2025年1月 9日 (木)

生きるための営業が下手な人

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

生きることと営業は本質的に同じと考えれば、「自分は営業には向いていない」と公言している人は「自分は生きていくのに向いていない」と言っているようなものです。

そこまで言わず、生きるために営業は必須だと捉えても、向いていないからと諦める必要はありません。もちろん巧拙はあり、生きるための営業が下手な人はいますが、これは簡単に解決できる問題です。

問題解決の原則に従って、問題の原因を探るだけです。原因がわかれば解決したも同然です。

問題の原因を探る過程で、生き方も営業の仕方も多種多様だということがわかります。その中から自分に合ったものを見つける(作り出す)ことです。これが生き上手・営業上手になる第一歩です。

ただ、自分に合っていても必ずしも上手にできるとは限りませんし、全て自分が(上手に)行う必要もありません。他の人に助けてもらえば良いだけのことです。

セールス活動で、お客様に対してプレゼンするのが不得手であれば、それは得意な人に任せ、自分は他のこと(考える、手を動かすなど)をするのと同じです。

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2025年1月 8日 (水)

生きることが営業

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業はやりたくないとか、向いていないという固定観念に囚われている方もいるでしょう。しかし、そういう方は営業の本質を理解していないだけです。人は営業なくして生きてはいけないのです。

人は皆生まれ落ちた瞬間(あるいは生まれる前)から営業活動をしています。

新生児は存在そのものが営業です。そこにいるだけで母親にオキシトシンなどの脳内物質を分泌させ、自分の生命維持や成長に必要なものを提供させます。

やがて存在そのものだけでなく、泣き、笑い、たどたどしい動作や言葉などの「営業行動」をするようになり、様々なものを獲得して行きます。

さらに成長の過程に従って多様な営業行動を行うようになり、やがて受験時代を迎えます。

人である以上こういったことは共通で、みなさんも同じ過程を経て成長して来たわけですが、これからも引き続き成長して行く(少なくとも生きて行く)ために、営業活動を行って行きます。

今もあなたは職場で評価されたい(少なくとも仕事を続けて行きたい)と考えており、評価を得るための活動=営業活動を行っています。

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2025年1月 7日 (火)

受験勉強にも営業マインド

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

営業(的思考、行動)が全ての方にとって、またあらゆる場面で重要であることは、これまで色々書いてきましたが、今日は受験勉強の場面でのそれについて。

営業にはこんな意義(本質、特色)があると書きました。
◆「自分が提供している価値を引き上げるための活動」(※1)
◆「問題解決」と「行動」(※2)
◆「人を幸せにすること」「人を幸せにするためには先ず自分が幸せにならなければ」ならない。「つまり、自分自身に対する営業活動が最初の営業活動」(※3)
◆必要なのは「営業相手を見極め」「競争相手を見極め」「自分を見極める」こと(※4)

一方、受験勉強には次のようなことが求められます。
◆自分の知識を合格ラインに到達できるようにする活動
◆試験に合格するという「『問題解決』と『行動』」
◆合格という幸せをもたらす(それは自分にとってのものであり、自分以外の人にとってのものでもある)
◆試験制度や内容を見極め、競争相手と自分の力量を見極めること

受験(勉強)を成功させるためにも営業的思考や行動が不可欠なことがわかります。


※1 2022年9月28日本欄
※2 2023年2月4日本欄
※3 2024年7月18日本欄
※4 2024年7月19日本欄

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2025年1月 6日 (月)

業務命令も役割分担

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

昨年末の本欄で約束という言葉を使いました。誰がお茶を出すのか、誰が実務を行うのか、誰がマネジメントを行うのか、即ち役割分担は約束によって決められるということです。

約束には様々なものがあります。最も基本的なものは会社と社員との約束である労働契約です。これに基づいて就業規則や、数々の社内規定が定められます。

役割分担もそうやって定められますが、業務内容の全てを網羅するのは不可能ですしその必要性も合理性もありません。

役割分担が明示されていない業務は各人の判断で行われるか、都度上司が部下に指示・命令します。業務命令です。例えばお客様にお水をお出しする役割を誰が担うべきか明確にされていない場合には、上司が部下にそれを命じることがあります。

業務命令は会社が契約や規則に基づいて社員に行使し得る権利であり、上長は会社に代わってそれを行う権限(役割、地位)を与えられています。

従ってそれは上長が「約束」の意図を汲みつつ、その枠内で、役割として行うものであり、業務としての合理性が必要であるのは当然なのです。

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2024年12月27日 (金)

序列と役割は違うということ

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

誤解を避けるために一応ご説明しておきますが、弊社の場合はお客様にお出しする飲み物はペットボトルの水のみです(冷たいものと常温のもののどちらを出すかはお客さまのご意向を伺うなどして担当者が判断)ので担当者が用意するのが最も効率的だと考えた次第です。

企業によっては、緑茶やコーヒーをその都度用意して出されるところもあります。お茶を淹れたりコーヒーを抽出するためには一定の技術が必要ですから、それに長けた方、あるいは専門部署(庶務など)が行う場合もあります。

いずれにしても、あくまでも役割分担の話で、仕事や担当者の序列とは無関係です。

もちろん庶務がお茶出しをする会社でも、一定規模の組織になっていると(庶務課など)、組織内で役割分担が生じます。庶務課長と庶務課員などです。このときお茶を出すのは課員であり課長ではないという約束がある場合、それも役割分担であり序列ではありません。

課長の第一の役割はマネジメント、課員の第一の役割は実務、実務であるお茶出しを第一に担うのは課員であるという約束です。

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2024年12月26日 (木)

