続きをお届けいたします・・・。
日頃「話が長い」「しゃべり過ぎ」とか「うざい」とか(?)いわれている人はいませんか。なぜそういわれるのかを一度良く考えて見てください。とにかく何でも良いから沢山話さなければならないという強迫観念(?)に駆られてはいませんか。また、とりあえず話し始めたけれど話せば話すほど何を話そうと思ったのか(自分がどこにいるのか)分らなくなってしまったということはありませんか。
これは要は「何故と必ず考える」という法的思考の基本(思考習慣)が出来ていない、ということなのです。
つまり、「話が短い」というのは(ヤキソバオヤジ流)法的思考の一つの要件(であり効果)なのです。法的思考をするためには話が短くなければいけませんし、法的思考の出来ている人は自ずと話が短くなるのです。
優れた法的思考のできている人間は自分が話をする目的がよく分っているので、無駄な話をしませんし、逆に話の正体を見極める(何のために話すのかを理解する)ためには無駄なものをそぎ落として要点のみにする必要があるということなのです。
それが出来ていないケースの多くは(漫談を除き)話し手が自分の話す目的を理解していない(つまり法的思考が出来ていない)ということなのです。
おっと、少し話が長くなりすぎましたね(文章も同じですね)。しかもまとまりがない。
⇒法的思考シリーズ次回の記事(その8「類推」前編) ⇒このブログの ⇒このシリーズの最初の記事
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