序列意識は適正な業務分配を妨げる

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

分かりやすいので来客にお茶をお出しするという業務で説明します。

それが女性の仕事だという考え方は時代錯誤的ですが、かつては当たり前でした。これには二重に序列意識が働いています。

一つは男女間の序列意識(男の方が女よりも上位という意識)、もう一つは職務に関する序列意識(お茶出しという仕事は価値の低い仕事である)、そして、価値の低い仕事は位の低い者が行うべきであるという考え方です。

しかし、仕事の役割分担は、能力・適性、即ち誰が担当すれば最も生産性があがるかによって決めるべきです。お客様にお茶(お水)をお出しする仕事も、その仕事に最も適性があり、最も高い能力を持った者が担当すべきです。

弊社の場合は、お客様のホスト(取り仕切り役、即ち来社目的である業務の担当者)が担当するというルールになっています。これは、応接室(会議室)へ向かう途中で冷蔵庫から水を出してお客様に供するという業務ですので、ホスト自身が行うことが最も効率的だからです。

私がホストの場合はもちろん私がお水をお出しします。

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2024年12月25日 (水)

序列意識の弊害

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回まで「不合理な序列意識」について書いて来ましたが、社会には「序列」や「序列意識」は厳然として存在しますし、それが様々な社会集団とその活動を支える機能を発揮していることも確かです。しかし(日本の場合特に)必要以上に序列が意識されることで、様々な弊害が生じているように思えてなりません。

例えば、以前ご紹介した(※1)「話し合い」がうまく機能しなくなります。序列の上の人が、下の人の意見をきちんと聞かなかったり、下の人が上の人に対して意見を述べることを遠慮したりしてしまうのは、必要以上に序列を意識しているからです。

先日ご紹介した(※2)中国やインドやチベットの場合、日本社会以上に明確な序列が敷かれていますが、「何か重要な決定を要する相談事では年長者に対しても堂々と自分の意見を披瀝」しますし(中国)、「こと議論の場面では堂々と反論できる」(インド)、学者の議論においては序列意識が放擲され「敬語は完全に姿を消し、発言の仕方、応酬も全く同列に立ってなされ、そこには実力しか存在しなくなります」(チベット)。


※1 2023年7月28日他
※2 2024年12月13日、16日

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2024年12月24日 (火)

序列意識を無意識のうちに軽減するルール

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

「FLC&Sの教科書」にはこんなルールがあります(第三章 行動基準 接遇のルールとマナー 接遇ルール3《挨拶・電話共通》)

《5.「お疲れ様です。」「お疲れ様でした。」を使う場面
(主に1日の仕事を終えたことに対する)ねぎらいの言葉であるから、帰宅する際の「お先に失礼します。」に対して、送り出す側の挨拶として使うのが典型例である(「挨拶」4参照)。》

元来の趣旨は、挨拶には挨拶の言葉(おはようございます、こんにちは、こんばんは等)を使おうということでしたが、実際の使用例を見ていると、序列意識が原因でこれができない場合があるのではないかと思えます。

《3.敬称を付ける
お客様の敬称は、法人でも個人でも、「様(さま)」である。
×「〇〇株式会社さん」、×「〇〇社の〇〇さん」、×「〇〇先生」、×「売主さん」、×「買主さん」、×「仲介さん」、×「銀行さん」》

これの目的はお客様への敬意表現による弊社の品位レベルの作出ですが、「〇〇先生」の禁止は序列意識を拭い去るのが元来の目的です。

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2024年12月23日 (月)

無意識の序列意識

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

先週まで日本の「タテ社会」やそこに存在する「序列意識」について、書籍「タテ社会の人間関係」から、旋盤工や大学教授、外交官、俳優、作家などの例をご紹介しました。

こういった、年齢や年次、役職、性別などによる、不合理・不必要な序列意識は多かれ少なかれ私達にも身に染みついています。

自由な発想や議論そしてイノベーションを妨げることから無意味な序列意識を持たぬように心がけても、タテ社会の中で自然に身につき習慣化しているため、簡単に払拭できるものではなく、日頃の言動や思考に現れてしまいます。

例えば
・自分より年少の男性に対する敬称は、親しくなくても「〇〇クン」、一方年長者は「〇〇さん」(同じ年少者でも女性は「〇〇さん」)
・上司や年長者には「こんにちは」と言えず「お疲れ様ですー」と言う
・弁護士や議員や作家や漫画家を「〇〇先生」と呼ぶ
・お客様にお茶(水)を出すことは年少者や新人や女性が行うものだと考える
・家事や育児は女性の役割だと考える
・女性が料理を取り分けることに疑問を感じない
等々上げるにきりがありません。

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2024年12月20日 (金)

現代も「タテ社会」

(今朝のFLC&S社内ブログ「福田龍介のよしなしごと」より)

前回まで日本社会の序列意識の現れを「タテ社会の人間関係」から長々と引用してきました。同書は私がこれまで色々と感じて来た問題意識への回答をあっさりと、まさに目から鱗を落とすように与えてくれました。日本の序列意識もそれが「タテ社会」がもたらすものであることを教えられました。

もちろん、同書の執筆は1967年であり、現代社会にはそのまま通用しないのではないかとも思われます。例えば年功序列制などは現在はかなり薄れてきている部分もあるでしょう。しかし、「タテ社会」の本質は変わっていません。

一例です。昨日付の日経朝刊にあるシンクタンクの研究員の方が「CXO」(最高〇〇責任者)体制について書いた記事です。

本来「CxOで構成される経営陣がチームとして、互いの担当領域にまで口を挟むことを恐れずに闊達な議論を行い、迅速に戦略的意思決定を行う」ものだが

「多くの日本企業の執行体制は縦割り組織であり」「経営の意思決定に際しては、部門間で直接の対話を行わず、経営企画という日本特有の組織が部門間の調整に奔走している」

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«さらに日本の序列意識の「伝統」